日本近代文学評論選【明治・大正篇】、千葉俊二・坪内祐三編、岩波文庫、2003

日本近代文学評論選【昭和篇】、千葉俊二・坪内祐三編、岩波文庫、2003


日本には思想的伝統がないとしばしば言われる。この主張は、ある種の公式のように流布している。思想や文芸に関心のある人には、当然の前提か、感情的に否定したくなるか、いずれにしても何らかの態度表明を迫る。

専門家の選んだ明治以降の、とりわけ刺激的な文学評論文をまとめて読むと、伝統の不在という公式に真面目に対決するという伝統が、少なくとも明治以降の日本語表現に綿々と受け継がれていることがわかる。伝統がないと嘆くわけでもなければ、伝統は以前からあると頑なになるのでもない。それぞれがそれぞれの言葉で、伝統不在の伝統と対峙している。


伝統が受け継がれているということは、言葉をかえれば、同じ問題について、繰り返し考え論じられているということ。例えば【昭和篇】の最初に収められた大宅壮一「文壇ギルドの解体期」(1926)と最後の十返肇「『文壇』崩壊論」(1956)はいずれも、文学者の共同体であると同時に文学作品の業界である文壇のあり方について、まったく正反対の立場から考えている。

大宅は、文壇が特権的で閉鎖的な集団に堕していることをギルドという言葉で批判し、文学が大衆化すればギルドは消滅せざるをえないと予測した。30年後、予測は皮肉なことに的中した。商業主義が文学を覆いつくし、文学が文学としてのみ評価される切磋琢磨の場としての文壇はほとんど崩壊したと十返はみる。


ところで、従来言われてきた伝統の不在とは、同じ問題を考えるときに過去の遺産が参照されないことを指してもいる。確かに十返は、同じ問題について考えているといっても、大宅の文章を引用したり、直接議論の対象にしたりしているわけではない。

吉田健一は「東西文学論(抄)」(1954)のなかで、西洋の文学作品は「文学というものの伝統の上に立っている」ことを感じさせる、と書いている。吉田のいう伝統は、有名な作品から引用したり表現を借用したりするような目に見えることばかりではない。

伝統は、書かれた作品ではなく、書き手の心持ちにあるのではないか。自分が過去から断絶した気持ちでいれば、表面的に形や語句を借用しても、伝統を受け継いだことにはならない。たとえ引用したりしなくても、同じ問題意識をもって、そのうえ、それを現在の問題として、すなわち現在の言葉で考え、表現しているとすれば、伝統を継承していると言えるのではないだろうか。

例えば大宅と十返とでは一見、文壇に対して異なる立場にいるようにみえる。しかし、文学のあるべき姿を問うという点では共通している。十返は、大宅が論じた問題について、その問題は古いとか、解決済みというような冷めた態度ではない。かつて多くの人が向き合った問題について、自分自身の現在の問題として取り組んでいる。


評論とは何かについて考える文章。文学評論とは、文学とは何か、どうあるべきかについて考える文章といえる。吉田健一は、文学とは「言葉で楽しませるもの」と書いている。言葉を楽しむことが文学なら、文学ではなく文楽でもよかったのではないか。文学の元になった西欧の単語には、学問を表す接尾語はついていない。音楽には楽しいという字を使い、文学は学ぶという字を採用したのは、いったいどういうわけか。経緯は知らないけれども、この違いが日本語では文学をずっと堅苦しいものにしている一因にもなっているような気がする。

音楽はもちろん楽しいだけではない。悲しい音楽もあれば、怒りの音楽もある。吉田のいう「楽しませる」というのも必ずしも快いというだけを意味しているのではないように思う。楽しいだけではない。泣く、笑う、ときには怒りさえ掻き立てる言葉や文章は、みな文学と呼べる。ある人が絵について、画廊や美術館で、爽快感でも嫌悪感でも何らかの引力で見る人を立ち止まらせることができたら、その絵はすでに成功している、と書いていた。文学にも同じことがいえる。読みたくなる、読んでしまう文章はすでに文学として成功している。


文学とは、言葉で書かれ人に何かを感じさせるもの。とすれば、文壇は解体すべきか崩壊しては困るものか、という問題は文学にとっては二の次だろう。福田恒存は「一匹と九十九匹」の中で、政治が最大多数の幸福を追求するのに対し、文学はたった一人の悲しみのために存在する意味があると述べている。つまり、文学とはきわめて個人的なもの。そうとすれば、「必読」という言葉は本来、文学とは無縁のはず。

