最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

小金井公園

2015年10月

10/3/2015/SAT

学校公開

高校の学校公開があったので出かけてみた。

基本的に来年冬、受験を検討している現中学三年生を対象にした行事で、親子連れ、父親と娘という組み合わせで来ている人も多く見かけた。午後には講堂で学校説明会もあったらしい。

本来ならお呼びでないところ、こっそり娘と息子の教室を覗いてみた。私の高校時代とまるで違って、楽しそうにしていたので安心した。


夕方、久しぶりにラジオ番組『パカパカ行進曲』を聴きながら、いつもの散歩コースを歩いた。

宮川賢は素人いじりがほんとうに上手い。ふつうの失敗談でも、彼がリスナーから聴きだすと、大笑いするバカ話になる。

笑ってスカッとしたのも、久しぶりだったかもしれない。


10/4/2015/SUN

昭和少年SF大図鑑 (らんぷの本)、 堀江あき子、河出書房新社、2009

『昭和少年』は、昭和20年から40年代に子ども向けの雑誌に描かれた「未来」を集めている。私の子ども時代はもうすこしあとで、昭和40年代後半から50年代になる。それでも、本書に掲載された「未来予想図」には懐かしさを感じる。

私の場合、雑誌ではなくて、主に図鑑で、これらの予想図、「未来のクルマ」「未来の飛行機」「未来の船」「未来の宇宙旅行」を見た。エアカー、ドーナツ型宇宙ステーション、ヒト型ロボット、月面基地などは、いわば定番で、21世紀には必ず実現されると思っていた。実現しているのは、ヒト型ロボット、ASIMOとPepperくらい。いや、描かれていた未来のうち、一つでも実現していることに、むしろ驚くべきだろう。


眺めていてすぐに気づくことは、原子力に対する手放しの期待。本書掲載の絵以外でも、鉄腕アトムのような有能なロボットは「超小型原子炉」が開発されたおかげで開発できた、という設定だった。『サンダーバード』には、原子力旅客機が登場していた。原子炉が空を飛ぶ、などという恐ろしい発想は、いまはもう誰もしない。

日本で原子力発電が始まったのは、1965年(茨城県、東海発電所)。現実世界でも原子力は「未来」の象徴だったのだろう。

原子爆弾による未曾有の被害を受けた国ならば、原子力は安全に使いこなせるはず、という安直な誤解はどこから生まれたのか。

それとも、一部の政治家と軍事産業が、将来の核兵器保有に備え、技術を蓄積しておくために原子力発電所を増やしてきたのだろうか。

表向き平和的利用の原子力発電も、事故が起きれば、ヒロシマとナガサキ以上の災害になることは、いまや明白。いい加減、無邪気な「未来」の夢から醒めなければ、現実世界では


一つ、面白いと思ったのは、三角形の飛行機型に砲塔をのせた「宇宙くちく艦」。昭和39年に小松崎茂が『少年サンデー』に描いている。

宇宙を進む乗り物は船と見立てて、砲塔がある。宇宙戦艦ヤマトのコンセプトが、1964年に絵になっていたことに驚いた。

小学校の図工の授業で、好きなものをなんでも描いていいと言われたときに、砲塔のついた飛行機やロケットのようなものをたくさん描いた。すると図工担当の女性教員はひとこと。

これは未来の戦争? こんなに沢山いらないわ、爆弾一個で終わりよ

10/6/2015/THU

練馬区立美術館、開館30周年記念:アルフレッド・シスレー展-印象派、空と水辺の風景画家-東京都練馬区

シスレーは、「真の印象派」「典型的な印象派」と呼ばれるらしい。風景画が多いことが理由の一つ。

今回の展覧会ではパリ郊外の風景画とともに、セーヌ川を描いた作品が多く集められている。

19世紀後半、技術革新により、川の流れを遅くすることができるようになり、水運が発達し、船遊びもできるようになった。この技術革新についての展示が詳しく、面白かった。この技術革新のおかげで船の上で絵を描いたり、船遊びを題材にした作品が描かれるようになったという。

広くても狭くても、川を眺めるのは好き

風景は遠景が多いけれど、どの風景にも小さく人が、それも複数のグループが描かれている。そのため、風景が寂しくならない


ちょうど夜に見たテレビ番組『所さんの笑ってコラえて』で、波のない川でしか使えなかった「艀」(はしけ)を、海でも使えるようにした技術者、山口琢磨氏が紹介されていた。

川の交通について展覧会で読んでいたので、山口氏の技術の革新性がよくわかった。


10/7/2015/THU

OUR DECADE (1979)、ゴダイゴ、Colombia、2008

11曲目、「The Sun Is Setting in the West」だけを購入。

この歌は、山田太一脚本のNHKテレビドラマ『男たちの旅路』シリーズ、第四部第3話「車輪の一歩」の主題歌。放映は、1979年秋。主な出演者は、鶴田浩二と斉藤とも子。

