2003年8月

8/1/2003/FRI

このサイトは、庭であり、筆者は庭師。それにしても、自分では教員を教師と呼べない癖に、自分のことを庭師と呼ぶのはどうか。

久しぶりに取り出した漢和辞典や国語辞典で調べてみると、師には、人の上に立つという意味から敬うべき存在という含意があり、それ以外に職人仲間の長という意味、さらにはただの人々という意味もあるらしい。

先生や長という意味を取り除いた語には、庭造(にわつくり)という語がある。あまり聞かない言葉。歴史の教科書に国造と書いて「くにのみやつこ」と読ませる官職があった。昔の人の発音はわからないから、「こくぞう」と呼んでも構わない、むしろ「みやつこ」なんて読み方は後の官製歴史による捏造だ、と中学校の歴史教員が力説する姿を覚えている。植木屋という言葉もあるが、二文字でないので目次に合わない。

教師には、師を中和した教員という言葉がある。庭師に対する庭造は聞きなれない。とりあえずは庭師のまま使う。ただし、表示する場所を減らした。

庭師という語を使いたい理由もある。この言葉から思いつくのは、世界史年代記憶法のおまじない(山村良橘『世界史年代・世紀記憶法』(代々木ライブラリー、1976)

庭師字遅れ、ディオクレティアヌス

ローマ皇帝、ディオクレティアヌスの即位は284年。職人を見下しているのではない。「仕事が忙しくて勉強が後回しになる人もいるんです」。そんな風に先生は言っていた。

庭師は忙しくて、俗人が勤しむような勉強をする暇はないのかもしれない。バカボンのパパを見ると、なおさらにそう思う。庭師どころではない。ディオクレティアヌス帝は解放奴隷から皇帝に登りつめ、戦いに明け暮れる一生だった

「庭」は、ある意味で、戦いの記録。とはいえ敵は異民族ではない。

書評「エッセイとは何か」を植栽。雑記の上下入替完了。批評「多様化と細分化」で、一つの趣味から世界が無限に広がることを説明する例えを、イタリア料理からバッハの音楽に変える。


8/2/2003/SAT

山本美智代 本の造形 [作品]、山本美智代、青幻舎、2003

本を読むのも好きだけれど、実は、本を眺めるほうがもっと好きかもしれない。書店や図書館で背表紙を眺め、興味のわいた本は表紙を眺めて、目次を眺める。そうして読まないで通り過ぎた本は多い。そうした本は中身はまったく知らなくても、装丁はよく覚えている。

本書のなかでも、読んではいないけど見覚えのある本がいくつもある。城塚登『若きマルクスの思想』、『現代政治理論叢書』シリーズ(いずれも勁草書房)などは、学校の図書室で何度も見た。なだいなだの著作も、ほとんど読んだことがないけれど、装丁は見たことがあるものばかり。

山本の作品には硬派な表情が多い。政治思想からソビエト文学、電気工事からビルメンテナンスまで、無機質の奥にしたたかな情熱が感じられる。

中身も読んでみたいけれども、装丁を見ているだけでも十分に楽しい。用いる材料は同じでも、本はウエブ上の表現とは根本的にまったく違う世界であることを、表情のある装丁は教えてくれる。


8/3/2003/SUN

New Music Memorial Collection、オムニバス、ポニーキャニオン、1989

子どもが補助輪なしでも自転車に乗れるようになった。夕暮れの公園をうれしそうに走りまわる姿を見ていたら、「放課後の校庭を走る君がいた/遠くで僕はいつでも君をさがしてた」という村下孝蔵「初恋」の歌詞を思い出した。これまで過去の音楽が過去の情景を思い出させることはあった。現在の情景から過去に聴いた音楽を思い出すという体験ははじめて。これまでにない記憶と想像の不思議を知った。

村下孝蔵では「初恋」以外には「踊り子」と「ゆうこ」しか思い浮かばない。そこでベスト盤ではなしに、70年代後半のヒット曲ばかり集めたオムニバス盤を借りてみた。収穫は「真夜中のドア」(作曲は林哲司)。少し前にラジオで聴いて、いつか探そうと思っていたところ、「初恋」と一緒に収録されていた。

曲目を並べてみると、ある時期のラジオ番組を聴いているような気分。風邪を引いて学校を休んだ日に、一日中ラジオを聴いていたような気分。「あの季節が/今目の前」(「真夜中のドア」)。まったくその通りの気分。

大都会(クリスタルキング)、Mr.サマータイム(サーカス)、真夜中のドア-stay with me-(松原みき)、きみの朝(岸田智史)、君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね(中原めいこ)、ふられ気分でRock'n Roll(TOM☆CAT)、遠くで汽笛を聞きながら(アリス)、初恋(村下孝蔵)青春(松山千春)虹とスニーカーの頃(チューリップ)、夢想花(円広志)、涙をふいて(三好鉄生)、かもめが翔んだ日(渡辺真知子)、冷たい雨(Hi-Fi SET)

2/7/2004/SAT追記

夕べは満月、今夜は十六夜。「十六夜の月は人待ち月」ではじまる三田寛子の曲を思い出した。曲名は忘れているけれど、村下孝蔵の曲だったことは覚えている。調べてみると、題名は『野菊いちりん』、作詞は村下ではなく、阿木曜子だった。


8/4/2003/MON

十年ほど前、深夜に『19XX』というテレビ番組が放送されていた。今の『トリビアの泉』につながるウンチク系バラエティ番組『カノッサの屈辱』とセットになっていた。番組は、70、80年代のヒット曲を邦楽、洋楽を問わず、当時のニュース映像や、コマーシャルや映画、世相を映した画像を背景に流すだけ。

最近、80年前後の音楽を聴き返すようになって、80年前後のことだけではなく、この番組をみていた90年前後のことを思い出す。つまり思い出には、思い出それだけでなく思い出した思い出が幾重にもある。

家族や古くからの仲間が集まると、決まって繰り返される話がある。定番の思い出。ネタと言ってもいいし、年寄りが言うと繰言ともいう。こうした思い出は、繰り返し語られ、演じらていれるうちに、もともとの事実とは離れていくことがある。にもかかわらず、話を聞いている誰もがさも事実がそうであったかのように思い込むようになる。ネタになる、というのは、小話として自立すること。伝説化するということもできる。

どこかへ行った思い出。誰と行ったのか、何年のどの季節にいったか、など、意外と事実とは異なって酒の肴になっていることがある。誰かが昔の手帳を出してきてみると、あの人はいなかった、あれは夏だった、あれは同じ場所に行った二度目だった、など、思い込みとは違う事実がわかる。

個人史でも地域や国家の歴史でも事情はかわらない。繰り返し思い出しているうちに思い出それ自体が変容する。思い出は、つねに現在の自分が思い返すもの。その意味では思い出は真実ではあるとしても、事実ではない

いなかった人がいたように記憶されていたり、暑かった日が寒かった日に記憶されていたりするのは、記憶の妙であり、そこに楽しさや表現の萌芽もある。そうだとしても、歪曲した事実を元にした空想は、あとで齟齬をきたす恐れがある。それは覚えておいたほうがいい。

『New Musica Memorial Collection』には、クリスタルキングの「大都会」が入っている。この曲は、聴いたころの記憶だけでなく、一時期通いつめたライブハウスでの演奏が、思い出を自分のなかで伝説化している。クリスタルキングを思い出しているようで、実はライブハウスでの演奏を思い出し、その繰り返しから、クリスタルキングでは「大都会」が一番好きな曲だと思い込んでいた。

クリスタルキングでは、「大都会」よりも化粧品の広告に使われた「蜃気楼」のほうがずっと好きだったし、それ以上に、小学生の頃誰かの家で一度だけ聴いた「大都会」のB面「時流(とき)」という曲が、歌詞も旋律もすっかり忘れてしまったけれど、いまも心に残っている。

