紅白歌合戦とクリスマスの約束
例年通り、両親の住む家に帰り、大人数で「紅白歌合戦」を見た。
年に一度の国民的娯楽番組の途中とはいえ、ニュースと官房長官の会見のニセモノを「これは演出です」のテロップもなく放映したNHKは、公共放送の立場を捨てたとしか言いようがない。
万が一、ニュースを速報で入れなければならなくなったり、官房長官が緊急会見を行うような事態になっていたら、一体どうするつもりだったのか。
出演者のなかで、一番カッコよかったのは、郷ひろみ。スタイルがよくて歌もうまい。年齢を感じさせないスターの魅力がある。
審査員ではは「恋ダンス」を恥ずかしそうに踊った新垣結衣がMVP。
年末に、小田和正が主宰する音楽番組「クリスマスの約束」を見た。とても良かった。前年の不完全燃焼を埋めて余りある内容。選曲もよく出演者を絞ったのことも奏功した。コーラスの編曲がいい。
ベストは松たか子の「風をあつめて」。
驚いたのは、小田が一人でスリーフィンガーのイントロを弾いて歌いはじめた「僕等がいたーNEXTのテーマ」。中学三年の頃、ギターで練習した曲。小田和正の歌声が変わらないので「あの頃」を思い出した。
写真は、庭に咲いていた梅。少し早いかもしれない。
この梅を見つけたとき、「私の帰りを待っていてくれたのかな」と思ってから、すぐに心のなかで打ち消した。そういう甘っちょろい、感傷的な考え方は好きではない。
そう思ってからまた、最初の直感を受け入れられないところに問題があるのかも、などと思い直し⋯⋯。結局、こんな風に同じところを回っていること自体が問題ということに気づかされる。
読み初め。
30日から両親の住む横浜の実家に来ている。ふとソファの脇に転がっている文庫本を手に取ると母に贈った『日本近代随筆選 1 』(岩波文庫)だった。
夏目漱石「変な音」は死をめぐる暗い想念。新年早々、気が重くなる。懲りずに続けて「死」に目がとまり、尾崎一雄「いろいろの死」を読む。次々に起きた身近な死別体験を綴ったあとに金言を残す。
何はともあれ、生きていると云うことは有難い。
新年らしい気持ちになったので読書は止めた。
実家は新旧の本が無造作に並ぶ、さながらこだわりの古書店。
借りていくのは、『絵とき横浜物語』(宮野力哉)と『横浜タイムトリップガイド』(講談社)。
『KOTOBA』、2013年夏号で、加賀乙彦がうつ病の患者に夏目漱石『行人』を薦めている。まずこれから。
スティーブ・ジョブズの師、禅僧、乙川弘文を柳田由紀子の紹介で知る。
箱根駅伝観戦中。
今年は、大磯にある島崎藤村旧宅と澤田美喜記念館(隠れキリシタン資料館)へ行ってみたい。
美喜の夫、澤田廉三は外交官。鳥取県岩美町出身という。
岩美町は行ったことがある。浦富海岸はとても美しい海だった。
駅伝→大磯→藤村→澤田夫妻→鳥取→なつかしい海→七里ヶ浜海岸→江ノ島、と連想はまわりつづける。
写真は、大晦日、買い出しの帰りに踏み込んで迷いそうになった山道。
さくいん:加賀乙彦、夏目漱石
正月の思い出
1992年、クリスマスはウィーンに、大晦日にはブリュッセルにいた。19時に予約したホテルのレストランには客はおらず、帰る頃になって華やかな装いの客が集まってきた。
0時、爆竹の轟音と共にホテルの吹き抜けに風船が舞った。
このときは2人。ブリュッセルには1999年の秋と、2006年の春にも行った。この時は4人だった。
1988年は、2日、3日、10日、15日と立て続けに国立競技場へ行った。何度か徹夜で席取りをした覚えがある。
3日のライスボウルでは、ファッション雑誌に写真を撮られて緑のダウンジャケットと赤いスタジアムジャンパーのスナップ写真が誌面に掲載された。
そこまでは記憶がある。それ以前、とくに1984年より前、どんな風に正月を過ごしていたのか、まったく記憶がない。
1981年の正月はどうしていたか。思い出したいのに、何一つ思い出せない。知らないうちに記憶に蓋をしている。この蓋を取ることはできるか。
