Home Sweet Home――あの頃のまま |
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好きな音楽を、Homeという概念を軸に集めた私家集の第三弾。題名は収録した矢野顕子と竹内まりやの曲名ちなんでつけた。日本語の曲を集めたものだけれども、題名を決めるきっかけはSteely Dan, “Deacon Blues”だった。 加えてSweetには、恋愛という含みがある。日本語の歌ではHomeに限らず、主題を直接表現するよりも恋愛の気持ちや風景を通じて表現する、いわゆる相聞歌が多い。そこに日本市場で歌をつくる難しさがあると矢野顕子が話す記事を読んだことがある。 制約があるということは、どれだけそのなかで表現できるか、はみ出すならどのようにはみ出すか、が見せどころ、聞かせどころになるとうことでもある。 これまで聴いた日本語の歌の中から、Homeについて考えさせるものを探してみた。相聞歌が多いということのほか、いくつかの特徴に気づいた。これから列挙する特徴は一般的な傾向というより、私が気に入った音楽に共通する傾向かもしれない。 −旅に出ることや旅先での思いなどをこめて、遠いところからHomeを表現する歌が多い。しかもその旅は目的地へ向かうのではなく、彷徨いに近い。漂泊の思い止まず、という感情が基底にある。 −東京、あるいは都会対故郷、という構図を通してでHomeが表現されることが多い。ここでも東京、都会は明確な目的地ではなく、故郷を出てさまよい続けるうちに立ち寄る仮初の場所の一つ。帰る場所が故郷なのか、都会なのか、判然としない歌が多い。 −都会へ出たのは、あるときの決心によって。故郷を思うときは、故郷を出た過去を思うとき。だからHomeは、いつも「あの頃」と重なる。さらにそれが相聞歌の体裁をとるとき、故郷の、「あの頃」の、「あの人」になる。 「庭」を開いて一年半近くがたつ。今回の私家集では、これまでの文章で採りあげた音楽が多く再登場している。ふだんの思索を支える言葉。 日本語ではニューミュージックといわれる70年代末から80年代の音楽を好んで聴く。それ以外にも思い出に残る音楽は、フォーク、演歌、歌謡曲と幅広い。集めてみると、曲調も歌詞も実にさまざま。それでもまとめて聴いてみると、何かしら筋が通っていて、どこかへつながっているようにも感じる。そこが私のHomeといえる。
1.あの頃のまま、ブレッド&バター、ブレッド&バター ベストセレクション昨年の春、グッチ祐三の案内する機内番組で知った一曲。作詞作曲は、荒井由実。その後何度も聴き、何度も感想を書きなおしている。いろいろなことを考えさせてくれる一曲。あの頃とは、いったいどの頃か。単純だけれど、そこが一番難しい。 2. 生れた街で、荒井由実、ミスリムYuminは東京、八王子の生まれ。だからなのか、彼女の歌に現れる東京は遠い憧れではなく、環状八号線や中央高速など具体的。ただし、どれも、カンナ八号線、中央フリーウェイのように彼女だけの名前がつけられている。 この歌には、具体的な場所を示す言葉はない。生れた、とは生物として生れたことを意味しているのではないのかもしれない。新しい世界を知ったときに、まるで生まれ変わったように感じることがある。「緑の街に舞い降りて」でも、そう歌われている。 何度も生まれ変わる人は、それだけ多くの「生れた街」をもっている。Homeも故郷も、一つとは限らない。生まれ変わるときは、新しい名前をつけたくなるとき。何度も生まれ変わる人は、無数の名前を心の中に見つけている。 3. すずかけ通り三丁目、谷山浩子、眠れない夜のためにあまんきみこの同名童話(『車の色は空の色 しろいぼうし』所収)を下敷きにした曲。過去のある一点の風景が、音や匂いまでも一緒に突然によみがえってくることがある。松井さんのタクシーに乗った女性はその突然を期待して、毎年同じ日に、同じ場所へと出かける。 「あの頃」を思い出す「あの場所」が、Home。 4. 帰りたい、松山千春、歩き続けるとき日本語では都会に出て故郷を思いかえす、望郷を主題にした詩や音楽が多い。同じ北海道出身の中島みゆきにも、似た情景を歌った「ホームにて」(『あ・り・が・と・う』)という曲がある。 