12/1/2020/TUE
草炭忌
父の死は早過ぎるものではなかった。けれども、まだ元気だった父が急速に健康を損ねたことの責任は私にあるような気がする。
その一方で、父を責めたい気持ちが、なぜか亡くなったあとにふつふつと湧いてきた。
その理由はわかっている。
だから、その気持ちを今、分析するつもりはない。心の隅にそっと置いておく。
今夜は一杯、呑んで、思い出をたどりながら寝る。
写真は神代植物公園の白いばら。名前は"Fabulous!"。
父の死は早過ぎるものではなかった。けれども、まだ元気だった父が急速に健康を損ねたことの責任は私にあるような気がする。
その一方で、父を責めたい気持ちが、なぜか亡くなったあとにふつふつと湧いてきた。
その理由はわかっている。
だから、その気持ちを今、分析するつもりはない。心の隅にそっと置いておく。
今夜は一杯、呑んで、思い出をたどりながら寝る。
写真は神代植物公園の白いばら。名前は"Fabulous!"。
先週末、ライブハウス、ケネディハウス銀座へ行った。先々週に続いての訪問。
前回と違って、とても楽しい夜だった。
ライブとは観る方にとっても水もの。その日の調子で心から楽しめたり、そうでなかったりする。
選曲も私好みだった。
"Melody Fair," "Teach Your Children," "I Need to Be in Love," "Only Yesterday," "End of the World," "You Make Me Feel Brand New," "Hotel California," "That's What Friends Are for," and ”DESTINY,".
バンドメンバーの顔も明るく見えた。
今夜は中華料理店でピータンと大根もちを肴に青島ビール、甕出し紹興酒。
帰宅して古関裕而名曲集を見ながらイタリアの白ワイン。
夜も更けてから久しぶりに『海街diary』を見ながらビールから呑み直し。
父は毎晩、風呂上がりに麦茶のような色をした濃いウィスキーをロックで呑むのを習慣にしていた。ちょっと真似のできない濃さと量だった。それでも肝臓は悪くはなかった。
今週は父の追悼期間。『海街diary』も一緒に観た映画。
生前の父に負けないように、呑めるだけ呑む。
これが私の追悼の儀式。
写真は実家の庭で実をつけた万両。
さくいん:『海街diary』
各界の泰斗の最終講義には積み重ねてきた学問のエッセンスが凝縮されている。
桑原武夫のテーマは「人文科学における共同研究」。学部生時代、彼が率いた共同研究『ルソー研究』で論文の準備をしたので、共同研究を行った背景がわかり興味深く感じた。
桑原武夫は雑談のように話を進める。彼は丸山眞男と森有正と並んで、「昭和知識人の三大おしゃべり」と言われていたこともあるだけあって、軽妙なしゃべり口。
ところで、共同研究の重要性を語る桑原の講義を読んでいて、丸山眞男が唱えた「ササラ型」の知識のあり方を思い出した。自分の専門分野に閉じこもらず、あえて異なる分野の人と交流し、議論する。そうすることで自分の専門分野も広がり深まる。脱「タコ壷」は丸山の専売特許ではなかった。色々な人が戦後、日本の学問のあり方について模索していたことがわかる。
桑原は話を聴く「耳学問」だけでも意味があると言う。同じことを丸山圭三郎の講演会で聞いたことがある。
専門分野は狭く深く、それ以外では広く浅く。ここからリベラル・アーツや、少し古めかしい言葉ではあるけれど「教養」の重要性に話をつないでも的外れではないだろう。
網野善彦の実体験に基づく歴史学批判にはかなり熱がこもっている。
語り口の個性も現れていて面白い。
さくいん:桑原武夫、網野善彦、阿部謹也、丸山眞男、森有正、丸山圭三郎、リベラル・アーツ(教養)
今日は書類に事業部印を押印するために出社した。
出社している人は空いている座席から計算すると1割程度。会社は週2回の出社を推奨しているけれど、全然来ない人がいても黙認しているようにみえる。
社内は静まりかえっている。電話で話している人の声がよく聞こえる。少なくても他の人がいると緊張する。
ディスプレイを見ているだけで何も仕事なんかしてないじゃないか
そう見られても仕方ない。実際、そうなのだから。
