最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

富士山

2015年1月

1/4/2015/SUN

休息のない生活

昨年末で5年10ヶ月働いた会社を辞めた。いまは無職。この経緯と事情については、もう少し心の整理ができてから書くつもり。あまりの急展開に自分でも「何がどうしてどうなったのか」(©宮川賢)、事態を飲み込めていない。

振り返ると、1996年から昨年末まで続けていた営業職では、年々、オンとオフの切り替えが難しくなっていった。昨年は、オンとオフの境目がないに等しかった。

その理由の一つは、スマートフォンの進化とパソコンの軽量化、そして、Wi-Fi環境の整備にある。どこにいても仕事ができる。ということは、どこにいても、仕事をしなければならない、ということでもある。

私が営業職を始めた1996年、携帯電話は社内のごく一部の人しか持っていなかった。電子メールも英文しかなかった。

当時は、“Deligation”という制度があった。社長が海外出張や有給休暇で不在のときには、部長が代理でさまざまな承認をしていた。ヒラ社員でも、あらかじめわかっている不在の場合、上長か同僚が「代理」をしてくれていた。

この制度は、上役の仕事を試す機会でもあり、客先とのあいだで摩擦や不正がないかを確認する意味もあった。


ところが、スマホとパソコンとWi-Fiルーターをもっていると、どこでもいつでも、直接に要件を伝えることができる。

風邪をひいて寝込んでいても、うとうと数時間寝たあとにはメールを確認し、留守電が入っていれば折り返し、電話をかけた。誰も代理をしてくれない。

事情は有給休暇でも同じ。休暇といっても出勤しないだけで電話はいつでもかかってくるし、メールも定期的に見なければならない。子どもの運動会の思い出には、かかってきたトラブルの電話の記憶が付着している。

どこか大きな会社の社長が「今の時代はこまめにオン・オフの切り替えが必要」と言っていた。ちょっとしたスキマの時間に音楽を聴いたり、本を読んだりする時間管理能力が重要なスキルと付け加えていた。それが現実であることはわかるけれども、適応するのは難しい。

自動車メーカーの社員から小説家に転じた黒井千次は上司に「サラリーマンは24時間サラリーマンでなければならない」と言われ、よりリスクの高い小説家になる道を選んだ

黒井千次の上司の言葉は、おそらく気持ちの上でのことを言っていたのだろう。会社を出ても、仕事のアイデアやカイゼンを考えなければ、競合メーカに負けてしまう。そう言いたかったのではないか。


いまは違う。ホワイトカラーも、文字通り、24時間、臨戦態勢でいなければならない。

私は営業職だったので、外回りをしてから直帰し、自室で残業することができた。遅くなっても仕事は会社で済ませて帰りたいという人と、まずは帰宅し、本来くつろげるはずの寝室で残業をする方がいいという人といる。私の場合、夕食には家族で揃っていたかったし、会社が遠かったので、先に家に帰れることはありがたかった。

私が担当していた顧客の担当者は内勤事務職だった。ということは、彼らは夜の10時11時になっても会社に残り、私に宛ててメールを送信していたということ。緊急の用件があるときは遅い時間に電話がかかってくることもあった。恐ろしいのは、今更驚くこともなく、それが通常運転になっていること。

技術の進歩が、人を楽にしないで、余計苦しくしている。多くの企業で、いわゆる「心の病」が蔓延している原因にもなっていると思う


1/11/2015/SUN

ケネディ―時代を変えた就任演説(Ask Not: The Inauguration of John F. Kennedy and the Speech That Changed America, 2005)、Thurston Clarke、土田宏訳、彩流社、2006

リンカーンのゲティスバーグ演説キング牧師の“I have a Dream”と並び、米語の演説で最も知られている演説。

1961年1月20日の当日までに、演説が、誰によって、どのように構想され、推敲され、そして決定稿となったかということが、ジャクリーン夫人をはじめ、ケネディをとりまく人々の動きとともにつぶさにたどる。

この演説がケネディ一人の創作でないという指摘に驚くことはない。むしろ、そこに彼の参謀やスピーチライターが提案した政策や文言が、ケネディ自身が構想していた政策方針との調和を図りながら、数多く盛り込まれていることに驚かされる。


