土を掘る 烏兎の庭 第三部
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2009年3月


3/7/2009/SAT

レイアウトは変えず、表紙の色を少し変えてみた。『デザイナーのための世界の配色ガイド――世界中から集めた750種類の色をCMYK値とRGB値で紹介』を片手に、気に入った配色を試している。印刷と画面とでは、色合いが違う。よさそうに思えた配色も、画面では見づらいことがある。時間をかけて作った第三部を除いて、まだしっくりこない。これで決まりというものでもない。時間のあるときの楽しみにとっておくことにする。

新しい職場に通いはじめて一週間。同じ路線のまま、下車駅が遠くなり、通勤時間が40分ほど長くなった。長くなった通勤時間に何をしようか。音楽や録音したラジオ番組は以前から聴いている。フランス語や中国語を勉強しようか。これは、何度かやって挫けている。読みはじめてはみたものの、いっこうに進まない島崎藤村『夜明け前』を読むか。悪くはないが、毎日はできそうにない。

雑誌を読むのはどうだろう。悪くない。唐沢なをき「電脳なをさん」と「東京とほほ会」を立ち読みしてすませていた『週刊アスキー』を久しぶりに買ってみた。隅々まで読んでも、まだ家には着かない。思えば、この雑誌だけは、別の名前だったときからずっと読んでいる。

読んだことのない雑誌を読むのはどうか。それも悪くはないかもしれない。


友人のブログで紹介されていたので、「BRUTAS No. 657, 3/1号『特集 何しろラジオ好きなもので』」を買ってみた。ラジオ好きを私も自称はするけれど、聴いている時間は十代の頃や、クルマに乗って外回りの仕事をしていた頃ほどは長くない。

何についても言えることかもしれないけれども、ラジオ好きは特に、ラジオについて語りだすと熱い。この特集でもそうだった。登場している誰もが、ラジオのいいところは、自分だけに話しかけているように思えること、と言っている。ラジオについて語りだすと、つい熱くなってしまうのは、自分の世界、自分だけの世界を語ってくれているような気がするからかもしれない。

ラジオ特集の雑誌を読み、昔、よく聴いたパーソナリティの名前を思い出し、索引に追加。

玉置宏、いまに哲也、研ナオコ、高嶋秀武くず哲也、河合奈保子

写真は、キャンパスに咲いた梅の木の影


3/14/2009/SAT

金曜の夜、遅くに帰宅して、久しぶりにマティーニを飲みながら、この文章を書いている。先週の土曜日、病院で恐る恐る「お酒は飲んでもいいでしょうか」と訊いてみた。答えはわかっているのに、わかっているからなおさら、訊くのが怖くてずっと訊けないでいた。

   医者としては勧められない。眠りは浅くなるし、酒は人を陽気にするばかりでなく、抑うつ作用もある。薬の効果も、半減するか、それどころか、予想もしない副作用もあるかもしれない。付き合いでどうしても、という時以外は辞めたほうがいい。

まったく予想していた通りの回答だった。それで、今週は一度も家では飲まなかった。家では、というのは、水曜日には新しい職場の人と呑んだあとで、前の会社の駅で途中下車して、「仲間」と呑みなおしたから。


毎日、定時の5時45分には会社を飛び出し、5時50分の電車に乗るために階段を駆け上がり家路を急いでいた前の生活とはまるで違う生活を送りはじめている。

そして、今は、むかし聴いていたラジオの雰囲気を思い出すために、図書館で借りて録音してあった、CD版「ジェットストリーム」で城達也のナレーションを聴きながら、ドライなマティーニを飲んでいる。

私流のマティーニのつくり方。
  1. 1.誕生日にもらった大きなクリスタルグラスに氷をたくさん入れる。
  2. 2.冷やしておいたジンをなみなみと注ぐ
  3. 3.ベルモットを、ボトルのふた一杯分、グラスに注ぐ。
  4. 4.ゆっくり3回程度、ステアする。
  5. 5.スタフト・オリーブを3個入れる。

結局、先生の言いつけはまったく守っていない。言い訳がましいことを承知で書けば、青いボトルのジンを毎週一瓶ずつ空けていた数年前に比べれば、量は断然少ないし、何より今は楽しく呑んでいる。酒好きは、言い訳好きでもある。そんな言葉が、山口瞳になかっただろうか。『酒呑みの自己弁護』。そういう題名のエッセイ集は確かにあった。


酒と山口瞳、と言えば、山口瞳の再読を促してくれた日経新聞土曜日夕刊のコラム、東理央の「グラスの縁から」が連載終了となってしまった。新聞を読む人が減っていると聞く。週末の夕刊を自宅で読む人はさらに減っていることは想像に難くない。日経新聞の土曜の夕刊は最近になってまるまる一枚、つまり4ページも減ってしまった。