それが、今年の課題。
さくいん:ブリュッセル
写真は、根津美術館の竹垣。
+1の休日に初買い
家族は始動した。私の会社は明日が初日。一人で+1の休日をくつろいでいる。
NHKのドラマ『富士ファミリー』を見てから「ウィーン・フィル、ニューイヤー・コンサート」を聴く。
最近、薬師丸ひろ子に惹かれる。去年はドラマも見て、音楽も買った。演技もさることながら、エンディングで歌ったユーミンのカバー「A HAPPY NEW NEW」もよかった。
誰かに必要とされるとき、「死んでしまうかもしれない」と思い込む呪いは解ける
誰かの世話になることにも、生きる意味がある。それは誰かにとって「誰かに必要とされるとき」をつくっているから。すなわち、生きていることはそれだけで意味がある
『富士ファミリー』はそう教えてくれる。その通り、と思う一方で、まだ納得できない自分もいる。
駅まで歩いて、本を四冊、買った。『この世界の片隅に』(上中下)、『行人』。
頼りない野党
二重国籍だからスパイとは限らない。理由は何であれ、国籍は一つでも外国のスパイになる人はいる。二重国籍の放置は、「スパイではないか」という批判すら想定しなかった凡ミス。
自らの疑惑に支持者にも納得する説明もできず、与党への批判が「嘘つき」しかないところをみると、いまの野党党首は密かに敵に塩を送る与党の間者ではないかと疑う。
テロを擁護するつもりは毛頭ないけれど、一部で内戦が続き、難民も多数出ている国の首都で、居留外国人が豪勢なパーティーを開いていれば、怒りを覚える人がいたとしてもおかしくはない。
翻って日本ではどうか。沖縄では基地の新設(一つ廃止とセットで)と新兵器の事故のために緊迫した状態が続いている。東北や熊本のように瞬間の出来事で被災したわけではないけど、被災状態が継続している点では同じ。
沖縄でかつてのIRAのように中央政府を襲撃しようとする武装集団が生まれないのは、世界政治における被害と逆襲の因果関係を見ると、むしろ奇跡と言える。
沖縄の人たちはなお言葉による交渉としての民主主義を信じているのだろう。
格付けチェックとスポーツ王
『芸能人格付けチェック』。高級品と安物を見極めるバラエティ番組。出演者と司会の浜田雅功のやりとりが面白いので毎年見ているけれども、毎年、同じ盆栽が出ているのに間違える人がいるのを見ると、やっぱり台本があるのかと溜息が出る。
せめて項目は変えてほしい。音楽や料理は毎年、内容が変わっていて面白い。
こんなことでは、番組じたいが「映す価値なし」になる。
スポーツ選手がとんねるずと対決する『とんねるずのスポーツ王は俺だ』も毎年見る。
卓球は恒例となっているけれど、これまでは卓球選手以外も登場して、半分真剣勝負のゴルフやテニス、野球に比べると「お遊び」の域を出なかった。
今年は昨年のリオ五輪の余勢で初めて卓球選手だけが出演した。
とんねるずと卓球選手だけで一つの番組が成立することに感動せずにいられなかった。本気モードのプレイを見せる場面もあり、「お遊び」以上のコーナーになっていた。
福原愛は16歳から12年間連続して出演してきたという。つまり、アイドルと選手を12年間、両立してきたということ。これはすごいことではないか。
しばらく競技からもバラエティ番組からも離れて暮らしてもバチは当たらないだろう。
リオ五輪でメダルを獲得し、今ではメディアに引っ張りだこの水谷隼がバラエティ番組出演に緊張しながら喜んでいる。同じ時間のインタビューされても、放映されるのは女子だけだったとこれまでの悔しさを語る。
卓球男子といえば水谷。そう思っていたファンにすれば、ようやく男子も脚光を浴びて水谷と吉村と同じようにうれしい。
さくいん:福原愛
川瀬巴水展 - 美しき日本の原風景と旅情を描いた、版画家がいた。、立川髙島屋、東京都立川市
今年最初の美術展。本展は川瀬巴水展(大田区郷土博物館)で知った。
