硝子の林檎の樹の下で 烏兎の庭 第四部
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2012年2月


2/1/2012/WED

今日、つぶやいたこと

土曜日以外に書くのは久しぶり。以下、Twitterに走り書きしたことを転記しておく。Twitterでは推敲に関わること以外は書かないつもりでいた。最近になりほかの人の「つぶやき」を読んでいるうちに、その場で鸚鵡返ししたり、感想を書き送ったりするようにもなった。

Twitterは放っておくと消えてしまうので、下のような、ただの日記も転記しておく意味もあるだろう。

便利なもので「つぶやき」を自動的に保存してくれるサイトもある。定期的にローカルに保存しておけば、推敲の記録になる。


今日は会社を休んだ。毎年恒例、1月から2月に1〜2日、なんとなく休んでしまう。ほんとに体調が悪いこともある。

何となく休みたくなるだけのときもある。

夕べ床に就いたとき、明日の朝は起きられないかもしれないな、と思いながら目を閉じた。そう思った翌朝に起きられるはずもない。休みます、と会社に電話を入れてから昼までずっと寝ていて、何も食べずに午後もまた寝た。いくらでも眠れる。ラジオさえ聞かなかった


2/4/2012/SAT

節酒

最近、めっきり酒量が減った。喜ばしい。

まず、毎日飲まなくなった。

週末の昼間に飲まなくなった。

日曜日の晩に飲まなくなった。

水曜日までは呑まずに過ごせるときもある。

一度にたくさん飲まなくなった。

ただ酒は呑めるだけ呑まないと損と思うことがなくなった。

たとえば、飛行機で呑めなくなるまで呑むということがなくなった。

強い酒を呑むこともほとんどない。

マティーニやシングルモルトのウィスキーも、久しく口にしていない。冷蔵庫に備えておいたスタフトオリーブがだめになったくらい。

外で呑む機会も減った。

接待することもないし、付き合い酒もない。これはありがたい。

それでも時折、痛飲してしまうこともある。先週奈良に一人で泊まったときがそうだった。夜遅くに着いて、一人で夕食を食べる気がしなかった。コンビニでビールとワインを買い込み、夜更けまで一人で呑みつづけた。


酒量でいえば、傘寿を迎えた父のほうがよほど呑んでいる。毎晩ウィスキーをロックで何杯も呑んでいる。

出張の帰り、サンフランシスコ空港(SFO)の免税店でお祝いに青いラベルのブレンドスコッチウィスキーを買ってきた。

ホリデーシーズン用のスペシャルボックス。売れ残りがあったらしく、店員が二人がかりで売り込んできた。

普通のウィスキーボトルが大きな四角い箱に入っている。真ん中で斜めに切れ目が入り、上は銀色、下は紺色。有名なデザイン会社によるものらしい。

銀色の蓋を返すと氷入れになる 。

夕べは仕事をはやく切り上げ、両親が住む家へ向かった。ビール、白ワイン、赤ワインと次々開け、最後に傘寿祝いのウィスキーを3人で開けた。

いろいろな話ーーいつも通りの話や次の旅行の話ーーをした。名前を口に出すことはなくても、もう一人の客人が食卓にいることを三人とも知っていた。

ところが、母は風邪の病み上がりのためはやく酔いはじめてしまい、これから語り合おうという前に休んでしまった。

いつもは早く床につく父はいつになく上機嫌で、これまで聴くことがなかった若い頃の苦労話を聴いた。


2月最初の金曜日。一年のうち、もっとも深くかなしみに浸りたい日。わかってはいても、特別なことは何もなく過ごしてしまう年もある

上手な悲しみ方というものはあると思う。そう思うのは、悲しみたいのに、昨夜のようにうまく悲しむことができないときもあるから。

悲しみの作法、という言葉を使ったことがある

さだまさし「Sunday Park」(『私花集』)にこんな言葉がある。

晴れた午後には
こんなひそかな
悲しみ方があってもいいだろう

学んでできるものでもないし、教えられてできるものでもない。試して、繰り返して、失敗しながら、身につけていくほかないだろう。


さくいん:マティーニ奈良サンフランシスコさだまさし悲しみ寒梅忌


2/5/2012/SUN

Night Museum 2: Battle of the Smithsonian, directed by Shawn Levy, 20th Fox, 2009

