最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

横浜ベイブリッジ

2016年5月

5/2/2016/MON

そこに絵があるだけでは絵を見ない

千住製絨所跡煉瓦塀 東京都荒川区南千住6丁目

絵を見るのが好きで、よく美術館や百貨店の展覧会へ行く。でも、いまだに絵の見方がわからない。好きか嫌いか、でしか見ていない。そもそも自分がなぜ絵を見ることが好きなのかが説明できない。


中学校の美術では、作品を作るだけで鑑賞する時間はなかった。絵の見方、名画と言われる作品の、どこがスゴいのか、そういうことを教えてほしかった。中学二年の3月には9科目の全県試験があった。画家の名前を問題にすることはなかったが、複数の作品から構成や技法の共通するものを見つける問題があった。

どう準備すればいいのか、わからず、何も準備しなかったので、高校入試にも25%の影響がある大事な試験で美術はひどい点数だった。

高校三年生の時、大学受験のために文学も美術もひたすら人物名と作品名を暗記した。

世界史の先生は、「大学へ入ったらぜひ覚えた作品を見てください」と勧めてくれた。だから、いつか見るぞ、というつもりで覚えた。美術作品は見るだけで済むので、暗記を補強するために図書室で画集を眺めた

といっても、文化史で頻出する画家や作品ではなく、なぜかは説明できないけれども、自分が気に入った作品ばかりを眺めていた。


絵を見るとき、題材や構図より、色に関心を寄せていることに最近気づいた。絵を見ているのではなく、色を見ている

では色だけを見ているか、というと、そうでもない。マーク・ロスコのように色だけの表現も好きだけれど、人物画風景画宗教絵画にも好きな絵はある。

どんなに有名な作品が来日しても混んでいる展覧会へは行きたくない。ほんとうは絵を見たいのではなくて、静かなところを求めて美術館へ行くのかもしれない


5/3/2016/TUE

政治に善悪はない - 政治の無価値性ということ

皇居正門石橋旧電飾燈

Twitterを見ていると、安倍首相は悪、SEALDsは善、と断言している人を見る。憲法改正は悪、護憲が善という説も。

こういう論法には賛成できない。政治の世界を、普通/異常、善/悪、友/敵、という対立の図式でとらえるのは危ない。

政治とは、もう少し詳しく言えば、政治的判断や政治的合意とは本来価値のないものであり、善悪や真偽を問うものではないはず。

さまざまな意見を持っている人たちが、議論をしながら、より良いものに近づいていく営為をデモクラシーと呼ぶのであれば、善か悪かを相手に決断を迫ることは一つの意見の押しつけになる。

それでは、憲法解釈を無理やり変えて国民に押し付けた首相と違わない。


政治の無価値性については、長谷川宏『丸山眞男をどう読むか』の感想で、次のように書いた。

   誤読といえば、長谷川は、政治の無価値性という点についても誤読している。丸山は、政治はそれ自体には価値はないが、芸術や学問には固有の価値がある、なければならない、と考えている。これに対し長谷川は、「芸術や学問と歴史的・社会的現実との関係を問うに当たっては」、芸術や学問に価値をおかない可能性を探るべきだと述べる(『どう読むか』「第五章 思想の流儀」)。
   長谷川が歴史的・社会的現実と関係があると考えるものこそ、表面的には学問芸術にみえても、丸山のいう政治というものではないか。政治は、合意と決断の産物。歴史、社会、民意、為政者の意図、そうした諸要素の絡まりあいから導き出される。だからそこに普遍的な価値はない。結論はその都度その都度、状況に応じて変化する。
   学問や芸術は、本来、妥協や意志とは異なる。妥協に抗して求める、あるいは意志に反しても求めてしまうものではないか。もちろん学問や芸術も、時代から離れてはありえない。だからこそ、それに抗う。時代の制約との孤独な戦いから真理と美が生れる。政治は、時代をつくるため、現実という制約のなかで決断を繰り返す。肯定的な言葉を使えば、政治とは「英知」の世界といえる。
   丸山も「政治の世界」のなかで政治の無価値性と英知について書いている。

憲法も、それ自体に明記されているように、改正することができる法律であり、改正を主張することは、一つの政治的主張であり、改正しないことを主張することと価値的には違うものではない。

