最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

国立博物館 表慶館

2017年4月

4/14/2017/SAT

Twitterは閲覧専用に

しばらく、深い鬱の底に沈んでいて、何も書けずにいた。Twitterはアプリも開けず、ブログも自分のものも他人のものも読まないでいた。つぶやくどころではなかった。

ようやくトンネルを抜けたところで考えた。Twitterは”碧岡烏兎”の”スタイル”には合わない。

私の言葉や文章は、出て行って読んだもらうものではない。まして、突きつけて読ませるものでもない。

私の言葉と文章は、読まれる”時”を待っている

『庭』だけが表現と創造の場所。


Twitterを見るのは楽しい。展覧会や新刊、テレビ・ラジオ番組やイベントの貴重な情報源になっている。これは捨てられない。

もともと、Twitterでにぎわう『VOW』のような笑える写真や、大喜利も嫌いではない。自分で見つけることもたびたびある。でもそれは、”碧岡烏兎”の筆名ですることではない。

例えば、遠藤周作の狐狸庵のように別な筆名で好き勝手なことを叫ぶのもいいかもしれない。いや、二つの筆名を持つことを公言するのも、いい方法ではない。

そのうち、誰にも告げずに、いわゆるサブ垢を始めるかもしれない。

いまは、ようやく安定した状態をできるだけ長く維持することに専念する。

ここに書いたことも、もうTwitterでは発信しない。Followerのなかで「本店」(©丸山眞男)に興味を持った人が来てくれたらそれでいい。


RTとLikeはする。ネットを通じて親しくなった人には挨拶として。貴重な情報を提供してくれた人には感謝の印に。


4/16/2017/SUN

秘蔵写真でたどる 華族のアルバム、倉持基、KADOKAWA、2015

森有礼の項で森有正と妹、綾子が映った写真が掲載されている。撮影時は昭和14年とある。

森有正について詳しいウェブサイト「高橋サンち」にある「森有正 年譜」によれば、当時、森は28歳で東京大学大学院に進学した頃。有正と綾子が一緒に写っている唯一の写真という。背が高く羽織袴姿は凛々しい。

ところで、同書に「その妹の綾子は父が神父だったこともあってキリスト教に帰依し」とあるが、これは誤り。森明は長老会派、いわゆるプロテスタントなので神父ではなく、牧師。

この点は、森有正の思想を理解するためには重要に思われる。父に従い、プロテスタントで受洗したにもかかわらず、学校はカトリック系に進んだ。そして、イタリアと並んでカトリックが多勢を占めるフランスに渡った。

森有正は、旧約聖書を題材に講演をいくつか残している。森有正といえば、一般的には日本と欧州のあいだで葛藤があったと言われる。もしかすると、宗派の問題は、それ以上に彼にとって抜き差しならない問題だったのではないかと思うことがある


4/17/2017/MON

まだ書けず

クリスマスに書けなかった佐藤研『悲劇と福音―原始キリスト教における悲劇的なるもの』の感想文を復活祭までに書き上げるつもりが、結局、一行も書いていない。

今年に入ってから深い落ち込みがあったり、なんとなく沈んだ気持ちが続いたり、調子がよくない。

会社には、一度どうしても起きられず午前休にしてもらった以外は休まず行っている。仕事の中身を語るレベルではないまだまだ週に5日往復するだけで精一杯。復活と赦しについて考える余裕はまったくない。

そもそも、悲嘆憎悪が全身をむしばんでいる身に「赦しと復活」について語ることなど、一生できないかもしれない。


4/18/2017/TUE

気になる言葉 - ありがとうございました

「ありがとうございました」という言い方が好きになれない。理由は上手く説明できない。

10年前、20年前にはなかったような気がする。

新しい言葉としてよく槍玉に挙げられる「1,000からお預かりいたします」は気にならない。この言葉はもともと長かった言葉が忙しいレジで変化したものと考えられる。

1,000円をお預かりします。そこ"から"代金を引いてお釣りを渡します

上記の内容を人手不足で忙しいコンビニやスーパーのレジではしていられない。そこで自然に短くなっていたと推測している。


「ありがとうございました」も、過去の行為に対しての感謝を示しているといえば自然な変化と説明ができそうではあるが、どうも馴染めない。何かしてもらったのは過去のことであっても感謝しているのはいまの気持ちなのだから「〜してくださり、ありがとうございます」が状況からも心情からも的確ではないかと思う 。

