図鑑がすき——2005年読書録補遺


荒川洋治は「文学が好き」と言う。図書館へ行くのは好きだけれど、「文学がすき」と誇らしい宣言は私にはできない。だいたい小説をほとんど読まない。エッセイはよく読むけれど、最近では楽しいのか苦しいのかわからないときもある。読書は思索の道案内で単純な楽しみとは言い難い。

そういう私が楽しんで読む、というより眺めるのは図鑑。写真集や画集とは少し違う。たくさんの図版とともに、文章もある本。

小学生のころ、ケイブンシャの『大百科』シリーズが大好きだった。判は小さいけれど分厚い図鑑。スーパーカーブルートレインゼロ戦宇宙戦艦ヤマト。いま借りている図鑑も変わらない。大人になって追加されたのは、酒の図鑑と旅の図鑑、建物の図鑑と本の図鑑。

さまざまな材料をそれを好きな人が語る、といえば、ウェブサイトもそう。でも、ウェブサイトやマルチメディア・ソフトは、私の好きな図鑑とはちがう。ずっしりとする本の重み、ページを繰る楽しみ、それから静かな図書館で探し、見つける喜び。図鑑が好きなのは図鑑をとりまく世界が好きだから。展覧会のカタログが好きなのも、それが美術館の一部分だから。

週末の午後、図鑑をめくる。何にでも、専門家と愛好家がいることに驚く。一つ二つ、新しいことを知る。昔もこうして部屋のすみに座って図鑑を眺めていた、ふと思い出す。私のなかで何かが昔と変わらないでいることに気づく。そういう時間がいちばん楽しい。

楽しく読み終えた本は、感想を残さないまま返却してしまうことが多い。書名は、記録してある。そこで、今年眺めた図鑑のうち、とくに記憶に残るものをもう一度借りてきて、図鑑の読書を通じて今年一年をふりかえりながら、ひと言ずつ感想を残すことにした。


さくいん:荒川洋治


ヴァージニア・リー・バートン 『ちいさいおうち』の作者の素顔(VIRGINIA LEE BURTON: A Life In Art, 2002)、Barbara Elleman、宮城正枝訳、岩波書店、2004



“The Little House”は拡大する都市開発に対する痛烈な批判。第二次大戦が終わる前(初版は1942)に、このような発想がすでにあったことに驚く。

この絵本は和訳され戦後日本の絵本の出発点となった。日本語版発行は、1954年、訳者は石井桃子、出版は岩波書店。大人たちはどう読んだかはわからないけれども、子どもだった私は、田園風景より高くそびえるビルや地下鉄が次々と増えていくさまに興奮した。作者の意図がわかり、前半を好むようになったのは大人になってから。

見方が変わるのは、もともといろいろな見方ができる絵本だから、そして、見方を変えられるのは、きっと幼いときに絵も言葉も、身体にしみ込んでいるから、読んでもらった声の記憶とともに。

この絵本を評価することは、私にはできない。私の身体の一部分だから。でも、そういう本しか、ほんとうは批評することはできない

『ちいさいおうち』は挿絵の細部から、活字のデザインや配置、見開き、装丁にいたるまでが一つの作品として連関をもっている。テクストという無味乾燥な言葉ではけっして呼べない一つの世界、総合芸術としての絵本。

『ちいさいおうち』は、グラフィック・デザインの教科書にもなるという指摘にも納得。


さくいん:バージニア・リー・バートン石井桃子


航跡—Standing together, drawing an eternal line(日本郵船120周年記念)、日本郵船株式会社広報グループ、日本郵船、2004



船をめぐるさまざまな逸話。これまでの読書を補足する知識が多くて驚いた。

白瀬矗 、1910年に開南丸で南極を探検したあと、隊員の給与を金策するため、先に帰国。このとき乗船したのが、郵船の日光丸だった。豪華な客船だったらしいけれど、白瀬がどの等級で旅行したかは書かれていない。