私にとっては30年近く前の高校2年生の頃の思い出と重なる。通っていた英語学校で全文を暗唱できるまで聞き返し読み返した。ここに用いられている語彙はいまも私の英語語彙の中核になっている。

初めて海外旅行をしたときにはボストンにあるケネディ記念館も首都にあるホワイトハウスも訪ねた。大統領官邸の内部が観光コースになっていることに非常に驚いた。

いまは、実際の演説を動画で見ることができる。解説として読みながら演説を聴くと、本書の意図がよくわかってくる。


1/17/2015/SAT

精神科医の見た聖書の人間像―キリスト教と精神科臨床、平山正実、教文館、2011

平山正実『精神科医の見た聖書の人間像―キリスト教と精神科臨床』のなかで、著者は精神疾患の一因に我欲と我執を挙げていた。「過剰な『欲望』が契機となって『心の病』が発症する」とまで言っている(第2章 ギデオンーー偶像と欲望)。精神疾患は、外圧、すなわちストレス過剰に対する自己防衛ではないのか。経験豊富な医師の厳しい言葉に、少しの戸惑いと憤りを感じた。

今回の「病気による退職」の経緯を振り返えると、自分こそ、我欲と我執の結果、心身に病を来し、会社を辞めるまでになった典型と気づいた。

平山の著書を読み返すと、偶像崇拝をモノやカネへの欲望と関連させている点も興味深い。文字通り、拝金主義が人をダメにするという。これこそ私のこと。


『庭』のなかでは、「格差社会は大きな問題」、日本の中間層は「上にいる実感」がなく、むしろ下の層を努力していないと蔑んでいる、そういう研究者の主張に同意しつつ、こっそり自分だけ上に這い上がりたいともがいていた。

登記上の本社をタックスヘイブンに置く米系企業で働き、給与に追加してもらった株で一儲けしようと企んでいた。経済的な余裕ができたら、それから、勉強をやりなおしたり、地域の活動に参加したり、何か世のため人のためになることを始めたい。そういう身勝手な夢を描いていた。

この考え方は狡賢いだけで、間違っている。勉強したいなら、いつでも時間を見つけて始めることができるし、働きながら空いた時間に困っている人を助けている人はたくさんいる。金持ちになるまで待つ必要はないし、金持ちにならなくてもできる。


金持ちになりたいのであれば、働けばいい。日本でも本社でも、昼夜も週末も関係なく働いている社員もいる。彼らは「成功」を夢見て、そのために猛烈な努力をしている。自分はといえば、平日は家で夕飯を食べたいし、週末は家で休みたいし、太鼓持ちの接待やゴルフはしたくない⋯⋯。そんな姿勢で、シリコンバレーで成功するはずがない。

考えのうえで進みたい方向と、行動のうえで得たい報酬と、実際に自分ができることとしていること、自分と周囲とはもちろんのこと、自分の内側でも、何もかもが噛み合わなくなった。歯車はガタガタときしみだした。

詰まるところ、私の夢は「金儲け」に過ぎなかった。「絶対矛盾的自己疎外」とでも呼びたくなるような異常な心理状態だった。


退職を迫られたとはいえ、当座の生活費を健保組合を通じて傷病手当金を受給できるように提案してくれたことは、社長に感謝したい。

パワハラ的にがけっぷちまで追い詰められていたら、自分自身を制御できない精神が自分の身体に何をしていたか、恐ろしくて想像もしたくない


1/25/2015/SUN

ビジュアル版 アメリカ大統領の歴史大百科(The Illustrated Encyclopedia of the Presidents of America, 2012)、Jon Roper、越智道雄訳、東洋書林、2012

アメリカ合衆国大統領は日本の総理大臣とは違い、国家元首であり、「選ばれた国王」とも言われる。それゆえ、本人の一挙手一投足だけでなく、立憲君主制の国でのいわゆるロイヤルファミリーのように家族の動向も注目される。

本書では仔細にわたる大統領自身の列伝に加え、歴代大統領のファースト・レディを紹介するコラムが面白い。

また、「最初の」「最年少の」「最高齢の」といった記録が豊富に紹介されている点も楽しい。こういうところに拘るのはアメリカ社会の特性か。