Night Museum 2

テレビで録画してから家族と視聴。いわゆる“Part 2”ものなのであまり期待してなかったけれど、面白かった。

ワシントンDCは初めて行った外国の街。スミソニアンの航空宇宙博物館は半日かけて見たので、展示はよく覚えている。

“Part 1”のテーマは「父親は子どものヒーロー」。“Part 2”のテーマはあえて言えば、「好きなことを仕事にしろ」。このメッセージはやや弱い

主人公が報酬の少ない警備員に戻れたのは、一財産を稼いだから好きなことだからといって家計を支えられなければ、続けることは難しい


2/11/2012/SAT

最近の出来事

酒量が減った、と書いておきながら、実は今月は酒を呑む機会が多い。

先週はいま働いている会社で私を採用してくれた人とイングリッシュパブで。彼は私を採用してから半年後に会社を離れた。今週は本社から出張してきた人と焼き鳥屋で。水曜は一仕事終えたので早めに帰宅して一人で純米酒。夕べはこの業界で最初に働いた会社の仲間5人で山形料理の居酒屋で芋煮会。いまは5人とも同じ業界のなかで違う会社で働いている。

そして、今夜は缶ビールを片手に息子とハンバーグとオニオンスープを作り、赤ワインを開けた。いまはその残りを楽しんでいるところ。


卓球選手の福原愛が全日本選手権で優勝した。幼い頃から世間の注目を受け、十代半ばからは「日本のエース」と言われながら、全日本選手権では勝つことができなかった。バンビ、カデット、ジュニア、すべての世代別クラスで優勝してきたものの、一般の部では決勝にさえ進むことができずにいた。その福原愛が、ほとんど圧勝という形で若手最有力の石川佳純をはねつけ、初優勝を飾った。

「天才卓球少女」ともてはやされ、テレビやイベントにも引っ張りだこだった幼い頃、彼女はきっと潰れるだろうと私は心配していた。天狗になるか、周囲の期待の重圧に押しつぶされるか、いずれにしろ大人になってまで第一線で活躍し続けるとは思っていなかった。歌手でも俳優でも、幼い年頃から大人になるまでずっと活躍する人はそう多くない。

正月のバラエティ番組に福原愛は同じ卓球選手の石川佳純とレスリング選手の吉田沙保里と出演した。ほかの二人が不慣れな場所で硬直した顔つきをしているのに、福原はにこやかにお笑いタレントをいなしていた。

したたかに、しぶとく、そしてしなやかに、彼女は成長してきた。ウイニングショットを決めたとき、一瞬涙腺が緩んだように見えた。

それでも、その後のインタビューでは清々しい笑顔をみせていた。


無冠の帝王という言葉がある。バスケットボール選手のMichael Jordanは素晴らしい個人成績を残しながらも、チームとして優勝するまでに7年かかった。

いま注目されているのはLeBron James。新人のときから“King”と呼ばれ、個人タイトルはいくつも手にしている。でも、チームとしての優勝経験はまだない。チャンピオン・リングを手にするため古巣を離れてマイアミ・ヒートに移籍した去年もファイナルでダラス・マーベリクスに惜敗した。

個人的には好きな選手といえば、ロサンゼルス・レイカーズのDerek Fischerシカゴ・ブルズのDerek Roseの名前をあげることになるけれども、LeBron Jamesは優勝の栄冠を手にすることができるのか、そのとき彼はどんな表情を見せるのか、今シーズンのNBAの見どころであることは間違いない。


DVD『八甲田山 特別愛蔵版』(M3、2004)とCD『八甲田山』(昭和スペクタクル大作復刻シリーズ、芥川也寸志作曲、東京交響楽団、富士キネマ、2009)を購入。