昼は一人でそば屋のカレーライス。昼休みも一人。
今日も何もいいことがなかった
帰り際、そう思いかけて、そんな風に思うから「何もいいことのなかった一日」になると思い直した。
今日は少し霞んでいたけど、富士山が見えた。
それを「今日のよかったこと」にする。
11年前、モデルルームとして使用されていた戸建を家具付きの新古物件として格安で購入した。あのタイミングでこの物件でなければ、生涯、不動産など買えなかっただろう。運がよかった。障害者で契約社員の今となってはローンを組むことはできなかったに違いない。
11年経ち、ようやくリビングの食卓とソファを自分たちで選んだものに取り替えることができた。
選ぶのに2年以上かけ、何度も家具屋のショールームに足を運んだ。資金も足りなかった。少しずつ貯めてきてようやく目当てのものが買えるようになった。
リビングダイニングの雰囲気は一変した。部屋が明るくなった。デザインはもとより色調が変わったことが大きい。これでようやく自分たちの家になった気がする。
機能面でもこれまで使っていたものとは格段に違う。ダイニングテーブルは一本の脚を逆T字で支えている。そのため膝のあたりに空間ができる。椅子から立ち上がるとき、クルッと腰を回せばテーブルの外に足が出る。これまでの食卓は太い四本脚だったので、よく膝が脚にぶつかった。
ソファは座面が高いものにした。ハイバックと言って後頭部まで持たれることができるデザイン。テレビを見るときにも姿勢が真っ直ぐになる。
それにしても今年は物入り。家具を買って貯金をはたいたところ、テレビが故障してしまいときどき動作しない。修理するか買い替えるか、迷っている。健康診断では視力の低下を指摘されたので眼鏡も買い替えなければならない。
ボーナスは明日出る。でも元々薄給の半分しか出ない。
困った。
Twitterでこう呟いたら、「食べるものには困ってないくせに」と難じる人が多勢現れるのだろう。
事業部印を押印するために今週2度目の出社。
朝の電話会議、仕事の電話が一回、あとは誰とも話さないうちに一日が終わった。
珍しく人事部の人が歩き回っていたけど、声はかけなかったし、向こうも話ししかけてこなかった。「定着支援」という文字は頭になさそう。
「障害者枠」で雇い入れただけで、その後は透明人間なのだろう、彼にとっては。
早く出社したので、16時半に退社。
途中で週末に備えて日本酒と缶ビールを買う。
今夜、少し呑んでしまおう。
今日のよかったことはきれいな夕陽が見られたこと。
田中星児の「ゆうひとぼくと」を聴きながら帰ってきた。
おーい夕陽、夕陽くん
君もちゃんと見てただろう
さくいん:田中星児
12月15日追記。
朝も夕方もきれいに富士山が見えたので写真を貼っておく。
学生時代の友人、4人で集まった。1月にヴェトナム料理店で集まって以来、11ヶ月ぶり。
場所はリスクの高い繁華街を避けて、ひとけのないキャンパスの近くにあるビストロ。どの料理もボリューミーで昼食抜きで行って正解だった。
パテ、ローストビーフ、タンシチュー、グラタン、ステーキ、サラダの上にも分厚いハム。これでもかと肉が運ばれてきた。珍しいブルガリアのワインも美味しかった。
久しぶりに会えたことに加えて、一人が転職するという報告があり、うれしい祝いの宴となった。長年、いまの職場で苦労していたことを聞いていたので一同喜んで杯を重ねた。
その転職の面接で偶然、恩師F先生の名前が出たという。今も遠くから見守ってくれているような気がして不思議な気持ちがした。
今年の忘年会はこれで5回目。友人がいないと嘆いているわりには誘ってくれる人がいる。自分が勝手にネガティブに思い込んでいるだけ、と気づいた。大切にしないと誘われることもなくなってしまうだろう。恵まれていることを胸に刻むこと。
昨夜は一つ、しばらく疑問に思っていたことが解決した。
イスラエルでパレスチナへの迫害を「神の意に反する」と批判する神学者はいないのか、という疑問。
中東に駐在していたこともあるジャーナリストの友人によれば、イスラエルではイスラムと違い、聖職者の発言はほとんど影響力を持っていないという。建国の理念こそ宗教的で、建国時には宗教色が強かった政界も今では完全に世俗化しているという。なるほど、それなら次々とイスラム国家と外交関係を正常化させ、同じイスラム系であるイラクを封じ込めようとする現在の政策にも合点がいく。全くのリアリズム外交。