オリジナルの「大都会」を聴いて、そこまで思い出した。「大都会」は、2003年に聴いた音楽としてあらためて記憶されるだろう。


8/5/2003/TUE

悲しいほどお天気、松任谷由実、エキスプレス、東芝EMI、1979

ユーミンのアルバムは、いくつかもっている。オフコース同様、レコード会社が適当に作ったベスト盤ももっている。このアルバムは気に入っていたけれど、カセット・テープを聴かなくなってから聴くことがなかった。

久しぶりに聴いてみると、一曲ごとに思い出すことがある。ときどき、ユーミンの声がどうしても清水ミチ子に聴こえてしまう。なるべくそちらに想像が広がらないように初めて聴いた「あの頃」を思い出してみる。


「ジャコビニ彗星の日」は、何年も前に渋谷陽一がユーミンのなかの最高傑作としていた作品。恋を失ったことに気づくことと、日常のできごとと、それから何百年に一回のできごとが見事に繋がっているところを会心とみたらしい。


「緑の町に舞い降りて」は、私のなかでは、順位が高い作品。前奏の軽快なピアノがまず心をつかむ。盛岡がロシア語に聞こえるとか、「銀河の童話」を読むとか、少しだけインテリっぽい表現が使われていることも気に入る理由かもしれない。

それだけではない。「誰かが気になりだしてから/世界は息づいている」。出会いが人を変えていく人が変わることは世界が変わること、ということは、確かにこの歌から学んだ。今でも天気がいい日に飛行機に乗る日、それも知らないところを飛ぶ日には、この歌が心に聴こえる。


ユーミンの曲は「恋の教科書」などと言われることがある。このアルバムに入っている「Destiny」は、「DANG DANG」(『PEARL PIERCE』、1982)と並んで、恋愛の機微をうまくとらえている。にしても、少しキマリ過ぎにも感じる。この女性はふられても取り乱したりしない。Desitinyなんて横文字で片付けてしまう。そのカッコよさが「教科書」と言われる所以でもある。似た情景を歌った南野陽子「話しかけたかった」の「ハネた髪」という歌詞はかなり陳腐だけれど、聴いたときにはずっと身近な感じもした。


「さまよいの果て波は寄せる」。80年前後、ニューミュージックではアルバムの最後に人生や至上の愛を壮大に歌い上げる「大袈裟ソング」を入れるのが通例だった。この「大袈裟ソング」という言葉は、元はさだまさしが、サイモン&ガーファンクル「明日に架ける端」を形容した言葉。たいていイントロがピアノの四分打ちで、この曲も定石どおり。ただし歌詞は、大袈裟ソングにありがちな自画自賛や稚拙な浪花節とは違い、独特の屈折が表れていて味わい深い。

失うものはもう何にもなくて
心静かな私が初めてみえる

法隆寺もノートル・ダムもない国へ旅立った森有正は、こんな心境だったのだろうか。もちろん、初めて聴いたときはそんなことは何も考えなかった。「夢中になれる何かが/明日へ誘い」という言葉も、ようやく近頃わかりはじめたくらいなのだから。


8/6/2003/WED

昨日の荒川洋治。おいしさを表わす表現について。

さまざまな表現があるが、あまり凝らずに表現したほうがうまくいく。

対象のもつ性格をそのまま使う手もある。例えば、木下杢太郎がコーヒーをうたった詩は、「カフェ、カフェ、にがいカフェ」と締めくくる。にがいという言葉は、直接的でしかも否定的な響きをもつが、かえってコーヒーのおいしさを引き立たせる表現になっている。

おいしい、うまいという言葉は味を表現するだけでなく、食べ物を作った人に対しての感謝の言葉でもある。だから奇をてらった表現より、素直な言葉のほうがいい。

笑わせる文章もむずかしいけれど、食欲をそそる文章も相当むずかしい。私の知る中でおいしそうな文章を書くのは、小泉武夫。日経新聞夕刊で生唾のでるような文章を連載している。小泉はまずい食べ物のことを書くのも上手い。いつか、どこかで食べた、まずいカツ丼をいかにもまずそうに書いていた。

小泉が酒や食べ物をおいしそうに書くのは、発酵学を専門として酒や食べ物について詳しく知っているから。なおかつ、自分自身も料理も好きで、食べることを楽しんでいる。つまり、知識と経験と愛情に裏付けられているから、彼の文章は、表現のための表現ではなく、本質を代弁する表現になっている。

荒川が紹介するように多くの文学者が、おいしさについて奇をてらわず、素直に「おいしい」とだけ言うのは、表現のための表現に陥ることを恐れるためではないか。言葉をかえれば、凝りすぎた表現はむしろ凡庸であることを知る感受性豊かな作家は、あえて率直な言葉を選ぶ勇気をもてるのだろう。

プロの世界は競争が激しいせいか、文章が上手な人がほんとうに多い。上手な人は人気もあり、いろいろな分野について書くよう求められている。確かに感性豊かな人は、何にでも感動する心をもち、何についても鋭い批評眼をもち、そのうえそれを上手に書くことができる、とも言える。しかし、そうした文章上手が書く対象も多様の文章に、どこか上滑りした感触をもつこともある。

反対に、分野を絞って書かれた文章のなかにも、限られた分野を越えた広がりを感じさせるものもある。小泉の文章は好例。同じ日経新聞で、スポーツ欄に連載されている豊田泰光の文章にも魅力がある。野球のことしか書いていないし、組織論や精神論に無理して展開しようともしていない。それでいて、ちゃんと野球以外のことへ話が広がるような内容、表現になっている。

対象に寄り添い、対象をよく知る。要するに自分の経験に基づき、それによってのみ表現する文章は、確かな人間的魅力、いわば味わいのある文章になる。人間的魅力と文章としての形式的性能が高い水準で融合された文章、それが名文ではないか。


8/7/2003/THU

昨日の文章。「対象も幅広く、文章上手が書く文章に、どこか上滑りした感触をもつこともある」。

表現のための表現、上滑りした文章、と書いて、どこかで見たことがあると思い出してみたら、再びマンガ『ガラスの仮面』

若手実力派、姫川亜弓の主演作「二人の王女」。亜弓の相手を選ぶオーディション。北島マヤが渾身の演技をする直前、脚本家、演出家、舞台監督ら審査員は、その前に審査演技を終えた若い女優たちについて、その技量の高さは評価しながらも、「演技のための演技」「上滑りした演技」とこぼす。この後、マヤが一人芝居で培ったパントマイムで審査員の度肝を抜き、満場一致でマヤは二次審査へ進む。

人間的魅力と形式的性能はあらゆる表現に必要な両輪。感性と技術、情緒と論理、実感と理論本能と知性など、違う言い方はいくらでもできる。大切なことは、それぞれの程度ではなく、両者の均衡が、表現にとってはより重要だということ。

感性に見合った技術、情緒を際立たせる論理、のように両者が釣り合うことが大切。片方の車輪ばかり大きくても、真っ直ぐ前に進めない。むしろ差が大きいほど、滑稽に映る。何の思い入れもないのに八月になったという理由だけで戦争を特集する記事や、思い込みばかりが突っ走る幼い恋文などは、そうした例。

『ガラスの仮面』は、こうした表現における二つの才能の対決を主題にしていると私はつねづね思っている。北島マヤは感性の人、姫川亜弓は技能の人。もちろん、それぞれ反対の才能も高い水準でもっている。興味深いのは、それぞれ自分に不足している才能を持ち上げようと努力するのではなく、徹底的に自分が得意とする才能を突きつめていくこと。片側の車輪ばかりを大きくしようとしているようにみえて、結果的には両輪を大きくしている。

マヤは身の回りの出来事や、なりたい役柄そのものをよく観察したり、真似したりして役柄を体得する。これに対して、亜弓はパントマイムなど、演技の基本技術を修練することに心血を注ぐ。不思議なことに、そうすることによりマヤの演技力は向上し、亜弓の感性も磨かれていく。

