第15話 荒地、第16話 二人の小屋


『コナン』には、多くの悪役が登場する。レプカ、モンスリーなど、主人公であるコナンたちに対する敵役、テリットのような自分の利益ばかりを考えているずる賢い小悪人、その時々で立場をかえるダイスのような悪人、そしてハイハーバーの悪人、オーロ。

レプカがラナに対しどれほど卑劣なことをしても驚かないし、たいして怒りもしない。物語の悪役はそういうものと思って見ていられる。ところが、オーロの言動は物語とわかっていても、見ていていらいらする。テリットの意地悪が見ていられなかったときと似ている。これはなぜだろう。

それは、オーロにひそむ悪はもっともありふれている、身近なものだからかもしれない。つまり、自分自身もその悪と無縁とはいえないということ。そして、その悪は自分に対する甘えから生まれている。

自分の境遇の苦しさは、自分で克服しなければならないのに、その原因を外へばかり探すから、はけ口も外へ求めるしかない。

それでも、周囲に甘えているうちはまだいい。恐ろしいのは、悪がほかの悪と出会い、相乗効果を生む場合。風見鶏のダイスは、バラクーダ号を引き上げることだけが目的だった。しかし、オーロと結託することで、コナンを殺すことまでいとわなくなる。

こうして凡庸な悪は、非凡な悪になる。


ハイハーバーにはもう一種類、別の悪人がいる。ガルおじさんがふともらしている。「村の中にはオーロとチートを同じように思っている者もおるからな」。

平和で、幸せそうに見えていた村に蔓延る凡庸な悪。こういう見えない悪が、他の悪と結びつくときがもっとも恐ろしい