狭い会場に141点も並び少々窮屈。作品集の表紙にも使われている「馬込の月」や絶筆となった「中尊寺金色堂」など、有名作品はほとんどある。
巴水は全国を旅して各地の景色を作品に残している。自分が知っている場所や、住んでいた場所も題材になっていてうれしい。
変わったところでは、米国首都の桜を描いた「華盛頓記念塔(ポトマック河畔)」や雪景色の日本庭園をサンタクロースが歩いている外国向けカレンダー向けに描かれた作品もある(「雪庭のサンタクロース」)。
川瀬自身が版画制作を解説する映画が面白かった。彫師と摺師の仕事はとてもむずかしそう。彫師は絵師が描いた線の通りに木板を削り、摺師は小さな柿の実も全くずれることなく何色も重ねて刷り上げる。
一つの技を極めるだけでも大変なのに、絵は復刻とはいえ、三役をこなした立原位貫の職人技と情熱とには驚くほかない。
絵師ばかり有名になるが、彫師と摺師の技術が出来栄えを左右するのだから、展示でも表示してほしい。CDでも各楽器の担当者は表示されているし、映画でも制作に参加した人の名前が表示される。
巴水の作品は現代の摺師が刷った「後摺り」で5万円前後。巴水が生きていた頃に制作された「初摺り」は10万円程。美術品としてはけっして高くはない。でも、今日は決断できなかった。
展覧会というより、展示会と言った方がいい殺風景な会場の雰囲気のせいもある。
大きな買い物は、買ったことが思い出になるような場所でしたい。
川瀬巴水は日本中を旅した。影絵作家、藤城清治も90歳になってなお旅をして、気に入った場所でたくさん素描を描いている。
藤城清治の大型本は印刷博物館で開かれていたブックデザイン賞の展示で見た。
年齢を重ねるごとにますます壮大で、なおかつ細部は緻密になっている。
壮大で緻密という表現はどの作品についても言えるが、なかでも数え切れない千羽鶴が舞う原爆ドームには荘厳な雰囲気が加わっている。
さくいん:川瀬巴水、藤城清治
今年、行きたい展覧会を考えるために、年末に情報誌を買っておいた。
年始に「今年、行きたい展覧会」というハッシュタグがTwitterのTLに流れていたので雑誌から3件、挙げてみた。
この他にも、見たい展覧会やまだ行ったことがなく、ぜひ今年訪ねたい美術館がある。
- 超・日本刀入門〜名刀でわかる・名刀で知る〜、静嘉堂文庫美術館、1/21 - 3/20
- ミュシャ展、新国立美術館、3/5 - 6/5
- 茶碗の中の宇宙、国立近代美術館、3/14 - 5/21
- アドルフ・ヴェルフリ展、東京ステーションギャラリー、4/29 - 6/18
- 川村美術館、千葉県佐倉市 - マーク・ロスコ
- ホキ美術館、千葉県千葉市 - 超写実画、山本大貴
「行きたい展覧会」で挙げた三つの美術館・博物館は年に複数回行く、「行きつけの美術館」。ほかにもそういう美術館はある。
心が疲れたり、汚れたりしたときに、「心の洗濯」に行こうと思う。
『暮しの手帖』について
見ていなかった朝ドラ『とと姉ちゃん』を年末に総集編で見た。
モデルとなった大橋鎭子と花森安治の肉声や、初期の編集者のインタビューをまとめた短いドキュメンタリー番組も見た。
そこで気づいたのは、私の母はかなり『暮しの手帖』に傾倒していたということ。大阪万博へ行ったときは家族全員、手作りの洋服を着ていたし、ホットケーキも定番のおやつだったし、ジャーマンポテトを付け合わせにして夕飯になることもあった。
いつまでも二層式にこだわり、全自動洗濯機を買わずにいたのも、食器洗い機の性能を信じていなかったのも、『暮しの手帖』の影響を受けてのものだった。読者の投稿による短いエッセイ「すてきなあなたに」も愛読していた。
いまでは全自動洗濯機も使えば、食器洗い機も使っている。年をとったせいもあるし、製品の性能や使いやすさが満点ではないにしても、使いづらいものではなくなったおかげでもある。
70年代後半に、自動車評論家の徳大寺有恒は、日本車の乗り心地の悪さや使い勝手の悪さを徹底的に批判した。その後彼の筆致は穏やかになった。日本車の性能も使い勝手も向上したから。
