第26話 大団円


いよいよ最終回。「大団円」という直球の題名がいい。モンスリーからとっておきの「ばかねっ!」も聞けた。さみしかったジムシーにも、相手が無事に見つかった。オーロさえ更正している。ドンゴロスも画面のなかではまだ元気。

まさに大団円。といっても、それは後半のこと。前半は、まだ緊張が続く。

最終回は盛りだくさん。一話のあいだで、数ヶ月の時間が流れる。数時間でも二話に渡ることがあったこれまでとは大違い。

最終回の前半では、ダイスが活躍して、大人の一面をみせる。この長い戦いを通じて、もっとも変わり、もっとも成長したのは、モンスリーよりも、おそらくダイスだろう。モンスリーは変わったというよりも、取り戻したといったほうがいい。

大好きなおじいさんを心配するあまりに、ラナの心は閉ざされていた。ラナの心を優しく解き放してからラオ博士は眠りについた。今回は、わき役に注目しながら見てきたので、この場面でさえ、ダイスの弔辞に胸を打たれる。

ラオ博士の生き方がダイスを変えてきた。それは、森有正の言葉を借りれば、「変貌」と言ってもいいだろう。


最終回のあとはどうなるか。それは、オープニングの主題歌に描かれている。このアイデアも面白い。

楽しそうに船をこぐコナン。波に足を遊ぶラナ。草原を走りまわり、洗濯物をいっぱい干したロケット小屋に登る。これは、二人の夢なのか。最初に見たときには、この映像の意味がわからなかった。少なくとも、コナンがラナに出会ったときの場面ではない。

物語はこの主題歌の背景画面に向かって進んでいるとわかっていても、今回もまた興奮しながら話を追った。前回、ギガントの翼のうえで吹き飛ばされそうになる場面では、ありえないこととわかっていても、思わず手に汗握り画面を凝視してしまった。

要するに、何度見ても面白いのは、物語としても、映像作品としても、声優の演技を含めたアニメ作品としても、よくできているということだろう。

手に汗握るといっても、アニメ作品の場合、あくまで虚構の物語であることがわかっているから、言ってみれば、安心してハラハラできる。実写の映画では、物語にのめり込みすぎて、見終えてからぐったりしてしまうことが私にはある


最後は、「残され島」への船出。コナンはもちろん、帰る場所のないインダストリアの人々も喜んで新天地へ向かうだろう。それでは、ラナはどうか。生まれ育った場所、あれほどコナンに自慢していたハイハーバーを離れることを、どう思っているのだろう。おじいさんも両親も失ったラナには、コナンのいる場所がこれから故郷となるのだろうか。

コナンのほうはどうか。ダイスは、独身の自由を捨てたことを後悔しながら、コナンの将来を暗示する。

お前だって、いまにわかる。

この場面ではなぜか、『天空の城 ラピュタ』で、猛々しい女海賊ドーラが、まだあどけないシータのことを「私の若い頃にそっくりだ」と言っていたことをいつも思い出す。

年を重ねて、ラナはモンスリーに近づいていくだろうか。少なくとも、この二人が結託すれば、ダイスとコナンは、レプカににらまれた政治局員のようなものかもしれない。


コナンは子どもなのに心も勇気も大人以上なので、人間臭さが足りないような気がときどきする。ダイスのこの一言が、そう遠くない将来、現実になると想像すると、コナンがもっと身近に感じられて楽しい。

主題歌の裏に、すこしひねくれたドラマを想像してみるのも面白い。例えば、強い女房の愚痴をこぼしながら、バラクーダ号の船長室で杯をかたむけるダイスとコナン。慰めながらも、突き放す台詞を吐いてはげますのは、こういう逆境に慣れているジムシー。


コナンの旅は「のこされ島」に始まり、そこに帰り終わった。「故郷を出て、旅をして、故郷へ帰る」。『未来少年コナン』は、そういう物語と済ませていいだろうか。問いをかえれば、コナンはほんとうに帰ったと言えるだろうか。

コナンが帰りついた場所は、彼が旅立った「のこされ島」ではない。そこは、もう島ではなかった。大変動によって隆起した新しい大陸。丘の上にはロケット小屋とおじいの墓。過去の思い出はつまっているけれども、そこは同じ場所ではない。

だから、「のこされ島」への旅は、コナンにとっても、帰還ではなく、新しい出発だったといえる。もちろん心の中では、「帰ってきたんだ」という台詞が、きわめて象徴的な意味合いでつぶやかれるとしても。

いや、「帰る」ということは、いつも象徴的なものかもしれない。誰も時間を止めることができない以上、ほんとうに帰ることなどできないのだから。


そう考えると、ほかの作品でも帰ることが旅立つことになっている。

故郷を離れ、街に暮らしはじめた小さな魔女キキは、両親に手紙を出しても、自分は帰らなかった。

コハク川の主は、流れていた場所にマンションが建ち、もう帰る場所がない。ハクと別れた千尋が両親のもとに帰り、一緒に向かうのは、まだ見たこともない新居。

夢見る中学三年生の雫は、“Country Road”を、郷愁を誘う原詩を「帰れない/さよなら」とあえて故郷から遠ざかる言葉で締めくくった。

旅に出ることが帰ること、帰ることが旅に出ること

『未来少年コナン』は、機械のない時代に帰ることで、機械文明以後の未来を描いている。