12/20/2015/SUN
海街diary DVDスペシャル・エディション、是枝裕和監督・脚本、吉田秋生原作、菅野よう子音楽、ポニーキャニオン、2015
出演:綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すず、風吹ジュン、リリー・フランキー、樹木希林、加瀬亮、ほか
海街diary オリジナル・サウンドトラック、菅野よう子、ビクター、2015
今年、映画館で見た唯一の映画。気に入ったのでDVDを予約した。サントラ盤は6月に発売されていたらしいが、知らなかった。今回は、iTunesから音楽だけ購入した。
映画館で見たときは、筋を追うことに心をとられて画面の細部まで見ていなかった。
見なおしてみて、あらためて鎌倉を上手に美しく撮っていることに感心した。観光地というのは、行ってみると無粋な広告があったり、写真では誰もいなかった場所が観光客でごった返していたり、がっかりすることが少なくない。
この作品では鎌倉の名所は映らない。小町通りも大仏も鶴岡八幡宮もない。映るのは、海と古い家と小さな駅、坂道、そして、人々が暮らしている街角。
鎌倉という街は、名所以外ではひっそりしている。夏を過ぎれば、材木座も七里ガ浜も波間に揺れるサーファーのほかには誰もいないことが多い。そういう静かな風景を上手に切り取っている。
ウェブでみると何人かの人が、この作品は小津安二郎の作風に似ていると書いている。小津作品は見たことがないので、似ているか、わからない。
私は、尾道を舞台にした大林宣彦の尾道三部作、『転校生』(1982)、『時をかける少女』(1983)、『さびしんぼう』(1985)に似ているような気がした。
静かな、小さな街、寺、坂、海を見渡せる丘。セーラー服、浴衣。自転車、そして、雨。
そう思ったのは、映画の冒頭で、すずが遠ざかる幸たちを乗せた列車に手を振る場面を見たとき。『転校生』の最後の画面を思い出した。そのあと先に進んで、大林作品で気に入っていた場面に似た場面をいくつか見つけた。
踏切の向こう側にある神社。「その浴衣、けっこう似合ってるよ」という台詞。
『転校生』では、「やっぱ、その服は、お前が一番似合うよ」だった。
サウンドトラックはクラシック風。「アンダンテ・カンタービレ」「タイースの瞑想曲」「別れの曲」など、甘美な旋律を使っていた大林の尾道三部作に通じる。主題曲は『時をかける少女』の主題曲「時の子守唄」(松任谷正隆作曲)にどことなく似ている。
サントラ盤に一つ疑問がある。どの曲もいいが終わり方が気になる。唐突に消えたり、中途半端なところでフェイドアウトしたり。これまでに聴いた映画のサントラ盤は、一曲ずつが曲として完成していて、全体が組曲になっていた。
このアルバムは実際に使われた部分だけ摘み取っている感じがする。だからアルバムを聴いても物語を筋書き通りに思い出す、言わば「鑑賞の追体験」ができない。最近の映画音楽は、そういうものなのか。
この映画を好きになったのは、すずをうらやましく思っただけではなかった。若い頃に見た映画に似ているからだった。少し安心した。
でも、見返して、あらためてすずを羨ましく思う場面もあった。すずには父親のことをよく知っている人が近くにいるので、慰めになる。「こそっと話を聞きに行ける」場所があることがうらやましい。そんな場所を、そんな人を、私も欲しい。
鎌倉には雨が似合う。雨上がりもいい。映画でも、幸と母親(大竹しのぶ)が墓参する場面で、雨降りから雨上がりで景色が変わることを人物の心理と重ねている。
見直してみて、最初に見たときと同じように、三つの台詞が印象に残った。
いつか、聞かせてね、お父さんのこと
お母さんのこと、話していいんだよ
すずは、ここにいていいんだよ、ずっと
最初の台詞は、三女、千佳(夏帆)、あとの二つは長女、幸(綾瀬はるか)の言葉。
三つめの台詞は、姉から見下ろした言葉になっている。
ラストシーンでは、「ここに来てくれてよかった」と同じ高さの視点に変わる。
家族の中では、もちろん年齢の差もあれば、経済的に扶養する/される、という立場の違いもある。それでも家庭の一員としては皆、同等の立場にいる。子は親や姉兄の背中を見て育ち、親は子を見て、励まされ、慰められ、そして親も子を見て育つ。
「聞きたくない」「話さないでくれ」と言われて、自分でも「話すことを禁じて」いる私には、痛みとともに、三つの台詞がいつまでも耳に残る。
二女、佳乃(長澤まさみ)は、何かいいことを言ってなかったか?
恋をすると、世界が違って見えるよ
これはこれで彼女の役柄らしい言葉。映画では本筋のなかに入ってはいないが、すずの恋もやがて一つの物語になるのだろう。
すずと風太の関係は感じがよい。ほどよい距離感が続いている。
あの年頃は、近づきすぎると関係が壊れてしまうし、離れすぎると遠ざかる。席替えで隣りになって急接近し、一日中おしゃべりしていたかと思えば、クラスが変わると、いつでも近くにいたのに、何となく照れくさくなってしまい、廊下ですれ違っても名前を呼べなくなってしまう。
写真は、江ノ電、鎌倉高校前駅付近の歩道から七里ガ浜越しに見た、江ノ島夕照。
七里ガ浜からは江ノ島が見える。しかし、最近は侵食が激しく、海の家などは開けないほど砂浜は狭くなっている。一方、鎌倉の中心地、若宮大路の先にある材木座海岸からは西に逗子マリーナ、東に稲村ヶ崎が見えるが、江ノ島は見えない。
映画では、江ノ島を背景にしたいときには七里ガ浜で、西から東に向かって撮影し、広々とした砂浜を歩いている風景を撮りたいときは由比ヶ浜や材木座海岸で撮影しているようにみえる。
2015年12月28日、蛇足を追記。
『海街diary』のDVDを見る。映画館から数えると4回目。
いい話ということはわかっている。でも、見終わると悲しい気持ちになる。その理由はわかっている。
わかっていることを確かめるために、近いうちに、江ノ島から鎌倉までロケ地を巡る小旅行してみようと思う。昔、尾道へもそんな旅をした。
大人なのに、父親なのに、私よりずっと若い幸が言うように、「責任がある」のに、「ここにいていいか」、そう問わずにいられない。
そのうえ、35年間も、すずの「生シラス」のような嘘を、ずっとつきつづけている。
ずっと、本当のことを隠して生きている。
さくいん:『海街diary』、綾瀬はるか、鎌倉、江ノ電、大林宣彦