土を掘る 烏兎の庭 第三部
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2008年5月


5/3/2008/SAT

「弱い父」ヨセフ キリスト教における父権と父性、竹下節子、講談社選書、2007

連休の前、高校時代の仲間の一人が結婚した。残念ながら、彼の父親は息子の晴れ姿を見ることはできなかった。

その翌週、同じ仲間の一人を訪ねて札幌へ飛んだ。彼の父親も、息子が建てたテレビでも紹介されるような立派で素敵な家を訪れることはできなかった。

もともと友人の少ない私に家族の様子を知る仲間はさらに少ない。それぞれの父親は姿も違えば、息子との関係も違った。それでも、「うちの親父」とつぶやいた声のなかに、互いに共感するものがあるように思う。昔の仲間とは、そういうものだろう。

The BeatlesBilly Joel松山千春ルパン三世オフコースサザンオールスターズ、。

脈絡もなく次々流れていく音楽を四輪駆動車の助手席で聴きながら、気に入った曲をテープで紹介しあったり、ギターで弾いて聞かせあったりした「あの頃」を思い出した。


父親となり、互いの妻と娘と息子と8人揃いジンギスカンの鉄鍋を囲むことになろうとは、「あの頃」にはまったく想像もしていなかった。

そういえば、「旧友」という曲も、もう今はない高台にあった彼の家に遊びにいったとき、よく聞いたり、弾いたりしていた。

その高台の住宅地が販売されたときの広告を彼が見せてくれた。父親がずっととっておいたものらしい。一緒に残っていたのは、竣工なった横浜スタジアムと新生「横浜大洋ホエールズ」を特集したスポーツ新聞の記事。

どんな家庭を夢見て郊外の新しい宅地を彼の父は買ったのだろう。

写真は、札幌の街を散歩しているあいだに見つけた北一条カトリック教会。

幼いイエスを抱きかかえ、牧者の杖を持った聖ヨセフ像の足元に、賽銭の硬貨一枚を置いてきた。


5/10/2008/SAT

北海道立文学館、北海道札幌市

企画展 馬たちがいた――加藤多一と北の風景

本文中にある次の一文には、最近読んだ2冊の本の感想がこめられている。

恐ろしいのは、その素朴な人々が、ひとたび戦争がはじまり世の中の価値観が無理やり一つにされてしまうと、ふだんでは絶対にしないようなことまで平気でしてしまうようになること。

一冊目は、『<いじめ学>の時代』(内藤朝雄、柏書房、2007)。内藤の名前は新聞の寄稿文にあった略歴から高校へ行かずに大学へ進学した少し変わった経歴を持った教育学者として知っていた。

その高校が1980年代に超管理教育で有名だった愛知県立東郷高校と同書を読んで知り、とても驚いた。東郷高校のことは、かつて『天皇を愛する子どもたち――日の丸教育の現場で』(林雅行、青木書店、1987年)という本で知った。異常と思っていた自分の中学校がその時代にあっては特別ではなかったこと、それどころか、もっと酷い学校があったことを教えられた。

内藤はその東郷高校で徹底的に管理教育に抵抗し、その結果自主退学させられた。その経緯が詳しく書かれている。

興味深かったのは、当時の教員の一人との対談。若い新任教員が管理と規則を金科玉条とする職員室の空気に次第になじみ、やがて率先していく過程を教員が回想する。普通の人が、全体の雰囲気(内藤は「ノリ」と呼ぶ)に感染して、異常なことを平気でするようになることを中間集団全体主義と内藤は定義している。普通の人びとこそが、全体主義の担い手になるという指摘は正しい。

その点では、以前書いた「体罰、より正確に教員の暴力について」は、一部修正したほうがいいかもしれない。そこでは、暴力をふるう教員にはいわゆる熱血タイプが多く、「暴力教員に「でも・しか」は少なかった」と書いている。いま思い出してみれば、周囲の雰囲気に呑まれ気の弱そうな人がだんだんと暴力的になっていくこともあった。ふだんは教室全体には声が届かないようなおとなしい数学教員が、「じゃあ、私もやらせてもらいますよ」という前置きをしてから生徒に平手打ちした光景を私は今でも覚えている。

そういう人たちは後になって自分の所業を反省するどころか、「そんな時代だった」と軽々と忘れてしまう。このことも、内藤は指摘している。そのうえで、普通の人々を全体主義的な集団の担い手にしないことが、いじめを撲滅する唯一の策と提言している。

もう一つ、興味を引いたのは、山形県の中学校で一生徒が体育マットで巻きつけられ殺された事件を現代型ファシズムの一典型として分析していること。普通の人が犯罪に加担し、救済されるべき被害者が糾弾され、告発されるべき加害者が擁護される異常な日常。しかし、なかにいる人は何の不自然さも感じない。その一方、外部では、ネットの掲示板で加害者と名指しされた未成年たちがさらし者にされている。そこにも、いびつな日常がある。

70年代から80年代の学校教育の歪みを体験的に、かつ分析的に書いたという点では本書は原武史『滝山コミューン一九七三』に続く仕事と言える。

大きな違いは、内藤は徹底的に抵抗したこと。とはいえ、抵抗することがいつも正しいというわけではないし、誰にでもできるものでもない。内藤にしても、学校だけでなく家族からも攻撃されていたから、防御するためには引きこもるだけではなく、反撃しなければならなかったのだろう。

だから内藤は今いじめられている人に抵抗を奨めはしない。むしろ直近の策としては逃亡を奨めているように感じられる。

本書には、最後にいじめを生み出す中間集団全体主義を打ち破る方策も提示されている。それは、私の言葉で言い換えれば多元的学校社会とも呼べるもの。

例えば、もし中学校の空き教室で市民団体が会合を開いたり、小学生の土曜学校が開かれていたりしたら、私が目撃したような密室の暴力はずっと簡単に露見していたに違いない。無差別殺人が起こって以来、学校は塀を高めようとしている。しかし、学校が密室になることは校門を開けておくよりずっと危険なことだと私は思う。

高校を辞めてから、偶然、内藤はそのような開かれた学校とも呼べるような場所へとたどりつく。まだ予備校講師だったころの小林敏明の名前をここで見つけた。


二冊目は、絵本『紅玉』(後藤竜二文、高田三郎絵、新日本出版、2005)。この絵本は内藤の分析とは反対に普通の人が全体主義者に陥ることを踏みとどまった物語。この絵本を読んで私は高史明『生きることの意味』の最終章を思い出した。戦争が終わると、抑圧されていた在日外国人が今度は日本人を襲撃しはじめた。そうした同胞の姿を見て高の父親は激怒したという。

いったい、何が踏みとどまらせるのか。話せばわかる、といった簡単なことではない。でも、一歩踏み出してしまえば抵抗することよりもやさしい道がある、そんな風にも思う。もちろん、その一歩を踏み出すことが難しいのだけれど

札幌は思ったよりも寒かったので最初に予定していたモエレ沼公園に行くのはやめて一番新しい映画館で『名探偵コナン――戦慄の楽譜』を見た。春の大型連休にコナンを見るのは、3年前から恒例になっている

今回は音楽がテーマ。いい映画館で聴けてよかった。犯人はわかりやすくミステリーとしてはやさしかったぶん、主役の女性の複雑な心理が描かれていて、これまでの作品にない趣をつくっていた。

「虹と雪のバラード」の街への旅。私には「バラッド」への旅となった。

写真は、北海道一高い38階から見下ろす北大方面の眺望。


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