才能という言葉をスタイルと言い換えてもいい。スタイルは垂直には趣味と批評からなる二層構造で、水平には、感性と技能を両輪とする。そして肝心なことは、スタイルを深める過程そのものが、すでにその人のスタイルの一部になっているということ。マヤも亜弓も、そして作者美内すずえもそのことをよくわかっているように思われる。

書評「国を愛するということ」に、テイラーとウォーラースタインの引用を追加。原稿にはあったものの、表示されていなかった。どういう意図があってのことかは忘れた。


8/8/2003/FRI

ニュー・ベストナウ・コンプリート 稲垣潤一、東芝EMI、1990

夏の音楽といって、昔は何を聴いていたのだろう。そう思いながら図書館の棚を眺めていて眼に止まったのは稲垣潤一。「ドラマティック・レイン」「夏のクラクション」「雨のリグレット」。秋元康、売野雅勇、湯川れい子。筒美京平、井上鑑、林哲司。こういう音楽、こういう言葉、こういう旋律。自分では気づきもせず、また認めようとしなくても、いまの私の嗜好や言葉づかいに強い影響を与えているように思う。

「夏のクラクション」は、なかでも好きな曲。どういうわけかこの曲を聴くと、アイドル雑誌『月刊明星』の付録、「ヤング・ソング・ブック」、略称「ヤンソン」が思い浮かぶ。あの冊子で歌詞を覚えたのだろう。この曲を聴いていると、あるラジオ番組も思い出す。FM東京、平日夜10時、『サントリー・サウンドマーケット』。一緒に“Old & Perrier”の宣伝に使われたThe Temptations,“My Girl”も聴こえてくる。

そんな風に音楽とそれ聴いていた場面が組になって記憶されていることがある。

サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」は「8時だよ全員集合」の冒頭コント後の回り舞台で見た記憶が今でも離れない。山下達郎「RIDE ON TIME」やチューリップ「虹とスニーカーの頃」を聴くと、土曜日午後に聴いていたラジオのベストテン番組で作曲家の宮川泰が曲紹介していたのを必ず思い出す。

気の毒なのは大川栄索「さざんかの宿」。『ザ・ベストテン』でタンスを背負った場面も忘れてはいないけれど、「オレたちひょうきん族」の「ひょうきんベストテン」で松尾伴内が歌マネをしはじめたとたん、水やタライが落ちてくる「さんざんの宿」が、この歌を聴くとき必ず思い出される。いまでもときどき懐メロ番組でみかけるとつい笑ってしまい、悲恋の歌に聞こえない。

3/25/2004/THU追記

先週の木曜日、NHK-FM夕方の番組「サンセット・パーク」、木曜日恒例の「しりとりリクエスト」で尾崎豊「I LOVE YOU」がかかった。尾崎豊を知る前から浜田省吾を熱心に聴いていたので、尾崎豊はほとんど知らない。この曲はいい曲だと思うし、カラオケでも歌ったことがある。

でも、聴いて思い出すのは、日本テレビ「天才たけしの元気が出るテレビ」に出ていた「なりきり高校生」。あるいはナルシスト高校生だったかもしれない。素人と銘打っていたけど、おそらく芸人の卵だろう、制服姿の男女が尾崎や華原朋美になりきり、モノマネをする。床に転げ回って歌うオザキ君は、ずいぶん笑わせてくれた。

久しぶりにラジオで聴いて、松方弘樹の笑い泣きを思い出した。


8/9/2003/SAT

プールへ行くと小さな子どもでもゴーグルをしている。以前は、水のなかで目を開けられることが水に慣れた証だった。消毒の強いプールで泳ぐことが普通になった今、ゴーグルはむしろ必需品。

同じように、真っ黒に日焼けした子どもを健康優良児と思うことも、今ではなくなった。乳児から老人まで、紫外線は、百害あって一利もないことは、もはや常識。

研究の成果や社会生活の変化で、かつては常識だったことがそうでなくなっている。プールで目を開けろ、夏は黒くなるまで外で遊べ、運動中は水を飲むな、かつてそんな風に言っていた人たちは、今、どう考えているのだろう。

知らなかったのだから、仕方がない。もちろん、そう言える。しかし彼らは、もしかしたら間違っているかもしれない、将来この指導の正しさは覆されるかもしれない、そういう含みを持たせて説得していただろうか。あかたも不変の真理であるかのように、子どもたちを無理やり押さえつけてはいなかったか。

パワー・ハラスメントという言葉が流行しはじめている。社会的地位や、権力関係の上位にあることを利用して、 暴力的な指導や管理を行うことを指す。そういうことは今に始まったことではない。教育現場では何十年も前からパワ・ハラ全盛だった。不合理な校則、抑圧的な指導、反論を許さぬ暴力。そうしたパワ・ハラ教育を受けた人が、大人になって、パワ・ハラを引き起こしているのではないか。

怒鳴り声と猫なで声の二種類でしか対人関係を教えられなかった人が、さらにそれら両極端の接近法を先鋭化させているのではないだろうか。

いや、パワ・ハラが顕在化している事態の本質はそこにあるか。引き続き考える。


8/10/2003/SUN

昨日のつづき。

社会的地位や権力関係を利用して、不合理な要求をつきつけ人間を指導、管理することをパワー・ハラスメントとするならば、その極限形態は、管理教育の敷かれた学校より遥か昔からある。それは、軍隊と僧院。奇しくも日経新聞では、最終面で漫画家水木しげるが「私の履歴書」で軍隊の不合理を、高村薫が連載小説「新リア王」で僧院の不条理を書いている。

自ら望んだとはいえ、宗教的な修行は不合理な指導、管理ばかりで、すぐにでも弱音を吐いて脱走したくなりそうな世界。一方、軍隊には多くの人は望んでいくのではない。そこでも不合理な管理を受け、それこそ駒のように扱われる

それにしても、軍隊や僧院、修道院から大量に脱走したという話はあまり聞かない。私が知らないだけなのか。それとも、そこで生きるしかないと思えば、人間はたいていのことには耐えられてしまうものなのか。宗教的修行の場合は、そうした不合理な状態をわざわざ作り出して、そこへ自らを追い込んでいくことで、別の境地へ達しようとしているのかもしれない。そう考えると、現在、パワ・ハラが顕在化しているのは、そこで必ずしも生きる必要はない、という思いが人々の耐性を弱めているとみることもできるか。

水木しげるの述懐を読んでも、軍隊での不合理な体験の記憶は何十年たっても消えない。二十年ほど前の強圧的な管理教育の体験も、消えるどころか教員に襲いかかるような暴力的な妄想として、しばしば夢に現れる。それは耐性の低さの現われだろうか。

トラウマという心理学用語は安易に使いたくない。しかし、不合理に耐えられず潰れる人間も悲惨であるけれど、不合理に耐えてしまったばかりに生涯屈折した記憶を携えて生きることも楽しいものではない。

今日、パワ・ハラについて考えるとき、継続する不景気が要因としてまずあげられる。そのような見方は、人間社会につねにつきまとう社会病理としてのパワ・ハラ、もう少し伝統的な学術用語を使えば権力の正統性、合理性についての本質的な問題を見失わせるかもしれない。

その一方で、要因は何であれ、権力関係の不合理性、それに潰される人間の感受性に法律、心理学、経営学などの専門的な関心が向かうならば、耐えてしまったがために歪んだ半生を送っている人間だけでなく、耐えられず崩れ去っていった人たちも、今はもう何も語ることができないとしても、心ひそかに意味ある一歩だとどこかで頷いているのではないだろうか。

