硝子の林檎の樹の下で 烏兎の庭 第四部
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2012年4月


4/7/2012/SAT

気がつくと3月も終わり。会社の2011年度も終わり、いまの会社で働きはじめて3年間が過ぎた。ようやく勤続3年。サラリーマン生活は15年しかないのに、これまでに働いた会社は7つ。なかには1年で辞めたり、2年で解雇された会社もあったので、勤続3年でも、これまでで三番めの長さ。

3月の給与明細を見て少し昇給していることを知った。整理解雇されたあと、あわてて飛び込んだ会社。何とか続いて、それなりの評価もされている。朝刊で大手企業が全社員の給与カットを労組に提案しているという記事を読んでいたこともあり、自分は運がいい、恵まれていると思いかえした。

給料カットも経験したことがある。10%の給与カットは入社3ヶ月後から6年後に会社が倒産するまで続いた。後半はボーナスもまったく出なくなった。そのせいで、6年間働いても、年収は元々契約した年棒の9割のままだった。

給料が上がることはうれしい。反面、業績が悪化したとき解雇されるリスクも高める。私が働いている米国資本の小さな企業のような場合、短期的な成果を株主から期待されている。だから、成長しているときにはどんどん社員を増やし、設備にも投資する。かと思えば、業績が傾きはじめるとあっさり人を斬る。そのとき、報酬の高い者が標的になりやすい。

しばらく前のトラブルは何とか収束の見込みがたった。一難去ってまた一難。次の難題がふりかかってきた。桜は咲いて、三寒四温となっても、まだしばらく首筋の涼しい日が続きそう。


今度の会社には、どれくらいいられるだろうか。あと2年か、せいぜい4年、10年はないだろう。4年いることができれば恩の字というもの。この業界では中小企業が10年以上独立し、生き残ることはとても難しい。ほとんどの経営者はある程度成長したところで見切りをつけて、大企業に売りつける。むしろ単独で生き残るよりも、企業価値が高いうちに売り抜けることが「成功」パターンの主流となっている。

その場合、日本法人はどうなるか。相手企業もたいてい既に日本法人をもっている、しかも十分すぎる人員も。形式上、移籍させたうえで、体よくお払い箱になるのが落ち。ただ、そのときの条件によってはこれまた「成功」と言える結末となる。

今はまだ来年、いや、次の四半期すらどうなるか、わからない。この業界での時間の進み方は“dog year”と前から言われている。つまり、3ヶ月でほかの業界の1年分くらい、時が進む。情勢が変わり、事態はめまぐるしく転変する。

私が働いている業種は、この先20年のあいだに日本の国内からすっかりなくなっているのではないか。この10年間の産業構造の変化を観察するとそう思わざるを得ない。なくならないにしても減ることは間違いなく、増えることはないだろう。


4/14/2012/SAT

ナラエビ医療学講座―物語と科学の統合を目指して、斎藤清二、北大路書房、2011

「ナラエビ」とは、narativeとevidence、すなわち、語りと証拠のこと。著者自身のTwitterで知った

医師という職業はたいへんな仕事だと病院へ行くたびに思う。知識と技能ーースキルと言ってもいいーーその両者に長けてなければならないのだから。さらに著者の主張に従えば、目の前にいる患者一人の症状や、その症状に対する患者の不安をよく理解する観察力やコミュニケーションの能力も必要。そのうえで目の前の患者一人に最適で、患者自身が納得する治療を提案して実施する。そこまでできる医者はけっして多くないだろう。

興味深いことは、ナラティブとエビデンスとでは後者のほうがより重要という指摘。深い知識があってはじめて患者とのコミュニケーションに活かされる。医師のコミュニケーションは、その点でいわゆるスピリチュアル・カウンセリングとは決定的に異なる。


最初にかかっていた診療所は、ナラティブを欠いた典型的な場所だった。この診療所はネットで見つけた。「よく眠れてるか」としか問わず「はい」と返せばそれで終わり、「眠れてない」と返せば「では薬を増やします」。