インターネット時代の現在、『暮しの手帖』が商品テストをしなくても、数え切れないユーザーがあらゆるものについて使用感を発信している。私も買い物をするときに、そうした一般人のブログや評価サイトの投稿を参考にすることが多い。
その意味では、『暮しの手帖』は一つの役割を終えて、商業雑誌としては厳しいときを迎えている。
写真は、一昨年の年末、江ノ島、サムエル・コッキング苑で見たチューリップ。
いきものがかり 放牧宣言
いきものがかりの活動休止。せめて受験の季節が終わってからにしてほしかった。
合唱コンクールで「YELL」歌った人たちも入学試験前に出鼻を挫かれた思いだろう。センター試験や入学試験を間近に控えた受験生たちにはショックが大き過ぎる。
「SAKURA」ではじめたのだから、もう少しだけ「SAKURA」の季節までがんばってほしかった。「大学に入ったらライブに行くんだ」と楽しみにしていたファンはモチベーションが下がってしまう︎。
とりあえず慰めてみるが効果なし。どうしてくれる、この落胆。
吉岡聖恵には、一日でも早くソロ曲を発表してほしい。
写真は西陽を浴びる横浜ランドマークタワー。
気分暗転、気分転換
「ほんの小さな出来事」(チューリップ「サボテンの花」)で気分が落ち込んでしまうことがある。時々というより、しばしばの頻度で。
最近では二度あった。
一度目は気分よく過ごした一日の終わり、いつもの通り、音楽をランダムに流しながら入浴。聴こえてきたのはBetsy & Chris「白い色は恋人の色」。作曲は加藤和彦、作詞は北山修。
加藤和彦は、旧友で、精神科医でもある北山修に診てもらおうとは思わなかったのか。ほかに相談できる相手はいなかったのだろうか。
ふと、感じた小さな疑問が静かな水面に小石が波紋を作るように、心をざわつかせた。
二度目は、先週の日曜日。バスケットボールの観戦にある都立高校へ行った。
その日は寒く、空は曇り。体育館のなかも水銀灯だけでは少し暗かった。加えて建物は古く、昭和に建てられたものに見えた。
相手チームの監督が選手に罵声を浴びせている。この雰囲気には覚えがある。
そう気づいた瞬間。動悸が激しくなり、その場にいるのが辛くなってきた。
思い出さない、思い出さない。何度も自分に言い聞かせ、目前の試合だけを見るようにした。
帰り道は無言。自分が出場していたわけではないし、罵声は自分に向けられたものではなかったのに、帰宅しても、重い疲労感が残った。
幸い、あとで気分転換することができた。大きめの鯵を買い、タタキにした。日本酒も和らいだ気持ちで酔うことができた。
楽しくなることをして気持ちを切り替える。一年の間受けたメンタル・トレーニングの成果と思いたい。
写真の月は月齢10.8。9日に撮影。公園のベンチにスマホを固定し、10倍望遠で撮影した。
あの世と障害
死後の世界について語る人のなかには、あの世には病気も障害もないと言う人がいる。
最近では、障害は個性で、病気はその人生に固有の物語ととらえる考え方が広まりつつある。
死後の世界がどんなものか、もちろん、私には知る由もない。
ただ、病気も障害もないと宣う輩の戯言は信じない。
写真は東洋文庫ミュージアム、モリソン書庫。
うつは個性か
昨日の続き。
手足が不自由、目や耳が不自由な身体障害は個性と言えるだろう。知的障害や発達障害も、最近では「障害」と呼ばない人も少なくない。
では、心が不自由なうつ病はどうか。
山の天候のように時々刻々と変化する気分につきあわされる周囲にとって、うつ患者は迷惑でしかない。本人も好きで気分を乱高下させているわけではない。感情が暴走しはじめると制御できなくなるのだから。
加賀乙彦は、夏目漱石はうつ病だったと推測した上で、芸術家の精神病は創造の源泉だから治療しない方がいいと言う。
では、芸術家ではない一般人にとって、うつは何なのか?