書評「小林秀雄全集 第十一巻」を植栽。

批評「バカと普通」に、「もう一歩考えを進める」以下を挿入。言葉足らずと思って追記したが、脱線がさらに言葉足らずに見える。きりがないので、とりあえずここまで。


8/11/2003/MON

本を読んだ後に、かなり強い調子で批判を書いたことがこれまでに何度かある。それでも、そのなかでも、不思議と気持ちよく書けたものもいくつかある。そういう文章を振り返ってみると、著者に反発しているのではなく、むしろ著者に共鳴しているからこそ批判している。

言葉を換えると、著者に共鳴し、その考えを自分の考えとして吟味しているから建設的な批判が書ける。つまり著者を批判しているのではなく、自分の理解した思想を批判しているから、後味が悪くない。思想を憎んで人を憎まず。

後味が悪いのは、著者その人に反発しているとき。こういうときは批判ではなく、非難になる。元をたどると、非難めいた文章を書きたくなる本は、その言い分ではなく、たいていその言い方が気に入らない。表現が気に入らないのに、そのことには触れず、あたかも正面切って内容を批判しようとすると、言葉尻をとらえた揚げ足取りになる。こうした感情をきっかけにする文章は、間違いなく墓穴を掘る。相手を論難することだけが目的になっているのに、初めから相手の土俵で戦おうとしているから。相手の土俵で相手を倒そうとすれば、足元をすくわれるに決まっている。

こうした考察をふまえて、私が最近得た結論は、議論は何も生まない、ということ。

正確には議論は思想を生まない。政治には、徹底的な議論が必要。あらゆる角度、あらゆる利害、あらゆる可能性、あらゆる立場から意見を出して、ものごとを見極めていかなければならない。その上で決断を下すことが政治ではないか。

思想に必要なのは議論ではない、対話。同じ目線で、同じ方向を向く。同じ感動を、違う表現で聞く。こういうときに、新しい表現が生まれる。哲学の元祖は、こういう対話をより積極的に「産婆術」といったらしい。何かを引き出してやろうという配慮があるから、言葉が、表現が、思想が生まれる。相手を打ち負かそうなどという気持ちからは決して思想は生まれない。

それは、他者を無視するということではもちろんない。対話を深めることは、孤独を深めること。同じ目線で、同じものを見て、同じように感動しても、違う表現をする。そこに孤独の出発点があり、それが他者への理解の出発点になる。そうしたところを出発点にしなければ、個人主義という考え方は、話せる仲間とわからない他人のあいだで宙ぶらりんになってしまう。


8/12/2003/TUE

音楽は私にとって趣味以上のものではない、と少し前に書いた。その理由を、濫読は続いているが、濫聴が沈静化したためとした。しばらく図書館でCDを借りていなかったけれども、また、定期的に借りている。借りるのはもっぱら昔聴いた音楽。新しい音楽もラジオで耳にする。音楽は絶え間なく生活に流れている。図書館で何も借りないだけで、音楽が趣味以上でないとは言えない。

音楽が趣味以上でない理由は別のところにある、と気づいた。それは音楽には満足する、ということ。快適な音楽を聴くとそれだけでほとんど満足する。真似しよう、自分でも演奏してみようとはほとんど思わない。まして、自分で新しい音楽を創り出そうとはさらさら思わない。

ところが、読書と文章の場合は違う。どれだけ本を読んで共鳴しても、それだけでは満足しない。共鳴したことを自分の文章で残したくなる。『小林秀雄全集 第十一巻』を読みながら、これまで自分で思いついたことを小林が的確に言い当てているように何度も感じた。それでも、小林の洗練された文章を読んだだけでは満足できない。拙くても、自分で思いついたことは、自分で書いてみたい。

文章は、私にとって趣味ではすまされない、何か。おそらく表現という言葉が一番ぴったりくる。

随想「自己の同心円」を植栽。構造が複雑で自分でもわからなくなってきたので、先に模式図を作り、文章を書いた。


8/13/2003/WED

昨日の荒川洋治。隠語、符牒について。

さまざまな職業にさまざまな隠語がある。

隠語は、仲間意識を高める。単調な仕事の調子を変える。一連の動きを「仕事」にまとめる。仕事を内部化させる。

昔の小説には、さまざまな職業の現場とその隠語がちりばめられていた。

情報社会でなかった時代は、そこから人々の労働や暮らしを知った。

今の小説は「私」の観念ばかり。

隠語から、職業意識、さらには荒川の専門である文学、とくに最近の文学への批判へ話題が広がった。小説だけでなく、テレビドラマを見ても、職業が単なる記号として使われていることが少なくない。

隠語は、英語でjargonと言われる。この場合、他者を排除する仲間内だけで通じる言葉という意味合いが強くでる。

荒川はそうした方向ではなく、隠語の語源に職業が関連すること、職業を定義する効果があることを示唆している。これまで隠語に対してもっていた印象を変える話だった。

隠語は職業だけでなく、家族や親戚、友達ような親しい間柄にも発生する。現代社会では、家族の関係が希薄になっているとしばしば聞く。家族だけに通じる符牒が、新しく家族を定義することがあるかもしれない。

雑記にあわせて、表紙の一文に「見上げると、空には見たことのない星座が見えるかもしれません。」を追加。最近、この比喩が気に入っている。


8/14/2003/THU

最近見つけた小さな星座

荒川洋治『文学が好き』に、詩人大手拓次がとりあげられていた。大手は同じ荒川の『日記をつける』でもとりあげられている。ライオン歯磨宣伝部で今で言う広告コピーを作りながら、密かに詩作を続けた。若くして亡くなった時、彼が詩人であったことを知る人はほんの数人だったという。

それ以前にも日経新聞夕刊、水曜日の連載、出久根達郎「レターの三枚目」で大手のことが書かれていた。大手の秘めた片思いは、荒川も温かいまなざしで書いている。出久根は、大手が想いを寄せた歯科医院の受付女性は、後の女優、山本安英だったと明かしている。

山本は、木下順二『夕鶴』のヒロイン、つうを当たり役とした女優。木下は、森有正の生涯の親友。山本は、『森有正全集』の月報で森の回想をインタビューで残している。

ここまで書いたことは、言ってみれば文化人どおしのつながりで、私個人とはまったく関わりのないこと。星座は、空のかなた、ずっと遠くにある。ところが、ここで星座のつながりが突然地上へ降ってくる。

小学校六年生の学習発表会、いわゆる学芸会で、私のクラスは「夕鶴」を発表した。影絵好きの教員の指導で前年の「ブレーメンの音楽隊」に続いて、装置をさらに大掛かりにした影絵劇。私は「よひょう」の声役を演じた。前の年はナレーション。木下順二文『かにむかし』(清水崑絵、岩波子どもの本、1977)は、ぼろぼろになっても残っている。最近、新たに買いなおした。

こんな星座をみつけたので、近いうち、大手拓次の詩集を読みたいと思っている。


8/15/2003/FRI

鉄道ジャーナル 2002年9月号 特集:京阪神都市圏の鉄道2002、鉄道ジャーナル社、2002

昨年来、関西圏へほぼ毎週出かけるようになった。これまではJR、京阪、大阪モノレールを利用することが多かった。最近、阪急にも乗るようになった。学校へ上がる前、阪急沿線に住んでいたことがあるが、電車のことは何も覚えていない。あとから両親に聞かされて、作られた懐かしさを感じる。作られたというのは、うそ、ということでもない。懐かしいには懐かしい。覚えているような、忘れているような、不思議な間接的な記憶。

阪急には独特の雰囲気がある。首都圏の東急と対比されることがあるけれど、独自文化という意味では阪急には及びもしない。乗客は「御乗客」、一番線ではなく一号線、他の関西私鉄も同じかもしれないが、「あぶのうございます」も東京人には耳慣れない。そんな阪急の独自文化を特集した雑誌を見つけた。