いわさきちひろ、1944年に満州から帰国して郵船に入社、半年後、空襲で家を失くし松本へ疎開。そこで本格的に絵を描きはじめた

永井荷風の父、官僚だった永井久一郎(本名匡温、まさはる)は1897年、45歳で郵船入社。上海支店長、横浜支店長を歴任。荷風は横浜正金銀行に職を見つけ、アメリカ、フランスへ赴任する。就職は父親の斡旋によるものだったらしい。

このほかにも、豆知識と切り捨てられない歴史の場面に郵船の船が関わっている。

アインシュタインは、1922年に北野丸に乗って神戸港に来た。このときの熱狂ぶりは新田次郎『孤高の人』(1969、新潮文庫、1973)で読んだ。日本国憲法起草に関わったベアテ・シロタの父、ピアニストのレオ・シロタは1941年8月、日米開戦の直前で緊張するサンフランシスコに入港できずにいた龍田丸で演奏し、乗客を慰めた。嘉納治五郎は、1940年に予定していた東京オリンピック開催を断念した欧州出張の帰路、1938年4月、氷川丸の船上で帰国直前に亡くなった。などなど。

旅行時間が長いだけに、船旅はドラマにあふれている。


さくいん:いわさきちひろ


イギリス パブの看板物語、森護文、千房雅美写真、日本放送出版教会、1996


イギリス パブの看板物語

酒や食事を出す場所を想像できない奇妙な名前がたくさんある。このことも不思議だけれど、こういう本を見つけると、何にでも専門家と愛好家がいることをつくづく不思議に思う。


東京22章、片岡義男(文・写真)、朝日出版、2000


東京22章

エッセイと写真。片岡は「私小説を作るための写真は、6×6のような正方形のフォーマットで撮るといい。」と書いている(「買っていきましょうか」)。

「庭」に掲載している写真はすべて正方形。これはパソコンの付属ソフトについていた素材が正方形だったから。自分で撮った写真を掲載するようになってからも、理由なく正方形にしてきたけれど、この文章を読んで、「庭」にはそれが似合っていると言われたようでうれしくなった。

片岡義男というと、ずっと昔、中学の終わりか高校のはじめ、『メイン・テーマ』(角川書店、1983)を読んでいた。『時をかける少女』(筒井康隆)からの角川つながり。片岡が日米バイリンガルで、二つの言葉の世界を往復するエクソフォニーな作家であることは最近まで知らなかった。


世界のこども美術館——天才10代の絵画(日本編—2)、永井道雄・東山魁夷監修、瀬木慎一責任編集、金の星社、1988

印象に残る作品。脇田和「青山風景」(17歳、1925)、岡本太郎「敗残の歎き」(13歳、1925)、松本竣介「盛岡の冬」(19歳、1931)、佐藤忠良「冬の裏街—札幌—」(19歳頃、1931年頃)、横尾忠則「宮本武蔵」(5歳、1941)

どの絵も、年齢を信じられない。なかでも驚いたのは、横尾忠則が5歳で描いたという巌流島の決闘。このシリーズには外国編もある。ゴッホの少年時代の素描は、恐ろしくなるほど。それでもまったく売れず、才能は生涯、世間では認められなかったのだから、人間の世界はわからない。

そのほかの夭折した画家たちの名前。村山槐多、関根正二、富永太郎、戸張狐雁、広幡憲、靉光、小熊秀雄、野田英夫松本竣介


さくいん:野田英夫


BSfan特別編集 MOOK21 アメリカンTVドラマ50年 懐かしき写真とエピソードでつづる、武藤寿隆編、共同通信社、2003


アメリカンTVドラマ50年

『刑事コロンボ』『ルーツ』、それから『奥さまは魔女』。子ども時代を過ごした70年代には輸入ドラマをよく見ていた。

『奥さまは魔女』で覚えたシチュエーション・コメディは、その後もよく見た。80年代にはマイケル・J・フォックスの『ファミリー・タイズ』。90年代には深夜テレビで、キャンディス・バーゲンの『マーフィー・ブラウン』。合衆国に定期的に出張に行くようになってからは、ブルック・シールズの“Suddenly Susan”をやってないか、ホテルのベッドでチャンネルを探した。

見つからないときは、“Late Show with David Letterman”か、最近終わった超がつくほどお下劣な番組、“Jerry Springer Show”を見ることが多い。テレビは、アメリカにいるときのほうが見る。

