空の風景(けしき)、夏川りみ、ビクター、2003


今から二年以上前のことだろうか、夏川りみの歌う「花」を初めて聴いたのは。火曜日夜の公開放送だった。それまで聴いた、どの「花」よりも心に沁みるような気がして、早速探しに音楽店へ行った。ところが「花」どころか、夏川りみはまだアルバムも出していないことを知った。そのとき「花になりたい」はもう発売されていた。でも『花』が入っていないことにがっかりして、試聴もせずに帰ってしまった。

その後、気にはなっていたものの時は過ぎた。「涙そうそう」を買ったのは、発売されてから一年近くたってから。この頃、夏川りみはまだほとんど知られていなかったため、大型店でも演歌、歌謡曲のコーナーの隅に埋もれていた。レコード会社の公式サイトもまだなかったけれど、ありがたいことに熱心なファンが、少ないながらも予定されているイベントやアルバムの情報を詳しく提供していた。

そのおかげで去年の春、ギタリストの吉川忠英を招いた『南風』が発売されたときは発売と同時に購入。ついに夏川りみの「花」を聴くことができた。


アコースティック・ギターの職人、「アコギスト」吉川は、飛行機内の音楽番組で聴いていた。ビギンも、アルバムを聴くほどではないものの、ラジオで「恋しくて」が流れれば、必ず音量をあげる。「微笑みに続く道」の流れる鉄道会社の広告も心に残っている。

こうして、それまで別々の場面で、すこしずつ心にとまっていた、「花」、ビギン、吉川忠英、夏川りみ、それから、かつて旅した石垣島の思い出が、「涙そうそう」という一曲に集まり、不思議な出来事に感じた。

5月には、東京、新宿の小さなライブ・ハウスで行われたライブに出かけた。観客はおそらく百人もいなかったのではないだろうか。その上、関係者も少なくないように感じられた。『南風』収録曲以外にも、後に『てぃだ』に収録された「芭蕉布」、沖縄フォークの「十九歳」、カーペンターズ「トップ・オブ・ザ・ワールド」、キャロル・キング「トゥー・レイト」などが披露され、夏川の歌声が持つ幅広さと奥深さを感じさせた。もちろん「花」も。

『南風』に収録されているとおり無伴奏で歌いだし、二番と三番の歌詞を取り違えたことを除けば、録音されたものと寸分違わないように感じられた。


ささやかなライブのなかで「今年は紅白をめざしたい」と言い出しても、私を含め本気に受け止めた人は多くはなかったに違いない。テレビはおろか、ラジオでもまだ聴いたことがなかったのだから。そのときは、まさかほんとうに紅白で唄うことになるとは、想像もつかなかった。その紅白では、同郷の仲間由紀恵が目を潤ませながら聞いていたことが歌の余韻を深めた。

つい先日、シングル「道しるべ」発売の記念ライブが、秋葉原の電器店で行われた。サインをもらいながら、「新宿のライブハウスの時から応援しています」と話しかけたら、ひどく驚いた様子だったけれど、よろこんでもらえた。

何しろ、その店頭ライブだけで新宿のときより多い人数が駆けつけていたのだから、この一年間の大躍進といったらない。ファン・サイトの情報も、昨年中は店頭でのミニ・ライブばかりだったけれど、今では先々までコンサートの予定があり、新聞雑誌の掲載は追いかけきれないほど。そういえば、新宿のライブでは、翌日あったNHKラジオ公開放送の入場券も無料で配布されていた。それくらいのどかな風景だった。


店頭で夏川が歌う「道しるべ」を聴いた時セカンド・チャンスという言葉が浮かんだ。夏川は小学生時代から石垣島や沖縄だけでなく、九州のカラオケ大会やのど自慢でも知られていたらしい。しかし十代で一度はつかんだデビューは成功はしなかった。

「夏川りみ」として再デビューしてからも「涙そうそう」が何ヶ月も見つからないでいたくらいだから、泣かず飛ばずだったのではないか。今や、琉球系というだけではなく、女性歌手としても確かな位置を獲得したといっていい。

「道しるべ」を紹介するとき、「陽のあたる道を歩きつづけたい」と彼女は言っていた。新しいアルバムにも、彼女自身がそうした想いを歌詞にこめた曲が収録されている。

やるからは成功しなければいけない。売れなくても地道にというのは、清潔に聞こえるけど、けっしてプロフェッショナルが進む王道ではない。一方で、売れたがために市場に流され、持ち味を失い、ついには初期のファンまで失うという例も、もちろん少なくない。それでも、ある水準で商業的成功を収め、なおかつ表現者として新たなことに挑戦し、成長しながらも本質的に変化しない持ち味を維持し、長く愛される表現者もいないわけではない。


半年のあいだに二作のアルバムを出すほど、今は意欲的に活動している夏川りみ。今回のアルバムには、短期間に仕上げられたという先入観も手伝って、練り上げられていない印象も残る。ただし、その未消化分は「陽のあたる道」を歩きはじめたうれしさのあふれた歌声で補って余りあるようでもある。

遠くなっていくことは残念にも感じられるけれど、見えている姿はけっして小さくなってはいない。むしろ舞台に立つ姿は日増しに堂々としているように感じる。その声もさらに大きく、美しく聴こえる。


碧岡烏兎