2015年11月
11/1/2015/SUN
江分利満氏の優雅なサヨナラ―男性自身シリーズ最終巻 (男性自身シリーズ 最終巻)、山口瞳、新潮社、1995
谷間の女たち、森山啓、新潮社、1989
先週、用事ができて御茶ノ水まで出かけた。すこし早めに家を出て、ニコライ堂を参拝してから、神保町のすずらん通りをぶらりと歩いた。
今週末に古書市があるようで、靖国通り沿いの歩道にはすでに古書店がたくさん屋台を出していた。
偶然、山口瞳の『江分利満氏の優雅なサヨナラ』(新潮社、1995)を見つけた。定価1,500円だった本を300円で買った。
神保町で本を探すと、一軒目で見つけるられるか、そうでなければ、何軒調べても見つからないか。
本に関して、もう一つ、運が良いことがあった。
前から探していた森山啓『谷間の女たち』がAmazonで、なんと税込6円で販売されていた。送料が257円と合わせて263円で購入できた。もとの定価は1,500円。
何年か前にあった、価格の誤入力だろうか。何にしろ、運が良かった。
今日、私に山口瞳を教えてくれた恩人が80歳の誕生日を迎えた。子と孫、総勢10人がイタリアン・レストランに集まり、盛大に祝った。自家製ソーセージとゴルゴンゾーラのピザが美味しかった。
お祝いに4人の孫の成長記録をアルバムにして贈った。「1分でわかる孫たちの成長の歴史」。旅先で写した写真が多い。子どもたちは私の両親、彼らにとっての祖父母とたくさん旅行をした。御殿場の保養所から、奈良、大阪、ウィーン、ブリュッセルまで。
今日は卓球選手、福原愛の誕生日でもある。今年で27歳。この週末は彼女の出身地、仙台で女子ワールドカップが行われた。準々決勝で、あと一点で勝利というところから大逆転で負けた。今年は好調で、ランキングも自己ベストの4位まで上がっていたのに。
福原は、大金星をあげることもあれば、期待に対して緊張するせいか、大舞台や地元の大会で格下選手にあっさり負けることがある。銀メダルを勝ち取ったロンドン五輪では、大舞台で実力を出し切った。
ああいう戦いをまた、見せてほしい。
11/2/2015/MON
精神障害者の労働市場
1月から静養を優先してきた。9月末に、医師から再就職に向けて、まず情報収集から始めてはどうかと助言があり、就労移行支援施設を見学してまわっている。
障害者の就労支援も、一つの業界になっている。市場、すなわちニーズがあり、競争がある。加えて、業界内でしか通じない“jargon”(符牒)がある。
最初に戸惑ったのは、オープン/クローズ、という言葉。
オープンとは障害者であることを伝えて就職すること。企業は従業員数の一定の割合で(2%程度)障害者にする義務があるので、社員を募集する際、障害者枠を設けている。ここに応募して就職することがオープン。
労働時間を短くしたり、ストレスの低い業務にしたり、障害者が安心して働ける環境を企業も配慮する。その分、給与は安い。
クローズとは障害があることを会社に伝えずに求人に応募すること。前職を病気で離職した私も、こちらからそれを伝える義務はないらしい。ただし、1年以上仕事から離れている理由はしつこく訊かれる。「新しいことにチャレンジするため自分を見つめなおしていた」と言えばいい、と助言してくれたケース・ワーカーもいた。
実際のところはどうなのか。まだ、求人に応募していないので、わからない。
クローズのデメリットは会社に配慮を依頼できないこと。ふつうの転職なので、残業も転勤も、ほかの社員と同じ。
報酬は、自分次第。高い報酬を求めれば、責任もストレスも多い。もっとも、いわゆるブラック企業のように、安い給料でもストレスの多い仕事も少なくない。
オープンにするかクローズにするか。医師もケース・ワーカーも、選択肢は多く残しておいたほうがよいと助言するので、まだ決めていない。
11/3/2015/TUE
就労移行支援施設
就労移行支援施設をまわってみての感想。
国、都、市区町村、民間、と何層にもわたり関係する機関があり、それぞれのあいだの関係がわかりにくい。重複するところもあれば、ある業務はこの役所に行かなければならない、というように役割が決まっているものもある。
公共と民間、あわせて8つの施設をまわった。ようやくどの機関がどんな役割を担っているのかがわかってきた。
業界の仕組みはわかってきたものの、いくつか就労移行支援施設を見たかぎり、自分に合ったところが見つからない。
施設のほとんどは福祉作業所で働いている人や、働いたことのない障害者が自立できるように職業訓練を行う。商品の袋詰め、郵便物の仕分け、パソコンでの簡単な入力、など事務補助や軽作業がほとんど。
報道では中高年の会社員でもうつで休職や離職を余儀なくされている人が多いと聞く。そういうホワイトカラーの人たちは、どこで社会復帰の訓練を行っているのだろう。
写真は、跨線橋から見た夕陽。荻村伊智朗伝の感想文に添えた写真と同じ場所。
さくいん:うつ
11/4/2015/WED
記録された記憶―東洋文庫の書物からひもとく世界の歴史、東洋文庫制作、山川出版社、2015
大学受験の頃、世界史は得意科目だった。ただ、東洋史は進んで知識を深めようと思うほど好きではなかった。大学に入ってからも、西洋の政治史や思想史の科目を多く取ったので、ますます東洋史から離れた。