『ジャーナル』は初めて読んだ。鉄道雑誌は多いが、それぞれ方向性に細かな違いがある。写真中心の『ピクトリアル』、ホビー、旅情系の『ファン』、ダイヤに的を絞った雑誌もある。『ジャーナル』は、ビジネスの面から鉄道を見る。読者には鉄道業界人が多いのではないか。ハイテク業界の『日経エレクトロニクス』のようなものか。

特集で知った新知識は、阪急の主力車両は25年以上使われているということ。ほとんどすべての車両が阪急マルーンといわれる同じ色に塗られ、内装も数十年にわたり変化がない。まめに修繕をしているので古さもなく、飽きることもない。こういう経営姿勢にも独自性が強く出ている。プリペイドカードで乗る人が増えたので、券売機が少なくてすみ、その分、コンビニなどの店舗に転用しているということも、駅を利用しているだけでは気づかなかった。

戦後の鉄道を中心とした都市開発の盛衰についての論考、鍋倉紀子「黄昏に遊園地――電鉄系家族文化の終焉」も興味深い。戦後、官民が一体となって、鉄道に沿った職、住、学、遊が整備され、核家族のあり方が規定されていったという見方は刺激的。私鉄沿線の開発宅地で育った私には、身に覚えのある分析でもある。鉄道系遊園地が次々と閉園している事態は、TDLやUSJの一人勝ちや不景気のせいばかりではない、鉄道と家族のあり方が変わっているのだと鍋倉は指摘する。これから家族のあり方を考えるためには、住宅事情だけでなく交通事情も無視できないという示唆は新鮮。


8/16/2003/SAT

文体とは、あるいは誤解を避けるためにもう少し説明を加えて文章表現の世界とは、宇宙であるという比喩が、近ごろ、気に入っている。この表現のいいところは、広がりは無限であるということと視野は有限であるということを同時に言い表している点にある。

宇宙は遥か彼方まで広がっている。しかし、私たちは今いる場所からしか宇宙をみることはできない。それは、この星、この場所、この季節、この時間の、限れられた天空。さざめく星の光は今光っているのではない。ずっとずっと昔の光が今ようやくこの場所に届けられている。

都会に暮らしていると、夜空をみあげても星はほとんど見えない。夏の終わりに家族ではじめてキャンプに行くことになっている。星空が楽しみ。

大げさかもしれないが、キャンプがきまってから岡部一彦『やまのえほん』を読んだ。気持ちは充分高まっている。林明子『はじめてのキャンプ』(福音館、1984)も繰り返して読んでいる。出かける前に、色あせた表紙のH.A.Rey『星座を見つけよう』(草下英明訳、福音館、1980)も読んでおこう。

9/1追記

あいにくの曇り空で星空は見られなかった。またいずれ。


8/17/2003/SUN

鎌倉――原田寛作品集、原田寛(写真)、球龍堂、2003

鎌倉の魅力は、その妖しさにある。晴れ上がった日より、曇り空、しとしと雨、そんな日が似合うような気がする。鎌倉に漂う妖気は武者たちの怨念だと想像する辻邦生の随筆も読んだことがある。

この写真集に映る鎌倉に妖しさは感じられない。文字通り、美しい古都。嫌味でも批判でもない。何度も出かけているのに、鎌倉にこういう真っ直ぐな美しさがあるとは思っていなかった。新しい解釈を教えられた気がした。

巻末の著者紹介をみると、原田は鎌倉市観光協会発行のカレンダーや電鉄会社のポスターも撮影しているらしい。そういった仕事が、鎌倉の健康的な一面、陽気な表情をとらえるようにしたに違いない。

本書は、しばらく前に病人を見舞うために、調べもせずに本屋で目に付いて買った。後から思えば、妖気漂う鎌倉でなくてよかった。冷や汗。

絵本「絵本の歴史をつくった20人」その他を植栽。

批評「丸山と小林」の最後にある「勝手に」は、意味がわかりづらいという指摘あり。「勝手に」に意味は、自由に、ということではなく、誰も読まないかもしれないとしても、ということ。出典の「団結せよ」に呼応させるために、「孤りで」「独りで」になおす。


8/18/2003/MON

少し肌寒いくらいの夏休みだった。悪天候にも関わらず、部屋にはヨーヨー釣りでもらった水風船がいくつも転がっている。神社や寺の縁日には行っていない。自治体や地域、幼稚園、学校の夏祭りだけでもおみやげが沢山集まった。昨年は自動車販売店の夏祭りもあって、タダで縁日遊びをした。

地域の祭りもほとんどタダ。神社仏閣の縁日に比べれば、数分の一の費用ですむ。

どう考えたらいいのだろう。

テキ屋のヨーヨー釣りは高い。でも場末のいかがわしさを感じるいい機会だった。テキ屋の客扱いにも粋のようなものがあった。小銭を握りしめて、使い道を考えて、何かを学んだかもしれない。それでも、あまりの高コスト、いかがわしさ、宵闇の片隅に隠れた暴力、そういうものに嫌悪して人々は言ってみれば「健全な夏祭り」を再構築したのではなかったか。

地域の祭りは、失われた人々の結びつきを取り戻すきっかけになるのかもしれない。でも、値段も安く、機会も多くなると、子どもはそんな縁日にハレを感じなくなるかもしれない。あの場末の雰囲気、ちょっと違う世界の人々とのやりとりもなくなってしまうかもしれない。

あれこれ思いつくけど、どう考えたらいいのか、よくわからない。雨が続いたせいで、まだ遊んでいない花火が早くも湿りはじめている。結論が出ないのはいつものこととはいえ、思考も湿りがち。

書評「教養主義の没落」を植栽。書きすぎた。そう思う一方、書き足りない気もする。「教養」を主題にするとつい書いてしまう。とくに、1980年代前半が教養主義崩壊の決定的時期であったという指摘は、思想史のうえでも、個人史のうえでも興味深い。いずれ、分割してさらに書き足すかもしれない。


8/19/2003/TUE

我が心の友へ(1980)、イルカ、日本クラウン、1995

一曲目の短い歌「ふりむけばそこに」は、「無意識の記憶」と「記録された記憶」をそれぞれ「赤いノート」と「青いノート」に置き換えている。赤いノートは、遠いどこかで失くした記憶。赤いノートのことばかり想うのは、「いくらいくらさがしてももうかえらないから」。

確かに、赤いノートを見つけることは、もうできない。でも、もう一度書きなおすことはできるかもしれない。その手がかりは、続く「我が心の友へ」にあるように、「ふともらすため息のその中に」もある。


8/20/2003/WED

昨日の荒川洋治。

夏休みで故郷に戻っている人も多いでしょうから、日本全国、地域で暮らした作家。

北海道から沖縄まで、各県一人とまではいかないが、次々とこれまで聞いたことがない作家を紹介。ほとんどメモ取れず。石川県で、森山啓が紹介される。

地域で生きる人は、必ずしもそこで生まれた人ではない。仕事で行って住み着いた。配偶者の実家、その地域で事業を起こした。政党の地方支部から立候補した。そんな風に、地域との関わりはさまざま。どの作家もきっかけはともかく、その場所を気に入っている。好きな場所に住むといい作品が生まれる。

現在では、交通、通信事情がよくなり、地方暮らしも便利になった。芥川賞作家でも地域で暮らす人がいる。沖縄には四人住んでいる。

「それでは、東京に住むのは野暮ですか。」と森本。東京在住の荒川の返答。「いやいや、それはそれで意味あることです。」

リストはいずれ荒川の本に出るだろう。未読の新刊にでているかもしれない。

荒川は地方といわず、地域という。中央に対する辺境という響きを嫌っているものと思われる。以前も、上京ではない、地域から地域へ移動した文学者をとりあげたことがある。

日本全国だけではなく、世界地図を広げても面白い表がつくれそう。

パリの森有正ジュネーヴの二宮正之、ローマには塩野七生、ニューヨークには千葉敦子。サンフランシスコの八島太郎アレン・セイ、シリコンバレーの梅田望夫、オーストラリアに森巣博や杉本良夫、ウィスコンシンには、Kyoko Moriという作家もいる。読みかじったり、耳にした知識だけでもこれだけ思いつく。