ドラマではないけれども、忘れられない輸入番組が『世界の料理ショー』

ワインを飲みながらタマネギを炒める。そういうことをするのは、あの番組を真似しているから。そこに、お気に入りの音楽が流れていれば、週末は楽しくなる。


さくいん:『刑事コロンボ』70年代マイケル・J・フォックス


放送80年 それはラジオからはじまった 放送開始80周年記念、NHKサービスセンター編、NHKサービスセンター、2005


それはラジオからはじまった

70年代のバラエティ番組『テレビファソラシド』について加賀美幸子が回想している。いわゆる女子アナの商品化に先鞭をつけたのは、意外なことにNHKのバラエティ番組だった。タモリがテレビに本格的に参入したのも、この番組。いまではほとんどテレビに出ない永六輔が、よく言えば仕掛け人、悪く言えば業界を牛耳っていた様子が伝わる。

5歳から15歳くらいまでの記憶をたどると、テレビのことばかり思い出す。家族や友達との会話にもテレビの話題が多かった。いまから思うと、テレビを中心に世界が回っていたように感じる。


アイヌときどき日本人、宇井眞紀子、文・写真、社会評論社、2001


アイヌときどき日本人

北海道だけでなく、東京に暮らし、アイヌの文化を守る人々の姿を追う。11月28日の雑記でひと言アイヌのことに触れたのは、この本を読んだことを忘れたくなかったから。


ここだけは行ってみたい 伝説が残る景色、ピエ・ブックス、2005

ここだけは行ってみたい 大地の景色、ピエ・ブックス、2005


ここだけは行ってみたい 伝説が残る景色 ここだけは行ってみたい 大地の景色

世界各地の名景、絶景を集めた写真集シリーズ。短い紹介文がついている。

ピエ・ブックスという出版社は、はじめて知った。記録を見ると、ほかにも『日本の路地裏100』(佐藤 秀明/監修・写真、2005)といった本を今年借りてきている。

出版している本は、写真や広告の方面が多いらしい。この本も、広告のロケ選定にも使われていそう。


エレガンスの継承者たち LES SUCCESSEURS DE L'ELEGANCE、伊藤緋紗子、フォーシーズンズプレス、2005

スコッチウィスキー紀行 モルトの故郷を歩く(旅名人ブックス)、邸景一、日経BP、1997

ベルギー美食ガイド ベールを脱ぐ食通の天国(旅名人ブックス)、和田哲郎、長川恵、野田恭、邸景一、武田和秀、渡部浩之、日経BP、1998

アメリカを10倍おいしくした料理人 ウルフギャング・パック(WOLFGANG PUCK—AMADEUS OF OUR AGE)、中島富美子、小泉佳春、柴田書店、2001

『エレガンス』はクレジット・カードの会員雑誌の連載を元にしたブランドの歴史や舞台裏。『旅名人』は、ビジネス雑誌の別冊付録を単行本化したもの。


エレガンスの継承者たち スコッチウィスキー紀行
ベルギー美食ガイド アメリカを10倍おいしくした料理人

無料雑誌にも最近は面白い記事が多い。写真もきれい。でも、短すぎてもの足りないことも多い。こうして加筆されて単行本になっていると、会員でなくても読めるのでありがたい。

スコットランドには一度だけ、はじめてヨーロッパへ行ったときに訪ねた。そのときは、エジンバラ市内のスコッチ・ウィスキー博物館を見ただけで、蒸留所までは足を伸ばせなかった。これもいつか行く旅のための準備。本書は、銘柄の紹介だけでなく、土地を紹介する読み物になっている。

ベルギーといえば、グルメ。人口あたりのレストランの数はパリを上回る、という話は行って初めて知り、すぐに実感した。名物は、ムール貝。本にも写真がある。冷えた白ワインを飲みながら、バケツ一杯食べた暑い夏の旅を思い出す。よく考えると、これは、同じ店のパリにある店に行ったときのこと。

