2016年10月
今月の本
- キリスト教思想への招待、田川建三、勁草書房、2004
- はじめてのマインドフルネス ――26枚の名画に学ぶ幸せに生きる方法(Méditer, jour aprês jour : 25 leçons pour vivre en pleine conscience, 2011)、Christophe André、坂田雪子監訳・繁松緑訳、紀伊國屋書店、2015
キリスト教に関する本をこれまでに何冊か読んできた。読んでいくうちに一つの疑問が湧いてきた。師を見捨てた使徒たちは、なぜ、師が復活したと感じ、見捨てたはずの師に赦され、さらに師の死によって救われたと感じることができたのか。
そして、彼らはその一連の出来事を「信じる」ことをどうして自信を持って宣べ伝えることができたのか。
見捨てたはずの人が蘇ってしまったら、恐ろしくて再会など、できないのではないか。
『キリスト教思想への招待』は前に一度、読んだことがある。評判が良いらしく、初版から10年以上経ているにもかかわらず、書店でも見かける。この疑問への答えを期待して再び手に取った。
「第三章 彼らは何から救われたのか」を再読した。期待していた答えは書かれていなかった。イエスを直接知っていた使徒たちは、確かに、復活という出来事で師を見捨てた後ろめたさを解消したかもしれない。
また、初期のキリスト教徒たちは献金を強制するユダヤ教から救われた、と田川は言いたいらしい。それは正しいかもしれない。でも、それだけでは『宗教批判をめぐる』でも書かれていた既成の宗教を批判するイデオロギー暴露にしかならない。
そもそも「救われる」とはどういうことか、私はわかっていない。自分が犯した悪事が帳消しになるということか。生きてきた意味を悟るということか。死後にも世界があり、そこでも安寧でいられるという教えを信じられることか。それとも、来世を保証されるということか。
私は自分自身について、「救いようのない」人間、「救われない」人間と思っている。
しばらくこの問題からは離れていた方がいいかもしれない。
「マインドフルネス」という言葉が流行している。通所している就労移行支援事業所で話題になり、トレーナーから入門書を借りた。書店で見かけたいくつかの本に比べれば、分かりやすい、良い本だった。
読み終えて、どこかで似たような話を読んだ気がした。
「もしや」と思い「マインドフルネス 西田幾多郎」で検索すると無数のヒット。何のことはない。考え方としては、昔からあるものだった。
「マインドフルネス」の流行は、欧米でときどき湧き上がるように起こる禅などの東洋思想のブームと変わらない。
気になるのは、今回の流行は、「企業の研修で使われている」という宣伝文句。
「マインドフルネス」が目指す所は生産性の向上だろうか。むしろ、それとは正反対のものではないか。
親しくなったトレーナーにその疑問を投げかけると、答えが返ってきた。
企業は<利益が出る>という名目がないと研修に取り入れない。入口は何であれ、多くの人が「マインドフルネス」を身につけて職場が快適になるならそれでいいんじゃない?
なるほど、Positive Thinkingとは、こういうことか。目から鱗の返答だった。
さくいん:西田幾多郎
今月の美術館と博物館
- 生誕百三十年記念 藤田嗣治展 東と西を結ぶ絵画、府中市美術館、東京都府中市
- 達成40年記念特別展 北極圏1万2千キロと妻への手紙、植村冒険館、東京都板橋区
- 特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」、東京国立博物館、東京都台東区
- 特集 ドレッサーの贈り物―明治にやってきた欧米のやきものとガラス、東京国立博物館、東京都台東区
- 中国陶磁器勉強会、根津美術館、東京都港区
- 1. 揺るぎない基礎的な技術力
- 初期の作品から素描はしっかりしている) - 2. 模倣も変奏も自由自在の展開力
- 有名な乳白色でない原色に近い色使いもするし、ゴッホ風の作品も残している - 3. その人しか持ち得ないスタイルを具現化する表現力
- 藤田が名を残したのは彼にしか描けないスタイルを持っていたから。
藤田嗣治の大回顧展。これまでに、子どもの特集は箱根のポーラ美術館で、猫の特集は伊勢丹新宿店で見たことがある。今回は、異文化のあいだで生きることと、独自の技法や表現方法を見出すために試行錯誤を続けた画家を生涯をたどる伝記的な展示。
巨大な三枚の戦争画ーー「アッツ島玉砕」「ソロモン海域に於ける米兵の末路」「サイパン島同胞臣節を全うす」ーーがならぶ壁の前で立ち止まった。明らかにこの三枚が放つオーラは他の作品と違う。国立近代美術館で藤田の全所蔵作品を見たとき、一面に三枚は並んではいなかった。
制作された時代から離れて見ると、藤田の戦争画は戦意高揚をするものでもなければ、玉砕賛美でもない。戦争とはこういうもの、という冷徹な観察を圧倒的な表現力で描く。
そして、「それでも戦うのか」、それとも「それなら戦わないのか」という態度表明を迫らんばかりに軟弱な鑑賞者の心を鷲掴みにする。
最近、英語ニュースを積極的に聴いている。シリアやアフガニスタン、エチオピア、中南米諸国などが異常な事態になっていることを知り、驚いている。今も、この作品と似たような景色が、世界のあちこちにあることに胸が痛む。
生涯を通じて制作した100を超える作品を見渡すと、主題から技法から実に多彩。広い展示室を歩きまわりながら、考えた。
優れた芸術家には三つの要素に欠けることがない。
植村冒険館に探していたバラー・イン・スポーツの受賞スピーチの全文はなかった。
このスピーチは、確か映画『植村直己物語』で一部が使われていた。そこで植村は、「極地を冒険する自分より、さまざまな出来事が起こる「日常」を生きている人こそ冒険家」という主旨のことを話していた。
正確な言葉をずっと探しているが、記念館にもないとなると、どうしたものか。
両親を誘ってトーハクへ。
特別展の十一面観音は思っていた以上に大きかった。ふだんは非公開であるおかげか、金色も鮮やかに残っている。
陶磁器も時間をかけてみた。今回は運よく企画展で英国人デザイナー、クリストファー・ドレッサーが19世紀末に寄贈した西欧陶磁器のコレクションを見ることができた。
最近は俄然、陶磁器にのめり込んでいる。
根津美術館へ行ったのは初めて。企画展は、「中国陶磁器勉強会」。恥ずかしいことに根津美術館は根津にあるものと思っていた。
古代の土器から曜変天目まで通史で名品が展示されていて、興味を持ちはじめた初心者にはお誂えの企画。
いくつか陶磁器の展覧会を見てきて惹かれるのはやはり青磁と青花。皇帝を象徴するという黄色もよかった。
さくいん:レナール・フジタ、東京国立博物館(トーハク)
今月の音楽
- Relax Guitar、佐藤正美、デラ、2006
- こおろぎ'73 スーパー・ベスト、コロムビア、2006
- Time for Us、トワ・エ・モワ、キング、2015
- 大地のうた、西村由紀江、ポニーキャニオン、1998
- Recoder × Recoder ~リコーダー・アンソロジー、山岡重治 & Les Cinq Sens、マイスター、2009
今月も、図書館でたくさんCDを借りた。
まだ聴き込んでいないので、第一印象が良かったアルバムを列挙しておく。
最近、ピアノのイージー・リスニングをよく借りている。毎晩、静かな曲を流して寝ている。
西村由紀江、岩代太郎、André Gagnon、George Winston、Liz Story⋯⋯。
聴いていてもピアニストの違いがわからない。雰囲気だけを楽しんでいるからだろう。