三年前に亡くなった父の追悼週間。締めくくりに墓参りの代わりに家族で会食をした。
墓参りは2月に行く。
60年前の丸の内はただのビジネス街で今のようにブティックなどなかった
60年前に、ここでOLをしていた母が懐かしそうに話す。母は丸の内へ来ると元気になる。仲通りを歩いているだけで楽しそう。
祖母が伏せがちで小学生の頃から主婦業を担うことになり、結婚してからも苦労の絶えることがなかった母にとって、短大とOL時代は青春を謳歌できた数年間だったのだろう。
OLを辞めたあと、料理教室に来たという結婚式場でランチ。窓からお濠が見える特等席に通してくれた。日差しが出てきて銀杏がきれい。
前菜は「車海老と福井県大野産 里芋のテリーヌ仕立、甘酸っぱい甲殻類のドレッシング。メインディッシュは「鴨のコンフィ」。薄いパイの中にホロホロの柔らかい鴨肉。デザートは「黒トリュフクリームをサンドした「キャレ ショコラ」だった。
3人で白ワインと赤ワイン、1本ずつ開けた。85歳の食欲と酒量に店の人も驚いていた。
食後にマティーニをもらった。コーヒーがとても美味しかったことも書いておく。
食事中も役員に高級レストランに連れて行かれて緊張したことや、会議でお茶出しする時にコーヒーカップが震えていたことなど、何度も聞いているけど楽しい話をしていた。
父との旅行の話もあった。父が55歳で早期退職して初めてヨーロッパへ旅行した。最初はパッケージツアーで。ロンドンで水とワインが同じ値段だったことに驚き、それをきっかけにワインを呑むようになったという。最後はイタリアを自由旅行するまで旅慣れた。
晩年はもっぱら船旅を楽しんでいた。寄港地に着いても上陸せず、船室から海を眺めていたという。天然ガスのタンカーを受け入れる仕事をしていたので、船旅に憧れがあったのかもしれない。
父の死は穏やかだった。誤嚥性肺炎が小康状態になったので退院して家で過ごしていた。
退院から1週間後、昼食後に昼寝をして、そのまま永遠に眠ってしまった。
父が生前、一番喜んだことは、孫娘が自分が通った同じ大学、同じ学部、同じ学科に入学したこと。入院中も看護師に呆れられるほど吹聴していた。
その孫娘は大学院入学が決まった。経済的な理由で進学できなかった父に伝えたかった。
皇居周辺は銀杏がきれいに色づいていた。丸善のあるオアゾへ向かう途中、寒桜が咲いているのを見つけた。
OAZOの丸善を一周して、東京駅で解散した。本は買わなかった。