この言い方を、「労働者に創造性は不要」ととらえるのは曲解だろうか。
加賀乙彦は、小説『高山右近』といくつかのエッセイを読んだだけで多くは知らない。とはいえ、上のような考え方を持っている人という印象はない。上の言葉は雑誌のインタビュー記事。彼自身が書いた言葉ではない。聞き取りと構成に問題があったと思いたい。
餃子富士
昨日、今年初めて餃子を作った。月に一度の恒例行事。できるだけ最初の週末に作る。
今回は100個作るつもりで、豚ひき肉600gとニラ1束にキャベツ半個分を餡にした。
いざ餡を皮で包みはじめる時、Memoriesのプレイリストをシャッフルプレイしたら、最初にグレープ「19才」が聴こえてきた。
そのまま聴いていると、さだまさしとオフコースばかりが流れてきた。
やっぱり、そばにいるのかな。
いや、たぶん、気のせい。何の気配もしないし⋯⋯。クロウカードの気配すらしない。
Goods Press、徳間書店
こういう雑誌をまとめて図書館で借りてきては読んでいる。
雑誌も本も滅多に買わない。数ヶ月遅れでも図書館で借りる。
勤続1ヶ月
年末年始の休みを挟んで、暦の上では勤続1ヶ月。初めての給料も入金された。
始業時刻の30分前には出勤するようにしている。このままなら8時30分で出社で17時退社のフレックス勤務にできるかもしれない。
今週は初めて祝日がなく5日間続けて出勤した。思った以上に疲れた。
仕事はまだ大したことはしていない。ルーチン業務は任されておらず、資料やデータの整理をしている。
最近わかったこと。配属された部門は社内でも成長部門で、新規案件も続々に決まっている。目の前の仕事に皆追われている分、データの整理や分析はなおざりになっている。そこで即戦力を期待されていない私にお鉢が回ってきた。
一人で取り組む作業は嫌いではない。会議や交渉ごとにはまだ関わりたくない。
成長している部門で、扱っている製品はハイテク産業の最先端にも関係している。部署内は活気にあふれている。やりがいがある仕事に見える一方、忙しそうにしている社内の人たちを見ると、あの中に飛び込んでいきたいとは思わないし、できもしないだろう、と思う。
休職から復帰してうつ病を再発したり、自死してしまう人がいると聞いたことがある。わかる気がする。
思い通りに頭は回らないし、パソコンの作業も前のようにテキパキできない。こちらは知らなくても上席の人たちは「初めて精神の障害者枠で採用した人」と知っているので、ある意味、注目されている。「やっぱり病気で使えない人」と思われていないか、心配になる。
細く、長く、穏やかに働いていきたい。
写真は公園の小さな滝。
さくいん:労働
平野美宇、卓球 全日本選手権優勝
平野美宇の活躍には拍手を贈りたい。でも、若い選手が世界をまわり、毎週大会に出るような強行には異を唱えたい。
10代半ばからプロ並みにプレイすれば、20代半ばには満身創痍になることは福原愛を見てもわかる。
卓球、テニス、バドミントンなどのケットスポーツでは利き腕を酷使する。その結果、手首や肘の故障を起こしやすい。ケガが重なると二十代後半で第一線を退かなければならなる。
目の前のメダルに躍起になるよりも、イチローやカズのように息長くファンを魅了する選手に育ってほしい。
写真は、公園で見上げた樹。名前をメモしたつもりができてなかったらしい。次回、立ち寄ったときに見てみる。
さくいん:福原愛
書けない
一日中、オフィスにいて、ほとんどの時間をパソコンでの作業に充てている。
そのせいで、家に帰ってからパソコンを開けて文章を書く気になれない。
この文章も1月29日、日曜日に書いている。