主題歌は、ドラマの最後に流れる。豪徳寺の駅前で、頼りなく小さな声を出す斉藤とも子が、少しずつ声を大きくしていく場面は忘れられない。

斉藤とも子は、ドラマ『ゆうひが丘の総理大臣』での優等生の役もよく覚えている。

このドラマは、いわゆる社会派であり、「障害者へのバリアフリー」の問題提起でもある。


でも、曲を聴きながら思い出すことは、「あの頃」の十代後半の女の子の髪型だったり、服装だったり。

そのあとは、図書館の除籍資料でもらってきた『おしゃれ少女図鑑 GIRL'S FASHION 1970-1988 SAPPORO-OKINAWA』(栗本信実、CBSソニー1987)を読み返したり。

私にとってこの本は、70年代を思い出させる「ミルクに浸したマドレーヌ」。

この本は、どういうわけかブクログで検索しても出てこない。


2017年7月27日追記。

車椅子の人が声をあげると助ける人が集まる。それは悪い社会ではない。

「積極的に迷惑をかけろ」という鶴田浩二の台詞は当時としては新しい発想だった。

車椅子の人が、他人の助けを借りずに、行きたいときにトイレに行けたり上の階に行ける方が、きっともっといい。


10/8/2015/THU

ミクロマン

『アントマン』というヒーローもの映画が公開されている。

ミクロマンで遊んだ者には、特別、新奇なものではない。

テレビアニメの記憶はないが、雑誌の漫画を読んでいた。『コロコロコミック』(小学館)と思っていたが、『テレビマガジン』(講談社)だったらしい。

近くにある古いおもちゃを集めている店でミクロマンを見つけた。私がもっていたタワー基地もある。透明な球体に人形が入る船も持っていた。これは風呂で遊んだ。

値段を聞いてみると、人形は、2,000円くらいから。タワー基地は一部壊れているものでも、12,000円から。

「また、来ます」とだけ伝えて、店を出た。

骨董趣味はお金がかかる。私には縁がなさそう。


10/9/2015/THU

重森三玲の庭園、水野克比古(写真)、重森三明(制作)、光村推古書院、2015

東福寺本坊 南庭

今年発行されたばかりの写真集。

大きな公園へ行ったり、寺や城の庭を見るのが好きで、高校生の頃には龍安寺や大徳寺に一人で旅をしたりしていた

最近では、2年前の秋、両親と3人で京都へ紅葉狩りに出かけ、真先に紅葉の名所でもあり、重森が作庭した庭もある東福寺を訪れた。

写真は、そのとき、南庭で撮った写真。写真集に同じ場所の写真がある。その作品にはまるで及ばない。庭の何を写そうとしているのか、まったく不明瞭。

著者が重森に訊ねた質問、「どのように写せば良いのでしょうか」に対する重森の返答。

庭は、鑑賞者が坐り、立つ位置から最も美しく見えるように作られているのだよ。

私の写真は、立ち位置と角度は本書の写真に近いが、広角レンズでないこともあり、この庭の広々した雰囲気が感じられない。

会社を辞めて、在職中は、ほぼ毎週、出張していた関西方面へ行くことがなくなった。いまは旅行に行く余裕もない、お金も心にも。庭を見たくなったら、本書を開くことにする。


10/13/2015/TUE

家族史の史料

連休は、毎月恒例の両親の様子伺い。この季節、風邪が心配。いまのところは大丈夫そう。

心配なのは、84歳の父の足腰が衰えていること。健脚が自慢で、70代でも山歩きをしていたのに、最近、足元がふらつくようになった。外出に消極的になっている。

今回も日曜午前が雨降りで、出かけないことにした。


空いた時間に、みかん箱に詰まった古い手紙や教科書、学校のプリントや成績表などを整理した。父の卒業アルバムや両親の結婚式の写真、祖父の履歴書と辞令など、これまで見たことのないものが出てきた。

手紙は封筒から出すのが厄介。学校のプリントは古いわら半紙がしっかり折り目がついているので、開いて一枚ずつ広げるのに手がかかる。


思えば、歴史家は、こうして見るだけでも手のかかる一次資料を丹念に調べあげ事実をつみあげていく。サラリーマン家庭の我が家でもこれだけたいへんだから、資産家や作家の家に残るさまざまな資料を整理するのはさぞかし大変な仕事だろう。

私も、自分の家族史を書いてみたいと思っている。両親から少しずつ聞き取りはしている。

昭和初めに生まれ、終戦前後に教育を受け、60年代に結婚し、70年代から80年代にかけて働きながら子を育て、80年代末に退職し、子を巣立ちさせた、賃金労働者の家族史。もちろん、そこには、高度成長期という歴史背景について、その裏面も併せて、深い理解も必要になる。

今回、発見したあるノートに、家族史の重要な分岐点の一つについて、今まで勘違いしていたことに気づかされた。

ノートに並んだ四角い文字」(奥華子「ガーネット」)が教えてくれた。なつかしくて、温かくて、そして、悲しかった

とりかかってはみたものの、文書の整理だけでも予想以上に時間がかかりそう。


『エースをねらえ!』全巻18冊が2セット出てきた。なくしたと思って書い直したものらしい。かと思えば、全巻あったはずの『大甲子園』が見当たらない。『キャンディ・キャンディ』も、全巻もっていたはずなのに、どういうわけか、全9巻のうち、5巻と6巻、8巻と9巻しかない。ふだん誰も手をつけていない箱なのに、どうしたものか。

