最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

プチャーチン来航記

3/2/2017/THU

ロマノフ王朝展 ― 日本人の見たロシア、ロシア人の見た日本 ―、東洋文庫ミュージアム、東京都文京区


東洋文庫ミュージアムへ来るのは5回目。ここへ企画展が変わるたびに通うきっかけになったのは図書館で借りた一冊の図鑑。『記録された記憶―東洋文庫の書物からひもとく世界の歴史』。史料を間近で見られることに興味を持った。

東洋文庫ミュージアムはちょうどよい。

私は研究者ではないし歴史小説好きでもない。昔、少し世界史が好きだっただけ。

そういう私がここへ来ると、これは知ってる、ホントはそうだったのか、これは知らなかった、もっと知りたい⋯⋯。そんな風に上手に知的興奮を案内してくれる。

博物館の王道を行くトーハクとは一味違う趣き。小規模で民間運営だからこそ、集客のためにさまざまな工夫を凝らす必要性もあるのだろう。ロシア語科を卒業している声優、上坂すみれを音声ガイドに起用したこともその一つ。今回は常設のモリソン文庫の解説も担当していて新鮮だった。


ここは、展示を説明する文章は毎回、「調子に乗り過ぎ」と思わせるほど面白い。

「ピョートル1世はワイルドだろ」「アムール、モナムール」「ロシアって広いなぁ」などなど⋯⋯⋯。


もちろん面白おかしいだけではない。東洋文庫の展示方針の一つとして私が感じるのは複眼的であること。

今回のロシア展で言えば、日本とロシアとの関係が、太平洋戦争後、現在まで続く領土問題を抱えた対立関係ではなく、かつては非常に友好的な関係にあったことを繰り返して指摘している。

いわゆる大津事件でも、そもそも友好的な関係だったからこそ皇太子は来日したこと、そして事件後、すぐさま帰国はしたものの、武力による威嚇や賠償金の請求などはせず、事件を大事にせずにいたことなどが指摘されていた。

展示の目玉である、船を失ったプチャーチンのために造船した「ヘダ号」進水の図は、日露の友好関係を示す象徴する史料。

描かれた誰もがうれしそうな顔をしていて、両国人の気持ちが想像できる。主だった人には名前も書かれている。兵作と亀一郎がとくにかわいい。

このほかの図番でも、ロシア人と日本人は互いに、服装や持ち物について詳しく描いている。

東洋文庫に来て毎回思うのは、「人は、なぜ、そこまでして調べて、描いて、書き残すのか」ということ。その情熱は、どの時代でも、どの場所でも変わらない。


複眼的という点でもう一つ指摘しておく。ロマノフ王朝の皇帝をみると、文化や学問を保護し奨励した皇帝が、同時に領土拡大を狙った軍拡主義だったり、庶民に対して厳しい圧政を行っている。これはどういうことか。

「リーダーシップ」、ということがまず言える。外国の脅威に対し弱腰だったり、軍を統制しきれないような皇帝は内政においても問題の解決に消極的だったりする。そういう皇帝は「ロシア文化」を称揚するという大志もない。結局、外国との摩擦が高まったり、内政が混乱したりする。

圧政をした皇帝というだけで独裁者とは言えないし文化を保護したから啓蒙的だったと単純には言い切れない。とくにロマノフ王朝の場合、広大な国土があり、西では対立する列強、東に未開拓のシベリアがあり、両者に眼を配る高度な政治力が必要だった。

また、広大な国土にはさまざまな民族が住んでいて、皇帝の威厳と国家の統合を高めるためには「ロシア的」なものを生み出して文化の育成も必要だった。

ロシアの歴史と文化というと、冷戦時代に歴史を学んだ私が学んだロシア観は、皇帝対農奴という通俗的な唯物史観だったり、文学や音楽など「美しいロシア」だけを抽出したものだったり、偏りが大きかった。


内外に対して強くなければ、領土にも食糧にもならない文化の育成・奨励はできない。交易で平和的に儲ける途もあるが、そのためにもやはり産業の育成をしなければならない

文化興隆を外交と内政よりも優先させてしまうと、宗の徽宗のように政権を崩壊させてしまうこともある。


このような見方をするようになったのは本展の展示方法に負うところが大きい。皇帝を紹介する説明文でも、表の顔と裏の顔を紹介する。

そもそも、日露関係が、大津事件、日露戦争、北方領土問題など、対立する問題が過去から現代まで続いている。本展は、いくつもの対立を呼ぶ事件があったにもかかわらず、日露の間には友好的な親交もあったことを伝える。

本展の白眉、『プチャーチン来航記』はその象徴といえる。


さらに言えば、ここ、東洋文庫そのものが文化が持つ両面を示している。

東洋文庫は三菱財閥の三代目、岩崎久弥が、中国で政治顧問をしていたオーストラリア人、ジョージ・アーネスト・モリソンから買い上げた膨大な資料が基礎となっている。

さまざまな事業で財産を築いた財閥がなければ、貴重な歴史資料は残らなかった。東京で一般に公開されることもなかった。

社会主義的が理想としていた貧富の差のない社会であったら、モリソン文庫は散逸していたかもしれない。

ロシア革命から100年。

理想の社会とはどういうものか。大きな問いかけを残す展示だった。