最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

ニコライ堂尖塔

12/25/2015/WED

山村先生語録


山村良橘先生について


以下の語録は、講義を聞きながら、テキストやノートの隅に書いたもの。正確ではないかもしれない。

読み返してみると、政治や宗教について踏み込んだ発言をしていることがわかる。そうした発言は単に横道にそれたというような気安いものではなく、先生の「思想」を伝える重みのある言葉だった。受験合格だけを目指した講義ではなかった。

このような発言は、当時、また現在でも、山村先生くらいのベテランでなければ許されないものだったのではないだろうか。

  • やさしくわかることはやさしくやる。しかし、むずかしいことはやさしくならないこともある。
  • 覚えるためには、一切のプライドを捨てましょう。
  • 手と舌は脳だ。それを使えば、ぐっと頭がよくなる。
  • 食うために生きたことのある者のみが、生きるために食うという資格がある。
  • 商業民族は文化の伝達人。
  • 対比の精神は、歴史の基本。
  • 宗教に興味がないのなら、人間の研究はやめなさい。
  • サン・ピエトロ寺院にあるペテロ像は、足の親指がすり減っている。数え切れない参拝者が数百年にわたり撫でできたから。この意味について、考えようとしない人は宗教を学ぶことはできない
  • 僕らは歴史を勉強しているのではなく、「歴史の研究」を勉強しているにすぎないかもしれない。
  • 語学ができないのは、歴史家とはいえない。
  • 自信をもって挫折しなさい。
  • 若いときの裏切りは裏切りではない。
  • サンマルコ広場でビールを呑むと気持ちがいいんです。皆さんも大学に合格して、ぜひ行ってみてください。
  • 芸術の出発点は生活であった。
  • 失われたものの中から、現代を救うものを探し出せ。
  • 目がよくならないと、いつまでも写真の仏像が美しく見える。
  • 「講義一方通行」なんて俗説に惑わされないこと。
  • 我々は、未来に挑戦する前の過去のしがらみのなかで生きている。
  • 三位一体については黙して語らず。こんなことを高校生に聞いてはいけない。
      三位一体について語る資格がある人は、日本には数人しかいない。こんな設問をすること自体、歴史と宗教の本質を理解していない証拠。
      でも、心配しないで。入試用の回答は、これからちゃんと説明します。
  • 主体のない解答は、歴史の解答にあらず。
  • 歴史を学ぶためには複眼でなければならない。いろいろな角度から見ること。
  • 第二次大戦時のフランスではド・ゴールはイギリスに一時退避し、連合国とともにパリ奪還を計画した。その一方、ペタン率いるヴィシー政権はフランスに留まった。この事実だけで、ヴィシー政権はナチの協力者、パリを奪還した英雄はド・ゴール、という単純な見方をしてはいけない。
  • 勉強は食事と同じ。忘れたら、お腹が空いたらまた食べるように、また勉強すればよい。受験が終わったら、どんどん忘れなさい。そして、どんどん勉強し直してください
  • ギリシア正教を理解しなければ、ロシア文学は理解できない。僕にもできない。高度な神学の問題がある。
  • 僕は何主義でもないが、アナーキストと言われると当たっているところもある。
  • 僕は日米安保には反対。引きずられるのが嫌いだから。でも簡単に解体できるとは思ってない。長い時間と多面的な外交が必要。
  • マルクス主義について一つ言っておく。プロレタリアートが政権を奪い社会主義が成立し、やがて共産主義社会が成立するという「理論」はわからないでもない。
    しかし、その闘争に「参加しなければならない」という倫理的な判断を個人に求めるところや、「参加することになっている」と歴史を自動的な動きと考えることは承服しがたい。
  • 革命は、一部の人たちが言うようなカッコいいものではないのです。苦しめられ、虐げられ、もうどうすることもできなくなった人たちの怒りが革命を起こす。だから、革命は必ず争いになり、多くの人を傷つける。
  • 言いたい奴には言わせておけ

最後の言葉は、山村先生本人のものではない。同じ代ゼミの人気古文講師、土屋先生が山村先生のモノマネをするときの台詞。いかにも山村先生が口にしそうな言葉ではある。多忙な予備校講師が、ほかの講師の講義を聴いていることに驚いた。空き時間にベテラン講師のスキルを盗みに来ていたのかもしれない。



山村先生のこと
山村先生のおまじない

さくいん:山村良橘