本書は東洋文庫が所蔵している貴重な資料をわかりやすい解説で紹介した図鑑。
出てくる人名や本の名前はうっすらとはいえ、一度は覚えた事柄なので、読んでいると記憶の発掘調査をしているようで楽しい。
実際に目にしたものはよく覚えている。北京の紫禁城へ行ったとき、清朝最盛期の乾隆帝の宝物を多く見た。印象に残っているのは、全身純金の鎧。重すぎて着られなかったという。小さな仙人がたくさん彫り込まれた巨大な翡翠。
乾隆帝は自ら戦陣にも立ち、書画にも秀でていた。中国史の皇帝の逸話を聞くといつもそのスケールの大きさに驚く。
3/12/2016/、追記。
さくいん:東洋文庫ミュージアム
11/5/2015/THU
Songs of Colored Love, Winterplay, Universal Music, 2009
SUNSHINE, Winterplay, Universal Music, 2010
Winterplayは、韓国のポップ・グループ。どこで覚えたのか記憶にない。おそらく、図書館で借りたコンピレーション・アルバム、“Jazz Women -Mellow Tunes-”で“Songs of Colored Love”を聴いて、気に入ったのだろう。
10曲目、“I Need to Be in Love”がいい。
多くの人が挑戦しているカーペンターズのカバー。ほとんどの場合、カレンの物マネで終わるか、思い切りが強すぎて原曲を破壊している。
このカバーは原曲の雰囲気を残しつつ、現代的なアレンジを加えている。珍しい、いい塩梅のカーペンターズのカバー。
アルバム“SUNSHINE”では、マイケル・ジャクソンの“Billie Jean”もカバーしている。これも原曲と変奏の塩梅がいい。
カバーだけではない。どの曲もふわっとした軽快な雰囲気がいい。
11/6/2015/FRI
時間薬なんてない
「時が解決する」「時間が薬」という言葉をときどき聞く。なぜか、馴染めない。すんなり受け止めることができない。それでいて、その理由も説明できない。
つい最近、ある事件で息子を失った人がテレビの報道番組で話していた。
時間が経つということは、一緒にいない時間が長くなることです
この考え方は腑に落ちた。時間が解決できないこともある。むしろ、時間が経つほど、砂時計の砂が降り積もるように悲しみが重くなることがある。
なるほど、そういうことだったのか。
そういえば、さだまさしは「博物館」(『印象派』、1980)で歌っていた。
思い出にするにはあまりに重すぎるものや
忘れ去っていくほどに 軽くもないものたち
小学生のときに覚えた歌の意味が、30年余が過ぎて、ようやくわかった。
不思議なもので、悲嘆について考えているのに、その仕組みが解ると少し楽になる。
さくいん:悲嘆
11/7/2015/SAT
どう見えてる?
このウェブサイトはMac BookのSafariとChromeで表示を確認しながら作っている。
PCのディスプレイでみると、全ての行末は文節か音節で区切られている。行頭に禁則文字が来ることもないようにしている。
例えば、上の文をPCで見ると、「禁則文字が」の「禁足」で行が区切られている。
これが、iPhoneでみると同じようには表示されない。iPadでもだめ。
スマホで見ると、そもそも一行の文字数がパソコンの表示と異なる。そのため、丁寧に揃えたはずの行末は崩れ、何の特徴もない、平凡な文章にしか見えない。
『烏兎の庭』の第一部から第四部までは主にWindows PCで、最初はInternet Explorer、途中からはChromeで確認しながら、行末を揃えるようにした。第一部の縦書き表記でも行末は揃えてある。
いずれも、今使っているMacのSafariでは思っていたように表示されない場合がある。
いろいろと調べてみた。結論としては、すべてのデバイス、すべてのブラウザで、同じように表示させることはできない。
技術的にはできないことではない。ただし、その場合、一番画面の小さいスマホ向けを基準にするので、PCのブラウザで見ると左右に大きな空間ができてしまい、スカスカに見えるし、文字も必要以上に大きくなる。
いまやウェブサイトを見る人の半数がモバイル・デバイスで見ているという。ネット・ユーザの半数が、自分が作ったものを、意図した通りに見ていない。私の「こだわり」を感じとってもらうこともない。
悔しいけれど、仕方がない。
技術革新は日進月歩。あらゆるOS、あらゆるディスプレイで、作者の意図した通りに表示できる技術も、いずれ生まれるだろう。
とりあえず、いまのところは、CSSもHTMLの
も変更しないことにする。11/10/2015/TUE、追記。
Google Analyticsを使っていることを思い出した。
この一ヶ月のデータをみると、708人のユーザ、総計2,405のページビュー。
OS別ではWindowsが35%、iOSが33%、Androidが20%。
ブラウザ別ではSafariが35%、Chromeが27%、Internet Explorerが22%、Mac OSが11%。
iOSとSafariは、編集するために私が閲覧しているので、その分が多い。