この歌は故郷の歌だけでなく、「あの頃」の歌でもある。最後の歌詞は、「上野発はつかり5号 見送れば夕焼け」。クリーム色の車体に青い帯の寝台特急電車583系はもうない。カメラをもって駅まで写真を撮りに行くほど鉄道好きだった私の「あの頃」も遠い。 5. Mermories、森高千里、DO THE BEST「あの頃」の写真を歌った曲といえば、荒井由実「卒業写真」(『コバルトアワー』、東芝EMI、1975)。この歌は、似ているようで決定的な違いがある。卒業式にもらう卒業アルバムに卒業式に撮った写真はない。だから「卒業式に一枚だけ一緒に写った」写真は、自分だけのアルバムの写真。 「卒業写真」では、いまはもう会えない友人や恋人がいまの自分を叱ってくれる。この曲では、笑っている「あの頃」の自分にも目が向いている点でも違う。思い出は、過去の自分との対話でもある。 昔の写真といえば、「古いアルバムめくり」からはじまる夏川りみ「涙そうそう」もある。作詞は、森山良子。 6. Home Sweet Home、矢野顕子、ホームミュージックごちそうの音、ごはんができたよ、ラーメン食べたい。矢野顕子のHomeは食べものと縁が深い。佐野元春とデュエットしている「自転車でおいでよ」(『グラノーラ』)も、Homeを主題にした歌。こちらの作詞は糸井重里。「おいしい生活」も、Homeかもれない。 7. Wild Hearts、佐野元春、Café Bohemiaこの歌のように、クルマを運転しながら、ふとラジオから流れる音楽に気持ちを奪われることがある。この歌では、短い曲のなかに、無意識の記憶に気づくことから、記憶の再生、過去の反省と現在の分析、さらには新たな出発を決心するまでの心の動きが、あざやかに描かれている。「あの頃」の記憶は、旅立ちを促すものなのかもしれない。 長さも表現もまったく違うけれども、この歌はプルースト『失われた時を求めて』と同じことを表そうとしているように、私には感じられてならない。 8. 流星の12弦ギター、BEGIN、音楽旅団作詞は、松井五郎。松井の歌詞は、安全地帯でもいくつか聴いたことがある。確かBoowy「Dreamin'」も松井の作詞。そういえば、『忍たま乱太郎』の主題歌「100%勇気」も彼の作品。 よく覚えているのは、長渕剛が歌った「Poor Boy's Blues」(『Bye Bye』)。 旅に出ていく気持ちは男ならたったの一つ 少しひねくれているけれども、ニヒルではない。 遠ざかるほど、近づいていく。思っていることは、旅に出るという表現を通じて、空想以上のものになる。死なないというだけでも生きている意味はある、だろう。 9. イージュー・ライダー、奥田民生奥田の作品は、この曲と「愛のために」しか知らない。どちらも誰かが歌うカラオケで知った。どういうわけか、ユニコーンを聴かないままに過ぎてきてしまった。パフィーは、クリス智子とピストン西沢が組んでいた頃にJ-Wave夕方のリクエスト番組“J's calling”でよく聴いた。 カラオケで気に入って、シングル・ディスクを買った。併録は「ワルサーP38」が歌詞に登場する「ルパン三世」の後主題歌。この歌の作詞者は「東京ムービー企画部」となっていて、正確な個人名がない。一人なのか複数なのかもわからない。「エースをねらえ!」「アタックNo.1」「オバケのQ太郎」など、「企画部」作詞には印象に残る作品が多い。 10. 炎のたからもの、ボビー、『ルパンV世カリオストロの城』サウンドトラック映画「カリオストロの城」の主題歌。作詞は橋本淳、作曲は大野雄二。聴いていると終幕の銭形が乗るパトカーに追いかけられる場面が思い出され、つい「お前、残ってもいいんだぜ」という次元の台詞が口をついて出る。ふだんテレビをあまり見なくなっても、放映されるときには、つい最後まで見届けてしまう。 11. 花咲く旅路、原由子、MOTHERこのアルバムは一人で住んでいた頃の思い出。Roberta Flackと交互に聴いていた。暮らしていたのも、ちょうどこの曲が宣伝になっていた場所にも近いところ。 古寺の庭に咲いた人の背くらいの小さな桜、さびれた商店街、アメリカン・ダイナー、湖畔のホテル、焼き鳥屋、カラオケ・ボックス、。