いわゆる護憲派の人たちには、情緒的な主張をする人が少なくない憲法改正を唱える人をまるで悪魔のように非難する。そういう敵対意識から政治的合意は生まれない。

外交を見ればわかるように、感情的になるほど合意は遠ざかる。

ただし、政権に立つ人は憲法を擁護する義務があるから、首相自ら改憲を希望して発議することは憲法に違反している。


政治とは、主張であり、議論であり、手続きであり、そうした一連の過程がまとまった段階で、判断が下り、執行される。

政権の方針に異を唱えたいのであれば、徹底的に議論すべき。感情的になるのは政権を利するだけ。感情的になれば、政権は粛々と手続きを進める。

市民団体ならともかく、国会にいる野党はもっと理詰めになってほしい。

感情論で政治を動かせると思うことは解釈で憲法を変えられると思うことと同じくらい危い。


ふと見かけたツィートへの疑問から思いつくまま長々書いてしまった。それでも内容は、憲法記念日にふさわしいか


写真は、江戸東京たてもの園、皇居正門石橋旧電飾燈。

さくいん:丸山眞男


5/4/2016/WED

つまらない大人

西武新宿線、上石神井駅踏切

「つまらない大人にはなりたくない」と歌っていた人が「つまらない大人」になった。いわゆるブーメランという奴。

盗作をした「つまらない大人」がいつまでも市場に残っていることに腹がたつ。

出版界では、盗作は命取りになる。事実、干された人は少なくない。

その点、音楽業界は甘いのではないか。オマージュとかインスパイアとか、言い訳をいろいろ聞く。実際のところ、多くは盗作、いわゆるパクリ。


でも、アルバムの名前から、収録された曲の名前や編曲までもほぼ同じという悪事は、聞いたことがない。ショックだった

彼が発表したクリスマス・ソングは、ジョン・レノンの"War Is Oer"とコンセプトが全く同じで新味がなかった。


後日、本人が言い訳しながら詫びた、と聞いてさらに失望した。詫びた、ということは確信犯だったということだから。

詫びるくらいなら、二度と歌わないとか販売を止めるとか、そういう裁きや償いがあるべきではないか。

「今までのキミは間違いじゃない」という歌詞も、もし自分自身に向けて言っているとしたら、冗談にもならない。

ネット上では、熱心なファンほど擁護する傾向があるけど、どうしても私には納得できない。「ファンです」と言うことが恥ずかしくなった。

「さよなら革命」と歌っていたくらいだから、「売れさえすれば中身は何でもいい」「産業音楽」に転向したのだろう。本人はまだアーティストのつもりのようだが。


こんなことにこだわっている私のほうが「つまらない大人」なのだろうか。


5/5/2016/THU

葉山公園

葉山公園から長者ヶ崎 葉山公園から江ノ島

連休に帰省した。家族は予備校、部活、弁当作りで忙しいので一人で帰った。飛行機で行くほど遠いわけではないが、20年以上、東京暮らしに慣れてしまうと隣の県でも遠く感じる。

実家まで帰ると、海を見ずに帰るのはもったいなく感じる。東京で海から離れた場所に住んでいるので、ときどき「海を見たい」という飢餓状態になる。

かわいい甥姪が帰ってから年老いた両親を誘い海を見に行った。住所は横浜でも、一山越えれば鎌倉と逗子。海は近い。ここまで来て海を見ないで帰るのはもったいない。

連休に人の多い鎌倉は避けて、逗子からバスで葉山公園へ行って海を見た。風が強く、波も高い。

これは正解だった。県立葉山公園も、駐車場は空いていた。


強風と高波のなか、サーフボードを抱えて泳いでいく人が三人見える。勇気があるのか無謀なのか、素人にはわからない。無事を祈りつつ、バスで駅まで帰る、今度は山周り。十代の頃、スクーターで何度も通ったトンネルや、逗葉新道の入口を過ぎる。

逗子と葉山はいい。連休でも人出は大したことない。

駅前でよく行く店を覗くと予約で満席。隣りの店へ初めて入ってみると感じもいいし、味もいい。観光客向けの高い店やメニューの多い鎌倉に比べると価格も安い。

17時を過ぎて店に入り、シコイワシのマリネをつまみながらワインを呑む。しばらくすると、誰もいなかった店に常連客が入ってきて店の人と世間話をしている。こういうところが、ガイドブックに掲載されている鎌倉の店と違う。

連休は逗子にかぎる。


写真は、葉山公園で撮影。一枚は東側、一枚は逆光の西側。


5/6/2016/FRI

手書きメモ

手書きのメモ帳

日記の手書きは全く書いていない。机の真ん中にパソコンを置いてあるのがよくない。

手書きのメモ帳はたくさん書いている。60ページのメモ帳をすでに4冊使い切った。

推敲のアイデアは、電車に乗っているときや、歩いているときに思いつくことが多い。思いついたら、すぐにメモ帳に書く。そういうアイデアは、ふと、ひらめくものなので、書いておかないと帰宅したときには忘れている。