今も国際関係の報道の最前線にいる友人の話に納得した。
話が盛り上がっているので、店主は気を遣って22時を過ぎても店を閉めないでいてくれた。
今年最後の診察日。
いつも通り抜ける公園のカエデ。先月の診察日はまだ緑色だった。
今日はほどよく色づいていた。
会社に居づらいことを話したところ、仕事以外に楽しみを見つけることを勧められた。
今日は診察前にカラオケに行った。いつもの歌を歌って一昨日の憂さも晴れて爽快な気分になった。
読むこと、書くこと、そして歌うこと。しばらくはこれを頼りに暮らしていく。
さくいん:S先生
これまで書いた本の感想のページに書影を追加することにした。まずは統計を見てよく読まれているページから。
書影挿入の手順。
作業は少々面倒ではあっても、退屈なときにはこいう単純作業がいい気晴らしになる。
今、念入りに読んでいる本に「外的統制感が強い人は幸福度が低い」と書かれている。
「外的統制感が強い」とは「自分の人生に起こる出来事のほとんどは偶然や運命、そして運のような自分ではコントロールしがたいものによって起こると信じている」ような状態。「内的統制感が低い」と言い換えることもできる。
この説に異論はない。私も映画"Back to the Future"の感想に「勇気を持って選んだ人が満足した人生を送る」と書いた。
それでは自分はどうか、と問われると困惑する。自分自身を観察すると「外的統制感」が強く「内的統制感」が弱い。つまり、自分の判断で人生を選んできたと思っていない。
なんであんなことになっちゃったのかな
時折つぶやくこの言葉が私の主体性のなさを如実に表している。
自分では自分の判断で選んできたと思っている。でもその結果はいつも思い通りのものではなかった。よかれと思って決断したことがいつも裏目に出ている気がする。
いつだって 真剣に
僕は生きてきたはずだけど
でもいつも そこには
孤独だけが残されていた
チューリップ「夕陽を追いかけて」の言葉につい共感してしまう。これではよくない。
私たちがどう感じ、どう行動するのかは、私たちが自分に言い聞かせることと直接つながっている
読みかけの本はそう激励してくれる。
自分の人生を自分で選ぶこと、そしてその選択に責任を持つこと。それは簡単なことではない。本を一冊読み終えてできるようなことではない。
人生は何歳からでもやり直せる。同じ本はそうも励ましてくれる。
この言葉を信じて、新しく生きること。
「新生」。この古い文学的な言葉が来年の大きな目標になるだろう。
この本を読んでいると、これまでの生き方すべてを見透かされているよう気がして怖い。
本の感想は、いずれきちんと書くつもり。
さくいん:"Back to the Future"、チューリップ
今日から今年一年に読んだ本、聴いた音楽、観た展覧会のベスト3を発表する。まずは一番よく読んでいる図鑑と画集から。
『山本大貴 油彩画集』は待望の一冊。今年買った本のなかでベストワン。
今年はシティ・ポップ再評価の年でもあった。松原みき「真夜中のドア」や竹内まりや「プラスチック・ラブ」が脚光を浴びた。この本は以前に買ったものだけど、今年シティ・ポップを聴きなおすのに役立った。
今年は家にいる時間が長かった割には図鑑や大型本を借りてこなかった。代わりに雑誌はたくさん借りてきてよく読んだ。
読む雑誌のジャンルはいつも同じ。ファッション、雑貨、乗り物(船、車、飛行機)、旅、⋯⋯。音楽やスポーツ、文芸や語学の雑誌は読んでいない。出版社の販促雑誌も最近では図書館で目次を確認するだけで読んでいない。
来年はちょっと気分を変えて雑誌を選んでみる。
読書は収穫が多かった。最大の収穫は小川洋子を読んだこと。今年はエッセイ集を読んだので来年は小説を読んでみたい。『アンネ・フランクの記憶』も、紀行文で、ホロコーストの記憶継承で、心温まるエッセイという中身の濃い一冊だった。
寺田寅彦は『柿の種』を読んでから、青空文庫で「どんぐり」を読み、寺田の深い悲嘆を知った。
上に挙げた3冊は、いずれも今年発表の本ではない。新刊で読んだのは、朝井リョウ『風とともにゆとりぬ』だけ。