音楽は通勤中に聴き、映像は帰宅してから、すこしずつ見る。これまであまり注目していなかった雪中行軍が始まる前の場面。若い将校が規律に厳しく任務に忠実な理想的な組織人に描かれている。

これも出版、上映当時、会社の研修教材になっていた理由か。


さくいん:福原愛NBA『八甲田山』


2/18/2012/SAT

鉄道ひとつばなし 3、原武史、講談社新書、2011

鉄道ひとつばなし 3

日本政治思想史の研究者が長年にわたり書き続けている鉄道をめぐるエッセイ集。『1』は楽しく読んだ。図書館で『3』を見かけたので借りてきた。『2』は未読。

面白かったところは鉄道博物館に対するささやかな批判。展示がいわゆる鉄道オタク向けに偏っていて、鉄道と人々の生活がどう関わってきたか、また今どのように関わっているか、要するに、鉄道を通して日本の社会と文化を見るという視点に欠けているという指摘。この指摘には膝を打った。

自分が出かけたときを思い出してみると、鉄道博物館では、数えきれないほど車両がただ並べてあるだけで、それらの鉄道車両が、どの時代に、どのような人々に利用されていたか、「文化」として鉄道全体をとらえる展望があまり感じられなかった。

鉄道と時代、その頃の暮らし、そういう観点でいえば、新宿歴史博物館で見た都電の展示が面白かった。乗客のマネキンも大正から昭和初期の姿をしていて、タイムスリップしたような気分になった。

そうした展示のなかで私の関心を引いたのは大正時代の長距離特急「富士」。東京から下関へ行き、そこで船に乗り換え朝鮮半島、さらにはシベリア鉄道を乗り継いでヨーロッパへ行く人たちを乗せていた。どんな人たちがどんな目的でアジアからヨーロッパまで列車で渡ったのか、興味を引いた。

著者はたびたび関東と関西の私鉄を比較する。また関東のなかでは高級住宅地を走るというイメージを作り上げた東急に対し西武や東武については路線文化を築けなかった会社と見ている。

客観的な分析とみれば、この指摘は橋本健二『階級都市』に通じるものがある。『階級都市』では主に東京23区のなかで南部から西南部にかけての山の手と東半分の下町で格差が拡大していることが指摘されていた。同じような分析は鉄道の路線別にもできるだろう。

JR中央線や東急線と、西武線や東武線、京成線の沿線を比べるとそこには東京都内と同じような、あるいは見方によればより大きな「格差」が観察できる。

ただし、原の場合、ともすると西武線や東武線へのまなざしが分析をはなれて感情的な侮蔑が込められているように読めてしまう。これは私が実感している「格差」が鮮やかに論証されているからだろうか。それとも原の表現に「格差」を客観的な分析以上に何かしらの感情が込められているからだろうか。『滝川コミューン』の読後にも同じとまどいを感じた


結局のところ、「民主主義」を押し付ける団地を飛び出し、私立のエリート校に進学し、いまは東急沿線に住み、港区の大学で働いている著者は自分自身をどうとらえているのか、よくわからない。研究とは自己存在はいったん消去して、客観的であるべきものという考え方はもちろんある。しかし、あまりに禁欲的になりすぎても、とくに本来、書き手のものの見方を表現する場であるエッセイで書き手の立場が明確でないと、気の抜けたビールのように味気ない文章になる。

それでもまだ、本シリーズは本職に軸足をおいた考察もあり、単なる余技とは言えない。学ぶこと、調べることの楽しさを教えてくれる。日本思想史、とりわけ明治以降の近代時代の天皇と鉄道をめぐる文章は短いなかに深い示唆が含まれている。

もう何が専門なのかわからないほど、あらゆるテレビ番組に登場するコメンテーター教授や、本業とはかけはなれた仕事でばかり目立つ研究者も少なくない。質問をするために行っても研究室にいたことがない。それなのに顔だけは頻繁にテレビで見る。相当のお金を払って大学に入学したのに、教授の顔を拝めるのはテレビの画面ばかりというのでは学生たちが気の毒でならない。こうした所業は詐欺にしか思えない。

