硝子の林檎の樹の下で 烏兎の庭 第四部
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2013年3月


3/1/2013/SAT

東京オリンピックについて

原発事故が「収束」していない場所から200Km圏内でオリンピック開催することに賛同する人がたくさんいるとは思えない。オリンピックを開催して観客を招いている場合ではないだろう。

使える金があるなら、なぜ誘致より復興に使わないのか。

宣伝を強制されているスポーツ選手が気の毒。思想信条の自由を侵す、ひどい人権侵害ではないか。


3/2/2013/SAT

梅を見に行く

いろいろなことに区切りがついたので仕事を休み、懐かしい場所へ来てみた。白梅は満開、紅梅は蕾をふくらませていた。

区切りの一つは勤続4年。社会人になってから7社で働いてきた私にとっては、4年間は2番目に長い。一番長かったのは6年間。でも、その会社は途中で倒産しそうになり、することもなく終わりを待つだけの時間が長かった。

だから、きちんと働いたのは今いる会社が一番長い。中学や高校よりも長いのだから、十分に長いと思う。

思い返せば、十代の頃からこの場所に2年間通っていた20代の半ばまで、私は高慢で、知ったかぶりやで、自信過剰だった。

過剰な自信に根拠は何もなかった。ただ、高校と大学の受験で失敗しなかったので十代のあいだ進路について挫折感をもたなかったことは一つの理由だったと思う。


今週は都立高校入試の合格発表があった。谷山浩子「うさぎ」(『空飛ぶ日曜日』、ポニーキャニオン、1991)に出てくるような、泣きはらした赤い眼をした女の子を何人か電車で見かけた。公立指向が強くなったせいで倍率は例年よりも高かった。絶対に大丈夫と言われていた生徒でも、当日の調子で不合格になってしまった人もきっと少なくない。

人生は長い。15歳の試験で人生のすべてが決まるわけではない。でも、人生で初めての大きな分岐点で、努力したにも関わらず、不本意な結果に終わった失望感は本人にとっては相当強いに違いない。

そんな人を慰める言葉は、自分の体験もないので、何も思いつかない。「よくがんばった」「人生、先は長い」。そういう言葉も体験の裏付けのない私が口にすればかえって気を悪くするだろう。黙っているしかない。


20代半ば、この場所で、私はいくつも挫折をした。それまでもっていた自信はすべて粉砕された。The Boom「風になりたい」の「何ひとついいことなかったこの街で」という言葉を聴くと、いつでもこの頃のことを思い出す。堀内孝雄「遠くで汽笛を聞きながら」を聴くときも同じ。

この場所を去り、仕事に就いた。それ以来、15年間、会社は変わりながらも同じ業界で営業職を続けている。社会人になってから東京以外で暮らしたことがない。見方によっては、大企業で違う事業部への転属や海外への転勤を経験した人に比べて、過ぎてきた世界は広いとは言えない。

営業職はお願いすることと謝ることが多い。おかげで尊大な態度をとることは少なくなった、と思う。周りの人はそうは思っていないかもしれない。今度は、それまでの反動なのか、性格が卑屈になった。

自分が好きになれる自分、というものに、まだ出会えていない。自己肯定感が低いことはずっと変わらない。


さくいん:谷山浩子


3/3/2013/SUN

百年の愚行 ONE HUNDRED YEARS OF IDIOCY、池澤夏樹、Abbas Kiarostami、Freeman J. Dysonほか編著、Think the Earthプロジェクト、2002

百年の愚行

写真という技術は人間の残酷さも記録に残す。眼を背けたくなるような写真が少なくない。しかし、これは「破壊と愚行の世紀」の一部分でしかない。

想像力を膨らませることが怖くなる一冊。


3/13/2013/WED

死を受け入れること

NEJM最新号に驚愕の研究結果。心肺蘇生時に患者さん家族を同席させるか否かのランダム化比較試験。心的外傷後ストレス障害の発症率は、心肺蘇生を「目撃しなかった」家族の方が有意に高かったそうです。ちなみに蘇生の転帰は同等でした。NEJM 2013;368:1008

上記のツィートのあとにつぶやいたこと。

親しい人を失ったときには、小さな子どもでも遺体を見たほうが"Grief Work"悲嘆ましくは喪の過程)は自然に進むと聞いたことがある。それは、傷ついた遺体についても言えることだろうか? 美しい記憶を留めておくことと死の事実を受け入れること。RT元に従えばこの二つは相反するものではないが……。

遺体を見ないままでは死の事実を心身の全体で受け止めることができない、と言えるのかもしれない。そのとき、「死」は耳から伝わる情報でしかない。そういう人は「死」ではなく、例えば「家出」のように思い込んでしまう。しばしば何事もなかったように「帰宅」する夢をみる。

あるいは、「長いあいだ留守にしてごめん」と軽く詫びながら帰ってくる夢も見る。こうした現象は死者の蘇り、すなわち「復活」とは似て非なるもの。なぜなら、この場合、一度は死んだ者が復活するのではなく、そもそも親しい者が「本当に」死んだことを認めていないに過ぎないから。

戦死の通知、冒険中の遭難、それから大規模な災害被害でも、遺体を見ることなく「死」を受け入れなければならないことがある。情報としてではなく全身で受け入れることはやさしくはないだろう。遺族がいつまでも遺体や遺骨を求めて旅するのは「死」をきちんと受け止めたいという欲求に基づいている。ただし、遺骨探索は日本軍の遺族に特有と聞いたこともある。