電車では自分が書いた文章を読み返すことが多い。誤字脱字を見つけたら、やはりメモしておいて、帰宅後に修正する。そもそもTwitterでも『庭』でも誤字が多い。投稿する前にちゃんと読み返していないから。この癖は治さなければいけない。

メモはまず帳面の左端に○を書く。ファイルに反映させたら○に斜線を引き「完了」の印にする。

メモ帳は動きながら書くことが多いので、文字はひどく汚い。人様に見せられるようなものではないが、出してみる。


5/7/2016/SAT

昭和へ還る

東大駒場キャンパス

実家へ帰ったあとは疲れが残る。元気とはいえ気分が頻繁に変わる高齢の両親の相手をしたせいもあるし、単に呑み過ぎと夜更かしのせいでもある。それから、気持ちの表には出なくても、あの家に帰ると「あの頃」を思い出してしまい、心が重くなる


昨日は研修の後、ひどく疲れていて気分が落ち込んでしまい、「終わり」のことばかり考えていた。こういうことは久しくなかったのに。

重い足を引きずり日本橋三越で『昭和のスターとアイドル展』を見に行った。

壁いっぱいに飾られた70年代から80年代のレコードのジャケットを見ているうちに、なぜだか気持ちは次第に穏やかになっていった。「なつかしい」と思うことは、気持ちを落ち着かせる効果があるのだろうか。

昨日は3週間ぶりの診察。書類の申請のために月末と月初に診察を受けている。月末に書類を出して、月初に医師の押印のある書類をもらう。


気持ちが落ち着いているようなら、抗うつ薬を減らして、極度な高揚をおさえる薬だけにしましょうか。

「減らすのではない。落ち込みを抑える薬を減らし躁状態を抑える薬に切り替える」という方針という。「減薬」の提案を初めて聞いたと思って喜んだのは一瞬のぬかよろこびだった。


今夜はNHKテレビで毎週見ている『ブラタモリ」に続いて、真島ひかりが黒柳徹子の半生をテレビの歴史とともに演じる『トットてれび』を見たあと、『昭和のスターとアイドル展』の感想を書く材料を探して、YouTubeで『ザ・ベストテン』で検索して昭和50年代後半の映像を探した。


いくつかの番組を見ているうちに、展覧会では気持ちを穏やかにしてくれたはずの歌謡曲が、ずっしり心を押さえつけてきた。「懐かしい」どころではない

何であんなことになったのだろう
何であんなことを言ってしまったのだろう
何であの一言が言えなかったのだろう

おきまりの鬱フレーズが心を満杯にして、つい一昨日の気持ちに逆戻りした。心が落ち着いた理由も、再び沈み込んだ理由もわからない。

S先生には「少し落ち込んでも自分でも戻せるようになってきました」と言ったばかりなのに。

こういう乱高下を自分で制御できるようになりたい。


『ザ・ベストテン 1980-81』を聴きながら、いまの気持ちを率直に書いてみた。

明日、『昭和のスターとアイドル展』が書けるか。今は自信がない。今夜は、ひとまず寝る。

よく眠れば、明日は書けるか。


さくいん:タモリ『ザ・ベストテン』


5/9/2016/MON

言葉一つで

公園で子どもが描いた地上絵

この週末はきつかった。久しぶりに強烈な鬱が襲ってきた。夜、寝床についてから、『庭』もTwitterも辞めてしまおうと思ったほど

朝はいつもより遅く起き、Wii Fitのヨガもサボり、それでも、事業所へは出かけた。

午後、昨年11月に面談した臨床心理士との面談を予約していた。

まず、前回、取り乱したことを詫びてから、今の状況を伝えた。


これまでの職歴と技能を活かせる仕事が必ずあるから、いろいろな立場の人に相談しながら、焦らず、じっくり探すように、と励まされた

先週、S先生にも同じように声をかけてもらった。

誰かに認めてもらったり、励ましてもらったりすることは、本当にありがたい。満ちた潮が次第に引いていくように、真っ暗で憂鬱な気持ちが消えていく。

何かが変わったわけではない。言葉をかけてもらっただけで、気持ちが変わる。

あちら側へ行ってしまうかどうかは、ほんの言葉一つ、紙一重の行き違いで決まる

そこが人間の素晴らしいことでもあり、また、悲しみをもたらす矛盾でもある。


写真は、朝、公園で見つけた、前日に子どもが描いた地上絵。


5/10/2016/TUE

気分不安定

ばら

昨日はちょっとした祝い事のある日だった。昼間のカウンセリングで励ましてもらったけど、申し訳ないことに不安定な気持ちのままで帰宅したために、家族が準備してくれた祝賀ムードを壊してしまった。