驚いたのは、Windowsがかなりの数あること。Windows PCは持っていない。
Windows PCでChromeをブラウザにして見ている人が、意外に多いことがわかった。
ということは、楽観的にみれば、25%程度の人は、私が意図した通りに『庭』を見ていることになる。
「自分のためだけに書いている」と言いながらも、こういうデータがあると、やっぱりうれしい。
11/8/2015/SUN
むかし〈都立高校〉があった、奥武則、平凡社、2004
11/9/2015/MON
東京モーターショー60年史 (NEKO MOOK)、ネコ・パブリッシング、2013
歴代東京モーターショーのすべて―あの日の未来のクルマをもう一度! (モーターファン別冊)、三栄書房、2013
Pen 2015年 6/15号 [スポーツカーは、永遠に不滅です。]、CCCメディアハウス、2015
幼い頃、家には自動車がなかったので、クルマに憧れていた。
バスに乗れば、運転席のすぐ後ろの席に座り、運転手の操作に目が凝らした。叔父や友だちの親がクルマに乗せてくれたときも、興奮しながら運転席での操作をじっと見つめていた。
当時はスーパーカー・ブームの真っ最中。カード式の写真集をいまも持っている。
小学五年生の頃は毎月小遣いで『モーターマガジン』を買っていた。編集部にハガキを出し「個人タクシーの運転手になるにはどうすればいいか」と尋ねて、掲載されたこともある。いつもクルマに乗っていられる仕事に就きたかった。
過去の東京モーターショーを回顧するムックと自分の記憶を重ね合わせてみると、1979年に晴海まで行ったらしい。まさに小学五年生のとき。複数回行ったと思っていたけれど、ほかの年のページを見ても思い出せない。
1979年のモーターショーは母と行ったと思う。小学四年生から高校に入るまでの間、母と出かけることが多かった。百貨店で開催された「平山郁夫展」や「アンネの日記展」、「松本清張の邪馬台国展」などに行った記憶がある。
千葉県佐倉市の歴史民族博物館も開館してすぐ行った記憶がある。登呂遺跡や川越へも日帰りの小旅行で二人で行った。
そんな週末を過ごしていたのは、単身赴任で父親が不在だったというだけでなく、母の興味の範囲に私が素直に影響を受けていたからだろう。そういう興味を共有できる友人はいなかった。
ただし、クルマだけは私の興味だった。「どれを見ても同じじゃない」「顔がちがうんだよ」。そういう会話を6歳のころにしていたという。
毎日、運転していたときもあった。子どもが幼い頃には、病院に旅行に、なくてはならない道具だった。30代のあいだに3台乗り換えた。いまはクルマは持っていない。
平日の午後に散歩をしていると、月極駐車場においた高級輸入車を見かける。もったいないと思いつつ、クルマを持たないことで、自分がどれだけ節約できているかを計算して悦に入っている。
11/10/2015/TUE
悲しみよ こんにちは(Bonjour Tristesse, 1954), Françoise Sagan、河野万里子訳、新潮文庫、2009
読書の先生の推薦。久しぶりに読みたくなって書店をあちこち歩いて探したらしい。
人は、いつ、自分なりの死生観をもつのか。それはきっと、その人が初めて身近な人を失ったとき。そのとき人生は、元に戻れない、それまで生きてきた世界とはまったく違う世界になる。
幼年の頃や思春期のはじめに痛烈な喪失体験があると、つまり、確固たる人生観全体を持つ前に死を体験すると、死生観がその人の人生観全体を覆ってしまう。本来、人生の一部分のはずの死生観が、人生観を包み込む。
要するに、十代の間に親密な人を「突然に」失くした経験をもつと、それは人格形成に大きな影響を及ぼす。
死生観と少年時代の記憶を切り離すことがどうしても私にはできない。だから、そんな風に考えてしまうのだろう。
アンヌはパリに帰るつもりだったのか。それともクルマごと大空に飛んで行きたかったのか。
それは、誰にもわからない。きっと、アンヌにもわからなかっただろう。「アーサーはなぜ自殺したのか」も、誰にもわからないのだから。
人間はいつでも合理的な判断ができるとは限らない。合理的な判断ができたとしても、望んでいた合理的な結果が得られるわけでもない。かといって、ショッキングな出来事に直面したからといって、すぐに自暴自棄になるわけでもない。
不幸な偶然が重なると、本人でさえも想像していなかった事態になることがある。その経緯を後付けで説明したところで意味はない。
あんな人、死んでしまえばいいのに
そんな気持ちを一瞬でも感じた後で「あんな人」と呼んでいた人が亡くなってしまう。そういう経験を持つ人はいるだろうか。
一瞬でも願ってしまった不幸が叶えられてしまった。そのとき、その人の死生観はどうなるか。その人の、その先の人生はどうなるか。
喪失の悲しみに自責の念が加わる。そうすると、その人の人生は、さらに暗く、重い「悲しみ」に捕らえられる。
「悲しみよ こんにちは」という言葉は、これから「悲しみの世界」に生きていくほかない、というやりきれない決意ではないか。もう二度と悲しみのない世界には戻れない。そう思わないではいられない。これから、ずっと悲しみと共に生きていく。逃げることもできないし、悲しみが去っていくこともない。