そういう肩書きだけの「大学教授」も少なくないなか、原武史の仕事ぶりには丸山眞男の言う「本店と夜店」という微妙なバランスの上に立とうとする知的な誠実さを感じさせる。


他人のことをとやかく言っている場合ではない。

「格差」が拡大した昭和後半に子ども時代を過ごした私にとって「格差社会」とは何なのか、より直接的に問いに置き換えれば、そこからどんな恩恵を受け、何を失ったのか。そして、これからどうするのか。

思索の焦点は自分自身に当てられなければならない


さくいん:原武史橋本健二丸山眞男


2/21/2012/TUE

会社を休む

会社を休んだ。1日に続いて今月二度目。

20日、アメリカは“Presidents' Day”で祝日。本社が休みなら、急ぎの仕事はないかな、そう思って目を閉じれば翌朝起きられない。会社に電話を入れてから昼まで眠り、少し食べてからまた夕方まで眠った。

熱があるわけではなく、喉や腹が痛いというわけでもない。でも、いくらでも眠れるし、何をする気にもなれない。たっぷり時間があるというのに本も漫画も読まず、ラジオもテレビも点けず、携帯電話も切ったまま、一日中眠り続けた。

これから床につく。まだ眠れそう。明日は行かなければならない。まずはそう思うことから。


2/22/2012/WED

気分がどんより

今月は調子がよくない。例年どおりといえば、その通り。いつもより息苦しく感じるのは、気が休まる暇がないから。それは会社を休んでも変わらない。

昨日、一日中寝ていて早く床についた。今朝は少し早く起きていつもより早く出社した。

それでも気分は定まらない。どんよりした気分のまま一日を終え、なんとなく毒づくような“つぶやき”を吐いた。

「暴力、もう見たくない! 」駅にポスターが貼ってある。「暴力は犯罪です」そう書いてある。
   そうだったのか、知らなかった。少なくとも私が通っていた中学校で暴力は犯罪ではなかったし、教育手法の一環として積極的に援用されていた
   見てしまった暴力の記憶を消去することは可能だろうか?
   おそらく選択的に記憶を保存したり消去したりすることは不可能だろう。

こんなことを今さら書いたところで何の益にもならない。虚しさが募るだけとわかっていて、結局、削除はしていない。

先週の木曜日、久しぶりに買ったジンのボトルがもう半分なくなっている。

まったく今週はどうかしている。


さくいん:体罰


2/25/2012/SAT

階級社会、橋本健二、講談社選書メチエ、2006

新しい階級社会 新しい階級闘争 [格差]ですまされない現実、橋本健二、光文社、2007


階級社会 新しい階級社会

2000年代の半ばに書かれた2冊は、前に読んだ近著に比べて論調が厳しい。それだけ著者の危機感が強かったということだろう。むろん、いまも「格差」は解決されるどころか、拡大しつづけている。

それにしても著者も認めているとおり、多くの人が「格差」の存在と拡大を解決しなければならない問題と認識し始めてもいる。論調の変化は、危機感の弛緩ではなく、問題が共有化されはじめているという実感に基づいているのだろう。

『新しい階級社会』で橋本は、「格差」拡大に歯止めのかからない社会の行き着く先は、団結した労働者階級による革命ではなく孤立無援自暴自棄になったアンダークラスによるテロの多発と警告している。

昨年暮れ、ロサンゼルスを旅したとき、ふと考えたことがある。

貧しい国で生まれ、苦学してアメリカへ留学してきた人が今のアメリカ社会を見たら、どう思うだろう。もし、すべての人が豊かで幸福に暮らしているように見えたら、自分も勉強して帰国してからそんな国を作る力になりたい、そう思うかもしれない。

ひとにぎりの人だけが豊かな暮らしを満喫でき、“先進国”のなかでさえ自分が生まれ育った国と同じように貧しい人がいまだ沢山いる事実を知ったとき、どう思うだろうか。

故郷から遠く離れてさみしいとき、誰かが耳元で「この社会は間違っている。糾さなければならない。それがオマエの役目」とささやかれたら、どんなことが起きるか。以前、ある講演会で「国際交流」は楽しい交歓だけでなく、不均衡な世界を知らせる一面もあると聴いたことを思い出す。