就職活動を始めたばかりで、不安が先立つ。

   仕事、見つかるのか
   仕事、こなせるのか
   仕事、働きがいは見つけられるか。
   仕事、暮らしていけるのか

いっそ活発に動き出した方が、不安は減るだろう。

それにしても、気分の乱高下は振り回される周囲にも申し訳ないのはもちろんのこと、自分にとっても、疲れてくたくたになる。海水浴と素潜りを繰り返しているような感じ。


写真は、アンソニーの「ばらの門」。コミックの記憶しかないので、色は覚えていない。こんな色だったような気がする。少なくとも、こんな色で記憶されている。

ばらの色は「C0 M40 Y40 K10」。画像の色を解析してくれるツール、カラー成分測定「色とりどり」:カラーデータ分析が教えてくれた。


5/11/2016/WED

ハローワーク

都電。踏切。

就労移行支援事業所の近くにハローワークがある。2週間前、就職活動を始めるために行き、一般的な、つまり障害者枠でない仕事を探すための登録は済ませた。

ただし、障害者枠の求人を検索するためには居住地域を管轄するハローワークに行き、今回とは別に登録しないといけないと言われた。そこで地下鉄に乗り別のハローワークへ行った。

すると今度は、障害者枠での就職活動には医師の同意書が必要と言われた。

聞いてないヨ〜!

思わず、口にしそうになったところを何とか堪えた。お約束のお役所仕事。そう自分に言い聞かせた。

一人一人の担当者は親切で丁寧に仕事をしている。でも、いつも何かが足りない。思い出せば、私の仕事ぶりがそうだった。きちんとやっているつもりでも、何か抜けている。何度注意されても、誤字脱字や数字の間違いが報告書に残っていた。どんな条件で働くにしろ、これは治さないと


S先生に依頼して、同意書を作成してもらった。

居住地域を管轄するハローワークへ再び行き、同意書を出して、ようやく障害者枠での登録ができた。


写真は都電、踏切からの風景。線路の幅が狭軌のJRとも標準軌の京急とも違うような気がした。

調べてみると、変則的な1372mmだった。JRの在来線は1,067mm、京急新幹線は1435mm。こういう知識を昔とった杵柄というのか。


5/12/2016/THU

障害者手帳の特典(福祉サービス)

都電。新旧色

障害者手帳のおかげで都営地下鉄都バス都電が無料で乗れるようになった。運賃が割高なので、これまで極力使わないようにしてきた。ちなみに民間バスも半額で乗れる。

使ってみると、都営交通は至極便利。山手線の内側は、ほとんど行きたいところへ行けそう。もっとも時間は余計にかかることもままある。

昨日は、就労移行支援事業所を出てから、下の通りに乗り継ぎをして無賃で用事を済ませることができた。最後に山手線の駅に着いて、そこから帰宅した。

地下鉄→地下鉄→都電→ハローワーク→都バス→都電→都バス

二度目の都電は一駅だけ乗車。上のような乗り継ぎをして運賃を払うと1,000円近くになる。時間も、営団地下鉄やJRを使えば半分で済むだろう。

いまは時間にはすこし余裕がある分、倹約が必要なとき。これからの就職活動でも都営交通に応援を頼む。


5/14/2016/SAT

修学旅行の苦い思い出

夕暮れの公園

中学三年生の修学旅行は三泊四日、最終日が5月9日だった。なぜか、日付をはっきり覚えている

夜、消灯時刻が過ぎたので寝ようとしたところ、女子生徒が何人か部屋に入ってきた。パジャマでなくて、学校指定のダサいジャージ、通称「いもジャー」姿だった。

電灯をつけて同室の男子とおしゃべりをはじめた。そのうち誰かが電灯を消した。

点けたり消したり。そのたびに「触らないで」だの「触ってねぇよ」だの、終いには、キャーキャー笑い声が聞こえた。

私は布団にもぐったまま黙っていた。


そのとき小学校が同じだった女生徒の一人が声をかけてきた。何と言ったかは覚えていない。「一緒に楽しめばいいのに」。そんなようなことだった。彼女とは、小学生の頃は仲がよかった。彼女が他の女子生徒を先導して男子生徒を数人誘い、バレンタインデーにピクニックに行った。女の子たちがお弁当を作ってくれた。