悲しみは立ち去るふりをしても、また戻ってくる。装いを変え、顔つきを変え、何度も現れる。
ゴッホは最期に目を閉じる前に、弟のテオに向かって、“La tristesse duera toujours”(悲しみはいつまでも続く)と言ったという。
18歳で「悲しみ」を知ったセシルも、暗く、重い「悲しみ」を抱えたまま生きていくのだろう。
Bonjour Tristesse
今から思えば、「悲しみ」の意味も知らずに、私がそうつぶやいたのは、12歳の冬のことだった。
11/12/2015/THU
ジョルジュ・ルオー展 - 内なる光を求めて、出光美術館、丸の内、東京
すこし早めの忘年会があり東京まで出かけた。雨模様で外を散歩する気にはならない。ちょうど出光美術館でルオー展をやっているので、待ち合わせの時間の前に見た。
東京では、汐留ミュージアムもルオーの作品をたくさん持っている。東京はパリの次にルオー作品が多い街ではないか。
出光美術館は詩に版画を添えて画集『ミセレーレ』を多く持っている。汐留には晩年にたどり着いた、油彩を厚く塗り重ねる独特な技法で描いた『聖書の風景』(Paysage biblique)が多い。どちらかといえば、後者が私の好み。
今回の展覧会では、「聖心と三つの十字架」と「聖顔」が気に入ったので、絵はがきを買った。
夜は、高校時代の友人に会った。一人は同級生、もう一人は一年後輩。
気兼ねなく会える友だちはありがたい。
仕事でつきあっていた人は「心の病気」で辞めたと知って遠慮しているのか、誰も声をかけてくれなくなった。
自分からも連絡しようとしていない。前からのよくない癖で、人間関係に対する執着が弱い。
さくいん:ジョルジュ・ルオー
11/13/2015/FRI
DVと体罰
早い忘年会で会うまで時間があったので、東京駅丸の内口にある大型書店に寄った。
社会問題の棚を見ていて、ふと考えた。学校での体罰はDVに似ているのではないか。
暴力や威嚇によって相手をある種のマインドコントロールの支配下に置く、という点が共通している。
11/23/2011/MON、追記。
「マインドコントロール」とある部分は最初は「共依存」としていた。つい最近読んだ『マイ・レリジエンス』(中島幸子、梨の木舎、2013)に、DVの責任は加害者にあり、被害者が「(相手が)暴力をふるっても良い環境を整えているわけではない」と断言したうえで、米国では、DVに関して「共依存」という言葉を使わない、とあったので、修正した。
ただし体罰の場合、「恐怖」が「畏怖」になり、暴力教員を「熱血」や「生徒想い」と勘違いする「スェーデン症候群」は当てはまると思う。
DVと体罰とで違うところは、学校は時期が来れば卒業して離れられること。ただし、体罰に慣れきった人には、そのあとの人生にも問題を残す。暴力を目撃するだけで動悸が激しくなったり、暴力の映像を見ただけでも苦しくなる。
さらに、そういう人は、自己肯定感が低いために、行動の基準を他人に依存しやすい。自信をもって行動することができない、という後遺症を残す。
こういう人は相手に「怒られないように」「怒鳴られないように」行動する。つまり、行動の動機にはいつも恐怖と不安がある。その結果、相手の顔色を伺いながら行動する。
あらためて、DVと体罰について。
大型書店では、DVに関する本はたくさん並んでいたけど、学校での体罰を主題にした本は一冊もなかった。
試みにAmazonで検索してみると、DVでは、1,589件の書籍が見つかる一方、体罰で検索すると293件しか見つからない。体罰に関する本はDVに関する本のおよそ1/3しか出版されていない。
大阪の高校での事件や女子柔道の問題など体罰は社会問題としてけっして軽いものではないし、件数が少ないものでもない。東京都の教育委員会が悪質な事例を公表したということは、それだけ事態が深刻なことを示している。
この分野での研究が少ない、その事実が体罰を容認する空気が学校関係者にあることを示しているように思う。
今年は、「組体操」での安全性が注目を浴びて、多くの学校が改善した。体罰ももっと脚光を浴びる問題になってほしい。
高校時代の同級生と食事をしたとき、中学時代の体罰が話題になった。彼は中学時代、体罰を受けたこともなければ、見聞きしたこともなかったという。
体罰は、ごく一部の学校で起こる特殊な問題なのかもしれない。つまり、知らない人は知らないまま学校時代を終える。不運にも、体罰が横行する学校に入ってしまった人は、学校生活の出来事を心に焼き付けて、その後を生きていく。
そうとすれば、この重く暗い体験を私の精神を支える「経験」にするために、私は私に固有の経験として、向き合わなければならない。
さくいん:体罰
11/14/2015/SAT
FUN!~アラフォー・ヨーガク・ヒット、SMJ、2010
運動のためにまだ行ったことのない図書館へ行ってみた。30分も歩かないないうちに着いてしまい、たいした運動にはならなかった。
視聴覚資料、つまりはCDが、いつも行く図書館とは収蔵資料が違っているので、うれしくなり、まとめていろいろ借りてきた。
なかでも有り難かったのは、80年代のヒット曲を集めたコンピレーション。
