2.19.05
第15話 荒地、第16話 二人の小屋 |
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『コナン』には、多くの悪役が登場する。レプカ、モンスリーなど、主人公であるコナンたちに対する敵役、テリットのような自分の利益ばかりを考えているずる賢い小悪人、その時々で立場をかえるダイスのような悪人、そしてハイハーバーの悪人、オーロ。 レプカがラナに対しどれほど卑劣なことをしても驚かないし、たいして怒りもしない。物語の悪役はそういうものと思って見ていられる。ところが、オーロの言動は物語とわかっていても、見ていていらいらする。テリットの意地悪が見ていられなかったときと似ている。これはなぜだろう。 それは、オーロにひそむ悪はもっともありふれている、身近なものだからかもしれない。つまり、自分自身もその悪と無縁とはいえないということ。そして、その悪は自分に対する甘えから生まれている。 自分の境遇の苦しさは、自分で克服しなければならないのに、その原因を外へばかり探すから、はけ口も外へ求めるしかない。 それでも、周囲に甘えているうちはまだいい。恐ろしいのは、悪がほかの悪と出会い、相乗効果を生む場合。風見鶏のダイスは、バラクーダ号を引き上げることだけが目的だった。しかし、オーロと結託することで、コナンを殺すことまでいとわなくなる。 こうして凡庸な悪は、非凡な悪になる。 ハイハーバーにはもう一種類、別の悪人がいる。ガルおじさんがふともらしている。「村の中にはオーロとチートを同じように思っている者もおるからな」。 平和で、幸せそうに見えていた村に蔓延る凡庸な悪。こういう見えない悪が、他の悪と結びつくときがもっとも恐ろしい。 |