その理由の一つとして、「ありがとう」と同じ意味の「感謝します」や「お礼申し上げます」などは過去形で使われないことが挙げられる。

言語学を専門に学んだわけではないので、頼りになるのが自分の感覚だけなので説得力のある説明はできない。

調べてみると専門家と一般人のあいだで読まれていた雑誌『言語』が2010年に休刊になっていたことを知った。前は、よく図書館で借りて読んでいた。確かにここ数年は読んだ記憶がない。記録を見ると10年前から『庭』取り上げていない。面白い雑誌だったので休刊は残念。

図書館のレファレンス・コーナーで訊いてみるか。


4/19/2017/WED

気になる言葉 2 - 〜していただければと思います

「ありがとうございました」と同様、このフレーズも最近、よく聞く。

「していただきたい」で十分ではないか。婉曲に表現する理由がわからない。

それでも言いたいのなら「していただければありがたい」、「そうしていただければ誰も文句は言わないでしょう」と最後まではっきり言ってほしい。


この言いまわしは、"It would be much appreciated if you could come with us."のような英語の表現が転化したものだろうか。これもかなり遠回りな言い方で丁寧語と謙譲語の意味合いを含む。

状況が明確な場面では、英語でも"if"から後が省略されることもないわけではない。とはいえ英語の場合、「AならB」という文型が基本形なので、条件節だけで終わることは自然ではない。日本語でも、英語のように"if"のあとをはっきりしてほしい。


4/20/2017/THU

北のはやり歌、赤坂憲雄、筑摩書房、2013

近所の図書館が半年近くかけて改装をした。外はそのままでも、中は明るく広々したところになった。

時間があまりなかったので、書棚のあいだをぶらぶら歩く。棚に置いてある本は基本的に前と変わっていない。これから空いている棚に新刊が加わっていくのだろう。本書は日本地理の棚で見つけた。

東北学の提唱者が「リンゴの唄」から「みだれ髪」まで、「北」にまつわる流行歌を語る。学者の文章と言ってもウェブ上で連載されたものなので読みやすい。


「北帰行」という歌が好きでときどき選んで聴く。小林旭の歌はもちろん、ボニー・ジャックスやちあきなおみの歌も聴く。

小林旭が歌ってヒットしたのは、1976年。小学二年生。聴いたのはその時ではなく、おそらく後になって、懐メロ番組で覚えたのだろう。

「女、我を去りぬ」と思っていたのは、「恩愛 我を去りぬ」だった。「恩愛」という言葉は知らなかった。

この歌が旅順を舞台にしていること、北は奉天を指すことは知っていた。たぶん、曲を好きになってからWikipediaで知ったのだろう。

この歌は知っていても、舞台が旅順で「北」が奉天であることを知っている人は少ないだろう。日本の最北端が宗谷岬でなかった時代もあれば、最高峰が富士山でない時代もあった。赤坂も強く勧めているように、機会があれば、そういうことは知っておいたほうがいい。


赤坂は、放校された学生の半ば自暴自棄の歌が戦後、歌声喫茶で若者達に歌われるうちに歌詞は次第に洗練されたものに変わり、「渡り鳥」のイメージを持つ小林旭が歌うことで、さらに限定的でない、多くの人に愛される歌になっていた過程を説く。

「はやり歌」や「ポップス」は、多くの人が共感してヒットするものだから、あまり限定的な体験や場所からは生まれない。

文学には、具体的で事細かに個人の暮らしぶりや内面を描く私小説という分野がある。音楽の場合、適度な具体性が聴く人、歌う人にそれぞれの歌世界を描かせる。

「北帰行」は、悲しいつぶやきから見事に多くの人が口ずさむ流行歌になった。興味深いのは、原作者の宇田博も小林旭版を好んでいたということ。原作者も、「はやり歌」を生み出し、それを愛する民衆の一人として 変化を遂げた自作を楽しんだのだろう。


いま、「北帰行」を聞くと、多くのものを失い、身も心も疲れ果てた2014年の終わりの頃をしみじみ思い出す。歌は、私の心には私の世界を思い描かせる。

「北帰行」と「傷だらけの人生」鶴田浩二)は、一人で散歩しているあいだ、ときどき口ずさむ。少しさびしいときに聴く"I'm in Blue"というプレイリストにも入れてある。