気に入った場所に住むと、何か新しいことをはじめたくなる。中央か地方か、日本か外国かということではない。どこでもいいから、新しいことをはじめられるような場所に行き着くこと。

それができたら、もうあとは、じっとしていればいい。何かがはじまるから。いい作品などと言えるものではないが、私が文章を書きはじめたのも、今の住まいに移ったことが大きい。東京に住むことにもやはり意味はあったと思いたい

9/19/2003/FRI追記

ハンブルクに住む多和田葉子の『エクソフォニー』を読み終えたので、このリストに追加できるだろう。このリストは、日本語を母語とする人で、日本国外で創作活動をしている人を選んでいる。このリストには対になるもう一つのリストがある。日本語が母語ではないけど、日本国で創作活動している人。

知っているところでは、アーサー・ビナード、リービ英雄、にしゃんた黄霊芝。いずれ日本語が母語でなく、日本国に住んだことがなくても、日本語で表現する人も出てくるに違いない。

12/4/2003/THU追記

中央と地方という見方は、地方を差別的に見るだけではなく、中央の地域性を見落とさせることにもなる。東京は単に首都であるだけでなく、人々が今、根付いて澄んでいる一つの地域でもある。つまり、東京も誰かにとっては、帰る場所。

東京を、上京の終着駅としてではなく、自分が帰るふるさととしてみつめ、暮らすこと。荒川が問いかける東京に住む意味は、そこにあるように思う。


8/21/2003/THU

「個体発生は系統発生を繰り返す」

理系科目はすべて苦手だったのに、生物の授業で聞いたこの言葉だけは、教員のしゃがれた声と一緒に覚えている。

この考え方は、生物だけでなく、ものの考え方にも通じるように思う。もちろん、進化論的社会学、社会ダーウィニズムのことではない。

ある思想に出会う。続けて本を読んだり、自分で考えを深めると、それを批判する考えに到る。それを繰り返すと、思想史の大きな流れを自分のなかでも感じることがある。

生物の法則と違う点。はじまりは必ずしも古代の思想ではない。最初に出会う思想が現代思想ということもある。また、終わりが現代思想ときまっているわけでもない。現代思想が古代思想の発想によって批判されることもあれば、現代社会のさまざまな歪みを正す手がかりを古典に探し求める人もいる。

では、思想は古代から現代へ、そしてまた現代から古代へ系統発生をぐるぐる繰り返すのか。それでは、同じところで回り続けるハツカネズミになってしまう。はじまりは偶然としても、終わりは自分で選び取らなければいけない。

どの時代の思想が自分の肌にあうか。誰の思想が模範になるか。現代社会に生きていても、封建社会を打破した思想が身にしみる人もあれば、日本語社会に生きていても別の言葉で表現された思想に共鳴することがあるかもしれない。それは各人が置かれた状況による。そうして、とりあえず拠り所になる思想を見つける。

それは終わりではない。それがようやく、はじまりになる。求めているものが、思想のための思想でない限り。


8/22/2003/FRI

国立民族学博物館、大阪

「思想のための思想」という言葉を否定的な意味合いで昨日は用いた。私自身にとっては、思想のためではなく、私の生活のためであってほしいと願っているとしても、「思想のための思想」を否定するつもりはない。

思想史を少しでも眺めてみれば、「思想のための思想」を打ち立てた人は少なくない。しかも、そうした思想が世界を変えてきたことも否定できない。さらに、いわゆる思想家のなかには、「思想のための思想」ではない、自分のための思想、生活のための思想を目指しているつもりでいながら、どういうわけか「思想のための思想」へ殉じてしまった人もいる。そういう人たちは、たいてい市民として、家庭人として、また職業人として、要するに一般人としての幸福は得られないまま亡くなっている。そして後世には、時代を変えた思想家としてのみ知られる。

その意味で、「思想のための思想」と「生活のための思想」の間に優劣はない。また、思索者はどちらかを自覚的に選ぶこともできないのかもしれない。

夕べは久しぶりに大阪に泊まった。今日は時間が空いたので、空港への帰途、万博公園にある国立民族学博物館に立ち寄った。広大な展示場を短時間ですべて見て回ることはできない。目が行くのは、世界各地の住宅。移築されたり、模型になったりして、人々の暮らしをうかがい知ることができる。

中央アジアの天幕には小さなラジオはあるけれど、本もなければ、文字を書く道具も見当たらない。説明には、ここに住む主婦は20年かけて、家のすべての織物をつくりあげた、とある。字にならなくても、何一つ命題を残さなくても、一人の人間の命をかけた生活の思想がそこにあるような気がした。

生活のなかに生きていれば、思想を文字で綴ることも、言葉で思索する必要もない。生活そのものの中で悩み、工夫し、解決していくのだし、そうするより他ないのだから。それでは言葉に残された思想は、それだけで「思想のための思想」たらざるをえない、そう言わなければならないのだろうか。

表紙を珊瑚礁に変更。


8/23/2003/SAT

昨日の続き。

生活のための思想。そういう言い方は思想のための思想に対する便宜的な言い方であって、思想を体現した生活を送っている人にとっては、思想は生活のすみずみに溶け込んでいる。つまり、思想は生活そのものであり、思想は生活から抽出できない。別な姿に写し取ることもできない。

民族学博物館へ行ったのは、ほとんど二十年ぶり。二階へ上がる階段から中庭をみたとき、確かに来たことがあると思い出した。マチュピチュ遺跡を引用したような、空中庭園のような段々。

前回来たときも、佐倉の歴史民族博物館へ行ったときも、つい足をとめるのは、復元住宅と住宅のジオラマ。以前来たときに見た、アニメ『ペリーヌ物語』にでてきたジプシーの住宅馬車を覚えているけれど、展示が変わっていて、今回は見られなかった。

中央アジアの天幕のほかに目についたものは、アイヌの家、大和棟、合掌造り、韓国の民宿、長野の農家。彼らは愚かな民衆でもなければ、体制の追従者でもない。生活のなかにのみ思想を表現した人々。

それでは、生活のための思想を獲得するためには、火を自ら起こすような暮らしに戻るべきなのか。そうする人もいるかもしれない。それはそれで一つのスタイルといえる。そうだとしても、それでは、なぜ生活を便利にしてきたのか、よく考えないまま、人々が工夫し、革新してきたものを否定することは、私にはできない。

確かに私は、生活を便利にすることで、何かを過去に置き去りにしているのかもしれない。しかし、一つ一つ、生活のなかで、便利にしよう、苦役を減らそう、知識を得よう、そういう思いが初めにあったことも忘れることはできない。

それでは、それでは、それでは……。こういう途方にくれたときには、ルソーの言葉を思い出して引いておくのも悪くないかもしれない

それでもなお、われわれには徳も幸福もなく、神は人類の堕落に備える方策もなしにわれわれを見捨てたとは考えないで、悪そのもののなかからそれを癒すべき薬をひきだすよう努力しよう。(『社会契約論(ジュネーヴ草稿)』(作田啓一訳、全集 第五巻、白水社、1978)

8/24/2003/SUN

昨日の続き。

引用したルソーの文章は、戦争を起こす絶対主義国家を否定して、一足飛びに人類の一般社会を想像する同時代の哲学者(フィロゾーフ)を批判しながら、既存の国家を民主的な体制に変更することで国家内だけではなく、国家間の平和を築くことを企図している。ここでは、国家のあり方ではなく、思想のあり方に我田引水する。

生活のすみずみまで思想が反映されていれば、生活を送ることが思想を体現することになり、思想をあえて言葉で表現する必要はない。それができないから、言葉で思想を表現しようとしている。