この連載はまだ単行本になっていない。このコラムを知った頃、空港で初恋の人に偶然、出会ってしまうという、フィッツジェラルドの短編小説のことが書かれていた。そのころは、まだ切り抜きもメモ書きもしていなかった。あの小説の題名を知るためだけでも、連載が単行本になって出版されることを願っている。

東理央には、山口瞳以外に『ブラック・ダリアの真実』など、いろいろなことを教えてもらった。連載で紹介された、酒を歌ったカントリー・ソングの名曲の数々も、彼の案内を頼りに聴いてみたい。

カクテルはマティーニにはじまり、マティーニで終わる。酒は楽しく呑むものと山口瞳が教えてくれたように、マティーニの奥深さを私に教えてくれたは、東理央だった。

余談。偶然、今日の「宮川賢のパカパカ行進曲」のテーマは「お酒で大失敗」だった。

写真は、大川美術館の帰り、駅まで頼んだタクシーを早めに降りて眺めた渡良瀬川の夕景。

ほんとうは少し離れているけれど、ここへ来たら、きっとしようと思っていた通り、森高千里「渡良瀬橋」をこっそり口ずさみながらを渡った。歌いながらふと、この歌にも「あの頃」という言葉が出てくることに気づいた。


3/21/2009/SAT

予想も覚悟もしていたつもりだったけど、転職して、これほど生活が一変してしまうとは思っていなかった。

朝、5時30分に起きることは変わらない。でも、6時15分に家を出ても、職場に着くのは8時を過ぎてしまう。朝早く出ているだけ、座れることは変わらない。

大きく変わったのは、帰宅時間。2月までの2年間、夜8時に家にいないことはほとんどなかった。3年前までの4年間はほぼ毎週一泊の大阪出張を続けていた。それもなくなり、夕食は家で家族そろって食べることができていた。ところが、この3週間だけでも、9時に帰宅できた日のほうが少ない。

ようやく私も一端のニッポンのサラリーマンになったか。いや、まだまだこの程度では甘いほうだろう。といっても、これ以上に自分が耐えられるとはとても思えない。どこかでやり過ごす術も考えなければなるまい。

新しい仕事が始まる前の有給休暇の消化期間を「束の間の猶予期間」と呼んでみたけれど、今になって思えば、これまでの2年間そのものが、私にとっては猶予期間だったかもしれない。

8年前、ある希望と野心(野望?)をもって得た仕事は、2年前、倒産と解雇という最も不本意な形で終わった。それは、自分で思っていたよりずっと強いストレスを私の心身に残したらしい。

この2年間は、気力と体力ともに沈んだままで、憂鬱な気分になることも多く、実際、精神科への通院もはじめた。その原因は先月までいた会社にあると思っていたけれど、根本的な原因は、その前の年、つまり今から3年から4年前にあったのではないか、新しい生活がはじまって3週間が経ち、そう思うようになった。

つまり、精神的なストレスはすぐに心身に影響をもたらすのではなく、実際に表面に顕われ、病気のような症状となるまでには1年から2年のような長い時間がかかるのではないか。おそらく、そのストレスの衝撃が大きい程、病的な症状はずっと後になって顕われてくる

とすれば、いまのところ、比較的、精神面、健康面で安定しているのは、この数年間の暮らし方がむしろ落ち着いたものだったから、ということになる。そう考えると、これまでの2年間の見方がまったく違うものになってくる。

苦しかったと思っていた時間が、あとから振り返ってみると、実は心身ともに充実して、成長していた時期だったことに気がつく、ということは確かにある。


付記。以上の文章は3月21日に書いたあと一度消して、翌22日、出張のために前泊した広島のホテルで、また戻したもの。駅前のホテルに夜遅く着き泊まっただけだったので、街を見ることはできなかった早朝から行って、江田島や呉にできた戦艦大和のある博物館を見ようかとも思ったけど、別の用事もあって今回はやめた。今関わっている仕事が上手くいけば、呉へ行く機会はまたあるだろう

連休の最終日なので新幹線は満席。名古屋までは立ったまま、ようやく座れて目を閉じたら眠り込んでしまい、目が覚めたら岡山駅を過ぎるところだった。

写真は鎌倉高校前駅に入る鎌倉行きの江ノ電。奥には小さく江ノ島が見える。下校する高校生たちを眺めながら想像してみた。江ノ電に乗って通学していたらどんな高校生活を送っていただったろう。小学校や中学校での私を誰も知らないところへ行っていたら、と、いまでもときどき考える。