ケイブンシャの大百科シリーズは、『さらば宇宙戦艦ヤマト大百科』しかなかった。ほかは、皆捨ててしまったのだろう。


父には何か楽しみを作り、外へ出てもらいたい。「孫に会える」が最良の動機付けになることはわかっている。来月は、母の卒寿を祝う。孫たちに会えば、元気も出るだろう。


10/14/2015/WED

暇つぶし

表紙に書いた『烏兎の庭』への招待文が、スマートフォンではうまく表示されない。改行位置を変更した。

文言は変えていない。

MacのSafariで見ているかぎり、第五部の文章は、行末を文節か音節で区切ることができている。IEやChromeでサイト作成と表示確認をしていた第一部から第四部には、Safariで見るとその細工が思い通りになっていないページも多い。

行末整理は、何もすることがないときに時間つぶしにしている。ほかの人がナンクロや数独をしているのと同じ。


10/15/2015/THU

重い現実

「気分が超低空飛行モードになってしまった。理由は複雑なので、ここには書かない。」と先月末に書いた

書かなかった理由を正確に書けば、理由そのものは複雑ではない。ただ、その理由は単純な事実であるにもかかわらず、自分でも理解できないほど複雑だった。つまり、自分では受け入れたくない事実だった。

いま、自分自身の気持ちを整理するために、超低空飛行モードになった理由と自分がそれを未だに受け入れられられずにいる事情を書いておく。


ある資料で精神疾患で離職した人が社会復帰したとき、どのような職制で復帰したかを見た。その資料によると、前職を精神疾患で離職し療養していたことを告知せずに新しい仕事を見つけられた人は約50%だった。次に多いのは、障害者枠で入社した人で、約35%。事情を告知したうえで、障害者枠でなく、普通の転職として復帰できた人は15%以下だった。

私の退職理由は、「自己都合(病気による)」。現在は傷病手当金の給付を受けているので、精神疾患で離職したことを隠すことはできない。

そうなると、再就職する場合、これまで何度かしてきた転職と同じように入社することは非常にむずかしい。そして、実情としては、「障害者枠」でなければ、社会復帰できない。ここで、実情としては、というのは、病気の再発を考慮すると、言葉を換えると、生命を収入に優先させるなら、かつてのような働き方はもうできない、ということになる。


「生命を収入に優先させる」。まだ寛解状態ににもなっていないのに、かつてのような働き方をすれば、次はもっと深刻な症状や恐ろしい結末をもたらしかねない。これまでの会社員生活は、むしろ恵まれていた。意に沿わない転勤もなかったし、徹夜の残業もしたことはない。それでも、壊れてしまった。

周囲の話を聞くかぎり、そういうことは日本の会社で日常的に起きている。深夜までの残業が常態化していることは、夜中の満員電車と車窓から見えるビルの照明を見ればわかる。

中井久夫は、精神疾患からの社会復帰の難しさについて、次のように述べている。

   このことと関係して重要なのは、現代が要求する人間の「性能」の厳しさのために、かなりのパーセントの人間が意義のある仕事に参加できなくなりつつあることである。たとえば、精神病の治療は今日非常に進歩し、多くの精神病が事実上治るようになった。しかし問題なのは、現代社会のさまざまな非人間的な側面にも耐えられるようにまで「治ら」ねばならないことである。社会復帰は、社会の方の壁が高くなってゆくために、ますます困難となりつつある。(「現代社会に生きること」『関与と観察』、みすず書房、2005)

「障害者になる」、自分が。そんなことはこれまで考えたこともなかった。療養すれば、報酬が下がるにしても、会社員は会社員として、以前と同じように生活できるようになると思っていた。

「障害者になる」とは、どういうことか。今までの生活と何かが変わるのか。それはいまはまだわからない。わからないにしても、私が「障害者」と呼ばれる人たちをどう見ているかがそのまま反映されることは間違いない。

障害者の人は、障害のある部位により、「目の不自由な人」「耳の不自由な人」「足の不自由な人」のように呼ばれる。私の場合は、「心の不自由な人」と呼ばれるのだろうか。

自分の感情を制御できない今の私について言えば、当たっていると思う。


「障害者」に対し、どんな偏見を、どんな先入観を、私がもっているか、それもまだ整理できていない。複雑、と書いたのは、このことを指していた。


10/16/2015/FRI

S先生のアドバイス

再就職は「障害者枠」に応募となる。前職を精神疾患で退職しているので、社会的な事情ではそうなることは、わかった。それでは、私のいまの病状は「障害者」なのだろうか。主治医に、今の病状をどう見ているか、訊いてみた。

