本に願いを アメリカ児童図書週間ポスター(1919-1994)に見る75年史(75 Years of Children's Book Week Posters, 1994)、Leonard S. Marcus and The Children's Book Council、遠藤育枝訳、BL出版、1998


読書週間にちなんで、本に関する本を探してみようと、図書館で一番端にある総論の書棚を眺めた。見つけたのは、合衆国の児童図書週間の歴史をポスターでたどる本。詳細な序文や画家の紹介文を読みながら歴代のポスターを見ていると、絵本史だけでなく、20世紀の米国社会史、商業芸術史、さらに広告の歴史の一面も見えてくる。

30年代に見られる保守的な家庭の風景、戦中のプロパガンダ的な標語や図案、終戦直後の希望を込めた理想主義的な意匠、60年代には『ゆきのひ』で初めて絵本で黒人少年を描いたエズラ・ジャック・キーツによって黒人の子どもたちがポスターに現れ、多言語絵本をつくったアントニオ・フラスコーニも起用された。

70年代には『ふたりはともだち』のアーノルド・ローベル、『ババール』のロラン・ド・ブリュノフが登場する。戯画化した動物の連作、いわゆるキャラクター絵本が増えてくるのはこの時代。私が気にっているユリー・シュルビッツも、1976年にファンタジックな絵で採用されている。見たことのない画家もいるけれど、この時代のポスターには、懐かしさを感じる。

80年代以降は、コミック調あり、リアリズムあり、シュールレアリスムあり、また西洋風アジア風と簡単には片付けられない混成的な画風あり。年により、また画家により、まったくスタイルが違っていて、一つの時代の雰囲気をつかむことが難しくなっている。

アメリカ合衆国の絵本史は、画家が物語も書く場合が多く、基本的に画家主導であること、移民やその二世、三世の作家が多いことに特徴があると、以前から思っていた。高学歴、文学者など、いわゆるインテリ層が中心となって始まった戦後の日本語絵本はこの点で著しく対照的。

このことを確かめるために、試しに七十五年史のうち、合衆国外で生まれたと明記されている人の数を数えてみた。75年のなかでも複数回採用されている人や夫妻で採用されている人もおり、登場する画家は総計57人。その内、本文中で合衆国外で生まれたと明記されている人は20人。

巻末に添えられた登場画家のリストには、訳者の労もあり、日本語に訳されている作品も整理されている。これをみると、ほとんどの画家は挿絵はもちろん、自ら物語も書いていることがわかる。児童図書週間ポスターの歴史を見るかぎり、私の印象は間違っていない。

著者のマーカスは、「はじめに」のなかで絵本の世界は、公共図書館を重要な発信地としているために、時の政策によって簡単に隆盛したり消沈したりすると指摘している。現在では、商業規模こそ増大しているが、質の面ではむしろ後退しているのではないかと、マーカスは危惧する。

75周年を記念する児童図書週間が近づいても、アメリカが読書家の国になりえていないのは、明らかなようである。公共図書館は、財政面でも志気の面でも混乱した恥ずべき状態のまま放置されている。民間のマスメディアは、この国の児童の読書能力の低さを、折さえあれば非難するばかりで、多くの人々が知りさえすれば、数限りない子どもを生涯本好きにするかも知れない本についてきちんと論ずる番組や紙面を、ほとんど提供してはいない。

このような疑念や不安は、合衆国に限ったことではない。信念よりも売れ筋に左右される企画、内容以外で気を引こうとする、「子どもだましのからくり」やおまけ、大規模な宣伝によるベストセラーの出現と行き過ぎた売れ行き、そしてランキング主義。そうした事態は、日本国を含めて先進国ではどこも似たようなものだろう。だから、「はしがき」の最後でマーカスが次のように書くとき、「アメリカ人」を「日本人」に変えても、あるいは、そんな限定などないほうが、その批判の鋭さを感じることができる。

アメリカ人は、フレデリック・メルチャーが主張したように、子どもの読書が子ども時代の贅沢どころか、「万人の関心事」であり、我々の未来にかかわる、民主的な社会の最重要事項の一つだととらえるつもりがあるのだろうか。

マーカスはこの難しい問題を再考するきっかけとして、まず絵本史を象徴的に浮かび上がらせるポスターの歴史を眺めるよう奨めている。

ところで、商業主義に覆われたという点では似通っていても、合衆国と日本国では、絵本をとりまく事情は微妙に異なる。この点を踏まえて、訳者はさらに日本語絵本への批判をこめて書く。

 日本には、読み書きのできない子どもはとても少ないという意味では、恵まれているといえるのかもしれまんせん。けれど、それだけに子どもの本に願いをこめる熱意に、差があるようにも思われます。とにかく「実益」先行といった風潮の中で、忙しい日々を送る日本の子どもたちにも、今こそ、ゆとりある本の世界をと、願わずにはいられません。

「ゆとりある本の世界」は、いい響き。最近では、「元気が出る」だの「友達の大切さを知る」だの、絵本の帯にまで「実益」が宣伝されている。「進め、本とともに」「本で未来を築こう」「本でひとつに」など、読書が何かの「実益」を生むと決めこんでいるポスターは、どれも戦中の標語。絵本に直接な効用を求めるのは、むしろ社会が不健康な証拠ではないか。

絵本は、確かに有益には違いない。しかし、ご利益を生むような読書は無益な楽しみからしか生まれない。戦時色が出ていない時代の標語は、どれも本を読む楽しさだけを呼びかけている。


碧岡烏兎