最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

黄昏の公園

1/18/2015/SUN

イコン―神の国に開かれた窓、鞠安日出子、日貿出版社、2007

山下りん、小田秀夫、日動出版部、1977
山下りん―明治を生きたイコン画家、大下智一・北海道立近代美術館、2004

「イコン」という絵画を教えてくれたのは、代ゼミの世界史講師、山村良橘先生。「イコンは、キリスト教が禁止している“偶像”ではない、それは“信仰の対象”そのものなのです」という言葉を覚えている。わかったような、わからないような気がしたまま、長いあいだ気になっていた。

図書館で現代のイコン画家の画集を見つけた。

鞠安日出子の下の言葉は、「イコンは信仰の対象そのもの」という山村先生の言葉を言い換えたものととらえても間違いではないだろう。

   イコンは、普通の絵画と違い、描かれるものが神の世界です。神の世界はこの世とはまったく異次元の世界ですから、イコンに描かれた世界は、この世と完全に区別されなければなりません。そのためいっそう枠が必要になるのです。イコンそのものに枠を描き、この世とイコンの世界(神の世界)とを区別します。枠の中に描かれた神の国は、この世とはまったく異なった世界でであることを、イコンのそのものに枠を描いて示します。
(イコン雑感 枠(コフチェーク))

まだ完全に自分の言葉で表現しなおすことはできないものの、山村先生の言葉が30年越しにすこしわかってきた気がする。

日本でイコンを描いている画家がいるとは知らなかった。そういえば、明治時代にロシアまで修行に行ったイコン画家を紹介したテレビ番組を見たことがある。検索してその画家が山下りんであることを突きとめ、図書館に所蔵されている本を借りてきた。


『山下りん』の著者、小田秀雄にとって、山下は大叔母にあたる。幼少時にはりんに可愛がってもらったという。小田は山下の郷里である茨城県で文化行政に関わり、美術館館長もしていた。そこから「忘れられていた」イコン画家、山下りんの作品が各地のハリストス正教会で発見されていく、人々との出会いを記した後篇は、一冊の詩集から遺族を見出し、「忘れられていた」詩人、金子みすゞの「発見」に至る不思議な縁によく似ている。

山下りんは、明治初期に女性一人でロシアへイコン画を学ぶために赴いた。その旅程は見るだけでも、現代の感覚からは想像できない厳しく長い。

往路:1880年(明治13年)12/11横浜から出発、南回り、シンガポール、コロンボ、アレキサンドリア、スエズ、コンスタンチノープル経由、50日の船旅。オデッサから汽車。

帰国:1883年(明治16年)3/7。汽車でベルリン、ケルン、パリで滞在。マルセイユから出航、ナポリ、ポートサイド、スエズ経由。3/27帰国

現代では、東京から地球の反対側のブラジルへ行くことも、せいぜい一日半だから、この旅に比べればずっとたやすい。途方もない時間もかかる上、現地に日本語を話せる人などほとんどいなかっただろう。その苦労は私には想像できない。

『明治を生きたイコン画家』は、山下りんが大叔母であった小田秀夫の『山下りん』(1977)に始まった山下りん研究に、その後の成果を盛り込んだ伝記。

鉛筆の素描から日本のハリストス教会に残る祭壇画(イコノスタス)まで、60点の図版が掲載されている。

本は新書サイズで大きくはないものの、いまもエルミタージュ美術館に残る「ハリストス復活」(1891)もカラーで見ることができる


講義の端々で聞く逸話から、山村先生がキリスト教徒、おそらくは聖公会の信徒と推察した。山村先生は小樽出身。うろ覚えの記憶には、函館のハリストス教会の改築中、イコンを預かっていた、という言葉もある。上記の山下りん関連の本に山村先生の名前はない。

キリスト教に関する山村先生の言葉には、まだいくつか、よく覚えているものがある。

「三位一体とはどういうことか」などという設問は馬鹿げている。三位一体について語れる人は日本に何人もいない。そういう概念であることを設問者は理解していない。

宗教は字数制限の筆記問題で解けるような簡単なものではない、と先生は警告したかったのだろう。

同じ文脈で、次のような言葉も聞いた。

サン・ピエトロ大聖堂にあるペテロ像の足先は数え切れない巡礼者が触れてきたのですり減っている、この意味を考えないでいて宗教を考えることはできない。

受験のための用語や年表だけではなく、山村先生からは歴史や宗教、そしてそれらについて考える「思想」というものについて、多くを学んだ。

山村先生について、きちんと書こうと前々から思ってはいる。30年前のテキストと講義ノートは見つけたが、「語録」はまだ手をつけられずにいる。