S先生の回答。

以下のコメントは、S先生が私の症状について話したことをメモ書きしたもので、医学的および臨床的エビデンスの裏付けがあるか、保証することは私にはできない。

   仕事や不安定な雇用のストレスから発症した直近のうつや不安は、だいぶ緩和されてきた。体力と気力を回復することができれば、再就職できる日も遠くない。そこで、前回の診察で就労支援施設の説明会に参加することを提案した。
   病気の中身は、うつよりも不安が大きい。そのために不安にも効果がある薬を処方している。
   気分が不安定で、ときどき高揚することがあるが、双極性障害とまでは言い切れない。本来、うつ病と双極性障害はまったく異なる病気で、治療方法も薬もまったく違う。ただし、双極性障害か、うつ病の範囲内で気分が乱高下しているだけなのか、見極めは難しい。
   また、軽度の双極性障害(Ⅱ型)とうつ病には重なっている場合もある、という説もある。病状からみると、躁状態は激しいものではないので、うつ病の範囲内で気分が不安定になっている。そこで当面は、躁状態を抑える薬も処方する。
   これまでは目前の不安やうつを改善することに注力してきた。それは寛解する見通しが立っているから。より完全な寛解状態に近づくためには、次に、不安や抑うつの根本的な原因となっている十代の頃に受けた精神的なショックに取り組む必要がある。

「うつより不安が主要因」という診断が腑に落ちた。不安や恐怖心が行動の動機になっていることには気づいていた。「嫌われてないか」という不安から「怒られないだろうか」という恐怖心が生まれ、「相手を怒らせないように」行動を起こす。「喜ばせる」とか「安心させる」という心持ちを持つ余裕がない。この心持ちは、自分の子に対しても同じ。


S先生には、私が重いと感じている十代のあいだに起きた出来事について、初診時に伝えてある。私としては、ここが現在の不安定な気分の震源地になっているので、この問題を先に診てほしかった。S先生の方は、切迫した不安定状態を緩和することを優先したという。それは、心の奥底に触れる治療は、心理的な耐性が必要なので、不安定な状態では、いまの状態を悪化させかねないから。

一度、カウンセリングを受けてみたいと伝えたことがある。S先生はまだ早いと答えた。S先生曰く、カウンセリングは、相性が悪いと、心のなかを掻き回されることもあるから。カウンセリングでは、自分の心の底まで広げ、忘れたいと思っていることも表に出し、カウンセラーと対峙する。

このような心理的な操作は、かなりのストレスになるいまの状態では耐えることができないそれがS先生の見立てだった

S先生はとても慎重な人。「あなたがひどく気にしている十代の出来事」としか言わず、不安を掻き立てる専門用語は使わなかった。


S先生が目前の症状を緩和することとは別に、心のなかの重荷についても、見通してることを知って安心した。薬の選択についても、本やネットでは百家争鳴なので、読めば読むほどわからなくなる。どういう理由で、いま処方している薬を選択しているのか、詳しく聞くことができたので、この点も安心した。

薬の処方が正しいことは、ネット上で探したセカンドオピニオンでも確認できた。家族も疑問が解けたようで、二人して安堵した。

信頼できると思った医師の指示に従ってきてよかった。


10/17/2015/SAT

体罰と洗脳

体罰には「洗脳」する機能がある。誘拐犯やハイジャックに長時間、拘束されていると同情が湧いてくる現象には、ストックホルム症候群という呼び名もある。

殴られると、最初は反発し、怒りを覚えるが、継続的に体罰を受けているうちに、人間関係が親密になったように錯覚する。洗脳される、とはこういう状態を指す

この状態にあると、自分でものごとを決めることができず、暴力によって心を支配している者に従ってしまう。

この「洗脳」状態から脱出することは容易ではない。体罰を行為者から離れることができても、例えば、体罰の横行する学校を卒業しても、自分の内に行動基準がないから、別の行動基準を探してしまう。こういう状態を、山口瞳は「精神的な“甘ったれ”」と言っている


「洗脳」から抜け出るためには、何かしらの行動基準を自分の内側に持たなければならない。完全でなくてもよい。強いものでなくてもよい。何かを持てば、それまでの自分は外の力によって支配されていたことに気づく。そこから、内なる行動基準を育て、鍛える課程がはじまる。


中学校を卒業したとき、部活動の後輩たちが色紙に寄せ書きをしてくれた。真中には「苦難の果てに光あり」と顧問の教員の字で書いてあった。

特別、いい言葉とは思わなかった。当然、座右の銘となったわけではない。それでも、なぜかこの言葉を忘れることはなかった。

ごく最近になって、その理由がわかった。私は、この言葉を忘れることができずにいた理由を、私自身の言葉で表すことができるようになった。

オマエが「苦難」の元凶だったんだよ!