“Got to Be Real” (Cheryl Lynn) と“Can't Take My Eyes Off You” (Boys Town Gang)が収穫だった。
どういう訳か、“Can't Take My Eyes Off You”は、同じようにGangとついたKool & the Gangの作品とずっと思い込んでいた。“Got to Be Real”にDavid FosterとDavid Paichが関わっていたことも知らなかった。
70年代から80年代のヒット曲を集めたコンピレーション・アルバムはいくつも持っている。それでも、まだ記憶に残っているのに、見つけられない曲もある。
今日は豚汁を作った。買い物も行った。豚小間切れ肉、里芋、大根、人参、ごぼう、糸こんにゃく、ネギ、白菜。野菜を切ってるだけで疲れてきた。
そのうえ、久しぶりに鯵をさばいてタタキにした。
慣れないことをして、すっかり疲れた。
今日は土曜日なので酒を呑んでもよい。金曜日と土曜日は飲酒寛容日。量も以前よりはずっと減った。
今夜は、よく眠れそうな気がする。
11/15/2015/SUN
配役される車 ―「刑事コロンボ」の場合―、山田耕二、トヨタ博物館紀要 No.14、トヨタ博物館、2007
『刑事コロンボ』に登場するクルマを解説する小論、「配役される車 ―「刑事コロンボ」の場合―」を見つけた。トヨタ博物館に郵便切手を送れば、論文の全文を送ってもらえるとあったので、「トヨタ博物館紀要」を取り寄せた。
『刑事コロンボ』ファンにとって非常に面白い論文だった。各話に登場するクルマは、それぞれの犯人の職業や所得、性格や嗜好など、一言にまとめれば「ハビテュス」に沿うように「配役」されている。そこまで細やかな演出がされているとは知らなかった。
言われてみれば確かに、若者や芸術家の犯人はフェラーリやジャガーに乗り、社会的な地位の高い人はロールスロイスに乗っている。本来、ロールスロイスは、“chauffeur driven”、すなわち、所有者は後部座席に座るもので自分で運転するものではない。ところが、ドラマでは社会的地位の高い犯人が自らロールスロイスを運転することが多い。
著者もこの点に疑問を投げかけている。思うに、当時のアメリカの富裕層は、英国産の高級車をあえて自分で運転することで、富を見せつけ、自己顕示欲を満たしていたのではないか。
私が気に入っているクルマ、「二枚のドガの絵」で被害者の妻、エドナが運転していた薄緑色のクルマは、リンカーン・コンチネンタル(1971)ということもわかった。
著者はさすがトヨタ博物館の学芸員だけあって、ほんの数秒だけ映るトヨタ車を見逃さない。自動車メーカーの人らしく、「別れのワイン」の最後の場面にチクリと刺す小言も面白い。
70年代、アメリカではまだ大柄で燃費も悪いアメ車が売れていた。日本車はほとんどシェアを持っていなかった。
80年代以降、大食漢のアメ車は衰退し、小型で低燃費の日本車がアメリカ市場を席巻した。そういう点でも、『刑事コロンボ』は、アメリカが輝いていた時代、あるいは、「ダウンサイジングとエコ」の時代の前夜を映し出した作品とみることもできる。
マスキー法と呼ばれる「排ガス規制」は始まっていたが、クルマのサイズまでを考えた「エコ」という発想はまだなかったのだろう。
ピーター・フォークは、1995年にトヨタ・カローラのCMに出ていた。もちろん、コロンボの出で立ちで。コロンボとトヨタとは、不思議な縁があるらしい。
フォークがまだ健在だったらクリストファー・ロイドの犯人役を見てみたかった。もちろん、犯人の乗っているクルマはデロリアン。
11/16/2015/MON
カウンセリング初体験
自治体の就労移行支援部門で、「心としごとの相談」を受けた。相手は、臨床心理士。こういう有資格者と面談するのは、はじめて。
社会復帰の心構えを相談するつもりが、退職に至る経緯を語るうちに、初対面の人には絶対話さない、隠している秘密まで語ってしまった。
たいへんな苦労があったんですね。
そう言われて、思いがけず、その人の前で、泣き崩れてしまった。嗚咽で言葉に詰まりながら、「聴き上手になる訓練」をした人の巧みな「聴き方」にもう一人の自分が冷静に感心していた。
柔和な笑顔で迎えいれ、優しい言葉で、聞き出すのではなく、自然に言葉が出るように促す。すると、いつの間にか、話すつもりのなかった、強く蓋をしていたことまで話してしまう。
これでは、S先生が助言したとおり、相性が悪ければ、ただでさえ他者を拒んでいる「心の庭」は滅茶苦茶に荒らされるだろう。
話した時間はおそらく1時間もなかった。それなのにとても疲れてしまい、帰宅するとたっぷり午睡してしまった。
さくいん:S先生
11/17/2015/TUE
心の防御力
口撃(ママ)されると、硬直し、無言で立ち尽くしてしまう。
反撃することもできない。
そもそも、口撃をよけることができない。よけたり、かわしたりできればいいのに。
感情に、防御力は言うまでもなく、敏捷性も、柔軟性もない。
成長も進歩もない自分に苛立ち、こんこんと眠り続けた。
それでも、なんとか踏みとどまった。断崖から落ちる直前、指一本、掛けておいて這いあがった。
そして、なんとか自力で感情も立て直した。
その点は、僅かながらも成長はあったか、と今日は思う。