このあと、何か書き足さなければ終わらない。でも、この断章に終止符を打つ手がかりをいまの私は持ち合わせていない。


さくいん:悲嘆


3/16/2013/SAT

つくられた放射線「安全」論——科学が道を踏みはずすとき、島薗進、河出書房新社、2013

Twitterで断片的で次々に送られてきたものを読んでいたときにはよくわからなかった著者の主張がひとまとまりになり、よくわかった。

わからないのは、「安全・安心」論をふりまわしてきた研究者や専門家、医師たちのほんとうの気持ち。

彼らは心の底から「安全」と思い、低線被爆は健康に問題なしと主張しているのか。それとも、真実は違うと思いながらも、皆をパニックに陥れてはいけないという「善意」に基づいて主張しているのか。あるいは、自分の立場と組織さえ守ることができれば、何万人の人がどうなろうとそれこそ「問題ない」と思っているのか。

見えている結果は同じ。それでも、やはり彼らの本心を知りたい。


さくいん:島薗進


3/23/2013/SAT

平和の政治思想史、千葉眞編著、おうふう、2009

アブラハムの生涯、森有正、日本基督教団出版局、1980

カントの『永久平和のために』が近代の平和思想の出発点であることに異論はない。

しかし、純粋な哲学を専門にしていたカントにとって、政治の理論や制度、国際法を論じた「平和論」は彼の仕事のなかではむしろ異色だった。実際、『永久平和のために』は目前で起きている戦争の早期解決を促すために、広く読まれることを期待した冊子であり、専門的な論文ではない。

カント以降の「平和思想」は、『永久平和論』を起点に、戦争の総力化と対応するように、制度論を中心に発展してきた。そうした議論からさまざまな国際法から国際不戦条約、さらに国際連盟や国際連合が生まれた。それは平和思想史の成果と言っていい。

私としては、制度論の重要性は否定しないが、平和思想を進める両輪のもう一方として「平和な心をもつ人間」、さらに積極的に「平和を創る人間」を考える人間論的な平和思想も、もっと議論されていいと思う。

そのように考えるのは、戦争とは単に国家政策の延長上にあるものではなく、人間の本性にある暴力性の延長上にあると私は考えているから。

同時に、平和は戦争を起こさない制度によって作られるものではなく、平和を築く人々によって創られるものとの信じているから


森有正は『アブラハムの生涯』の中で、平和の概念について言及している。

   つまり平和というのは、一人一人の人が自分の責任を感ずること、これが平和の一番最後の根底です。人が自分のことで何かやってくれる責任があると思って、人を責めている、お互いに責め合って、しまいには戦争になってしまう。けれども一人一人が自分の責任を自分で感じるということが徹底したとき、それが一番平和の大きな基礎になるわけです。たとえ戦争が起ころうとも、たとえ何が起ころうとも、その基礎の平和のほうがもっと強い。それがなければ、どんな戦争がなくとも、この前の戦争から二五年たって、あちこちに局地的な戦争はたくさんありますけれども、だんだん鎮静してくる、だから平和だ、とは言えない。社会的には、また政治的にはそれでいいかもしれませんが、それ以上特に高いに精神的なことを私どもは望むことはできません。けれども私ども少なくとも聖書を読み、その中の深い意味を知ろうとする者にとって、本当の平和が何だということを、少なくとも私どもの根底においては、確実に知っていかなければならない。
(V 平和の王)

政策や法律の議論も必要であることはわかる。ただ、政治思想や人文系の専門家が「政治の世界」(©丸山眞男)に踏み込むと、向こうの土俵に連れ込まれ「政治化」した議論に巻き込まれることが往々にしてある。それが奴らの狙いでもあるから。


さくいん:千葉眞森有正丸山眞男


3/30/2013/SAT

寛解状態

先週末、今日の日付でこう書きはじめていた。

『烏兎の庭』はこれでおしまい。とりあえず、第四部はおしまい。次を書くかどうかはわかない。書いたとしても、公開するかどうかもわからない。Twitterもやめる。アプリもブックマークも消した。

ときどき不意に襲ってくる「何もかも嫌になる」気分。つい2週刊前、S医院で「とても調子がいいです。今年は2月も乗り切ることができ、万事快調です」と伝えたばかりなのに、何かの罰でもあたったのか、急に具合が悪くなり出した。感情を制御することができず、このままでは狂気が自分を破壊してしまうのではないかという不安がさらに不安を呼び、鬱々暗澹としていく

そうした異常な精神状態がふとした出来事で霧が晴れるように消えていった。


突然、崖から突き落とされるように憂鬱になったのはなぜだろう。その原因を探すこともほんとうは心身によくないことは知っている。それでも、つい考えてしまう。調子がよくなり、調子にのっていたのかもしれない。

アカウントは抹消せず、アプリとブックマークだけ消すという行為はある種の自傷行為と言えるだろう。今週は確かにそういう気分だった。

実際、S先生は興奮しすぎの私の話を聞いても、薬を減らしましょうとは言わなかった。大局的にみれば、回復したわけではないとわかっていたのだろう。


精神病に「完治」はないとしばらく前に先生に教えられた。再発する可能性がほとんどない状態を「寛解状態」というらしい。今の私はそこに近づいているにしてもまだ寛解状態には程遠い。「寛解状態」と書いてもらった藁半紙のメモは手帳にずっとはさんでいる。

今月はたくさん読んだ。しばらく読むことができなかった少し難しい本も読むことができた。何か感想を書き残したい、書き残さなければならない、そう思ううちに、読み終えた本の重みにまだ「寛解」ではない心はパンクしてしまった。少し落ち着いた今夜はそう思う。

感想を書けないでいる本の名前だけ、備忘録として書いておく。慌てることはない。しばらくしてもう少し落ち着いたら、感想が書けるかもしれない。


さくいん:S先生うつ『ザ・ベストテン』千葉眞


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uto_midoriXyahoo.co.jp