漠然としていた感情を言葉にすることで「精神的な“甘ったれ”」から脱出することができたか。そうとすれば、拠り所となる規範も行動基準もまだないけれども、これから、ようやく、自己涵養がはじまる


12/12/2015/SAT、追記。

もう一つ、思い出したことがある。

コンクリートの壁に私を突き飛ばした殺人未遂犯の国語科教員は「若い頃の苦労は買ってでもしろ」が口癖だった。

彼が強いていたのは、苦労ではなく苦痛だった。

報われない苦しみは苦労ではなく、苦痛でしかない。

国語科教員なのに、「労」には「ねぎらう」という意味があることを知らなかったのだろう。


10/20/2015/TUE

概念、定義、語彙、索引

ISP、BIGLOBEのサーバに置いてある『烏兎の庭』本編に入れてあった「概念」のさくいんを「はてなダイアリー」に移した。

「はてなダイアリー」のさくいんは、二つのタグで構成されている。例えば、夏目漱石は「人名」「文学」のタグに紐付けされている。人名や地名、よく知られた作品名などのほかに、抽象的な「暗黒」「孤独」「初恋」などの語彙も「事項」「語彙」のタグで索引語にしている。

具体的なモノの名前と抽象的な語彙を「操作」して、概念が創られる。概念と概念を的確な語彙で繋いでいくことで、文章が構築される。そんな風に考えている。

森有正は「定義」という言葉を頻繁に使う。抽象的な語彙であっても、一人の表現者のなかで「定義」されていなければならない。語彙がぶれていては、概念を構成することはできない。定義された語彙と概念を「操作」することで文章が出来上がる。

語彙は、言ってみれば、レンガや木材のようなもの。それを組み上げることで屋根や壁など、建築物の部分ができ、それを積み重ね、組み上げていけば大建築になる。

大建築が複数できあがれば、それらのあいだを、さらに語彙と概念を用いて繋いでいくことができる。そうすると、言葉と文章によって伽藍が造成される。

文章表現によって「作品」を創作するということは、それが小説であろうと、エッセイであろうと、こうした「操作」の繰り返しによってなされる。


この考えは、私独自のものではない。もう20年以上前のこと、丸山眞男の文章をいくつか精読する機会があった。講師の先生はとても厳しかった。彼の厳しい指導のおかげで、「語彙」「概念」「構成」「操作」という一連の術語を通じて、論理的な文章を読む力を学んだ。

学んだつもりでいても、いざ、自分の文章として書いてみると、なかなかうまくできない。


2015年11月17日追記。

概念のさくいんは廃止した。理由は、

1. はてなダイアリーで1ページに許容された文字数を超えた項目があったため。

2. 概念と語彙の区別が明瞭でないため。

概念とは、書き進めるにつれて、定義されるものだから、凝縮されるべきものであり、膨張していいものではない。その意味で、「概念の索引」という言葉が矛盾している。

語彙のさくいんは、今後も作成する。


10/21/2015/WED

凄い!ジオラマ 超リアルなミニチュア情景の世界、情景師アラーキー、アスペクト、2015

書名通り、凄い!、の一言。

作品の緻密な出来栄えが「凄い!」のは言うまでもない。「凄い!」と感嘆させるのは、余暇の楽しみにこれだけ注いでいる情熱。

「情景」という言葉には、風景に物語がある、ということを意味している。どの作品も短編小説の一場面に見える。

好きなことにこれだけ情熱を注ぎ込めることが羨ましい。

売り物でないから、自分のためにだけしているから、どこまでも行けるのだろう。シュヴァルの理想宮原信太郎の鉄道模型はその究極の形。

ヘンリー・ダーガーを尊敬するのも、自分のためだけに、好きなように描いていたものだから。

私にとっては、この『庭』が、自分のためだけに、自由に好きなことができる場所。越前さんの漫画ノートと同じ

一番愉快だったのは、最後の章にある著者年賀状


10/22/2015/FRI

性格分析

今週は調子がいい。日曜日から今夜まで呑まずに乗り切った。明日は少し呑もう。ほんとうは一滴も呑んではいけないのだから、褒められたものではないし、調子がいいと浮かれている場合でもない。それでも、しばらく落ち込んでいた気持ちが上向きになったことは、素直に良い傾向と受け止めよう

就労支援施設の体験にも行った。簡単な性格の傾向を知るカードゲームと、認知行動療法を生活のなかで起きた出来事を一例に試してみた。

性格分析の結果は、これまで何度か受けたものと違いがなかった。自分が親しくしている狭い世界が大切で、職業で成功したいとか、世の中のためになりたいという気持ちがほとんどない。

職業は、ただ自分の世界を守るためにのみある。働きがいを感じていないのに、報酬だけは多く欲しがる。去年は、この矛盾に躓き、頭から泥水に倒れこんだ


私の性格のもう一つの特徴。どんな形のものであれ、集団に溶け込むことを極端にいやがる。それでいて、必要に迫られて集団に入ると、真中で愛想笑いをふりまき、満足そうな顔を演じる。好きでそうしているのか、嫌々しているのか、自分でもわからない。

イベントが終わった途端、電池が切れて、パッタリ倒れ込む。要するに、外面ばかりよく見せる小賢しさに自分から溺れている。

性格のこういう一面も、昨年、心身の安定を破綻させる要因だった。

大切なことは、ここで調子に乗ってアクセルを踏み込まないこと。一歩ずつ進む。安定飛行を維持する。勢いをつけて走り出しておいて、突然、ヒューズが飛んだように倒れてしまう、何度も繰り返した過ちに用心すること。