『西田幾多郎講演集』も買った。4年前に読んだ『語る西田』と内容が重複していることもあり、感想は書き残していない。
ベルクソン『時間と自由』も買ってはみたものの、なかなか進まない。結論から先に読んでみたけれど、やっぱり理解できなかった。哲学書は難しい。
新書はあまり読まなかった。最近の新書は即席で作ったワン・テーマの粗悪品と念入りに著述・編集された良書と玉石混交。良い本もたくさん出ていることは知ってはいるけれど、今年はいい新書にめぐり会えなかった。
『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』は画期的な企画。読み手から言えば、衝撃的な一冊。戦前の世界にも色があったというごく当たり前のことを気づかせてくれた。そこに映っている人や建物がみな失われてしまったことを今さらながら深く重く感じた。
『キリスト教と死-最後の審判から無名戦士の墓まで』は、Twitterでのお勧め。『神曲』を読んでいたおかげで理解が深まったと思う。宗教とは言っても、結局のところ人間が都合よく改変する人間社会の組織や規則に過ぎないという思いが消えない。
『横浜海軍航空隊』は知らないことばかりだった。二式大挺が横浜(富岡)基地を置いていたこと、横浜からも特攻隊が出撃したことなど。
他にも感想は書かず読んだままにした新書もある。『語り継ぐ横浜海軍航空隊』と同様、横浜の書店、有隣堂が出版している新書、『東慶寺と駆込女』。東慶寺の墓地の地図が掲載されていて西田幾多郎の墓を探すときに案内役になった。
白水社のク・セジュ文庫から『喪の悲しみ』を再読したことも書いておく。
『愛国の構造』は久しぶりに読んだ本格的な政治思想の専門書。「愛国者と世界市民」「ナショナリズム」という概念には、学部時代から関心を寄せていた。本書は内容にも共感するとところが多く、よい刺激になった。
松永良平の本は、さわやかな読書だった。著者に会えて、本にサインもしてもらったこともいい思い出。
中井久夫の本は何冊か読んでいたのに、恥ずかしながら「心の傷」について考える時に絶対外せない人物である安克昌はまったく知らなかった。その鋭敏な批判精神と優しい心に胸を打たれ、言葉が出ず、短い感想しか書けなかった。
テレビドラマもよかった。
精神医学とは「誰も一人にさせへんことや」という言葉が忘れられない。
次点として『野の医者は笑う: 心の治療とは何か?』を挙げておく。
土曜日。人混みを避けて海辺の美術館へ。寒くなってきたので「女子旅きっぷ」で逗子・葉山を回っている人もほとんどいない。
展覧会で印象に残ったのは、堀文子「霧氷」と小茂田青樹「麦踏み」。前者は静謐な森の雰囲気がよく出ていた。後者も夕暮れ時だろうか、暗い森で麦を踏む夫婦。森の深い緑色に惹かれた。
小茂田は41歳で亡くなったという。50を過ぎて生きていられることを当然と思ってはいけない。
美術館を出ると、ちょうど夕日が沈むところ。見る見るうちに陽は沈んでいった。まさに瓶落とし。薄暮のなか、葉山マリーナでバスが停車した時、富士山の稜線が見えた。
逗子駅に戻り、何度か行ったことのある小さなバーへ。白ワインにタコと小海老のアヒージョ。この店は唐揚げが美味しい。顔も覚えられてすっかり「行きつけ」の店になった。
今日は上大岡からも富士山がよく見えた。
さくいん:葉山
今年は展覧会へあまり行けなかった。事前予約制は時間に縛られるのでとても不便。
悔いが残るのは、西洋美術館の『ナショナル・ギャラリー展』に行けなったこと。
今年は初めて行った美術館もなかった。「行きつけ」の美術館に足繁く通うのも、それはそれで楽しい。葉山美術館、そごう美術館、横須賀美術館、ちひろ美術館。
さくいん:東洋文庫ミュージアム
いずれもアルバムではない。ライブハウス、テレビ放映のコンサート、朝ドラの劇中歌。
薬師丸ひろ子には、CDでも配信でも販売されていない劇中歌がある。『あまちゃん』の「潮騒のメロディー」、『富士ファミリー』の「A Happy New Year」、そして、今回の「うるわしの白百合」。いつかまとめて販売してほしい。
テレビでもう一つ。2016年に放映されたキャンディーズの特集番組が再放送された。この番組もよかった。キャンディーズはいつまでも色褪せない。