生返事を返したまま布団からは出なかった。その10日ほど前にちょっとした出来事があり、もっともそれは、修学旅行などどうでもよくなるような、「ちょっとした出来事」だったので、誰かと話をする気にもなれず、早く眠ってしまいたかった。

それに、何よりも、教員が巡回してきて、消灯後でも起きていることが知られ、廊下で正座させられたり、平手打ちされるのが、私は嫌だった。怖かった。いつ、そうなってもおかしくないのに、楽しそうにおしゃべりを続ける同級生の気持ちが理解できなかった。


修学旅行の後に書いた作文がまたひどいものだった。「我が学級は規律がなってない。集団行動ができていないし、規則も守っていない」。何様のつもりでそんなことを書いたのか。学級委員様だったからか。

同級生と修学旅行の夜を楽しむこともできず、女子生徒と親しくなることもできずに、ただ支配する側に屈服していたことは間違いない

三年生の後期。中学生活も最後だからと思い、自分から学級委員に立候補した。誰かが他の生徒を推薦して、投票で私は落選した。選ばれた学級委員は修学旅行で夜の部屋を仕切っていた男子生徒だった。投票で委員に落選したのは初めてだった。立候補しておいて落選したのは惨めだった。

誰からも期待も信用もされていないことに二学期になってからようやく気づいた。教室では、いつも一人だった

あるとき、夜の部屋で声をかけてきた女子生徒が、教室の隅で窓辺にもたれてぼんやり外を見ている私のそばに来た。

あなた、変わっちゃったわね。小学生のときはあんなに明るかったのに。

そんなことを言われた気がする。

変わらないはずがないだろう

そう言い返すこともできず、黙っていた。彼女とは中学校を卒業してから会ったことがない。


松田聖子の「天国のキッス」を聴くたびに、同じことを思い出す

四月から五月は一番好きな季節。でも、こういう思い出もある。毎年この時期になると思い出す。

中学三年生の頃、私は暗かった。弱かった。醜かった。そして、いつも悲しかった


さくいん:松田聖子


5/16/2016/MON

岩波文庫 私の三冊


眠られぬ夜のために 第一部 新編 啄木歌集 日本近代文学評論選 (明治・大正篇)

Twitterで「お題」が回ってきたので、考えてみた。多読とはとても言えない読書量なのですぐ決められると思ったところ、意外に時間がかかった。

前に選んだ10冊の文庫本と重ならないようにした。そのために選択に悩んだ。以下が苦心して選んだ3冊。

以下は、『日本近代文学評論選 (明治・大正篇) 』に所収されている文章の一部。


5/17/2016/TUE

辞めた会社のこと

公園にある桃源郷

2年前に辞めた会社の株価が上場来高値の1/4になってる。

決算報告書を見ると2年続けて赤字。粗利率も、業界で健全と言われる数字をはるかに下回ってる。

技術は業界のなかで先行していたのに、市場が拡大した分、薄利多売で儲からないビジネスモデルに陥っているのかもしれない。

これで本社の幹部が誰も辞めないのだから、不思議でならない。こんな業績ではレイオフがあってもおかしくない。日本支社は大丈夫だろうか。こちらから同僚には連絡してはいないので、様子はわからない。

追い出された形だったけれども、辞めてよかったか。塞翁が馬? そう言えるかどうかがわかるのは、まだまだ先。


写真は、公園にある桃源郷


5/18/2016/WED

「一緒に過ごす」ということ

黄昏の野球場

就学する前にどれだけ一緒に過ごしたかということが、後々の親子関係に大きく影響を与える。子と親の両方を経験した実感。

ただし、「一緒に過ごす」と言うことは、そばにいることや時間が長いことだけを意味しない。

たとえば、親が単身赴任でも、一緒に過ごす週末を、それが月に一度でも、濃密にすることもできる。たとえ亡くなっていても、「こんな人だったよ」と周囲が伝えていれば、心の中で一緒に過ごすことができる。