10/23/2015/FRI

山村良橘先生のこと

代ゼミの世界史講師だった山村良橘先生について、講義の思い出を書きはじめた。含蓄ある語録もまとめるつもり。山村先生は高校でも教鞭をとっていたし、80年代には代ゼミの人気講師だったのに、意外なことに、ネット上ではほとんど情報が得られない。語録集は自分のテキストとノートから拾い集めて作る。始めてみると、思ったより時間がかかりそう。

今年中には書き上げたい。今年、2015年は、山村先生に出会った高校二年の冬期講習からちょうど30年になる。

直前講習を録音したカセットテープを見つけたので、デジタル音源に変換する


10/24/2015/SAT

むかし、していたこと

むかし、弾いていた楽器をまた弾いてみようかな、と思うときがある
   むかし、やっていたスポーツをまたやってみようかな、と思うときがある

でも、できない

むかし、弾いていた楽器を弾くと悲しくなるから
   むかし、やっていたスポーツをすると、腹が立ってくるから

その楽器は、音色が好きなので、よく聴いている。お気に入りの演奏家もいる
   そのスポーツは、応援している選手がいるので、大会ごとに結果を追いかけている

でも、自分ではできない
   このまま、できないままなのかな

趣味もないし、運動不足だし、違う楽器と違うスポーツを始めるのはどうだろう
   週末の午後は、いつも、こんなことをぼんやり考えているうちに過ぎていく


10/26/2015/MON

世界の庭園歴史図鑑(Story of Gardening, 2002)、Penelope Hobhouse、高山宏監修、上原ゆう子訳、原書房、2014

本編450ページ以上、15,000円の大型豪華歴史図鑑。前に読んだ『芸術の都 パリ大図鑑: 建築・美術・デザイン・歴史』に比肩する、膨大な情報と広大な領域。こういう大型本を読むことができるのは、公共図書館のおかげ。すべてを買って蔵書することはとてもできない。

造園には、哲学から建築、デザイン、植物学、地質学、風水まで、あらゆる学問が活用される。その意味で、「庭園は総合芸術」、と言うこともできる。なぜ、庭園は総合芸術なのか。監修者の高山宏が解説「庭『をめぐる』本」で詳述している。


庭園は憩いの場所であると同時に人間と自然が葛藤する場所でもある。

人間は、一方で自然を征服しようとしながら、他方では自然に溶け込もうとする。

西洋、イスラーム、中国、そして日本まで、庭園の歴史を膨大な図版と写真でたどる。本書を眺めていると、各文化圏の庭園は孤立して発展したのではなく、相互に影響し合いながら、それぞれに自然と葛藤し、新しい空間を創造してきたことがわかる。

散策し、思索する緑の多い広い場所。というと、庭園というよりも、公園のほうが身近にある。実際、ローマ皇帝やメディチ家が所有していような大庭園を個人で持てる人はほとんどいない。


日本の庭園で採り上げられているもの:兼六園、大覚寺、龍安寺、西芳寺、東福寺、金閣寺、銀閣寺、桂離宮、修学院離宮道、小石川後楽園など。海外にある日本庭園や外国の造園家が作庭した日本庭園も紹介されている。造園家としては、夢窓国師と重森三玲の名前がある。

ともかく、博物館一つ回ったくらいの満足感と心地よい疲労感が残る本。ときどき借りて、繰り返し読みたい。


さて、我が家の庭はどうするか。転居して5年経つのに、まったく手をつけていない。草むしりをするのがせいぜい。

花を植えるか、芝を生やすか。ウッドデッキを付けて広い縁側にするか。砂を撒き石を置いて枯山水にするか、ミニチュアを置いて箱庭にするか。広くはないが、何かする余地は十分ある。

急がずに、まずは空想を楽しむ。

楽しい悩みを持てるのは、うれしい。


10/27/2015/TUE

高校バスケ、観戦

高校生のバスケットボールの試合を見に出かけた。会場は、子どもがいなかった「あの頃」、20年近く前に住んでいたあたり。

高校生ともなると、体格の個人差が大きい。頭一つ、背丈が高くて目立つ人もいれば、短身でがっしりした筋肉質の人もいる。線が細くて動きが鈍い人は、たちまちボールを奪われてしまう。

贔屓のチームが、ほぼダブル・スコアで勝利した。おかげで、出場の機会はないと思っていたベンチメンバーのプレイも見ることができたので満足した。


会場の前には、かつて毎週末、生まれたばかりの子をベビーシートに乗せて来たスーパーマーケット。その隣には、手作りドイツ・ソーセージの店。味は美味しいけど、ちょっと高いので、余裕のあるときだけ買っていた。近づくと、近日、別の場所に移転する、というポスター。

店内には、若い女性店員が一人。店の奥の厨房には誰もいない。新店舗で準備をしているのだろうか。

「ご主人はお元気ですか」と尋ねると、数年前に亡くなったという。いつも笑顔で応対してくれた女性は、病気になってお店は休んでいる。戻ってこれるかはわからない、と言われた。偶然にも、その日が現店舗の最終営業日だった。