過去とのつながりを感じながら、一匹の自分を自覚する。そして、身の回りにいる人々のなかにそれぞれの一匹を見出す。その過程を自分自身から湧き上がる、つまり一匹の言葉で表現すること。私のなかではそれを文学と――同じ音でもできれば「楽」という字を思い浮かべながら――呼ぶことにする。

解説で、坪内は「昭和の評論は小林秀雄に始まる」と書いている。その通り、と思うと同時に、批評、すなわちエッセイとしての評論は、小林が終わりのはじまりになっているようにも思う。本書に収録された文章だけをみても、小林秀雄以後の文章は考える文章から論じる文章へ傾斜している。小林は、批評は詩を母胎とすると考えていたけれど、小林以降の批評文はむしろ論説文に近い。いや、以前『全集』を読んだときの感想からいえば、小林秀雄のなかでも考える文章は論じる文章へと次第に傾斜しはじめている。

小林秀雄以前、すなわち「明治・大正篇」に収録されている文章は、いずれも論理や引用よりも自分の思索を言葉に表現する格闘が前面に押し出されている。ここまで引用したのは「昭和篇」の文章ばかり。それは論理的で、引用しやすい表現になっているせいもある。


二冊の文章のなかで、もっとも心奪われたのは石川啄木「時代閉塞の現状」と宮沢賢治「農民芸術概論綱要」。この二作品以外も、明治大正期の評論はいずれも熱い。書いている作家は文学史に残る有名人ばかりだけれども、掲載された文章は、文章の上手さよりも、どれも情熱が先走っている感じさえする。例えば、「時代閉塞の現状」の結語部分。

文学――彼の自然主義運動の前半、彼らの「真実」の発見と承認とが、「批評」としての刺戟を有っていた時期が過ぎて以来、漸くただの記述、ただの説話に傾いて来ている文学も、かくてまたその眠れる精神が目を覚まして来るのではあるまいか。何故なれば、我々全青年の心が「明日」を占領した時、その時、「今日」の一切が初めて最も適切なる批評を享くるからである。時代にぼっとうしていては時代を批評する事が出来ない。私の文学に求むる所は批評である。

この熱さはどこから来るのだろう。おそらくは摩擦熱ではないか。一匹の言葉による表現が、時代、伝統、過去、そして自分自身と摩擦を起こしている。

最近は上手な文章、わかりやすい文章はよくみかけるけれども、熱い文章にはなかなか、とくにプロの文章では見ることがない。市場が成熟し競争が激しい現代では上手すぎるくらいでなければプロにはなれない。きっと現代では、熱い文章は、プロから少し離れたところにある。いや、芸術はいつの時代でも、つねに職業や商売とは距離を保ち反発しながら両者を発展させてきた。

いま宗教家芸術家とは真善若しくは美を独占し販るものである
  われらに購うべき力もなく またさるものを必要とせぬ
  いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ
  (「農民芸術の興隆……何故われらの芸術がいま起こらねばならないか……」)
職業芸術家は一度亡びねばならぬ
  誰人もみな芸術家たる感受をなせ
  個性の優れる訪問に於いて各々止むなき表現をなせ
  然もめいめいそのときどきの芸術家である
  創作自ら湧き起こり止むなきときは行為は自ずと集中される
  そのときおそらく人々はその生活を保証するだろう
  創作止めば彼はふたたび土に起つ
  (「農民芸術家の産者……われらのなかで芸術家とはどういうことを意味するか……」)

宮沢賢治の熱気が伝わってくる。職業と一線を画し、己の生命とだけ向き合うことを通じて芸術を生み出す者が新しい芸術を生み出し、新しい職業を生み出す。芸術から職業が生まれるのではない。芸術を生み出す者が生活を新たにし、自らの生命を新しくする。


いま、断言できるわけではない。宮沢賢治にしてもそうだったのではないか。書くことは、自分自身に対する願望や期待を形にすること。自分で書いたものを読みかえすことが、願望や期待を実現する勇気になる。

文章が考える過程であり、思考を試みるという意味で“エッセイ”であるという意味は、きっと、そういうことだろう。


碧岡烏兎