日本社会での格差拡大についての研究を続けて読みながら、「格差」について客観的にではなく、1970年代、あるいは昭和後半の「格差」拡大の歴史の中で主観的に家族史と自分史を考えてみる。

橋本の主張によれば、1980年代から格差は拡大しはじめ、90年代の不況期にいったんは見えづらくなったものの、日本社会の根底では格差の拡大は止まっておらず、人々の意識に上っていなかった分、2000年代になり急速に格差が拡大しているような印象を与えている。

私自身の子ども時代を振り返ってみると、1980年代の半ばには格差の存在は子どもにも実感できるほどだった。私が格差にはっきり気付いたのは、学区内の県立トップ校を受験した生徒は、造成された新興住宅地に住むサラリーマンの子ばかりだったことを知ったとき。山の下に昔からある小学校出身の人はほとんどいなかった。

その事実に驚きながら気づいたにもかかわらず、私は無邪気に自分の家がそこそこ裕福であることに疑問も感謝も感じていなかった。ましてや、格差の下層にいる人たちのことに思いをめぐらすことはなかった。

もう少し詳しく書くと、中学一年生のとき、住んでいるところにかかわらず、小学校時代に公文式や英語教室に通っていた子が成績の上位だった。ところが、二年、三年と学年が進むごとに、新興住宅地の子たちが成績上位を占めるようになっていった。文化資本という言葉を知ったとき、まずこのことを思い出した。塾に行かせられる経済力も差をつけたかもしれない。

そして高校へ願書を提出する日。三年生全員が体育館で学校別に列を作った。そのときに、上に書いた驚きを私は感じた。一年生の頃、成績優秀と思っていた人たちは誰も上位校の列にいなかった。


私の家族は1975年の夏、小学一年生の夏休みに横浜南端に新築の戸建住宅を購入し、それまで住んでいた街中の古い借上げアパートから転居した。そして、造成された、いわゆるニュータウンに新設された小学校に夏休み明けの2学期に転校した。

私は格差拡大のなかで上昇気流に乗った家族のなかで育った。格差の存在と、その拡大に気付いていながら、自分の家庭や自分自身が上昇していくことを喜んでいるだけで、社会的な不正義とは十分に認識してはいなかった。

しかしながら、格差拡大の上昇気流にのっていたこと自体が幸福が約束された旅ではなかった。とくに新中間層の上昇は父親の不在、すなわち長時間の通勤や長時間労働や、さらには家族と別居を強いる単身赴任などと引き換えに得られたものだった。

ここからどんな損害を家族が被ったのか、数字で算出することは難しい。もちろん、その度合いはそれぞれの家族によって異なるに違いない。

その度合いについて、これ以上、私自身のことはいまは書かない。


2000年以降の自分を振り返れば、橋本の説くところの新中間層に私は属してきた。そして、現時点の自分を客観的にみれば、経済資本と文化資本、いずれにおいても恵まれている。しかし、そのあいだに倒産と整理解雇を経験しており、新中間層から脱落する可能性もあった。とはいえ、そんな危機的状況にあってもすでに同じ業界である程度の職歴を重ねてきたおかげで、転落することはなく、現状維持、それどころか禍い転じて福となり転職先で昇給したりもしている。

さらに前の1990年代の半ばにも、職業と住む場所を同時に失う経験をした。先の見通しがまったくなかった「あの頃」のほうがずっと「どうにでもなれ」という自暴自棄の誘惑にとらわれていた。


「格差」が拡大しはじめた70年代から80年代にかけて、世の中全体、とりわけ新中間層、いわゆる大企業のサラリーマンは生活を豊かにしていった。

技術革新の恩恵もあり、大型テレビ、CDプレーヤー、自家用車、エアコン、ビデオデッキ、などが裕福な家庭に揃いはじめていた。その裏で失われたものとして「家庭」があげられるのではないだろうか。すでに書いたように、より端的には家庭内で父親の不在が上昇志向の副作用だったように思われる。