11/18/2015/WED
眠れない
いまは午前7時。昨夜は一睡もできなかった。こんなことは生まれてはじめて。
宿題でも試験前でも仕事でも、また遊びでも、徹夜ということをしたことがなかった。無理に朝まで起きていた経験もないし、眠れずに朝を迎える「不眠」の症状もなかった。
今週は、臨床心理士との面談や高校の保護者会があったり、ちょっとした口論があったので、緊張と号泣と高揚と憤慨とが混ざったcaoticな感情が続いている。
そんな後ろ向きな気分とは反対に、一年近く音沙汰のなかった前職の同僚からメールが届き、少しうれしくもなった。
プラスでもマイナスでも、感情の起伏が短期間位激しく生じると気分と体調が不安定になる。
今日は、このまま夜まで眠らないでいられるだろうか。
朝食をとり、腹が満たされると眠くなり、正午前まで眠ってしまった。
外は雨。家にいるとまた寝てしまいそうなので、散歩を兼ねてすこし遠い図書館まで歩いた。いつも行く図書館よりも新しく、明るい。読書と運動、一石二鳥。
うつに関する新しい本、『図解 やさしくわかるうつ病からの職場復帰 ― 復職を成功させるポイント』(山本晴義監修、ナツメ社、2015)を借りてきた。新しい本なので、最新の知見と情報を期待している。
よく歩いたので、今夜は眠れそう。明日には、平常運転に戻れるだろう。
2015年11月21日、追記。
「徹夜をしたことがない」というのは間違っていた。
学生時代、何度か徹夜したことがある。大晦日に材木座海岸で初日の出を待ったとき。国立競技場前でラグビーの試合の席取りのために。
いずれにしろ、宿題や試験の一夜漬け、幸いなことに仕事で徹夜をしたことはない。
さくいん:うつ
11/19/2015/THU
『庭』へ来る人たち
このサイトを見ている人について、Google Analyticsを使いはじめた2011年7月から調べてみた。
- OS: Windows - 57%, iOS - 17%, Android - 14%, Mac OS - 8%
- Brouser: IE - 42%, Safari - 22%, Chrome - 14%, Android - 12%
- Device: desktop - 65%, mobile - 30%
見ているページでは、圧倒的に『未来少年コナン』が多い。
閲覧開始数のうち、13%が、『第26話 大団円』、10%が、『未来少年コナン』。
1/4の人が何らかの経路で「未来少年コナン」の感想文に来ている。
ということは、まず、『未来少年コナン』のページを推敲し、行末も揃えれば、ほかのページに移ってもらえる可能性も高まる、ということ。
2004年に書いた文章を、少しずつ、読み直し、書き直している。
写真は、キャベツ畑。我が家から徒歩5分。
11/20/2015/FRI
抑うつと不安
月曜日に臨床心理士と面談をしたとき、私の病状は「抑うつ」というよりも「不安」にあると診断されていることも伝えた。面談をしている、まさにその最中でも、相手が怒り出すのではないか、心配でしょうがなかった。
人生舐めてるから、病気になるんだよ。甘ったれ! 自業自得だ!
相手が立ち上がって、拳を振り上げるのではないか。相手がこちらの緊張をほぐす話をしてきても、やはり、気持ちは恐怖と不安に支配されている。
これまでの人生で、とりわけ幼い頃から思春期までのあいだ、周囲の顔色をうかがい、自分の感情を押し殺してきたのではないか、と言われた。それは、思い当たる節がある。
続けて「自分の感情を表に出すために、自分だけが楽しむ“秘密”を持つといいです」と助言された。「ブログを書いて、人には言えない感情をぶちまけてます」と答えると、「それはいいですね」と奨励してもらえた。
「秘密」をもつことの大切さは、中井久夫も土居健郎も説いている。
「書くこと」は、今の私にとって必要不可欠な生活の一部。この「一人遊び」はときに楽しく、ときに苦しくなることもある。自分を余計追い詰めているのではないかと心配になっていたので、回復の一助にもなるという言葉に安堵した。これぞ「箱庭療法」か。
もっとも、カウンセラーは私の文章を読んだわけではない。このような文章が回復することに寄与しているかは、わからない。
写真は、公園のすすき。この秋、はじめて見た。
11/21/2015/SAT
図書館に向かって歩け
水曜日に行った図書館とは別の、家からはさらに遠い図書館まで歩いた。
速足で歩くようにしたので、かなりの運動になった。しばらく誰も触っていなかったWiiでWii Fitも少しずつしている。
散歩程度だった運動の強度をあげたのは、自治体の「特定保健指導」、簡単に言えば、メタボ予防の指導を受けたため。
健康機器メーカから派遣された指導員と1時間ほど面談した。最近の食生活と運動量の聞き取りをしたあと、これから、どんな運動をどれくらいの頻度でして、半年後の体重とBMIの目標を設定した。
参加費は無料。自治体としては、生活習慣病を減らすことで国民健康保険の支出を抑制する狙いがある。それが達成できるのならば、キャンペーンを健康機器メーカに委託する費用は多すぎることはないのだろう。
涼しくなってきたので、速足ですこし汗をかくくらいの運動が心地よい。