これは親子に限ったことではない。


でも、心のなかでしか一緒にいられないことに気づくのは、やはり、悲しい

悲しいときには、悲しむほうがいい悲しみを分かち合える人と悲しむ。それがいい。悲しみを分かち合えないことが、一番、悲しいから。


写真は黄昏の野球グランド。

さくいん:悲嘆


5/19/2019/THU

親子で過ごす時間

5月の木漏れ日

子どもが大きくなってきて、ふと気づいた。。家族旅行ができる期間は意外に短い。

生まれてから小学校入学までが6年、中学入学までが6年、高校卒業までが6年。あとになるほど、部活にしろ勉強にしろ、友だちとの交際にしろ、子どもは自分の活動を広げていく。それだけ、家族全員で時間を共有することは難しくなる。

かといって、あまりに幼いと記憶は親にしか残らない。それでも、家族みんなで行ったという事実は残る。写真と思い出が残れば、子の記憶にあとから刷り込むこともできる。

母は、「あのとき無理して大阪万博まで連れていってよかった」とたびたび言う。私はまったく記憶にないけど、「太陽の塔」の真下で、母親にしがみついて泣いている写真が残っている。経済的にも体力的にもかなり大変だったらしい。

私も、行けるときに無理してNBA観戦に連れて行ってよかった。息子は小学校六年生、娘は中学二年生だった。テーマパークでもどこでも四人で楽しんだ。

その後、娘が受験期に入ると、日帰りできる私の両親の家に行くことも難しくなった。

今は時間があったとしても経済的に厳しい。でも時間があるなら、近くでも安宿でも、一緒に過ごせば楽しいだろう。各々スマホとにらめっこしていても、同じ部屋にいれば、きっと楽しいに違いない。

「Alone Together」という言葉を聞いたことがある。ちがうことをしていても、同じ場所にいる、ということ。同じ場所にいても心が離れている、ということではない。

そういう風景は、今に始まったわけではない。木陰で別々の本を読む二人連れは昔からいる。テレビのCMや漫画の一コマでも見たことがある。


写真は、五月の木洩れ陽。


5/20/2016/FRI

A Decade of Steely Dan, MCA, 1985


ADecade of Steely Dan

金曜日の夕方。早めに仕事を切り上げて帰宅。

借りてきた音楽を録音しながら、借りてきたずっしりと大きな図鑑を眺める。

小さなスピーカーからお気に入りの音楽。今日は、Steely Dan, "Peg," "Deacon Blues," and "Kid Charlemagne"。もちろん、片手には週末の贅沢なビール。

こんな暮らしができれば十分に幸せになれるのだけど。


さくいん:スティーリー・ダン


5/21/2016/SAT

わたしには夢がある (I Have a Dream, 1963)、spoken by Martin Luthur King Jr., illustrated by Kadir Nelson、さくまゆみこ訳、光村教育図書、2013

ぬすみ聞き 運命に耳をすまして (The Listeners, 2009, written by Gloria Whelan, illustrated by Mike Benny、もりうちすみこ訳、光村教育図書、2010
おじいちゃんの手 (These Hands, 2010), written by Margaret H. Mason, illustrated by Floyd Coope、光村教育図書、もりうちすみこ訳、2011

5/23/2016/MON

『海街diary』、テレビ放映

江ノ島夕景

週末、地上波テレビで『海街diary』が放映された。DVDを持っているので、本を読みながらちらちら見ていた。

この映画は、見るたびに発見がある。

今回、気になったのは、花火のあと、極楽寺駅ですずが風太と別れる場面。

風太が「その浴衣、けっこう似合ってるよ」と言っているのに、すずは「ありがとう」さえ言わずに背を向けて帰る。何だか素気無い。

風太がすずに思いを寄せていることははっきりしているのに、すずはまったく気づいてない。由比ヶ浜で桜の花びらを集めているときも。

誰よりも、風太が「こんなに声も震えているのに、何でオマエは気づかないんだ?」と訝しく思っているだろう。


この年頃では、恋愛感情の気づきについて、性別というより個人差が大きい。個人差、というのは、一人のなかで、という意味。ほかの人の恋愛感情は見えているのに、自分が好かれていることに気づかないことがある。こういう例はジブリ映画『耳をすませば』で見た。

あまりに距離が近いとそばにいるのが当たり前で「好き」という気持ちがあることに自分でも気づかないこともある。奥華子が「ガーネット」でそう歌っていた

そう考えると、帰宅後の姉たちとのやり取りを見ても、素っ気ないのはすずの照れ隠しだったのかもしれない。


連載開始20周年を記念して再放送がはじまった『カードキャプターさくら』でもそうだった。気持ちが届かない小龍はいつ見てもいじらしい。

『カードキャプターさくら』を見ながら、気づかれない「好き」という気持ちについて考えてみたい。


さくいん:『海街diary』『カードキャプターさくら』


5/24/2016/TUE

これだけはいいものを買いたい

桃源郷の入口

山田太一脚本のテレビドラマ、『男たちの旅路』「車輪の一歩」(第4部 第3話)の一場面。吉岡晋太郎(鶴田浩二)は訪ねてきた車椅子の青年、川島(斎藤洋介)に日本茶をすすめながら言う。記憶なので、多少、不正確かもしれない。

