最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

アメリカ土産のデロリアン

5/15/2016/SUN

バック・トゥ・ザ・フューチャー完全大図鑑(Back to the Future: The Ultimate Visual History), Michael Klastorin with Randal Atamaniuk、スペースシャワーネットワーク、2015


バック・トゥ・ザ・フューチャー完全大図鑑

図書館の新規購入の書棚で見つけた。“Back to the Future” 、通称"BTTF"が劇中で設定された年から30年を迎えたことは知っていたけれど、こういう本が出版されていたことは知らなかった。

内容は、基本的には撮影日誌。監督、ロバート・ゼメキスと脚本、ボブ・ゲイルの学生時代から始まり、物語の発案から“Back to the Beginning”と題された制作開始の秘話、撮影中のエピソードなどが、多くの写真や実際に使われた絵コンテやデザイン画とともに語られる。

表紙をめくり、マイケル・J・フォックスの「はじめに」とクリストファー・ロイドの「序文」を読み始めたら面白くて止まらない。翌朝の起床時間を気にしつつ、"Part 1"の劇場公開までを読んだ。


もともと映画を見るほうではない。この作品も、劇場では見ていない。さらに言えば、いわゆるメイキングの話も映像も好きではない。見る作品が多くはない分、好きになった作品はまるで本当にあったことのように心に残るので、作られた過程は知りたくない。

とはいえ、“BTTF”は外国作品で一番多く見返している作品であることは間違いない。数えきれないほど見ているから、少し作品と距離を置くことができるようになった。

だから、本書で明かされている撮影中の逸話も抵抗なく読むことができた。ちなみに、一番見返している映画は『太陽を盗んだ男』。最近は『海街diary』追いあげている。


知りたくないはずのエピソードを読んでいても、全く不快にならなかったのは、俳優や製作者が述懐していることが、この作品について私が感じていたこととほぼ軌を一にしていたから。

最初に主役に起用された俳優は、「“Part 1”の結末は拝金主義ではないか」と批判していたという。そう言われれば、そうこじつけることはできるかもしれないとしても、完成した作品を見てそういう感想は一度も思ったこともないし、俳優や制作者も誰一人、そう思っていない。

“BTTF”はあくまで娯楽作品であることを前提として、あえて教訓的メッセージを読み取るとすれば、「成功とは金持ちになること」ではなく、「勇気を持って選んだ人が満足した人生を送る」ということだろう。ボブ・ゲイルの言葉を借りれば、「あなたの未来はまだ書かれていない」「自分の人生を決めるのは自分」ということ。


“Part 1”の最後を見ればわかる。ジョージとビフの立場が入れ替わるだけの単純な結末ではない。ジョージはビフの頭を小突いたりしてはいないし、ビフはジョージに怯えていない。妬んだり憎んだりもしていない。

もう一つ重要なこと。1955年にビフを倒したのはマーティでなく、ジョージだった。ジョージが自分で選択した行動が彼の未来を変えた。いや、変わったのは未来ではない。過去でもない。ジョージにとっても現在が変わった、と見るべきではないか。

1985年10月22日の朝、マーティは悪夢(nightmare)を見たとつぶやく。悪夢とは何か。1955年に旅したことだろうか。そうではない。後ろ向きだった1985年10月21日までの自分こそ、悪夢だったのではないか。


タイムマシンがあったら、過去が変えられるだろうか。過去に戻ることができたなら、未来を変えられるだろうか。

変えることなどできないと思う。1955年に戻ったマーティの一週間を見ても、結局のところ、彼は自分がいる時代で「今」を生きている、1955年の「今」を。だから、この作品は、人は「今」を生きることしかできないことが証明しているように思う。

過去を振り返ることも、未来を想像することも、それができることはその人にとっての現在でしかない。西田幾多郎がそんなことを語っていたような気がする。「永遠の今」という言葉も読んだ覚えがある。どこで語っていたか、もう一度、探してみる。

「全時的今」という言葉も、キリスト教思想の本で聞いたことがある。「今」「現在」しか、人は生きることはできない。これについては、もう少し考えを深めてみたい。


映画を作る、という仕事は本当にむずかしい、と本書を読みながらあらためて感じた。後から人気となった作品の最初のアイデアがボツにされていたことなど、おそらく名画と呼ばれている他の作品にもあるエピソードだろう。確かに第一稿の筋書きを読むと凡庸でしかない。でも、ここから監督、脚本、撮影、俳優、技術など、映画に関わる多くの人がアイデアを出し合い、私が見た最終形になっていく過程はこの作品のドラマ以上にドラマチックだった。

予算、時間、人事。企業の経営者のように、ゼメキス監督の心労は相当なものだった。撮影で「楽しかったことはあまりない」という述懐が印象に残る。

お金も時間もなかった“Part 1”は大当たりになった。その成功のおかげでお金をかけることができた“Part 3”も、三部作を締めくくる傑作になった。

何が作品の運命を決めるのか、まったくもってわからない。もっとも、それはビジネスでも恋愛でも、人間のすることすべてに言える。


映画を作ることがとても難しいように、映画について批評を書くことも、きっと難しいことだろう。基本的に文字だけで出来る文学作品に比べると、構成する要素が多すぎる。脚本、キャスト、演技、撮影、音楽、美術、衣装、特殊効果⋯⋯⋯⋯。

