武蔵野市が生んだ風景画の名匠 手代木克信回顧展、手代木克信回顧展実行委員会、武蔵野市民文化会館


街角の掲示板に貼ってあるポスターで、無料の展覧会を知った。

武蔵野市に生まれ育ち、一昨年亡くなった画家、手代木(てしろぎ)克信の回顧展。高校時代に描いた百済観音の素描から、欧米探訪のあと描いたヨーロッパの街並みやヨットハーバー、独自のスタイルをつかんだ北海道の風景画、そして晩年の作品まで。

正確なデッサン力をほめて、油彩に取り組むことをすすめたのは、宮本三郎。二十代のころは脇田和の影響もあったという。「わきたかず」といえば、私には『おだんごぱん』(瀬田貞二文、福音館、1966)。二人めの子が生れるとき、待合室で読み聞かせていた絵本。脇田が洋画家であることを、実ははじめて知った。

風景画を書きはじめた頃の絵は、北海道の田園にまっすぐ続く一本道ばかり描いている。詳細は少しずつ違う。見えなくなる先のほうで曲がっていくもの、登り坂、下り坂、路傍に木があるもの、ないもの。


一つのモチーフをつかんだら、考えられるあらゆるヴァリエーションを描く。表現者の飽くなき探究心。

晩年、結果的にはそう言わなければならない時期の絵には、一本道はもうない。画面いっぱいに畑が広がる。畑はうねり、曲がりくねり、はるか彼方へ続いている。畑には、ミューレと呼ばれる作業場、農家の刈り取った麦の束、ラベンダーの花。

一本道がどこかに続くのではない。畑そのものが道。ここで働き、ここで育て収穫し、ここに暮らす。ずっと遠くに高い山が見える、青い海が見えている。そこへ向かって歩く必要はない。この畑が、山へ海へ、きっとさらに遠くへ、続いているから。

言葉にしようとすれば、そう言える。技法の研鑽と表現の蓄積を通じて、そういう絵に近づいていったことに感動する。


一本道と畑。どちらが正しいというものではない。どちらのモチーフも、画家にとっては切実なイコンであったに違いない。一つの具象に託し表現を重ねながら、それでもなお記号に安住せず、新しい表現を開拓していった内なる力、それこそが芸術の本質ではないだろうか。

展示には、ところどころ簡潔で親切な解説が掲示されている。絵画の知識と手代木の人柄の両方に通じた人による言葉が、絵のことばをわかりやすく翻訳してくれる。

一本道と畑の絵では、技法も違うらしい。素人目には違いははっきりしない。近くでは緑色のベタ塗りにみえて、すこし離れると草が風にゆれているように見える。近づくと点ばかりで、遠ざかると絵になる点描画とは対照的。何か特別な仕掛けがあるのかもしれない。


引用されていた二つの箴言が印象的。一つは、オスカー・ワイルドの「自然は芸術を模倣する」。もう一つは、江戸の儒学者、佐藤一斎の「老いて学べば、死して朽ちず」。

芸術家は、自分が描きたいように、もう少し正確には、描かなければならないと信じるとおりに自然を見る。そのように表現される芸術家の目を通した自然を知ると、凡俗な人間でさえも、芸術的な目で自然を見るようになる。これから先、どこまでも広がる畑をみるとき、私はそこに、必ず道を見るだろう。

いただいた一枚の絵葉書、「畑の情景」も、見るたびに、そこに一本の道があることを教えてくれるに違いない。