最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

『熈代勝覧(きだいしょうらん)』

5/8/2016/SUN

昭和のスターとアイドル展、日本橋三越本店、東京都中央区

Pen、2016年 05月15日号 No.405、特集 永久保存版 いとしの歌謡曲。、CCCメディアハウス、2016

Pen、2016年 05月15日号 No.405、特集 永久保存版 いとしの歌謡曲。

日本橋三越で、「昭和の歌謡曲」展を見た。会場では迷った末に買わなかった雑誌『Pen』を、帰る途中にコンビニで買った。特集が展覧会と連動しているらしい。展示で見かけた写真や文章が掲載されている。

これで展覧会が二度、三度味わえる。

壁にたくさんレコード・ジャケットが飾ってある。レコードのジャケットはいい。シングル盤でもCDやブロマイドより大きいし、LP盤は大画面で迫力がある。


坂本九「上を向いて歩こう」が“Sukiyaki”ではなくて“My First Lonely Night”という曲名でアメリカで販売されていたことを初めて知った。

ちょうどNHKテレビで、黒柳徹子テレビとともに歩んできた半生をたどる『トットてれび』が放映中。関ジャニ∞の錦戸亮が坂本九を演じている。

どれだけの人が口ずさんでいるか、そらんじて歌えるか、という観点からみると、昭和最強の詩人は永六輔をおいていないと思う。


じっくりと見てしまうのは70年代から80年代のアイドル。『スター誕生』のコーナーでは番組から生まれたアイドルのシングル盤ジャケットが飾られ、『ザ・ベストテン』のコーナーでは、舞台セットの模型が展示されていた。

LP盤の展示で立ち止まったのは、松田聖子『風立ちぬ』(1981)。アルバム名が見えないほど小さく、ほとんど一枚の肖像写真作品。写真集『パステルカラーの調べ』(音楽専科社、1983)も置いてあり、二十歳頃の初々しい松田聖子を見ることができた。

1983年は『ユートピア』が発売された年で、私が一番、松田聖子を聴いていたとき。自分では雑誌『BOMB』と『モモコクラブ』を買って、菊池桃子を追いかけていたつもりだったけど、思っていた以上に松田聖子が好きだったことに気づかされた。

そうして思い出してみると、松田聖子を好きになったきっかけはNHKテレビ「レッツゴーヤング」で「Eighteen」を聴いたとき。1980年。

ほかに印象に残ったものは、『愛していると云ってくれ』(中島みゆき、1978)『ひこうき雲』(荒井由実、1973)

シングル盤で気に入ったのは⋯⋯。

  • きっと言える、荒井由実、1973
  • あの日に帰りたい、荒井由実、1975
  • 竹田の子守唄/翼をください、赤い鳥、1971
  • ぼくの好きな先生、RCサクセション、1972
  • なのにあなたは京都へゆくの、チェリッシュ、1971
  • RIDE ON TIME、山下達郎、1980

「RIDE ON TIME」では、山下達郎自身が海に膝まで浸かっている。今では考えられない売り出し方をしていて驚いた。


今回の展覧会は雑誌『Pen』と連動している。『Pen』では多彩な顔ぶれが選んだ思い出に残る歌謡曲が『ザ・ベストテン』の順位を表示するボードで紹介されている。

もともと内容が濃い雑誌であるPen。今回はさらに盛り沢山で「永久保存版」の看板に偽りはない。以下は目次の一部。

  • 松本隆のインタビュー
  • 連続一位になった松田聖子のシングル盤ジャケット一覧
  • キャッチフレーズで振り返る、栄光の80年代アイドル史(解説はクリス松村)
  • 「不朽の名盤」で振り返る1960年代から2000年代の歌謡史
  • 『ザ・ベストテン』と『ザ・トップテン』のプロデューサーとクリス松村の鼎談

私にとって「歌謡曲」とは『ザ・ベストテン』で聴いた歌。『ザ・トップテン』も見ていたし、『夜のヒットスタジオ』『ヤンヤン歌うスタジオ』『レッツゴーヤング』も見ていた。でも、『ザ・ベストテン』の影響と存在感は大きい。

こう書くと中高生時代、テレビでは歌番組ばかり見ていたような気がしてくる。ほかに見ていたのは、『ひょうきん族』と大映の青春ドラマか。

ラジオもよく聴いていた。土曜午後に宮川泰が司会する『コーセー化粧品 歌謡ベストテン』、日曜の朝はロイ・ジェームス司会の『不二家 歌謡ベストテン』も聴いていた。80年代には松田聖子のラジオ番組も聴いていた。その後番組が菊池桃子の番組だった。

雑誌ではギターコードや歌詞が掲載された「ヤンソン」が付録になっている『明星』とアイドルのグラビア誌『BOMB』『モモコクラブ』をよく買っていた。


「発表します! 僕の私のマイ・ベストテン」は『Pen』を読みながらのんびり考える。

フォーク、アイドル、演歌、ニューミュージックなど、ジャンルが明確な楽曲は外す。それらが入り混じったもの、すなわち、“fusion”されたものが歌謡曲と考えるから。

その点でも、『ザ・ベストテン』は歌謡曲の範疇を決める基準になる。散々、出ないと言っておきながら結局出演した松山千春は入れる。最後まで出演しなかったオフコース山下達郎は外す。『ザ・ベストテン』が始まった1978年1月以前の曲も入れない。

『ザ・ベストテン』の放映は、私の年齢では、小学五年生から大学三年生まで。熱心に見ていたのは、小学五年生から高校三年生くらいまでか。

お気に入りの歌謡曲は、前に一年に一曲のリストを作ったことがある。今回は、コンピレーション・アルバム『ザ・ベストテン』シリーズから10曲選んでみる。


10曲だけ選ぶのは難しい。明日になれば、また違う選曲になりそう。


写真は江戸時代の日本橋を描いた『熈代勝覧(きだいしょうらん)』の複製絵巻。営団地下鉄「三越前」駅地下コンコース壁面に展示されている。


5/14/2016/SAT、追記。

展覧会とPenの特集が重なっていたのは偶然だった。

偶然だったとは思いもよらなかった。

いずれにしろ、素晴らしい展覧会と素晴らしい雑誌特集だった。

昭和歌謡を継ぎたいと、「昭和養成ギブス」(この言葉じたい昭和的)と呼びたくなるほど、無理やり、子どもに聴かせたり見せたりしてきた

おかげで「春一番」も、「木綿のハンカチーフ」も、口ずさむように育ってくれた。


さくいん:70年代80年代『ザ・ベストテン』