だから、言葉で思想を表現しようとすることは、はじめから馬鹿げた仕業といえる。

しかし、馬鹿げているということは、間違っているということでは必ずしもない。そもそも人間の存在じたいが馬鹿げたものともいえるのだから。そうだとすれば、言葉で思想を表わそうとすることは無駄骨だとしても、無駄骨に心を砕くのも人間、といえるだろう。

飛行機の機内誌で、言語学者、西江雅之のインタビュー記事を読んだ。「馬鹿同然のことに、馬鹿げた努力でかかわってみること」が西江流。「明快な妄想、馬鹿げた努力」という言葉もある。

言葉で思想を表現しようとすることは、生活からはみだしたことかもしれない。しかし、それが可能であるのは、生活が便利になり落ち着いているからでもある。何となれば、こんな風に気ままに文章を書いていられるのは、プロバイダ料金だけで個人サイトがもてるから。おまけに私は、賃金労働を続けてはいるが、いまのところは奴隷のように働く必要はない。


「明快な妄想、馬鹿げた努力」。どこかで、似た言葉を聞いたことがある、と思ったら、みうらじゅんじゃないか。

オレのモットーは“無駄な努力と無駄な量”、そしてそれに加え“アイ ドント ビリーブ ミー” 自分のこと信じていないからね、絶対!(「ロックの殿堂を大演芸場に変えた記念すべき日」『VOW15』

今年の夏は『VOW』に尽きた、憑かれた、笑い疲れた。


8/25/2003/MON

14番目の月(1976)、荒井由実、Alfa、1987

松任谷由実を聴きはじめたのは、たぶん1983年。その頃発売されていたアルバムは『VOYAGER』『NO SIDE』。ある時から、過去に発売されたアルバムを遡って聴くようになった。何がきっかけだったかは覚えていない。「守ってあげたい」か「時をかける少女」だったかもしれない。あるいは、呉田軽穂名義で書かれた一連の松田聖子の曲だったかもしれない。その前から「卒業写真」や「あの日に帰りたい」は知っていたはず。

アルバムをまとめて聴いてみると、同じ主題の曲が多いことに気づく。例えば、昔の恋人に偶然会うという光景は、「グッド・ラック・アンド・グッバイ」(『14番目の月』)、「昔の彼に会うのなら」(『PEARL PIERCE』)や「静かなまぼろし」(『流線型'80』)でも繰り返されている。「ひこうき雲」(『ひこうき雲』)と「つばめのように」(『OLIVE』)も同じ場面。

また、同じ人物や同じ設定が違う曲に現れることもある。「気ままな朝帰り」(『悲しいほどお天気』)で、「家なんか出てしまおう」と叫ぶのは、「一緒に暮らそう」(『NO SIDE』)と同じ女性ではないか。その女性が恋を失ったときに、街へ出かけたときの気持ちが「Night Walker」(『Reincanatiotion』)ではないか。

アルバム『14番目の月』にある「さみしさのゆくえ」は、遠距離恋愛を題材にしている。恋人が「最果ての国」からもどってくるところは、感情は正反対だけれども、「青いエアメイル」(『OLIVE』)に似ている。

この「さみしさのゆくえ」の最後の言葉、「そのときわたしのなかで/何かがほんとうに終わる」という気持ちは、ユーミンの歌によくでてくる。「何かがほんとうに終わる」から、新しい恋をすることができる。完全に終わっているから、昔の恋を懐かしく思い出せる。そして、昔の恋人に出会っても微笑み返すことができる。

あてはまるのは恋ばかりではない。失くしたものについて、「もう忘れた」と突き放して思えるとき、はじめて「失くしたものを/胸に美しく刻める」。そして「何もなかったように/明日を迎える」ことができる(「何もなかったように」『14番目の月』)。美しく刻むとは、きれいに残すということでは必ずしもない。かすかな悲しみや恨みがうっすらと「グレイのしみ」(「消息」『PERARL PIEARCE』)になることもある。

アルバムの最後は「晩夏」。イントロは「海をみていた午後」(『ミスリム』)に似てふわふわしている。他のアルバムの最後の曲ほど大袈裟な楽曲ではないけれども、歌詞はしんみりして、それでいて色鮮やか。これからの季節に繰り返して聴きたくなる。


8/26/2003/TUE

夏休みの半日、かつて通った学校の図書館へ久しぶりにでかけた。公共図書館では書庫扱いとなっている『森有正全集』(筑摩書房)も開架に置かれていて、全巻まとめて眺めることができる。夏休みで人もまばら。全集に付録されている月報を拾い読み。

丸山眞男「森有正氏の思い出」(『全集』付録12)では、森自身や、師弟関係にあった辻邦生の文章では知ることができない一面が書かれている。大酒呑みで大食漢、冗談好きで、話し好き。

森有正、丸山眞男に一世代前の桑原武夫を入れて一時期、論壇の三大おしゃべりと言われたと聞いたことがある。丸山も座談、対談好きで知られる。その丸山に話す暇を与えないというのだから、森の喋りの度が知れる。

書評「本を読む前に」(荒川洋治)の中で、報道番組とバラエティ番組をかけもちするタレント文化人について皮肉をこめて書いた。そういう人々と森有正の二面性はどこか違うだろうか。

まず指摘できることは、プロとして、すなわち対価を得る場面でどう振る舞うかという問題。一人の人間にはさまざまな面がある。真面目な一面もあれば、俗っぽい顔もあるだろう。そのことと、職業上見せる顔がばらばらということは違う。職業上の顔は対価を受けて見せている。見るほうから言えば、知人としてではなくファンとしてみている。その姿に一貫性がないことは、人間性を疑う以前にファン心理を惑わす。何を「売り」にしているのか、わからなくなってくるから。

次に、統一された自己がさまざまな表現をしているのか、異なる価値体系をもつさまざな場面に自己を合わせているだけなのか、という違い。言葉を換えれば、スタイルの変奏か、キャラの使い分けかという問題。

これは難しい。その人が一つのスタイルを多彩に表現しているのか、たんにキャラを使い分けているのか、親密につきあってみてもなかなかわからない。自分の場合はなおさら。一つの人格がさまざまな現れ方をしているのか、場当たり的にいろいろな自分を演じているのか。いつでも、どちらにもとれる気がする。

気楽に出せる姿が自分らしいとも限らない。緊張した場面で思わず自分が出てしまうこともある。スタイルとキャラは相反するものとしても、簡単には切り分けできない。

書評「紅一点論」を絵本に移動。この読書は、絵本を楽しみだけでなく、批評の対象として読むきっかけになった。


8/27/2003/WED

昨日の荒川洋治。今からでも間に合う読書感想文、通称どっかん。読書感想文では点数はとれても、日本文化は進まない。日本文化を進めるためのどっかん。

たとえば芥川龍之介の「トロッコ」。子どもの視点から書かれた小説だが、トロッコに遊ぶ子どもを置き去りにして飲み食いする大人に目を向けると通俗的な解釈とはちがう一面が見える。

同じ芥川の「蜜柑」。作者が列車で乗り合わせた女性に対する見方を変えていくことが主題であるが、蜜柑を投げるまでその人柄を見抜けないのは書斎派知識人の限界と読むこともできる。

里見惇「多情多恨」。悲恋の小説は、実は世間体と私的な感情との確執の物語。このように恋愛小説がその時代の社会的制約、「世間」の軋轢を描いていることがある。

夏目漱石「坊ちゃん」。ユーモア小説ではなく、「世間」と戦う「怒り」の小説と読める。

「どっかん」で大事なのは、読む先生の年齢や性格を意識すること。年寄りの先生は四字熟語、若い先生は文学的表現がさりげなく混じっていると感心する。

このような読み方や書き方は「どっかん」としてはいい点数をもらえても、先生は内心喜ばないかもしれない。

荒川の読書法は、斎藤美奈子のいう「邪悪な読者」に近い。通俗的、一般的な読み方から少しずらして、今の時代感覚や自分の体験にひきつけて読む。簡単そうでいて、それがむずかしい。読書をしようとすれば、読む本に関する不要な知識まで読む前から入ってくる。