4/21/2017/THU

大瀧詠一 SONGBOOK2、ビクターエンタテインメント、1995

昨日のつづき。

小林旭にはもう一つ「北」を主題にしたヒット曲がある。「熱き心に」。作曲は大滝詠一。作詞はてっきり松本隆と思いきや、阿久悠だった。

「北帰行」は間違いなく阿久悠の念頭にあっただろう。この歌は本書も取り上げる多くの「北」の歌が持つ寒さや憂いをまったく感じさせない。

阿久悠なりの「本歌取り」だったのかもしれない。

阿久悠は、哀愁を帯びた旅ガラスの歌を爽やかな旅人の歌に転調させた。

思いを寄せていた、もちろんプラトニックな間柄以上にはならなかった懐かしい人を思い出し、旅は東北、せいぜい北海道を思わせる「北国」からオーロラが見える場所まで心を運んで飛んでいく。一行で上野から青森まで移動する「津軽海峡・冬景色」以上の移動距離。


阿久悠と松本隆。歌い手に合わせて、また時代の雰囲気をとらえて歌詞にする。二人はアーティストというよりも職人で、それも最高の名人と言える。二人の違いはどこにあるか。

私の考えでは、歌詞の起点に違いがある。阿久悠は風景描写から聞き手に歌詞の行間にある心のうちを想像させ、最後に聞き手の想像通りの結末だ待ち受けて昇華させる。

松本隆の場合、気持ちの描写が先にある。しかも、「好き」とか「愛している」とか、ごく平凡な言葉が並ぶ。それなのに凡作にならない。変化球なしの直球勝負(「恋のナックルボール」『EACH TIME』)。凡庸にならないのは、心理を表現する合間に巧みに風景描写が織り込んであるから。「Kiss in Heaven」で始まり、「天国に手が届きそうな青い椰子の島」で終わる。


小林旭が歌う「北帰行」を聴いていると、同じ小林旭の「熱き心に」を思い出す。「熱き心に」を聴いていると、同じ大滝詠一が作曲し、松本隆が歌詞をつけた冬の歌、「さらばシベリア鉄道」へつながる。

そして、驚くべきことに小林旭は「さらばシベリア鉄道」を歌っている。タイトルも原曲と違い、「アキラのさらばシベリア鉄道」。

歌い出しこそ、リズムと合わない感じがないわけでもないが、サビが素晴らしい。これぞマイトガイと言いたくなる勇壮な節回し。

「北帰行」「熱き心に」、「アキラのさらばシベリア鉄道」を揃えて、小林旭「北の三部作」と呼ぶことにする。


4/24/2017/MON

土曜日はダメよ

先週の土曜日、3週間ぶりの診察だった。

やる気いっぱいというわけではありませんが、なんとか安定しています

嘘をついた。本当は憂鬱な気分が続いているのに。なぜ、医者の前で嘘をついてしまうのか。考えてみると、嘘ではないことがわかった。土曜日に診察を受けることに問題がある。

金曜日の夜、一週間の緊張がほどける。少し酒も吞み、いつもより長く眠れば土曜日の朝は上機嫌になるのは当たり前。

病院は、水曜日に行かないと、ふだんの気持ちを話せない。


4/25/2017/TUE

働き方改革について

喧しく議論はされているものの、議論はもっぱら時間の問題に終始し、質の問題は置き去りにされている。

D社の事件(会社が従業員を殺害したという意味)、当初はパワハラもあったと報道されていたのに、そこは追及されていない。

時間が短ければいいというものでもない。欧州は労働時間が短くていいと言われているけど、短い時間で結果を求められるので、ストレスは大きいらしい。英国の労働者の昼休みは平均25分程度と最近、英会話のpodcastで聞いた。

T社でも、達成は到底無理な目標を設定して労働者に心理的な圧力をかけていた。

労働時間の短縮はもちろん喫緊の問題。としても、加えて労働の質についても考えてないと、ストレスの総体に変わりはないだろう。つまり、改革にならない。


4/26/2017/WED

文章は朝、書く

最近、文章は朝、書くようにしている。ほとんどは週末の朝から午前中。

いくつか理由がある。平日は昼の間、

  • パソコンの画面を見ているので、帰宅してからも見たくない。
  • 夜に液晶画面を見るのは目に良くないらしい。
  • 調子が出てくると夜遅くまで起きてしまう。

金曜日の夜、深酒せず、夜更かししなければ、土曜日の朝、気持ち良く起きられる。

そういう気分のときに文章を書いている。そういうときでないと文章が書けない。

アイデアは通勤中の電車で思いつくことが多い。スマホにメモだけして、週末にまとめる。


4/27/2017/THU

Do you guys say "do you guys?"