今年買った音楽は菊池桃子『Adventure』だけ。
図書館でも音楽はほとんど借りなかった。
借りてよかったのは、Clean Vandit, "No Place Rathre Be"をア・カペラでカバーしたPentatonix, "PTX: Greatest Hits"とMichel Petrucciani, "Michel Plays Petrucciani"。
今年はこれまでになくたくさん映画を観た。といっても、劇場で観たのは『パラサイト』を2回と『テネット』だけ。あとはネットやテレビで。数えてみると19作。
とくに5月の連休は暇を持て余していたので、続けて何作も観た。
伝記もの、アクション、パニック、社会派、文芸派、青春ドラマ、恋愛コメディ、と幅広いジャンルの作品を観た。映画のよさを再発見した年になった。
一昨日、夜の2時に目が覚めてしまい、その後眠れなくなった。
珍しく平日に日本酒なんか呑んだせいだろうか。とにかくどうしても眠れない。
ヒルティ『眠れない夜のために』を開いてから目を閉じても眠れない。
こんなことは滅多にない。前に一度、大晦日に朝まで眠れなかったことはあるけど。呑みすぎると眠りが浅くなるのかもしれない。
気晴らしに音楽を聴くことにした。
なるべく眠りに落ちそうな曲を選んでイヤホンをつけた。
これだけ聴いてもまだ眠れない。思い出深い曲ばかりなので、いろんなことを考えはじめてしまい、かえって目が冴えてきた。
床についたのは10時だったから4時間程度は眠っている。一日くらい4時間でも何とかなるだろう。最後はそう思って腹をくくった。
6時になった。いつも起きる時間。いつものように英語ニュースを聴きはじめたら眠ってしまった。
7時に目覚ましで起きた。
追記。
一昨日の反動なのか、昨夜は最高によく眠れた。
昨日は事業部印押印の依頼があり、出社した。用事だけ済ませて早々に帰宅した。元々、24日を最終勤務日にしていたのでちょうどよかった。年内の懸案事項は全て解決し、本年の業務はつつがなく終わった。
クリスマスの食卓で幼稚園の生誕劇が話題になった。娘は年中の時には3軒目の宿屋さん、年長の時にはジャンケンでマリア役を射止めた。
驚いたことに当時の台詞も歌も手話の手振りもよく覚えていた。聞いていた私も園児たちの衣装や身振りを思い出した。まさに「三子の魂、百まで」。もっとも子どもたちはお祈りの習慣まで身についた幼稚園を卒園すると、次第に宗教への関心は薄れていった。
あの頃は、クリスマスの絵本もよく読んだ。子どもたちには『ゆうびんやのくまさん』が好評だった。私は園長先生の講話で初めて聞いた「四人目の博士」の話に興味をもったので『もう一人の博士』を毎年読んでいる。
『ナザレの少年』も思い出深い。この絵本で舟越保武を知り、作品集『石と随想』を手に取り、作品を見に行くようにもなった。
思えば、クリスマスから年末まで毎晩遅くまで仕事をした年もあった。
仕事も区切りがつき、今年のクリスマスはのんびり家で過ごしている。おまけに思いがけないプレゼントも頂いた。
ありがたい。
さくいん:舟越保武
今年は気分が安定している。それが数字でもわかる。
図はSleep Cycleで測定している快眠度の記録。復職した2017年に比べて今年は快眠度がずっと高いところで安定している。
営業職の激務を強いられ睡眠時間も短かった2014年以前は、おそらく快眠度とは呼べないほどひどいものだっただろう。
あの頃は平日の睡眠では足りず、金曜の深夜に週報を出してから土曜日いっぱい、ときには日曜まで続けて眠っている日もあった。それでいて平日にも酒を呑んでいた。1ヶ月間、何も文章が書けないときもあった。書けたときでも苦痛でうめくようなことしか書けなかった。つくづく不健康な生活だった。
安定している今から振り返ると、もっとうまく立ち回れなかったのか、と後悔することもある。こうして数字で確認したり、過去の文章を読み返したりすると、「あの頃」は、あれで精一杯だったことがわかる。
精一杯どころか限界を越えて無理をしていたから病気で退職という結果になった。営業職を継続するには私の"キャパシティ"はあまりにも小さすぎた。