意味のない虚しい空想。そんなことがあったとしても、秘密の露見におびえた暮しに違いはなかっただろう。

そう気づいたあとでもまだ、上下二本ずつ過ぎるあいだ、ベンチに座ってぼんやり海を眺めていた。


もう一つ、追記。「苦しかったときが実は充実していて成長していたとき」という考えには補足がいる。それは、あくまで「自分が覚えている限りにおいて」そう言える。ほんとうにほんとうに苦しいとき、そういうときのことは自分では覚えていないもの。知らず知らずに忘れようとしてしまう

だから「苦しいとき」とは、覚えているなかで一番苦しかったとき、もしくは二番目か三番目に苦しかったとき、としておくのがいいだろう。


3/28/2009/SAT

“蔵王” 合唱名曲コレクション4、尾崎左永子作詞、佐藤眞作曲、福永陽一郎指揮、日本アカデミー合唱団、EMI、1989

金曜の夜、アンジェラ・アキ「手紙~拝啓 十五の君へ」(ERJ, 2008)を元にしたNHKの特集番組を見ていて、以前から書こうと思っていた中学時代の合唱コンクールのことを思い出した。

『蔵王』のCDを借りたのは、かなり前のこと。いつか、文章にしようと思っていたものの、なかなか書きはじめられないでいた。中学時代のことはいつでも、書くことを思いついてからも、書くまでに時間がかかる


番組のなかで「選択音楽」という言葉を聴いて、懐かしい気がした。中学三年では技能科目が選択制になっていた。音楽と美術のほかにあったか、はっきりと覚えていない。歌うことが好きだった私は迷わず音楽を選んだ。

音楽といっても。授業は一年間合唱だけだった。一年の最後にに区民ホールで歌った。そのときに撮影された全体写真は、今でもときどき見返すことがある。何を歌ったのか、覚えていない。なかには「大空賛歌」もあったかもしれない


「手紙」の歌詞には、感じるところ、考えさせるところが少なくない

「大人も子どもも悩みはつきないことでは同じ」とアンジェラ・アキは言う。その通りとは思う。大人は「出来上がった人間」と思うことは間違っている生きているかぎり、人間はいつも途上にある。でも、大人には子どもと違うところもあるはず。そうでなければ時間をかけて大人になった意味がない。

「自分の声」って何だろう。自分の考えていることとは違う。ルソーは『エミール』の挿話「サヴォワ叙任司祭の告白」で、「良心は魂の声、情念は身体の声」(『全集 第七巻』、樋口謹一訳、白水社、1982)と言っている。どちらも自分の声。これでは、どちらの声に従えばいいのかわからない。

心の底から聞こえてくる声は、自分が発した声ばかりではない。自分が聴いた声も聞こえてくる。声といっても、音ばかりではない。声が囁くような文章も、聞こえてくる

「甘くて苦い今」って何だろう。甘さと苦さを別々に感じているうちは、まだまだ子ども。甘さと苦さが一つに感じられるようになったら、そのひとときを、偶然に出会うだけでなく、自ら作り出せる人が大人と言えるのかもしれない。


私も、15才の頃、未来の自分に宛てて書いたことがある。15歳から17歳くらいまで几帳面に日記をつけていた。「手紙」で歌われているような「悩みの種」をぶつけるあてが見つけられずに、ノートに言葉を投げつけていた。そのなかで、一言、未来の自分に宛てて書いた言葉を覚えている。

オレはいま苦しんでいる。ずっとあとになってこれを読み返したときに、これほど苦しかったことを忘れて、オレも若かったな、青かったな、などと思うことが万一あったら、お前はオレとして生きていく資格はない、死んでしまえ。

十五の自分に死刑宣告されること恐れて、私は十代のときに書いた文章は読まないようにしている。それに、もしかしたら、四十の私からの返答は、十五歳のオレを驚かせるかもしれない。

お前は、大人になれば、いま感じている苦しみもかなしみもなくなり、すべて懐かしく思えるようになるとでも思っているのか。苦しみもかなしみも、どれだけ続くか、どれだけ深くなるか、お前はまだ知らない。覚悟しておけ。

十五のときに書いた文章を読み返さないでいるのは、死刑宣告が怖いからだけではない。どのノートも、どこにいったか、いまではもうわからない。わざわざ探し出して自分自身と争うこともないだろう。

今の私には、8年前に書きはじめた『庭』が、過去から未来へ、また未来から過去へ何度も読み返す自分宛ての手紙になっている。

写真は、膨らみはじめた桜のつぼみ。


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