次の旅行を計画する前に、16年前の旅行記を書いておかなければ。


さくいん:ベルギー


都電の消えた街 東京今昔対比写真(山手編)、諸河久(写真)、林順信(文)、大正出版、1983

タイムスリップ 山手線、巴川享則、三宅俊彦、大正出版、2003

保存版 古写真で見る明治の鉄道、原口隆行、世界文化社、2001

別冊歴史読本62 国鉄 懐かしの特急列車、猪口信、沢柳健一(写真)、新人物往来社、1998



都電の記憶は私にはない。だから靖国通り、歌舞伎町前や帝国ホテルの旧本館の前を都電が走っている写真を見ると、合成か映画の一場面のように思える。

比較しているのは、都電が廃止される直前の昭和30年代と昭和50年代後半。渋谷のようにあまり違いのない風景も少なくない。その後の20年のほうが、区画整理が進んで街並みそのものが変わってしまっているところが多い。

今年は、山手線が環状運転をしてからちょうど80年。このことは、講談社の広報誌『本』の連載、原武史「鉄道ひとつばなし」、12月号の文章で知った。

環状運転をはじめる前、1919年には、上野—池袋—品川—東京—神田—万世橋—中野を「の」の字を横にして頭が突き出たような形に走っていた。最後に貨物駅だった秋葉原の旅客ホームができて環状化した。

万世橋駅は、戦後生まれには都電以上に馴染みがない。小金井公園のなかにある『江戸東京たてもの園』で万世橋にあった古い交番は見たことがある。隣りには都電もあった。『明治の鉄道』には、立派な駅舎の写真がある。駅前には、広瀬中佐と杉野兵曹長の巨大な銅像。これまた馴染みない名前。元少国民の人に聞くと、即座に「杉野は何処」と歌で教えてくれた。思えば、今年は日露戦争100年の年。

それにあわせて、小学生のころ何度か行ったことのある戦艦三笠に行くつもりだったけれども、果たせなかった。そこで、実物を見るるかわりに『モデルグラフィックス』(大日本絵画)の10月号を借りてきた。巻頭特集は「日本海海戦100周年記念特集「戦艦三笠の時代」 日本には三笠があるじゃないか!」。日露戦争は、武器、造船におけるイギリス対フランスの戦争という一面をもっていたことが、再現された海戦からわかる。

明治の鉄道写真では、ほかにも驚いたことがある。品川駅と横浜駅は海岸線のすぐそば。大阪、名古屋、神戸の各駅も明治10年前後の開業当時は、駅前には客待ちの人力車がいるだけの広場。

『懐かしの特急』では、今は新幹線に格上げされた「あさま」が古い記憶を甦らせる。1976年の夏休み、軽井沢から長野へかけて旅行した。行きは急行「信越」で碓氷峠を越え、車内で高崎駅のだるま弁当を食べた。隣りの席の釜飯がうらやましかったことを覚えている。

「あさま」に乗ったのは、軽井沢から長野まで。フィールド・アスレチックで遊んで、鬼押出しを観光した。帰りは、急行「アルプス」に乗った。

小学二年生だったこの夏は、鉄道に熱をあげていたのか、浅間山の写真より列車の名前が、いろいろなことを思い出す呼び水になる。


母なる神を求めて 遠藤周作の世界展、遠藤周作の世界実行委員会、アートデイズ、1999

天主堂—光の建築、雑賀雄二、淡交社、2004

舟越保武 石と随想、舟越保武、球龍堂、2005


母なる神を求めて 遠藤周作の世界展 天主堂-光の建築 舟越保武 石と随想

今年は、遠藤周作の作品をいくつか読んだ。小説『深い河』、そしてエッセイや評論をいくつか『ラ・トゥール展』を見に行ったり、『ハンセン病文学全集』を読んだのも、遠藤周作からのつながり。まったくちがう経路で今年深入りしたウルトラマンの世界が、円谷英二を通じて遠藤周作につながったことには驚いた。二人は同じ墓地に眠っている。

『遠藤周作の世界展』には、交流のあった作家が思い出を書いている。読んでいると文壇という共同体が確かにあったことがわかる。若いころから師弟関係や同人仲間で、作家としての付き合い以前に交流がある。賞をとってデビューし、対談で同業に出会ういまの作家とはだいぶ様子が違う。