この店はなくなるわけではないけれど、顔も覚えてくれた人がいなくなるのはさびしい。

通っていたラーメン屋が店を閉じていたことを貼り紙だけで知ったときも、悲しかった。

店はまだ頑張っているのに、こちらから行けなくなってしまった店もある。ランチも夜も通った居酒屋。月に一度は行っていたライブハウス。お祝い事のときには必ず行っていたステーキ屋。長く店を続けることが大変なように、ずっと常連でいられるのも、やさしいことではない。お店が今も繁盛していてずっと通っているのは、深大寺そばの店くらい。

子どもが生まれたり、経済的に余裕がなくなったりして、常連だったはずなのに行けなくなった店も少なくない。


さ行が上手に言えず、「おたかな」「とうたん」と言っていた幼児が、父親よりも背丈が伸びて、バスケットボールのコートを走り回っているのだから、確かに20年は長い。

もっとも、「とうさん」の発音には、今もあやしいところがある。わざとなのか。


10/28/2015/WED

太陽の子、灰谷健次郎、理論社、1978

この本を読んだのは、もう30年前以上前になる。それでも、読後の嫌な感じが残っている。

筋書きも登場人物の性格も忘れてしまった。

ただ、覚えているのは、そして、今でも嫌悪感が残るのは、「心の病気の人が自死する」ことで話を終わらせたこと。

「心の病気→自死」という筋書きが、物語としては陳腐を通り越して不快でしかない。しかも、自死の場面が細かく描写されている。児童文学として配慮が欠けている。

体験者には過酷すぎる結末を本書は児童文学の世界で弄んだ。この結末に驚き、傷ついた人は少なくないだろう。


心の病気や自死に対する人々の見方は、この30年のあいだに大きく変わった。完全に、とは言えないまでも、偏見は少しずつ薄くなっている。いま、この結末で初版を出したら少なからぬ非難を浴びたに違いない。

もう一つ、この本を嫌う個人的な理由。

本書は、私をコンクリートの廊下の壁に殴りつけた国語科の教員が「必読」と課した本。彼は、気分次第で生徒を罵倒したり、殴りつけたりする男だった。他人に対して平和的に接することができない人に、しかも教育者の立場にある人が、好き勝手に平和を語ってほしくない。

だから、図書館や書店で背表紙を見かけただけで、二倍の嫌悪感が蘇る。


さくいん:自死


10/29/2015/THU

Depacla - Depapepe Plays the Classics、SE、2009

Depacla 2 - Depapepe Plays the Classics、SE、2009

ポップで爽やかな音を魅力にしているギター・デュオのクラッシック・アンソロジー。

クラシックらしい荘厳な雰囲気で始まったかと思うと、カッティングとピッキングの早弾きでDEPAPEPE風に一気に変わる。クラシックらしさとポップな雰囲気、一曲で二度美味しい。

パッヘルベル「カノン」はYouTubeでPVが見られる

DEPAPEPEの好きなところは、とにかく爽やかなこと。清々しい秋晴れの雰囲気。

ギター曲、とりわけ独奏曲は、クラシックにしろ、ジャズにしろ、どこかしら哀愁を湛えた旋律と音色に魅力がある曲が多い。バッハの無伴奏ヴァイオリン独奏曲、シャコンヌや、Earl Klugh, “Long Ago (and Far Away)など、私の好みもすこし陰のある曲に多い。

もちろん、ギター曲には、爽快な曲はたくさんある。Earl Klugh, “Dance wit Me”(原曲はOlreans)やハワイアン風のKohalaなど。


DEPAPEPEの清々しさは、これまで聴いたことのある「さわやかなギター曲」のどれとも違う。「清々しい秋晴れ」のようなギター曲は初めて聴いた。

DEPAPEPEは、私の「お気に入りギタリスト・ランキング」の中で、Earl Klughに次いで2位に急浮上している。

ちなみに、今のBest 10は以下の通り。Earl Klughの一位は不動としても、気分屋なので、ほかは明日には変わっているかもしれない。


  1. 1. Earl Klugh("Angelina")
  2. 2. DEPAPEPE("Start")
  3. 3. 村治佳織("Partita for Violin Solo in D Minor, BWV1004 - 5 Chaconne")
  4. 4. 吉川忠英(「私の世界 ~6弦ギターのうた~」)
  5. 5. 小沼ようすけ
  6. 6. Martin Taylor
  7. 7. Michael Hedges
  8. 8. 岡崎倫典(「麻衣」)
  9. 9. Alex De Grassi(”Western”)
  10. 10. Stanley Jordan("All the Children)
  11. 番外:石川鷹彦

石川鷹彦が番外なのは、彼の魅力は独奏曲よりも、伴奏に感じるから。さだまさし長渕剛中島みゆき。人気ジャンル(音楽ライターは「シーン」という言葉をよく使う)がフォークからニューミュージックに移り行く時代に、素晴らしいギター・アレンジとバッキングを提供した。