贅沢をしたいとは思わないが、お茶だけは美味しいものを飲みたい。

私にも、そういうこだわりがある飲み物がある。それはビール。ビールだけは美味しいものを呑みたい。少なくとも、麦とホップ以外の材料を使った、本場ではビールと呼ばれないものは呑みたくない。「第三の」類いは言うまでもない。

ビールだけは少し高いものを買う。日本酒も純米酒以外は呑まないが、味の違いはよくわからないので、安い紙パックの純米酒を買う。

まったくわからないのが、ワイン。ビールを呑んでから呑むせいもあるだろう。

何かの記念で外食するときには少し奮発することもある。ふだんの食事でワインだけをいいものにすることに意味はないと思う。

だから、ワインはスーパーに行ってとにかく一番安いものを買う。最近の買い物では、3本で1,000円が最安。

ときどき、旅先で呑んだビールを呑みたくなる。Samyuel AdamsHoegaardenTigaer青島⋯⋯。輸入品は安くないので、滅多に買わない。


さくいん:鶴田浩二


5/25/2016/WED

就活、始動

ノースポール

本格的に就職活動を開始。ハローワークで希望条件を入力して検索、見つけた求人票を係員に渡して紹介状を書いてもらう。「紹介状」とは言っても、ハローワークで見つけたことを伝えるだけの文書で、「推薦状」ではない。

すでに2社、書類選考で落ちた。今日の時点では書類選考の結果待ちが4社。

細かい仕事が苦手なので、履歴書と職務経歴書の作成に思ったよりも時間がかかった。出来上がったつもりで印刷すると、誤字や脱字があったり、年月が間違っていたり、枠がずれていたり。

先週の後半、しなければならないことが多すぎて、パニックを起こした。多すぎたわけではない。多すぎるように思い込んでいただけ。何のことはない。履歴書と職務経歴書を2部、印刷して郵送するだけのこと。

不安が先行して、パニックになり、仕事が手につかない。ふたを開ければ、大したことではない——3年前に経験した悪循環がまだ治せていない。

今の大学生は数十社にエントリーシートを提出するらしい。私も転職活動は何度もしたことがあるので、数社、書類で落ちてもまだ慌てることはない。とはいえ、これから何通履歴書を送ることになるのか、わからない。

手書きでないことが当たり前になって、ありがたい。


5/26/2016/THU

最近のアクセス状況

八丁堀の南高橋、「東京都内最古の鋼鉄トラス橋」

ときどき、Google Analyticsでアクセス状況を見ている。

これまでページビューの一番はずっと「未来少年コナン」だった。最近、初めて表紙が上になった。とはいえ、話ごとのページビューを足すと「コナン」関連がまだ多い。


気になるのは、訪問者の半数以上はiOSデバイスを使っていること。

『庭』には、付属サイトで『庭の窓』というアルバム・サイトがある第二部以降、貼付した写真を見ることができる。

ところが、IPSが提供しているこのサイトはFlashを使っているので、iOSデバイスではPuffinなど、Flashを表示できるブラウザを使用しないと閲覧できない。

恥ずかしいことに、自分自身、最近まで気づかなかった。


あらためて写真だけを表示するページを作るか、とも考えたが、まだ始めてはいない。画像ファイル自体はサイト内にあるので、写真ページを作ってもサイトが重くなることはないが、どう見せるか、拡大できるようにするか、しないか、など、アイデアがまとまらない。


写真といえば、苦労しているのが第五部で各ページの上部にある横長の写真。サイズは 940 x 200 ピクセル。横長できれいな景色がなかなか見つからない。箱庭で見せている正方形のほうがよほどやさしい。


写真は八丁堀の南高橋都営地下鉄浅草線の日本橋で降りて三越へ向かって歩いているつもりが正反対に歩いていた。方向音痴のおかげでこのに出会えた。「東京都内最古の鋼鉄トラス橋」


2017年5月27日追記

BIGLOBEのアルバムサービスが終了したので、写真は「はてなフォトライフ」に移転した。


5/27/2016/FRI

心は天気?