薬は診療所内で袋詰めされた白い粉薬で、名前も効用も、副作用も説明されることはなかった。

通うたび病状が改善するどころか、不信感が増していった。その後、人づてに別の病院を紹介された。どうせどこでも同じようなものだろうと転院には消極的だった。

期待しないまま行ってみると、初診でS医師から自分の生活史から家族史まで詳しく訊かれた。そこで私は、自分を憂鬱にしたり不安に陥れたりする根本的な原因と私が思い込んでいることについて話した。これまで誰にも秘密にしていたことも思い切って話してみた。そのことについて、医師、S先生は特別な反応を即座に示すことはなかった。その後も繰り返し、「ずっと前のこともずっと先のことも考えすぎないように」と助言されている。

私は、何もかも、すべての原因は過去のある一点にあると信じ込んでいた。S先生は、前のめりになる私に対し、まず目先の症状を改善することからはじめようと提案した。そう言われて、私はすこし落ち着きを取り戻した。とはいえ、過去の問題とはいつか正面から向かい合わなければならないとずっと思っている

それを治療というのか、過去との和解というのか、あるいはもっと文学的に「過去を葬る」というのか、いまの私にはわからない。急いていはいけない、ということもわかっているつもり。ただ、一度歯車が狂いだすと、思考のすべてがそこへ遡っていくことはどうにも止められない

特別な助言はもらえなかったものの、胸につかえていたものを吐き出すことができて、少し気が楽になった。S先生は生活習慣や薬の効果と副作用についても詳しく説明してくれる。質問にもていねいに答えてくれる。それから、もう4年くらい同じ病院に通院している。回復しているのかどうかはわからない。ただ、前の診療所に行っていた頃よりは困ったときに頼れる場所があると思えるだけ、安心感が違う。


「プラセボ効果」という言葉を聞いたことがある。何の効果もない錠剤でも「効果」があると諭されて飲むと病状が改善する。もとは新薬の効能を確認するための試験に使われる手法。

何でもないものでも信じて、あるいは信じ込まされて服用したとき何らかの効用があるというのであれば、「納得」し、つまり十分なナラティブ医療の上でもともと効用のある薬を「信頼」した医師の処方で服用したとき、何も知らずに、あるいは「納得」せずに服用した場合より効果があるのではないか。体験的にはそう実感している。


4/28/2012/SAT

4月24日にTwitterに書き込んだ言葉

教訓とは繰り返すことができることに適用できる言葉。繰り返すことのできないことから教訓は生まれない。つまり、「悲劇の教訓」という用法は間違っている。言い換えれば、他人の不幸から学んではいけない、ということ。技術や経営の失敗を教訓にする、そこから学ぶ、ということはあるだろう。

書いた中身はしばらく前に書いたことの繰り返し。

なぜ、こんな安っぽい箴言めいたことをつぶやいたのか、まだ一週間と経っていないのに思い出せない。

大震災から一年を経てなお、「他人の不幸から学ぶ」ような非礼な発言をあちこちで見聞きしているせいかもしれない。

“Compassion”という言葉を、18世紀のヨーロッパルソー政治思想の概念として使った。それは一方的な、上から、あるいは遠方から傍観する「同情」「憐れみ」「憐憫」とは違う。この言葉を最初に「共苦」と訳したのは『ルソー研究』『ルソー論集』で桑原武夫とともに戦後日本でのルソー研究を開拓した、いわゆる京大グループのなかで、とりわけルソーの政治思想に注目した樋口謹一ではなかったか。

確かに災害から「教訓」にすべきことはすくなくない。しかし、政策や運営の失敗に学ぶことと他人の不幸に寄り添う気持ちは同じではないはず。今回の震災では、原発事故という政治と科学と経済が複雑に入り組んだ二次災害が発生したため余計に「教訓」と「同情」が混同されてしまい、「共苦」という形では現れにくくなっているように感じる。


4/30/2012/SAT

先週、健康診断があった。幸い、体重は4Kg減、腹囲もメタボリック症候群の判定ぎりぎりまで落ちた。去年は体重、腹囲、肝機能すべて史上最悪値だった。意識的に運動をしたわけではない。おそらく少し酒量が減った分の効果だろう。肝機能のわかる血液検査の結果はこれから。

今日は昼寝から起きたあと2時間ほど、住宅地をぶらぶら散歩した。ようやく冬眠から覚めたか。早足ではなかったから距離にすれば6Km程度だろうか。心地よい疲労感を久しぶりに味わった。


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uto_midoriXyahoo.co.jp