これもまた「あの頃」の一つ。 12. 遠い街角、桑田圭祐、KEISUKE KUWATA第一節は過去の街、第二節は過去の人。桑田圭祐の歌詞は、初めは意味がしっくり通じないようでいて、聴いているうちに、だんだんとその言葉づかいでしか表わしようがないように感じてくる。 「時の流れ」、「忘れられぬ」、「あの頃には戻れない」、「あの場所には帰れない」。 過去の記憶をかきむしるような言葉づかいが多い。戻れない、帰れない。それでも、それでも、Never forget。忘れられない、忘れるな、どちらなんだろう。 13. 家に帰ろう(スィート・ホーム)、竹内まりや、Impressions帰るべきHomeは「遠いあの日」かもしれないし、「見飽きた」現在かもしれない。この歌では、「遠いあの日」は「まぼろしだけ」のなかで百回繰り返すことにして、「見飽きた」今を百歳になるまで続けるという決心をする。「見飽きた」今も、いつか「遠いあの日」になるだろう。不幸な恋愛の歌が多い竹内の作品のなかで、この歌はめずらしい。 同じアルバムの「純愛ラプソディ」では、「さよならが 永遠の絆に変わることもある」。ここから「まぼろしだけの恋」が生れる。これを主題歌にしたドラマは、あまりに気の毒な結末だった。 ところで、この歌のなかでは冷蔵庫は愛を冷えさせる場所。松任谷由実「Allmighty」(『REINCANATION』、東芝EMI、1983)では、冷蔵庫は溶けそうな愛を保存しておく所。私にとっては、冷蔵庫は記憶。開け放しておけば、中はよく見えるけれども、溶けるのも早い。ときどき素早く開けるだけでは、すべては見えないけれども、溶けることもない。 14. 竹山逸郎、異国の丘、吉田正自撰77曲作詞は、佐伯孝夫。この一曲だけまったく曲調も、Homeの意味合いも違う。この歌は祖国で待つ気持ちを歌っている。異国で帰る日を待つ抑留生活の辛さは、今の私には想像することもできない。 Homeには祖国という意味もある。身捨つるほどではないとしても、国籍をもっているならば、祖国があるというべきだろう。 その重みを知るのが、祖国から遠くにいるときというのは、もちろん不幸なこと。それだけではない。不実でもある。なぜなら主権在民の近代国家においては、祖国とは自分自身が構成するものなのだから。祖国は祖国にいるときに深く思い、そして築くもの。 もっとも、祖国から遠くはなれて、そこに新しい祖国をつくる人もいる。 15. ひとりきり、かぐや姫、かぐや姫FOREVER思い出さえあれば、とはなかなか言えない。実際にHomeを失うことになれば、やはり取り残された気持ちがするものだろう。 この曲の作詞は、南こうせつ。「神田川」や「赤ちょうちん」など、喜多條忠が作詞したかぐや姫の代表曲には、「あの頃」を歌ったものが少なくない。 16. 遠い海の記憶、石川セリ、ときどき私は…現実のHomeを失くしたとき、それでも思い出がある、と強がることもできないことではない。けれども悲しいことに、思い出はいつしか溶けて消えてしまう。 ところが、忘れたことさえ忘れていることに「ふと気づく」こともある。気づかせてくれるのは波音だったり、頬を打つ風の冷たさだったり、水面にさざめく陽射しだったり。 どれも一瞬のことで、何かに気づくのだけれども、何を思い出そうとしているか、その一瞬が過ぎ去ったあとには、どうしても思い出せない。 こういう一瞬をつなぎとめておく練習はできないものだろうか。 17. ひき潮、さだまさし、夢供養帰ろう、帰ろう。でもどこへ? ここで歌われているふるさとの海鳴りへか、涙を流した子どもの頃へか、それともこの歌をはじめて聴いた「あの頃」へか。そういえば「主人公」(『私花集』、ワーナー、1978)には、「ときには『思い出』行きの旅行案内にまかせ/『あの頃』という名の駅で降りて『昔通り』を歩く」という言葉もあった。 それにしても、「あの頃」という言葉を無邪気に聴いていた「あの頃」が、いまになって歌に歌われていた通りの「あの頃」になっている、この不思議。 実りのない逡巡をさらに促しているのか、それとも慰めているつもりなのか、後奏が延々と続いていく。 |