あるいは、少しうがった見方をすれば、余計な知識をもった人しか文学作品など読まないと言ってもいいかもしれない。素直な気持ちで読めるほど毒されていないような人は文学に関心を持たない。

読書感想文の宿題は、たいてい読解力や文章力の評価ではなく、単なる思想調査、もっと単純に言って、いまどきの生徒が何を考えているかを知りたがる教員の好奇心に端を発しているように思う。大事なことは、課題図書の次の読書への誘いのはずなのにそこが終点で、評価の対象で、調査の対象になっている。

こうした矛盾は、なにも国語科に限ったことではない。学校の勉強なんてきっかけにすぎない。授業から生徒の好奇心を学校の外へ開いてやるのが教員の役割のはず。


8/28/2003/THU

夕べは大阪泊。羽田からの帰路、ラジオから坂本九「見上げてごらん 夜の星を」が流れる。近頃、星にまつわる言葉や歌が気にかかる

文学や美術の作品を星に見立て、そのつながりを星座に見立てる。それは要するに作品にまつわる知識と自分の経験を作品じたいに重ね合わせること。ということは作品固有の価値を見失うことではないか。

言葉が使い古されることを手あかがつくという。作品に自分の体験を読み込むことはわざわざ自分から手あかをすりこんでいるようなものではないか。

まったくその通り。それでは作品がもつ固有の価値をみること、素直な気持ちで鑑賞することは、どうすればできるか。そもそも作品に固有の価値があるのか。

作品は一人の人間が生み出したものである以上、一つのスタイルがこめられている。鑑賞者が勝手に読み込むだけではすまない固有の価値がある。だが、そこへ至る道は一筋ではない。

作品を読む、見ることは「出会い」であると思う。人と人とが出会うとき、出会う場所、出会ったときの関係は非常に重要。幼ななじみ、職場の同僚、競争相手、友人、夫婦、恋人。偶然の出会い、計画された出会い、以前から知っているのに何かをきっかけに親密になることもある。出会いによってつきあい方も変わってくるし、その人への思いも変わる。

文学だけではなく、音楽や美術、あらゆる芸術作品について同じことが言えるのではないか。人間どうしの場合でも、いつまでも出会ったときの関係に依存すれば、相手のほんとうのよさはわからないまま。作品の場合も同じ。出会ったきっかけにこだわりすぎれば、作品がもつ固有の価値を見失う。かといって、最初の出会いなくして作品を知ることはないのだから、出会いの事実や環境、条件をなかったことにすることもできない。

だから、作品との出会いや、その作品から自分が見出した広がりを思い返すことは、それ自体に意味があるのではなく、作品固有の価値を見出すための通過点として意味があるのではないだろうか。

星座は実在しない。それは作られた物語にすぎない。ほんとうにあるのは、それぞれの星。星のことをよく知るために、星座をよくよく眺めるのだろう。

表紙を荒井由実「晩夏」にちなんだ写真に変更。


8/29/2003/FRI

星の話のつづき。

マンガ『ブラック・ジャック』(手塚治虫、秋田書店)の中で好きな話に「六等星」がある(新書第13巻、文庫第1巻、1977)。世間では脚光を浴びず、六等星のように暗くても、それは遠くて見えないだけで、ほんとうは大きくて光り輝く人のことが描かれている。BJは知られていないだけでない。世間では嫌われ者で、ほかの星からは離れている。寄り添うように小さなピノコの星が輝くだけ。

話は少し変わる。インターネットは、ホッブズの描いた自然状態の世界だと思うことがある。何兆円もかせぐ巨大企業のサイトも、一人でつくるサイトも、画面に映れば同じ大きさ。派手に光り輝いている星が美しいとは限らない。目立たない六等星に魅了されることもある。

いくつかの個人サイトを定期的に見る。読書記録や日記のようなものが多い。会ったこともないし、当然、書かれていること以上に作者のことは知らない。それでも私にとっては、いまや新聞や雑誌以上に情報源だけでなく、思索の源泉という意味で重要なメディアになっているものもある。

古風な考えなのか、人と直接関わることに臆病なのか、そうしたサイトの作者にメールを出そうともほとんど思わないし、まして会おうとは思わない。掲示板にも書き込むことはまずない。個人サイトは、遠くにさざめく星のまま。

メディアの世界は都会の夜空のよう。広告のネオンサインがまぶしくて、星などほとんど見えない。でもインターネットという望遠鏡のおかげで、これまで見えなかった六等星まではっきり見えるようになった。

6/1/2004/TUE追記

「六等星」は確かにいい話だけれども、違った見方もできる。椎茸先生は実力もあり、自分が正しいと信じているのならば、もっと早くに自ら病院改革へ身を投じるべきではなかったか。なぜ、彼は求められるまでおとなしくしているのか。それは自己保身のための日和見主義ではないのか。わからない。

「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」「待てば海路の日和あり」。ことわざも、いつも二通り見つけてしまう。


8/30/2003/SAT

『森有正エッセー集4』を読み続けている。「アリアンヌの手紙」のなかに、次のような文章をみつけた。

ミシェル・フーコー、デリダ、レヴィ・ストロース、サルトルが言いたいことを言ってもそれはかまわないが、わたくしは、自分のものであるこの創造の仕事の底から立ち現れうるもの以外には、決して何も信じないであろう。それを除いては、凡てが、わたくしの目には滑稽千万で唾棄すべき猿芝居である。わたくしは、《時代遅れ》と呼ばれることを恐れはしない。わたくしは自分に裁定を下さない、自分のことは一切わからないのだから。(書簡七)

前半は、思想史研究や思想研究ではなく、自らの思想を自らの言葉だけで構築するという森有正の著作に貫通する考え。後半は、先日引用したみうらじゅんの「“アイ ドント ビリーブ ミー” 自分のこと信じていないからね、絶対!」と同じことではないか。

荒川洋治は、知られていない作家の小説を夜中にこっそり読む楽しみについて「この時間にこの作品を読んでいるのは、広い日本でも僕だけだろうなという思い。これはたいへん気持ちのよいものである。」と書いている(「他人のための読書」『文学が好き』)。

森有正のエッセーとみうらじゅんのスライド・ショーを比較しようという人は、おそらく世界中に私一人に違いない。空々しい気もするが、こんなことが私にとっては楽しい共振(resonance)になる。


8/31/2003/SUN

『VOW』の感想を書いたとき、雑記とは別にページを新設しようかと考えた。これまで書いてきた文章とは題材や着想だけでなく、文章技法も違うように感じられたから。

題材にあわせて文体を変えて書く人がいる。小説では深刻な文体、随筆では洒脱な文体と使い分ける人もいる。そういう作家をまねしてみたい気持ちもあった。

けれどもよく考えてみれば、いま、ここで文章を書いているのは、統一した自己を探求するため。題材によって場所を変え、文体を変えることは、その目的から外れていくことになる。文章を書き分けていくことは、一つのスタイルを磨いていく道程を、キャラを使い分ける道具にしてしまう。

多少奇妙には感じたけれど、同じ場所で書き続けることにした。今では、それでよかったと思う。西江雅之の仲介で森有正とみうらじゅんが出会うという不思議な読書体験ができたのだから。

私の文体が、一つのスタイルになっているとはもちろん思っていない。読み返してみると、『VOW』が転機になったわけでもない。それ以前にも、政治家のポスターについての感想や、“Weekly World News”など、思想史や文学とは異なる題材を文章にしている。

森有正とみうらじゅんを同時に語ることができる文体。底の浅い気障でもなく、とってつけた洒脱でもなく。そう気負っている時点で、すでに負けている気がする。

まだまだ無駄な量が必要か。