正月休み雑感1 箱根駅伝は普遍性に対抗するという点で面白い行事。この大会での記録は大会記録しかない。区間の距離も切りが悪いし、季節的な条件もよくないからだ。しかも参加校はほとんど関東の学校のみ。これほど普遍性に欠如した、別な言い方をすれば特殊性、地域性に徹した行事も今では珍しい。思えば冬のもう一つの人気スポーツ、ラグビーの大学対抗戦、リーグ戦も恣意性に満ちている。 普遍性に名を借りて没個性、没地域性を押し進める勢力がむしろ強い昨今、こうした行事に人気がまだまだあるのは、人々のささやかな抵抗かもしれない。もちろん特殊性の維持と排他性の克服は難しい二律背反ではある。 閑話休題。 元日夜、「歴史は繰返す」というテレビ番組を見た。一言で言えば反米宣伝番組。欧州大陸から地中海世界の覇権を誇ったローマ帝国と現代の合衆国を比べ、共通点を並べ立てるという筋書きだが、内容はほとんどトンデモ。 都合のいい事実だけを拾い、それ以外はそれとなく無視するというのはトンデモの常套手段だが、この番組の極めつけは結語。ローマ帝国はゲルマンの侵入により分裂、西ローマはまもなく滅亡。そして江守徹の渋いナレーションでの締めくくり。「やがて東ローマ帝国も消えていったのである」。 「って消えてねぇよ」と思わずテレビに毒づいてしまった。 東ローマ帝国は西ローマ滅亡後も千年近くもゲルマン、あるいはイスラムとの勢力均衡を維持し続けた。また、西ローマにしてもカール大帝、十字軍、神聖ローマ帝国など姿を変えて幾度となく蘇ったのである。さらに忘れてならないのは、番組では触れられていなかったが、ローマがもたらしものは殺戮と暴力的支配だけではなかったことである。ローマ法、ローマ市民権、道路、水道、芸術、キリスト教、などなど、ローマが世界にもたらしたものは数知れない。同様に、合衆国の文化によってもたらされたものも負の影響ばかりではない。 光あるところに陰がある、とはアニメ『サスケ』の冒頭。歴史を学ぶとは光と陰を、光に見える陰を、陰に映る光を見出すことではないだろうか。歴史から学ぶとは、そうした作業を経なければできない精神的営為ではないだろうか。 その点、この番組では最後に登場した国際政治学者やニュース・アンカーの発言もありきたりで関心を引くものではなかった。 とはいえ、お屠蘇気分のまま寝転がって、「何言ってんだかな」と管を巻くにはちょうどいい番組だった。今さらテレビにそれ以上を期待すまい。 2 仕事始め。さぁ、仕事始め、か、やれやれ仕事始め、か。ともかく眠いまなこをこじあけ、重い身体を引きずりあげて、新聞を広げる。いつも見始めるのは社会面。サラリーマンの体験を扱うコラムは、希望退職の記事。これが仕事始めの日の特集記事かね。この新聞は、ほんとうに景気がよくなることを願ってるんだろか。読者を不安に陥れてサディスティックな満足を感じてるんじゃないだろか。 あきれた気持ちで出社して、届いていたのは日経ビジネス。特集は「新技術で再び日本アズナンバーワン。」面白かったのは、出井ソニー社長と塩野七生の対談。片や全世界の社員17万人のうち、日本人は3分の1という会社の社長。片やイタリア在住でローマ史を描く文筆家。世界を舞台に活躍しているはずの二人からやたらと飛び出す「日本」と「日本人」。いつも気になることがやはり気になるが、それでも年初の特集としては人選も主題も悪くない。 異なる分野のあいだの対談としては、よくまとめられているし、短いなかにも示唆に富む発言がいくつもみられる。もっとも塩野は企業人という読者層を意識しながら書いているようでもあるから、それほど異分野ではないのかもしれない。巻頭の小倉ヤマト福祉財団理事長のコラムも、組織の末端で働く人に訴える、これまた年頭にふさわしいお説教。 最近は日経ビジネスを面白く感じる。これは会員制雑誌の努力だけでなく、私のなかで新聞に対する信頼度が落ちているせい。 思い出すと、昨年は新聞でがっかりしたことがあった。購読している販売店が、どういうわけか別の販売店の一般紙を取ってくれといってきた。理由は、共通する折込広告会社から押し付けられたノルマ達成のためらしい。つまり、新聞はどこでもいいから折込をたくさん入れさせてくれということ。三ヶ月のうち、一ヶ月は無料、一ヶ月はビール券で相殺して一か月分だけ支払うという破格の契約をした。 驚いたのは折込チラシの量。紙量からも情報量からも、ついでに言えばほとんどがカラーなので印刷の質からも新聞をはるかに上回っている。新聞は折込チラシの付録といってもいいくらい。実際、新聞の都合ではなく、折込チラシ会社の都合でキャンペーンが行われているのだから、ビジネスの面でもそうなっている。 三ヶ月が過ぎ、しばらくチラシはこりごりと思っていたところ、毎晩、「もう三ヶ月お願いします」の夜討ち。人のよさそうな顔して毎晩来るのは、静かな脅迫。やんわりと断るくらいでは、向こうは怖気づきもしない。結局「もう来るな」と声を荒げたら、お化けのように二度と出なくなった。 テレビと新聞。ほとんどただ同然のメディアがどうも胡散臭い。ただより高いものはないとはよくいったものだ。ただといってもテレビの場合は提供企業が、新聞の場合は本紙と折込チラシの広告主が費用を負担している。結局、そのコストは広告主が提供するサービスや製品にはねかえり、最終的に負担するのは消費者。その負担に対するささやかな見返りとおまけが、陳腐な報道や下劣なバラエティ、空虚な社説やひとりよがりの投書欄。 安いとはどういうことか、金を払うとはどういうことか。デフレのうちに考えておかなければ。考えがまとまらないうちに、ハイパーインフレが襲ってこないとも限らない。 |
碧岡烏兎
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