米語でよく相手に対して、"you guys"と言う。"Do you guys want to go for lunch?"のように使う。

これに抵抗がある。「あんたら」と言っているように聞こえる。"guy"だから男のイメージがあり「お前ら」という風にも聴こえる。

ところが、どうもそういうニュアンスはないらしい。どうも普通に「あなたたち」という意味合いで使われている。

毎朝、電車の中でNPRのニュースに加えて、新番組の短いニュースショー"Up First”を聴く。新番組は一人で原稿を読み上げるニュースとは違い、アンカー2人に解説者が加わる会話スタイルの番組。

公共放送なので、どの出演者もきちんんとした言葉をきれいな発音でわかりやすく話す。


先日、この番組で女性リポーターが"you guys"を使っていた。「スタジオのお二人」というニュアンス。間違っても「お前ら」ではない。

野卑た意味でないことはわかった。でも、私は使わないだろう、これからも。染みついた印象は簡単には拭えない。


巨大大学で受けた数少ない「英作文」の少人数講義。英国紳士であるスノードン先生は"You guys"とは一度も言わなかった。

先生曰く、"Wonderful"の意味で英国で男性も頻繁に使う"Lovely"は米国では女言葉で、男性はまず使うことはない。英語にも方言がたくさんある。"guys"もその一つかもしれない。


4/28/2017/FRI

三者面談

就労移行支援事業所と会社、そして私の三者で定着支援のための面談があった。会社からは上長と最初の面接で会った人事の採用担当者が出席した。

上司は無口で、しかも多忙な人なので入社して4か月過ぎても仕事の話以外したことがない。それさえも1日にせいぜい10 - 15分程度。まったく仕事がはかどらない私を彼がどう思っているのかわからず、不安の種になっていた。

事業所の責任者と私、事業所と会社、最後に三者で、それぞれ20分ずつ面談した。

事業所の責任者には、思った以上に復職のハードルは高く、会社から期待はずれと思われていないか心配、と率直に伝えた。入社前は早く正社員になりたいと思っていたが、負荷が高まり、残業も加わるくらいなら、給与もこのままでいいから、契約社員ままでいたい。いまは、これが精一杯だから

心配は杞憂だった。会社は私よりもずっと長い目で見てくれていた。「季節が変わると体調も変わるかもしれないから、まずは一年間やってみましょう」と言う。上長から「入社当時に比べると作業が早くなっています」という言葉もあった。よく観察している。

会社が初めて精神障害者枠で採用する、それなりに職歴のある年上の者を部下にするのは気が重い任務だろう。我慢強く見守っていてくれるのは本当にありがたい。

とにかく安心した。のんびりと連休を過ごせそう。


4/30/2017/SUN

穏やかな休日

会社は明日も休みなので今日ものんびり過ごした。

カレーを作るので、朝、玉ねぎと鶏肉を買いに出かけた。昼食は二人で近くの蕎麦屋で。帰宅してから、玉ねぎを10個刻み鍋に放り込む。週末のビールを片手に『スラムダンク』を読み、ときどき搔き回す。明日、ルウになるまで炒めて晩御飯のカレーにする。

夕方、散歩に出る。2年前、ほとんど毎日歩いていた公園を一回り。

バーベキューを楽しむ人たち、草野球のあとでビールを呑むオジさんたち、自転車を練習する子ども、キャッチボールをするカップル⋯⋯⋯。日本海では一触即発の緊張状態にあることが嘘のように平和な光景。

世界が平和に見えるのは、少しは元気になったからだろう。つまり、自分の心が少し平和になった公園の芝生に座るとそんな風に思える自分に気づいた

こんな風に一日中、穏やかな気持ちでいられる日はめったにない。


4月30日は、年にいくつかある極めて個人的に大切な記念日。

例年どおり、荒井由実「瞳を閉じて」オフコース「夏の終り」を聴いた。

今日は本当に久しぶりに不安もなく、ずっと心穏やかな一日だった。

あの頃のこと今では素敵に見える」ように、ようやく少しなった気がする。