今が幸福だと昔の不幸を忘れやすい。それでいいのかもしれない。その一方で、忘れられない、忘れてはいけない不幸というものもある。
今年で勤続4年となった。仕事のミスは減らないし、会社に親しい人もいないままだけど、とにかく4年間やってきた。
来年、勤続5年となると、無期雇用や正社員に転換する申し出ができるようになる。昇給も望まないから、何とかここにいさせてほしい。
一時は転職も考えたけれど、今は負荷の少ない現状に満足している。
無期雇用となることを嫌って会社側から契約を更新しないと言ってこないだろうか。
今から心配しても仕方のないことをまた心配している。
これは性格なのか、病状のひとつなのか。
さくいん:労働
毎年恒例の家族の忘年会。お店に行くか、テイクアウトか、いっそのこと中止にするか、議論になった。幸運にも個室が空いていたので、中華料理店で昼餐を楽しんだ。
何か儀式があるわけでもなければ、各人が重大ニュースを発表するわけでもない。家族が顔を揃えて美味しいものを食べるだけ。それでも、大学生の子ども2人のスケジュールが合うだけでも奇跡に近いので、揃って会食できるのは大切なひととき。
それぞれ好きな飲み物で乾杯。それから、ピータン、大根餅、春巻、野菜の炒めもの、海老チリ、サンマーメン、炒飯、ビーフン、そしてデザート。私はビールのあとに甕出し紹興酒を少し。デザートに私はマンゴープリンを選んだ。二人が杏仁豆腐、一人が両方半分ずつ入ったものを頼んだ。濃厚なマンゴープリンを食べて、去年の台北旅行を思い出した。
この街では今年、ハレの日に行っていたレストランが二つも閉店してしまい寂しくなった。この中華料理店も記念の日によく来ている。客はそれなりに入っているようで安心した。それでもテイクアウトのメニューを増やしていることからも経営が大変な様子はわかった。何とかこの苦境を生き延びてほしい。
何か特別な話題について語るわけでもない。「美味しい、美味しい」と口々に繰り返していただけだったような気もする。
今年は皆、忙しかった。娘は毎日実験、息子はインターン、妻は週3日の勤務から時短で週5日の勤務になった。私だけがずっと在宅勤務で楽をしていた。
こんな時間が貴重であることを私は知っている。やがて子どもたちは巣立ち、4人で食事をすることもなくなる。そのときになれば、今日の日をきっとなつかしく思い出すだろう。
2011年の年末に行ったLA旅行の記事に写真を追加した。あの旅行は言ってみれば大忘年会だった。行けるときに行っておいてよかったとつくづく思う。
2016年に知った一年を振り返る方法。4つの質問を自分に問いかける。
自問するポイントは次の4つ。
私の回答
毎日文章が書けたのは在宅勤務のおかげ。毎日3時間以上費やしていた通勤の時間が自由に使えるのだから、ありがたいと言うほかない。毎日文章が書けたのは、気分が安定していたおかげでもある。本当に苦しいときは一言のツィートさえできなかった。あの頃に比べれば、著しく回復している。
内容は深まっているか。どんなに堅い地盤でも、少しずつ掘っていけば深いところへ届くと思いたい。
多少の乱高下はあったものの、一年を通じてみると、今年は気分が安定していた。実際、減薬もできた。
いま、自由に海外旅行できる人はいない。だから、誰がうらやましいというのではなく、疫病も戦乱も分断もない環境がうらやましい。そういう時代が早く巡り来てほしい。
そんな時代もあったねと
いつか笑える日が来るわ
そんな風に言えるように早くなってほしい。
写真は、月と煙突と階段。清掃工場。
多くの人にとってそうであるようにコロナ禍が最大の事件だった。
病気に関しては、減薬もできたし寛解に前進した。
写真は森戸海岸から見た薄暮の相模湾。
29日の夜から実家に帰省している。
今年はおせち料理を少し手伝った。と言っても、野菜と伊達巻を切っただけ。
味付けまで継承するには基礎技能が足りない。
我が家のお雑煮はシンプル。鶏肉と大根、にんじん、ほうれん草、寿のなると。
夕飯には子と孫、8人が集まり、母を喜ばせた。
食卓の横で加湿器をフル回転。食事以外の時間はマスク着用。できる限りの対策はした。
あと何年、こんな大晦日を過ごせるのかはわからない。せめておせち料理の味付けは継承したい。
下の写真は公園の落陽。今年は夕陽の写真が多かった。2020年の夕暮れ。