3/19/2011/SAT
大震災から一週間
大震災から一週間。この文章は金曜の夕方、関西から首都圏へ帰る新幹線の車中で書きはじめている。貯めていたポイントのおかげでグリーン車でくつろいでいる。木曜の夕方に関西へ移動して一泊、金曜の午前いっぱい関西で予定通りの仕事をした。これから、横浜の郊外に住んでいる両親の様子を見にいく。
火曜の夜、静岡東部を震源にしたすこし強い地震があったとき、この出張のあと、もう帰ることはできないかもしれないと不安になった。週の初めは、韓国から来日することをためらっている本社の幹部を笑っていたのに、いまでは遠くに帰ることができる人がうらやましい。
ニュースを見ても、いろいろなウェブサイトを見ても、安心できるわけではないし、また被災者たちが報道されている以上に過酷な状況に置かれていることも想像に余りある。
この一週間、自分が無事に帰宅することで精一杯で、とても文章を書くような気持ちにはなれなかった。でも、友人たちのウェブサイトを読んで彼らの無事を確認するとともに書くことを促されている気がする。同時に、いくつかのウェブサイトを見ているうちに、ネット上での議論に違和感を感じはじめ、何か書いておかなければいけないという気持ちになりはじめてもいる。
書こうとしていることは、2003年3月、アメリカ合衆国がイラクへ攻撃を開始したときに書いたことと同じ。一方では、 「非常時」にそのこと以外について発言することを非難し、もう一方は、そういう時こそ「日常」を語る必要性があると訴える。
何度も繰り返される似たような議論。私は、どちらにも違和感が残る。一言でいえば、目前で起きていることだけに態度表明を迫る姿勢の不可解。
確かにいま、危機的な状況がある。多くの人が不幸のどん底に置かれている。それはわかっている。しかし、前に書いたことをもう一度書く。先週の金曜日の前に、世界は幸福だっただろうか。世界中が幸福だった瞬間など、人間の世界が始まってからこれまでに一秒もなかったのではないか。不幸は以前から世界中にあふれていた。知らなかっただけ。いや、知っていながら、見て見ぬふりをしていただけではないのか。
ずっと前から欠かさず見ているテレビ番組『世界まる見え特捜テレビ』。この番組のなかだけでも、極度の貧困と無政府状態にあえぐソマリアの人々、先進国ではとっくに退役した旧式の飛行機だけを物資のパイプラインにしている南米の奥地、驚くほど低賃金で危険な火山火口で硫黄を採取する人々、そういう状況を見たことがある。
日本の国内だけでさえ、毎年3万人以上の人が自ら命を絶っていると言われている、しかもこの数年、ずっと。残された遺族は、家族を失った悲しみだけではなく、経済的な困窮に追い込まれている人も少なくはない。彼らへの支援は十分だろうか。
どちらがより不幸かという比較をしたいわけではない。ただ、いま自分の目の前に見えている不幸だけが、突然、現れたかのように発言する人たちに苛立ちを抑えられないだけ。
日本語で発信しているからといって「日本人」だけが読むわけではない。日本に住んでいる人しか読めないというものでもない。ましてや東日本と首都圏の人々に向けてだけ発信されているわけではない。ウェブに書く、ということは、自分がいる地域だけに印刷されて配布されるミニコミとは根本的に意味が違う。
もっとも、私の書いている文章を読む人の数はそれほど多くはない、それはわかっている。とはいえ、その人たちが世界のどこにいて、いま、どんな状況にいるのか、私にはわからない。理論的には、インターネットにアクセスできるかぎり、世界中の誰でも私のサイトを閲覧することはできるのだから。
余談。あるブログで、「政府の人がこれを読んだら連絡がほしい、提案がある」という主旨の文章を見かけた。これほど傲慢な文章もない。感情にまかせて書いてしまおう。「自分を何様と思っているのだろう」。「知識人」を自称する人の馬脚はそれこそこういう「非常時」に露わになる。
被害者の数や経済が受ける打撃に基づいて発言する人もいるだろう。そういう言葉も必要であるには違いない。ただし、数や金額で語られる言葉は、政治や経済や財政の言葉であって、思想の言葉ではない。思想は、名前を持つ一人一人の人間の立場から発せられるものでなければならない。いや、でなければならない、などと言うまでもなく、名前を持たない言葉は思想になりえない。
できることはしたほうがいいにきまってる。影響のある地域では節電はしたほうがいいだろう、買いだめも冷静になったほうがいいだろう。でも、それ以上何ができるのだろう。私も、自分にできると思ったことはしている。
しかし、できることとは何だろうか。いくら募金すればできることをしたことになるのか、収入の何割を募金すれば援助といえるのか。自分の意志の外で金額を決められたら、その時点ですでに募金ではなく、税だろう。自分にできることを自分の意志――倫理観といってもいい――に従って行う。アフリカのことが心配な人はアフリカにむけてできることをする。東北地方をまず身近に感じる人は、その被災に対してできることをする。自分が問題と思うことに対し自分でできると思うことをする。自由主義世界に暮らすとはそういうことではないか。
私たち一人一人はできることしかできない。それは諦めではない。思い上がりを戒めたいだけ。この期に及んで政治家は精神論ばかりを唱え、思想家を騙る輩が知ったかぶりの政策論を語る。嘆かわしいとしか言いようがない。
生きる、生きている、ということは、常に誰かを押しのけていることではないだろうか。「原罪」という言葉を、私はそうとらえている。生き残るということは、さらに重い十字架を背負うことを意味する。
私は何か確信があってこう書いているわけではない。どうしたらいいかわからないし、どう思ったらいいのかもわからない。私の今の気持ちは、Todd Rundgeren,“Sometimes I Don't Know What to Feel”そのまま。
Todd Rundgenを教えてくれた友人が毎日書き続けているブログに励まされ、なんとか胸の底でもやもやしていることを書いてみた。
さくいん:トッド・ラングレン
uto_midoriXyahoo.co.jp