それでも、会社のパソコンを持ち帰って仕事をすることもなくなったし、帰宅してから仕事の電話がかかってくることもなくなった。
それだけでも、ストレスはだいぶ減っている。
文章は、電車のなかでメモ書きして、こうして週末に書けばいい。
通勤電車
再就職して約一ヶ月。バス停まで自転車に乗り、電車を二本乗り継いでいる。
ようやく下車駅の階段もしくはエスカレータ位置に止まる扉位置を会得した。
19時帰宅、22時就寝、5時半起床、7時出発。
いまの気持ちを少し気取って森有正を真似て書くとこうなる。
この規則正しい生活を、どこまでも継続しなければならない。できるだろうか。
しかし、やらなければならない。
こんな軽口を叩けるのは、調子がいい証拠か。
さくいん:森有正
冬のセール
2年前まで営業職をしていたのでスーツは必需品だった。元々「きちんとした格好」が好きで、仕事モードに気持ちも切り替えられるスーツも好きだった。
ところが、今度の仕事は内勤。しかもオフィスでは暖房がよく効いていて、上着を着ている人はほとんどいない。こうなるとスーツの出番は減る一方。
スーツ以外の仕事着はほとんど持っていない。そこで、臨時収入が入ったこともあり、仕事着を買い足すことにした。
買ったのはベルト、シャツ、パンツの三点。「川瀬巴水展」を見たあと百貨店にある、いつも買う馴染みの店で買った。
型の変わらないブランドのはずが、買ったパンツは細身で、いわゆるテーパードのデザイン。戸惑ったが、少しは若々しく見えるかと喜んだ。
黒革のベルトは何年使っていたか、わからないほど、ボロボロになっていた。ようやく新品に代替できた。
シャツは、白のボタンダウン。一時期、ダブルカフスのシャツをよく買っていた。カフリンクスはスーツの袖からチラッと見えるくらいがお洒落。
スーツを着る機会が減ったので、普通の袖のシャツを買い足した。
会社ではスーツを着ている人も少ないので、ネクタイをしている人もほとんどいない。押されて私もしなくなった。ネクタイ専門ブランドは苦労しているだろう。
写真は、説明するまでもなく言わずと知れた、東京タワー。
絶望と回復
些細なことで全てが悪い方向に転がりはじめたようで、一昨日と昨日は夕飯も食べずに寝た。
このまま大雪が積もる北海道へ逃避行しようとすら思った。
見渡してみると、それらの出来事を重大事にとらえていたのは自分だけと気づく。誰も気にとめてない。
他人は自分が意識するほど自分を意識していないという。その通り。
二晩も苦しんだのが阿呆らしい。
金曜日の昼ごろになって、風向きが変わった。つまらないことにこだわっているような気がしてきた。
金曜日は家族と夕飯を食べることができた。
今日は、通院しているS医院で今週の出来事を伝えた。
働きはじめたばかりだから身体の疲れも蓄積している。そういう時期に不安が増すのは仕方ない。
今回は自力で気分転換できた。それは大きな進歩で、同じような不安でも前の会社にいたときとは違う。強くなったと褒めたい。
世の中に出れば、落ち込むような出来事もあれば、何もなくても不安に襲われることもある。それは避けられない。
今回、自力で気分転換できたことに自信をもってほしい。休養とメンタル・トレーニングに意味があった。落ち込んでも、立ち直れると信じて耐えること、今ならそれはできる。
今日は早起きをした。S医院へ行く前に歯医者に行った。図書館にも行き 夏目漱石の全集を数冊借りてきた。夕方には久しぶりにハンバーグを作った。ジャガイモを蒸かし、ニンジンも煮た。
評判は悪くなかった。
こんな週末は楽しい。
さくいん:S先生、夏目漱石
写真は逆光の樹木。