写真は黄花コスモス(あるいは、ハナビシソウ、もしくはカリフォルニア・ポピー)。この秋、よく見かけた。名前は、公園事務所の人に教えてもらった。
11/22/2015/SUN
グリーフケア入門: 悲嘆のさなかにある人を支える、高木慶子・上智大学グリーフケア研究所編著、勁草書房、2012
悲嘆の中にある人に心を寄せて -人は悲しみとどう向かい合っていくのか- 、高木慶子・山本佳世子、ぎょうせい、2014
11/23/2015/MON
まるごとちひろ美術館― 世界で最初の絵本美術館 ―、ちひろ美術館、東京都練馬区
曇り空のなか、「ちひろ美術館」へ出かけた。ここへは何度も来ている。
最初に来たのは30年以上前。中学三年生。二人で来た。それから数年後に来た時は、別の人と二人だった。そのあとは、6人だったり、4人だったり。3人で来たこともある。
3人で来た時、カフェで撮ったすました顔の写真はお気に入り。まさに「ちひろの絵のような」笑顔で、スマホに入れて持ち歩いている。
今回は美術館の成り立ちについての特集。アトリエから美術館として新築する際、アトリエでもあり住まいでもあった雰囲気と、ちひろの画風と共鳴する「親密さ」を考慮して建てられたという。
なるほど、美術館ではあるけれど、広い家のようでもあり、子どもたちが楽しむ秘密の部屋のようでもある。
ちひろの作品のほか、たくさんの絵本がある図書室で、『もしもし おでんわ』(松谷みよ子文、童心社、1970)を見つけた。この絵本が、たぶん一番読み聞かせた作品。
今日は一人で来た。家族はそれぞれ忙しい。暇をもてあましているのは私だけ。いや、暇なわけではない。今年の前半は「休むことが仕事」だった。いまは再び、職業をもち、労働をするために、身体と心の回復させることが仕事。
一回りして、コーヒーを一杯。のんびり休んでから、家に帰った。
写真は、美術館の近くで見かけた薄紅の秋桜。
曇っていたので「穏やかな陽だまりに揺れて」はいなかった。
さくいん:いわさきちひろ
11/24/2015/TUE
日本車大図鑑、菊池憲司、カーグラフィック、2015
1960年から2012年まで、日本で発売された乗用車をすべて写真で紹介する大型図鑑。
584ページ、28,000円。まえがきにあるように「CG(カーグラフィック)にしかできない大著」だろう。雑誌「カーグラフィック」の版元が、二玄社から独立して、カーグラフィック社となっていたことは初めて知った。
私がクルマに興味をもっていたのは、1970年代の中頃から1980年代の中頃。その後は実際に自分が購入して運転する道具としては、1990年代後半から2005年くらいまで。
それ以降は運転することがなくなった。また子どもの頃のように図鑑で見るだけで満足している。
図鑑を一通り眺めてみても、やはり70年代後半から80年代のクルマについ目がいく。「あの頃」のデザインは、直線を基調としたウェッジシェイプ。日本ではとくに、ジウジアーロがデザインしたVWゴルフに影響を受けたデザインが多い。
当時、お気に入りだったクルマ:
カローラ(79-83)、ソアラ(81-86)、ジェミニ(85-90)、ブルーバード(79-83)、セルボ(77-82)、レパード(80-86)、シビック(83-87)、アコード(85-89)、レオーネ(79-84)、ファミリア(80-85)。
70年代の日本車は余計な波や膨らみがあって、野暮ったい雰囲気があった。暴走族が好きそうなゴテゴテしたデザインも多かった。70年代半ばから80年代はヨーロッパ車のデザインの模倣が多いという人もいる。それでも私には懐かしさもあり、写真も繰り返し見ている。
最近のクルマは車種の区別がつかない。まゆ玉やおはぎに車輪をつけたような感じで角ばったところがない。「カタマリ感」などと雑誌記事では表現されている。空力の研究とコスト低減を追求すると同じようなデザインに落ち着いてしまうのだろうか。
それとも、私が興味を失ったため、どれも同じように見えてしまうのだろうか。
11/25/2015/WED
鉄道黄金時代1970's ディスカバー・ジャパン・メモリーズ、二村高史、日経BP、2014
70年代は日本社会における大きな転換期と思っている。政治や経済のみならず流行の音楽や子どもの遊びにおいても。
転換期と呼ぶのは古いものが新しいものに即座に入れ替わったわけではないとうこと。古いものは少しずつ廃れ、新しいものが徐々にはじまる。70年代とは、そういう、古いものと新しいものが入り混じった時代だったと思う。
こう考えるのは私ばかりではない。『一九七〇年代転換期における「展望」を読む――思想が現実だった頃』、筑摩書房、2010)という本もある。
大きな転換は鉄道にもあった。新幹線は、1964年に営業を開始した。一方、長い間、鉄道の主役だった蒸気機関車は1975年にその座を降りた。ということは、1964年から1975年までのあいだ、蒸気機関車と新幹線の両方が走っていた。新旧の鉄道が並走する光景の写真はあるだろうか。
70年代の転換期では、未来への道は、一本、真直ぐ続いていると思われていた。古いものは必ず廃れ、すべて新しいものに取って代われると思われていた。だから、将来、SLが観光資源になったり、最新の科学技術の粋である原子力発電所が事故を起こしたりするとは、ほとんど想像されていなかった。