10/30/2015/FRI

父と暮らせば(1994初演)、井上ひさし、新潮社、1998

オーディオ・ブックを聴いてから、戯曲の原作を手にした。

原作には「劇場の機知ーーあとがきに代えて」という文章が、戯曲のあとに付いている。これを読んで、この作品の見方がすこし変わった。

   ここに原子爆弾によってすべての身寄りを失った若い女性がいて、亡くなった人たちにたいして、「自分だけが生き残って申し訳がない。ましてや自分がしあわせになったりしては、ますます申し訳ない」と考えている。このように、自分に恋を禁じていた彼女が、あるとき、ふっと恋におちてしまう。この瞬間から、彼女は、「しあわせになってはいけない」と自分をいましめる娘と、「この恋を成就させることで、しあわせになりたい」と願う娘とに、真っ二つに分裂してしまいます。

「亡くなった父が亡霊となって娘を応援する」という、どこで仕入れたかわからない先入観をもってドラマを聴いたため、作品の本質を見誤っていた。

この作品は、娘と亡霊の父とあいだの対話ではない。娘の独白であり、葛藤する二人の自分という意味では「自己内対話」(©丸山眞男)と呼ぶべき話だった。

井上ひさしは、続けてはっきり書いている。

べつに云えば、「娘のしあわせを願う父」は、美津江のこころの中の幻なのです。ついでに云えば、「見えない自分が他人の形となって見える」という幻術も、劇場の機知の代表的なものの一つです。

この作品の初演は1994年。単行本の出版は1998年。そのあいだにフランス語に訳されて、現地での公演も好評だったと書いている。

「自作を解説するぐらいバカバカしい仕事はない」と断りながら、あえて「あとがき」を付記したのはなぜか。

察するに、私のようにこの作品を「主人公の自己内対話」ととらえず、「二人の対話」ととらえた人が意外に多く、著者に注記を書かせたのではないか。少なくとも、私は、「あとがき」を読んでから作品の見方が変わった。


とくに重要と思われるのは、父を救えなかったことについて、「その話の決着ならとうの昔についとるで」という竹造の台詞。

「決着」は8月6日についていた。それを美津江が回想しているのであり、劇中の「今」の出来事ではない。

つまり、一人で生きていくことと「ピカ」の惨さを伝え継いでいくことの決心は、父と死に別れたときにできていた。ところが、「共にしあわせを探してくれそうな人」が現実に現れてしまったとき、彼女は思わず、ためらいを感じた。

そのためらいを、父と交わした言葉を思い起こしながら解きほぐし、新しく生きていく「新生」をあらためて決意した。このドラマの本質は、美津江のなかで起きた、「葛藤と解決の道程」と考えるべきなのだろう。


父と交わした約束を娘が回想し、決意を新たにする。そのようにこの作品をみると、物足りない気がしないでもない。

亡くなった友人の思い出、その母親の「なひてあんたが生きとるん」という叫び。それも、「伝え継いでいく」ものになるのだろう。そう読み込むことはできなくはないにしても、この作品のなかで父娘以外の被害者は宙吊りになったまま。

それを物足りないとみるか、この作品の表現しようとする世界の外のものとみるか。判断は、鑑賞者によって異なるだろう。


10/31/2015/SAT

父と暮せば、黒木和雄監督、宮沢りえ、原田芳雄、浅野忠信出演、バンダイビジュアル、2005

夕凪の街 桜の国、佐々部清監督、田中麗奈、麻生久美子、吉沢悠、中越典子、伊崎充則出演、東北新社、2012

『父と暮らせば』のオーディオ・ドラマ原作(戯曲)を読んだので、映画も見てみることにした。『夕凪の街』も原作は読んでいるので、未見の映画を見てみた。

二つの映画に共通してよいところ。原作のシナリオをいじっていないこと。その分、映像作品でしかできないところに細かく手を入れている。

井上ひさしは、「舞台でしかつくることができない空間や時間」を大切にしたいと書いている。舞台には舞台にしかできないことがあるように、映像には映像にしかできないことがある。立体的な背景と俳優の動き、とくに表情に二つの作品は焦点をあてている。

溢れそうな悲しみに耐えながら8月6日の朝に父親と交わした会話を回想する美津江。打越と旭に支えられ、はかない幸福を感じながらも、少しずつやつれていく皆実。はにかむように微笑する七波。

どれも女優の表情がいい。

皆実を演じているのは、『泣くな! はらちゃん』で、生きることに消極的だった越前さんを演じていた麻生久美子。薄幸の美女が似合う。


不謹慎という非難を受けることを承知で書いておく。

「この世界」には、旭を羨ましく思う人もいるかもしれない。

旭は、失くした人の死因がわかっていて、仲がよかった人も知っていて、50年経っても会いに行って思い出話ができる。

何より、映画では、旭は、姉の最期の時を一緒に過ごすことができた。

「この世界」には、大切な人を失くしても、何が原因で亡くなっのかもわからず、その人が親しくしていた人たちとのつながりも途切れてしまっている人もいるだろう。悲しみを分かち合う相手がいないのは、きっと辛いことに違いない。


「この世界」という言葉は、『夕凪の街』の冒頭に掲げてあり、『泣くな! はらちゃん』でも鍵語となっている。また、1945年の広島の呉を舞台にした、こうの史代の作品は『この世界の片隅に』と題されている。


さくいん:井上ひさしこうの史代