土を掘る 烏兎の庭 第三部
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2007年4月


4/7/2007/SAT

THE MODS BEST”Records”、The Mods、アンティノス、2001

新しく通いはじめた図書館で見つけた音楽のつづき。

検索用のコンピュータの前で、次に思い出したのは、THE MODS「バラッドをお前に」。この曲も、古書店や図書館へ行くとよく探していた。

この曲は、1985年のテレビドラマ『もう高校はいらない』の主題曲だった。菅原文太学習塾を経営しながら、理想の教育を模索する父親を演じていた。

ドラマは、異常な管理教育に抵抗する親子の闘争。偏差値によって割り振られる高校受験を拒絶し、大検を通じて大学への道を探す。

描かれた中学校の不気味な雰囲気にどこか見覚えがあったものの、物語の進行にはだんだんついていけなくなっていった。なぜなら「もういらない」どころか、私はもう高校にいたから。

高校に入ったばかりのころ、三一書房から出ていた『闘う高校生』といった書名の本を次々に図書室で借りた。今度こそ、戦おう、そう思っていた。間もなく、私の高校生活にそういう意味での闘争はまったく意味がないことに気づいた。

高校は、まったくのぬるま湯だった。何をしても許され、何をする必要もなかった。目に見える敵がいなくなり、闘う意味さえないように思えた。もっとも、学校はそんなだらけた雰囲気を「自由な校風」と誇らしげに語ってはばからなかった

まず生徒手帳というものが学園紛争時代に廃止されたままなかった。生徒手帳がないから明文化された校則もない。制服もあってないようなもの。夏は白い色ならTシャツでもポロシャツでもよかった。パンツも黒い色ならタックの数もポケットのデザインもワタリの幅もどうでもよかった。もちろん、それがどうでもよくないほうが本当はオカシイのだが。

あのドラマをもう二年くらい前に見ていたら、その後の生活はまったく違うものになっていたかもしれない。間違いなく違っていただろう。

その頃、谷川俊太郎もよく読んでいた。彼は父親と徹夜で議論をして大学受験をやめ高校も中退した。そういう詩人の生き方に憧れながらも、入ってしまった温室から、わざわざ飛び出す勇気はもてなかった。結局、何の目的ももたないまま、ただ次の居場所を見つけるためだけに私は大学の入学試験を受けた

大学に入って居場所を見つけたかと言えば、そうではなかった。それについて、いまは書かないでおく。

いまになって思い返すと高校時代はぽっかりと開いた空白だったように思えるその頃の虚しさとも怒りとも言い難い気持ちを共有できる友人は非常に少ない。その空白はその後も霧のように残り、何かが見えてきたのは、数年前のこと。

闘争という言葉は、突発的で暴力的なものを想像させる。でもそうした闘争は、新たな闘争を呼び込むだけで、いつまでも終わりがない。ほんとうに必要な闘争は、継続的で日常的なもの

その顔をみたくて
オレは
ボロボロになる

20年ぶりに聴いた歌は、はじめから静かな闘いについて歌っていた。

静かな闘争、と書いて、もう一つ思い出した言葉がある。

Now the trumpet summons us again--not as a call to bear arms, though arms we need--not as a call to battle, though embattled we are-- but a call to bear the burden of a long twilight struggle, year in and year out, “rejoicing in hope, patient in tribulation”……

空白の時代に覚えたケネディ大統領就任演説(1961)の一節。この一節がそのときから耳に残っていたということは、空白のなかにも、うっすらと下書きは書きはじめられていたということなのかもしれない。

写真は、桜と、最近知ったと橋。


4/14/2007/SAT

「できる」とか「わかる」とかいうことは、いったいどういうことなのだろう。

初めて来た街なのに、空港を降りて左ハンドルの車に乗り、ホテルまで走る。初めて会う人と初めて話すことを、さも以前から知っているかのように話す。

そもそも英語を話している自分がふと不思議に思えてならない。映画を見てもすべてわかるわけでもなく、新聞を読んでもすべてがわかるわけでもない言葉を聞いて理解し、話し交渉して、それで金をもらっている。

これが奇妙なことでなくてなんだろう。

思い出そうとしてみれば、思い出せないことはない。はじめてクルマを運転したとき、右車線を運転したとき、アルファベットを読んだ日、はじめて外国へ行ったとき

いずれのときも、緊張していて、よく準備してよく考えてやったのに失敗して、このまま上手になることもないし、まして慣れることなどないと思っていた。それなのに、いまは、はじめての街で、はじめて会う人たちなのに、まるで何もかも要領を得ているかのようにこなしいてる。

もっとも、なんとかやりきるために、緊張と努力と犠牲とを強いられていることも確か。いつもより、何かが多くて、何かが足りない。興奮を落ち着かせようとして、ふだんよりも多く酒を飲んでいるし、それにもかかわらず睡眠は短く、浅い。時差ぼけがおさまらないまま帰るということは、ここ数年なかった。

ふだんの暮らしと違うことをしようとすると、できることをこなしている一方、他面、慣れきれていない部分が過剰になったり、不足になったりする。それを繰り返しているうちに、いつの間にか、過不足が少なくなり、慣れていく。

思えば、日常とは、何かに足したり引いたりしているものかもしれない。何に足したり引いたりしているのか。それは、はっきりとはわからない。わからないのだから、Xとしておいてもいい。とにかく、何かにあとから別の何かが足されたり引かれたりしている。

問題は、Xが何かわからないことではない。Xが何か考える以前に、そこに足されたり引かれたりしているものがいつの間にかXに溶け込んで、何が元のXだったのかわからなくなってしまうことにある。