映画産業に詳しくない私には制作者と監督と映画会社の関係もよくわからない。本書を読んでますますわからなくなった。

余談。文学作品も、「テクスト」という抽出した核だけでなく、具体的な事物、活字(フォント)、紙、装丁も含めて総合的に批評すべきと思っている。


ほとんど映画を見ない私が、なぜ、“BTTF”を繰り返して見るのか。ずっと前に書いたように、何よりもまず、憧れていた「アメリカ」がそこにあるからだろう。

“Part 1”が上映された1985年、私は高校二年生、劇中のマーティと同じ年頃だった。当時、“BTTF”よりも、その撮影を遅らせた“Family Ties”英語の勉強のためによく見ていた。

1980年代は日本の産業が輝いていた時代でもある。マーティが持つビデオカメラはJVC、ガレージで待っていた新車はトヨタのハイラックス・サーフだった。「何でも日本製が一番いいんだ」と言って、マーティは1955年のドクを驚かせている。


アメリカに行くことが夢だった。高校時代と大学時代、留学試験に落ちた。大学時代に二度、旅行した。一度目は東海岸、二度目は西海岸。最初の旅行では、ワシントンDC、ボストン、ニューヨーク、二度目の旅では、ロサンゼルスラスベガス、グランドキャニオン、サンフランシスコ

大学を卒業してから、いろいろあって、米系ハイテク・メーカの日本支社で働くことになった。1990年代後半のこと。この会社で働いていた4年間が、私にとって遅れてきたバブルだった。

三ヶ月に一度、南カリフォルニア、オレンジ群にある本社へ出張があった。出張は正規料金のビジネスクラス。上客なのでファーストクラスで往復したこともあった。

現地では仕事の後の夕方にPCHを走り、ニューポートビーチやハンティントンビーチ、ダナポイントといった観光名所のほか、Soutch Coast PlazaやFashon Islandのような巨大高級ファッションモールを回った。

夢なんかない、と書いたこともあるけれど、アメリカに行くことが夢だった。「あの頃」はそれが当たり前だったから、夢がかなったとは思っていなかった。

街を見ただけではない。同僚の家に招かれて“Part 1”の結末に出てくる優雅なAmerican Middle Classを垣間見ることもできた。ちょうど出張していたので、クリスマス・パーティーにも招かれて行った。場所は副社長の家。『刑事コロンボ』に出てくるような豪邸に腰を抜かした。


“BTTF”にまつわる思い出はまだある。2011年の年末に家族でLAに旅行して、ユニバーサルシティへも行った。園内には、腕時計をいくつも巻いたドクのそっくりさんがいて写真を一緒に撮った。映画をすでに何度も見ていた中学入学前の息子は、小遣いでデロリアンを買っていた。

昨年の春に大阪のUSJに行き、“Back to the Future Ride”に乗った。正直なところ、このライドの記憶はあまりない。米国のディズニーランドの“Soarin' Over California”があまりに爽快だったので。


総じて“BTTF”は、「幸福なアメリカ」と「憧れのアメリカ」を活写した作品だったと言える。制作秘話を読むと“Part 3”に登場する西部の原住民も交渉の末、撮影に協力したとある。

“Part 1”で、ドクはリビア人テロリストからプルトニウムを盗んでいる(字幕と吹替では国名は出ない)。サダム・フセインは登場しないし、9.11も、ウサーマ・ビン・ラーディンもISISもいない。

コロンバイン事件も、日本からの留学生がハロウィンに銃殺される事件も、まだ起きていない。


アメリカを囲む世界の状況もアメリカ国内の状況も、この作品が人気を博した時代から大きく変化している。2016年の今、“BTTF”のように楽観的にアメリカ社会やアメリカの家族を作品にすることはできないだろう。

その兆候は、すでに本作に影を落としている。刑務所にいる叔父、アルコール依存症の母親、ファストフード店の制服のまま家にいる兄。異常に肥満な姉⋯⋯⋯⋯。

ロナルド・レーガンは、自分の名前が登場する映画をホワイトハウスで呑気に見ている場合ではなかったのかもしれない。

というなら、私自身も、憧れの場所で嬉々としてドライブしている場合ではなく、その先、どんな人生を送るべきか、もっと真剣に考えておくべきだった。

おそらく、もう二度とアメリカへ行くことはないだろう。仕事でも、旅行でも。そんな仕事につけるとは思えないし、そんな余裕が持てるとも思えない。

さらに言えば、各国の首都や有名な観光地はテロが怖くて近づきたくない。


この現状について真剣に考えるとき、はじめて「あなたの未来はまだ書かれていない」という言葉を真剣に受け止めることができるのだろう。

冴えない締めくくりではあるけれど、この映画ができて何十年を祝うより、“Part 2”のような暗い時代にいることを真剣に考えなければいけないのかもしれない。


さくいん:『バック・トゥ・ザ・フューチャー』アメリカロサンゼルス・南カリフォルニアラスベガスニューヨーク