最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

夏の緑 小金井公園

8/13/2015/THU

夏の思い出


いまは時間があっても遠出もしない私でも、中高生のころはもっと活動的だった。

小学校五年生から高校三年生まで、毎年、夏休みと春休みには関西に旅行した。父が関西に単身赴任していたので、父のアパートを拠点に、最初は家族で、やがて一人で行くようになった。

五年生のときは、まだ歴史を勉強してはいなかったので、暑いなかをただ連れまわされているようで、まったく楽しくなかった。六年生の夏は、歴史に興味をもちはじめていたので、何を見ても面白かった。中学生の修学旅行を先取りするように、法隆寺や東大寺、飛鳥寺や石舞台なども訪ねた。

中学三年生のときは、友人と二人で、明日香村を自転車でまわったり、東海遊歩道を室生寺まで歩いたりした。

いま、その友人が何をしているか、まったく知らない。友人が少ないのは、もともと自分が薄情だから、ということはわかっていても治らない。


高校生になってからは、父の部屋を拠点に一人でまわった。一年生の夏は、吉野、二年生のときは比叡山を登った。

いつの年だったかはっきりしないが、地元の人に助けてもらったことがある。夏休みの暑い日、目的地は浄瑠璃寺。「浄瑠璃寺口」というバス停で降りて歩いていると、軽トラックから「どこまで行くつもりかい?」と声をかけられた。行き先を答えると「歩いてたら、いつまでも着きやしないよ、乗りな」と言って、浄瑠璃寺まで乗せてくれた。あとから地図を見ると、炎天下、40分以上も歩くところだった。

トラブルといえば、奈良公園で広げていた地図を鹿に食べられてしまったこともある。

吉野では、ケーブルカーは観光客で満員だったのに、山道を歩いているうちに周囲の人は減っていき、西行庵についたときには、一人ぼっちになっていた。こんなところで、電気もガスもない時代に住んだということが信じられなかった。

ちょうど、「大峯山千日回峰行」をした僧侶がテレビで紹介されていた。現代でも、近代文明に頼らず、修行を積む人が今もいることを知り、驚いた。

私は、誰もいない山道に数十分いるだけで、恐ろしくなって駆け足で来た道を引き返した。


高校三年生に進級するころ、父は単身赴任から東京勤務に戻ってきた。小学校低学年から、家族別居は10年近く続いていた。

高校三年生の夏は、大学受験の講習の合間に初めて一人旅をした。父に宿を取ってもらい、一人で新幹線に乗り、関西の鉄道を乗り換えることには慣れていた。一日は神戸を歩いた。もう一日は、バスで大原まで行った。

初めての一人旅だったのに、この旅の記憶はあまりない。「あの頃」、すでに日本史より英語に興味が移っていたからかもしれない

ただ、一人でいても、さびしくなかったことは覚えている。もう高校一年生のときのように、誰もいない場所が怖い、ということもなかった。


だから、そのあと、初めての海外へ旅したときも一人ででかけた

いまも、小さな旅でも、一人で行くほうが楽しい。

一人でいるときの自分が一番自分らしいと思う。一人でいるときが一番快適に感じる。図書館でも、美術館でも、古寺名刹でも史跡でも、大自然のなかでも。

自分の好きな自分でいられる。

一人旅ができる、ということは成長を示している。一人旅が好き、ということは、何を示すのか。人間としての嗜好を表しているだけではない。もっと個人の決定的な性向を示しているように、私には思えてならない。