公園の散歩道

Twitterをはじめた当初から、京都駅近くのラーメン屋を教わった縁でずっとフォローしている僧侶、延寿さんが気になるツィートをしていたので思い切って質問をしてみた。


言っていることは、自分でもわかっているつもりでいるけれど、気持ちでは理解できていない。

「たまにはずぶ濡れになってみようか」という思い切りが、なかなか持てない。「自分=天気」という比喩について、もっと深く考える必要がある。


自分を好きになれない、すなわち自己肯定感が低いのは、実はプライドと呼ぶべきか、自分自身に対する評価が実態より高過ぎるためではないだろうか。

本当の自分をさらけ出したくない、自分が大事で、可愛くて仕方ない。要するに自己愛もしくはルソーの言う自尊心(amour propre)が強すぎる。

一言で言えばナルシシスト、ということだろう。

つまり、我執にしがみついているから、自分を開くことも、視点を外に置いて、外から自分を見ることもできない。そういうことではないか。


自分を変えることはできない。そう思う。でも、自分が変わってしまうことはある

だから、自分に出来ることは変わっていく自分を受け入れることだけ、と思っている。


5/30/2016/MON

「上を向いて歩こう」

紫の花

「上を向いて歩こう」は、全米一位になった後、今日まで多くの人がカバーしている。自分の音楽ライブラリで「上を向いて歩こう」をいくつ持っているか。調べてみた。

坂本九バージョン

カバー・バージョン

  • 忌野清志郎、青山ロックン・ロール・ショー 2009.5.9 オリジナルサウンドトラック、MILESTONE CROWDS、2009
  • RCサクセション、ラプソディー(Live)、USM、1980
  • RCサクセション、’76 - ’81 & ’88 - Soulmates、キティ、1995
  • RCサクセション、SINGLES + 1、キティ、1994
  • 桑名靖子/渡辺香津美、おやつ、ポリドール、1994
  • 南佳孝、Another Tomorrow、キティ、1996
  • さだまさし、上を向いて歩こう|遠くへ行きたい~永六輔・中村八大を歌う、ユーキャン、2008
  • 新妻聖子、(The First Star)、ポニーキャニオン、2010
  • Time Five, Timeless、日本コロムビア、1999
  • 羽毛田丈史、Lonely Nights(上を向いて歩こう)、image 8 emotional & relaxing、SMJ、2009
  • Taste of Honey, Best Love Songs 100, Universal Music、2006
  • Taste of Honey、僕たちの洋楽ヒット Vol.13 (1981-82)、EMIミュージック、2002
  • Jaimee Paul, Jazz Woman -Love Melodies-、東芝EMI、2011
  • George Winston, (I Look Up When I Walk), Plains, アリスタジャパン、1999

渡辺香津美のギターにのせて桑名晴子が歌うバージョンは、シンプルでいて、しっとりした雰囲気があり、なかなかいい。

上記のアルバムは、すべて図書館で借りたもの。これだけ買い集める金はないし、置き場所も我が家にはない。


5/31/2016/TUE

実践トレーニング

東京国立博物館 表慶館

人前で話したり、プレゼンテーションをすることは、自分では好きではなくても得意なものと思っていた。ところが、それは勘違いだったことが、最近、わかった。

就労移行支援事業所のプログラムで、老人ホームを慰問した。「実践トレーニング」という名称で、事業所の外で利用者だけで企画から実施場所との下打合せ、イベントの台本から準備までする。

これができれば、いよいよ事業所の外でも活発になれる、ということで、本格的に就職活動を始める。今後は、応募と、受け入れてくれる場所があれば、実習を並行して行う。

5人で出かけて、10人の居住者と一緒に貼り絵をして、歌を歌い、紙相撲をした。私は司会を担当した。


先週前半に行ったリハーサルで、ほかの利用者から「笑顔が足りない」と指摘された。言われてみれば、リハーサルなのに緊張して顔が硬直している。

トレーナーの一人に、「プレゼンは演技と思って、ふだんの自分とは違う自分を楽しみましょう」と言われ、さらには「よかったじゃないですか。課題が見つかって」とたたみ込まれた。人材教育の関係者は、なぜこれほど前向きになれるのか、不思議でならない。

本番は何とかやり通せたが、やはり笑顔どころではなかった。1時間程度のイベントの司会ですっかり疲れた。

先週はいつにも増してダメだった。リハーサルや人材紹介会社との面談が続いたので、緊張した気分を紛らすために毎晩、ビールを呑んでしまった。