つまり、日常とは、それが日常であるがゆえに、何がはじめから日常で、何があとから日常になったのかがわからない

Xが何か、自分とは何かを知るためには、それを直接に探し出すのではなく、自分の日常から、慣れきったものを一枚ずつ剥がしていかなければならない。

いつの間にか、私は「日常」というものにつかれている。

静かで緊張した日常日常の思想日常にひそむ闇日常に隠れている神秘、そして日常の奥にあると言われる平常底

日常がつくられていく過程を実感できることは少ない。たいていは、慣れていく痛みに耐えることで精一杯だから

だから、メールも電話もない太平洋上の数時間は、こうして、日常の形成過程を観察する貴重なひとときになる。

聴きなれた音楽に浸り、新しい暮らしを考える。まどろみのなかで聞こえてくる言葉。

慣れていく日々の片隅でふと孤独に出会う

歌の題名は、「遠いこの街で」(皆谷尚美『カードキャプターさくら主題歌集』、2001)。確かに、はじめて行った遠い街で見つけたものは、なじみ深いものだった

もう一つ、この旅のあいだにわいた疑問。「友だちができる」とか「相手がわかる」とかいうことは、どういうことか。それがどういうことかはわからなくても、そういうことは起こりうる、ということは、少なくともこの何日かでわかった。

写真は、朝陽に向かって太平洋上を飛ぶ翼。


4/21/2007/SAT

先週は、一年ぶりのアメリカ出張。サンフランシスコで乗り換え、これまで行ったことのない州に行った。

初めての街にも、何度か行ったことのある大型書店の支店があった。いつもどおりの土産を買おうと、絵本と音楽の棚をまわったけれど、慣れない売り場で横文字の題名をたどるのは骨が折れる。新しい本を探すのはあきらめて、よく知っている本でまだ持っていないものを探した。

『ふたりはともだち』(三木卓訳)は、いまの小学校の国語の教科書にあった「手紙」で知った。宿題で朗読する幼い声が、いい思い出になっている。この絵本もコールデコット賞受賞作

原文では、“Frog and Toad”、日本語訳では情緒的な「かえるくんとがまくん」。原作の文章は平明で、ともすると乾いた印象さえある。英語は、日本語とは反対に、質素であるほど、かえって情緒的に感じさせるのかもしれない

三木の訳は、原作のあっさりした感じを活かしながらも、無味乾燥にはならず、情感にあふれた日本語を新たに生み出している。

ポケモンとドラゴンボールは、最近のブーム、さくらデカレンジャーは、いまや定番。私は大人になるまで、『ちいさいおうち』は元は英語で書かれた本だったと知らなかったし原作を見ることもなかった。いまは小さいときから、一つの作品がいろいろな言葉で存在していることを知ることができる。それだけに原作としてのオリジナル、最初に出会った作品としてのオリジナル、という意味は、それぞれに重い。

ところで、サトシはSatoshiでなかったけれど、ピカチューは、やっぱりPikachuだった

ビリー・ジョエルも定番の買い物。Earl Klughが見つからなかったので、1983年ごろよく聴いていたJOURNEYのビデオ集を買った。

英語でフランス語を教えるDVDは、サンフランシスコ空港、SFOでの買い物。見知らぬ街の帰りに馴染みの空港に立ち寄りほっとした。乗り継ぎにたっぷり時間があったので、SFMOMAの銀食器のコレクションをじっくり見た。

そのSFMOMAの店には、画集や絵葉書のほか、面白い土産物がある。これまでにも自分でつくる万華鏡やねじ時計を買って帰って好評だった。

何が英語で、何がフランス語かを知らなければ、英語でフランス語を教える番組は、わけのわからない言葉をひたすら流す番組にすぎない。そこには何の境界もない。

ふと以前、フランスで英会話教室の番組を見たことを思い出した。自分が少しできる言葉を、自分がまるでわからない言葉で教えている。いまになって気づいた。あのときの驚きは、言葉には、どちらが難しいとかどちらが高等ということはないという真理だった。

写真は、高度一万メートル、ジェット気流に逆らって飛ぶ翼。


4/28/2007/SAT

「10年以上続けていることが、私に何かあるだろうか。」とちょうど一年前書いた。少し温かくなって、夏物の服を出して思い出したことがある。

今年はじめて袖を通す紺色のブレザー。買ったのは、22年前の今ごろの季節。これほど長く着ている服は、ほかに持っていない。今でも着ていられるのは、何とかサイズが変わらないでいるせいもあるし、何より服装の好みが変わっていないせい。

この服を買ったころ、平日には黒い詰襟を着ていた。おろしたての服を着て理由もなく海を見に行ったことを覚えている。

服を買ったのは、新しく自前のブランドを立ち上げたばかりの百貨店。そのブランドもいまはもうない。同じディテールのブレザーも今ではほとんど見かけない。

三つ釦中一つ掛け、センターベント、パッチポケット。こうした古典的なディテールは、最近では流行らないらしい。数えてみると、同じ色のブレザーをあわせて5着持っているけれど、どれもディテールは少しずつ違う。

ファッションの世界は、めまぐるしい。ジャケット一つとっても、ディテールも服地も年々変わっている。紺地に金釦の上着は紺ブレと呼ばれているけれど、もともとブレザーはbrazer、炎のような赤い布地だったと聞いたこともある。

トラディショナルな装いに憧れていた。そういうつもりだった。でも、そもそもトラディショナルとかオーソドックスとか、何を意味しているのだろう。単に変わらないというだけではtraditionalとは言えない。かといって、変わりつづけるものがtraditionalとすれば、それもまた矛盾している。

何と違うか、何に対して変わるのか、という点が、おそらく鍵だろう。他人に対してか、自分に対してか。直前の世代に対してか、原点に対してか。

写真は、花壇の菜の花。


さくいん:『カードキャプターさくら』ビリー・ジョエル


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uto_midoriXyahoo.co.jp