どちらが正しいというものではない。ただ、この本で読めるような、ある作家について昔からよく知る別の作家が巧みにその横顔を描いた文章は、これからはあまり読めなくなるかもしれない。

『天主堂』は、長崎の古い教会の写真と解説。長崎には遠藤周作文学館もある。また行ってみたい場所。『天主堂』には、外国人神父たちを助けて教会を建てた鉄川与助の名前を教えられた。鉄川自身は入信しなかった。神父たちも、仏教徒の建てた教会は本物ではないとは、もちろん言わなかった。国や宗教の壁を気にしない、個人対個人の交流が読みとれる。

『石と随想』は、昨年のクリスマスに知った舟越保武の塑像作品とエッセイをまとめた新刊。遠藤周作との対談のあとに書かれた文章もある。

夏休みには、はじめ盛岡へ行く計画を立てた。県立美術館で舟越保武と松本竣介を見るつもりだった。結局、行ったのは奈良と大阪。大仏殿の柱の穴に入れるうちに皆で行きたくなった。盛岡も、いつか行ってみたい場所のまま。

本を読んだのは6月。秋になって、『ハンセン病文学全集』を棚から手に取ったのは、彼の作品「病醜のダミアン神父」の写真と、もう一枚の若い頃のダミアンを描いた素描、それから自作について書いたエッセイが記憶に残っていたからかもしれない。

外側の醜さの中に美しさがある、心の美しさは心の醜さを知り尽くすところに生れる、という思い詰めたような『文学全集』の感想も、舟越の作品に対する感想と重なる。


さくいん:遠藤周作舟越保武


祈りの芸術 写本絵画でたどるキリストの生涯 私たちの間のイエス(SISTER WENDY'S NATIVITY AND LIFE OF CHRIST)、Sister Wendy Becket、本多峰子訳、新教出版社、2001

クリスマスのはじまり(THE FIRST CHRISTMAS, 1983)、Rachel Billington文、Barbara Brown絵、太田愛人訳、佑学社、1983


祈りの芸術 クリスマスのはじまり

四年前、小さな子どもたちが演じる聖誕劇をきっかけにして、クリスマスについて少し考えるようになった

きっかけはもっと前にある。イエスの生涯と、キリスト教の歴史について考えるようになったのは、『クオ・ヴァディス』を読んでから。思い出すと、今年、最初に読んだ本は、『ある巡礼者の物語—イグナチオ・デ・ロヨラ自伝』(Autobiograia, 1555, Ignacio de Loyola、門脇佳吉訳、岩波文庫、2000)。騒々しい歓楽街にあるホテルのベッドの上で読んだ。この本も『クオ・ヴァディス』と同じように、<狐>に教えてもらった。

クリスマスの絵本や図鑑も、毎冬探して読むようになった。今年読んだのは、イエスの生涯を絵画でたどる図鑑と字が少し小さくて、物語の詳しいクリスマスの絵本。

シスター・ウェンディは過去の宗教画を見るとき、当時の人々の信仰心を理解しようと努めながら、同時に多民族、多文化、自然との共生など、現代的な視点を通じて新しい解釈を試みる。『クリスマスのはじまり』では、東方の三博士は賢い王として登場する。それぞれにカスパール、メルキオール、バルタザールという名前がついている物語は、はじめて読んだ。

三人めの博士の献じた没薬は葬式で死者に塗られるもので、すでにイエスの刑死が暗示されていることも、今年知った。このことは『はじまり』にも書かれている。

もう一人の博士、イエスの誕生にも十字架にも間に合わなかったアルタバンの伝説も今年はじめて聞いた。

知識が増えることは、身体に染みつくことと同じではない。説明を知りすぎることは、理解を遠ざけることさえある。それでも、聖誕劇を毎年見てきて、同じ絵本を繰り返して読み聞かされたように、記憶の層にいくつもの声が降り積もっているような気もする。

小さな聖誕劇を見るのも、とうとう今年で最後になる。心にしみとおった台詞や歌は、きっとこれからも、同じ季節に、繰り返し演じられるだろう。


さくいん:『クオ・ヴァディス』(シェンケーヴィチ)狐(山村修