父親不在の家庭で十代を過ごした世代が、いま自らが父親となり、どのような家庭を築いているだろうか。

まず考えられるのは、父親不在を当然のものとしている人。そういう人は今も長時間労働と自分の趣味を優先するような生活をしている。

その一方で、自分の父親よりは家族と過ごす時間を長く持つことができている人はどうしているだろうか。一つ、私が自分自身も含めて懸念していることは、「親」という存在について母親しかモデルがないため、父親が母親化していないだろうか、ということ。

いわゆるイクメンはその一例。父親が子育てに参加すること自体悪いことではない。むしろ、当然のことがこれまでないがしろにされてきたと言える。でも、それは父親による育児ではなく、母親の真似事ではないだろうか。では、母親の役割をただ分割して負担するのではない、父親としての育児、父親が家庭にいる意味は何だろうか。


私自身、父親としてどう振る舞うべきか、試行錯誤してきた。絵本を読み聞かせる。厳しく叱る。一緒に走り回る。キャッチボールをする自分が幼いころに楽しんだアニメ作品を一緒に見る料理を一緒につくる。どれも私自身は父親としなかったこと。

私が父と一緒にしたことで、私が子どもとしてないことも少なくない。裏山に腐葉土にする落ち葉を集めに行く。何の目的もなく散歩をする。古都の寺を見てまわる。遠くに見える山火事を野次馬しにいく。自分の仕事場を見せる。どれも私はできていない。


長時間労働が「格差拡大」の大きな要因の一つになっていることは橋本も指摘している。過剰労働は過剰消費を生み、安い製品をつくるために安い賃金で働く人たちの賃金はさらに安くなる。橋本は、長時間労働を止めることが「格差」を縮小する第一歩になるとも書いている。一人が働く時間を短くすれば、他の人が働く機会が増える。実際にはそう単純なことではない。

幸いなことに、この数年、いやサラリーマンになってからずっと、私は長時間労働を強いられていない。もっとも、いつ転覆するかわからない、ボロ船の上でのこと。私が早く帰宅することがほかの雇用を生み出しているとまでは感じられない。むしろ、ほかの人が長時間労働をしているおかげで私は家庭で長い時間を過ごすことができているように思う

そういう意味では、私は中学時代から現在に至るまで、他人を押しのけて生き延びてきた

そういうこと、すなわち「『財産による峻別』に続いた『能力による峻別』(学歴といってもいいかもしれない)はいかにも誰にでも平等であるかのように装っているが、実は財産による峻別の化粧直しにすぎない」ことに気づいたのはほんの十年くらい前のこと

「格差」を是正するために私一人がいまできることは何か、すぐには思いつかない。選挙のときによく考えることくらいか。


「格差」について考えようとすると、私の場合、政策論や政治的なビジョンについて関心は向いていかない。自分の家族はどう過ごしてきたか、自分はそこで何を得て、何を失ったか。

そしていま自分は、この事態を子どもたちにどう伝えたらいいのか。そういう問いかけの前で立ち止まってしまう

世の中にはいろいろな人がいることを知ってほしい。どの人に対しても偏見をもたないでほしい。「格差」を当然と見る側ではなく、「格差」の少ない社会を作る側にいる人に育ってほしい。でも、できれば何不自由のない暮らしを与えてやりたい……。

「格差」気流に甘やかされぬくぬくと育ち、大人になってしまったわがままな父親の悩みは尽きない。


さくいん:橋本健二70年代80年代横浜HOME(家庭)


2/28/2012/TUE

節酒ができない

火曜日なのにもう呑んでる。小さな缶ビールのあと、紙パックの純米酒を飲み干している。酔いながら2年前の転居以来、片付ていない2階の一部屋から代ゼミの世界史講師、山村良橘先生のテキストを見つけ出した。


さくいん:山村良橘


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