70年代の転換は60年代の末から緩やかにはじまり、1978年から79年にかけて大きな変動があったと考えている。
70年代、鉄道趣味は特別なものではなかった。当時の小学生にとっては、当たり前の趣味だった。大きな駅までブルートレインの写真を撮りに行ったこともある。
本書に掲載された写真を見ていると、70年代の雰囲気を思い出す。著者があえて鉄道だけでなく、駅舎やホーム、そこで列車を待つ人々を写し込んでいるからだろう。
さくいん:70年代
11/26/2015/THU
一歩前進
S医院で3週間ぶりの診察。1月から通う就労移行支援施設を決めたことを報告した。
「よく調べて、たくさん回りましたね」と褒められたので、素直に喜んだ。
医師はあくまでも医療が仕事なので、福祉の手続きや支援施設については詳しくない。大きな病院では、ケースワーカーがいるところもあるらしい。
私が通院している病院は小さくて、にもかかわらず患者は多い。先生は診療で手一杯という感じ。福祉の制度や手続きは自分で調べないといけない。
民間で探すと高くつく支援が、行政では無料だったり補助があったりすることもある。気分が重いときには、この「調べる、行ってみる」ができない。
ここのところ、気分の乱高下はありながらも、酒をあおったり、一日中寝込んだり、という逃避はせず、なんとか安定飛行を続けている。
支援施設を訪問したり体験したりできたことも、社会復帰に一歩前進と考えたい。
速歩とWii Fitも続けている。速歩用にスポーツ店でタイツを買った。ジョギングしている人をみてカッコいいので、欲しくなった。
これがよい。足の動かし方が悪いのか、早く歩くとすぐ膝が痛くなる。タイツを履いていると脚全体をきつく守ってくれるるので、歩いているあいだに関節がふらつかない。
いまのところ、心と身体の回復は好循環が続いている。
写真は、秋晴れの公園。買ったばかりのスマホ用広角レンズをつけて撮影。
さくいん:S医院
11/27/2015/FRI
原鉄道模型博物館、横浜市西区、みなとみらい地区
惰性走行をするギア、架線から動力源の電気をとるパンタグラフ、そして鉄のレールの上を走る「本物の」走行音。
なぜか、わからない。とにかく興奮して写真をたくさん撮った。
クリーム色の電気機関車はドイツの国際特急、TEEで使われていたものだろう。特急の名前は「ラインゴルト」。
フランスにはパリからニースへ南下する「ミストラル」という豪華特急列車があった。
鉄道模型を眺めていたら70年代にケイブンシャ『大百科』シリーズで覚えたことを、思い出した。
11/28/2015/SAT
最期の手紙について
『烏兎の庭』というウェブサイトを作りはじめて14回目の記念日。
11/29/2015/SUN
心的外傷後成長ハンドブック: 耐え難い体験が人の心にもたらすもの(The Handbook of Posttraumatic Growth: Research and Practice, edited by Lawrence G. Calhoun, Richard G. Tedeschi, 2006)、宅香菜子清水研監訳、医学書院、2014
マイ・レリジエンス、中島幸子、梨の木舎、2013
11/30/2015/SAT
図解 やさしくわかるうつ病からの職場復帰 ― 復職を成功させるポイント、山本晴義監修、ナツメ社、2015
図書館でうつ病に関する新しい本を見つけた。
ちょうどこれから職場復帰の活動を始めるところなので参考になることが多かった。
今まで「認知行動療法」を誤解していた。自分に不都合な出来事を無理やり、前向きにとらえなおす、一種の「合理化」に過ぎない、と思っていた。
言葉を換えれば、現状追認の策でしかないと。
ところが、そんなに単純なものではないらしい。平易な案内書を読んでみただけでも、安直な先入観は崩された。
列挙されている「代表的な推論の誤り」には、心当たりのあるものばかり。確かに私の考え方は歪んでいる。
1月から通う就労移行支援施設では、認知行動療法のプログラムもある。何か、成果を得られることを期待している。
12/13/2015/SUN、追記。
日経新聞朝刊のコラム「こころの健康学」で、認知行動療法の専門家である大野裕が「失敗を糧に」と題して書いている。
文中に「ポジティブサイコロジー医学会」という学会が紹介されている。
"Positive"とか"Growth"という概念を医療に持ち込むことには、まだ抵抗がある。
サイトでは「認知行動療法の領域では、考え変え方を切り替えるという方法を使えば、やる気が出て、パフォーマンスを上げることができるという研究結果も出てきています」と書く一方、「バランス感覚」を強調している。
ただし、ポジティブサイコロジーは無理にポジティブになろうというものではありません。プラスの面ばかりに目を向けていると、重要な問題に目が向かなくなってしまいます。現実を丁寧に見ながら、プラスとマイナスの両面にバランスよく目を向けていくことが重要です。
当面、私の目標は「回復」と「寛解状態」。あまり高いハードルは設定しない。
そもそも、そういう思考法に問題があったのだから。
さくいん:うつ。