硝子の林檎の樹の下で 烏兎の庭 第四部
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2012年1月


1/7/2012/SAT

検証 東電原発トラブル隠し、原子力資料情報室、岩波ブックレット、2002

昨年3月以降、次々と明るみに出たかのように見えたことがほとんどすべて2002年に出版された本書で指摘されている。そして、結語の懸念は現実のものとなった

次には、どんな事故が起きるか、どれほどの被害が生ずるか。不安と恐れのなかに私たちはいます。
(前略)官・産・学の「原子力村」はなくさないといけません。市民が感じている疑問に、納得できる回答が必要です。

原発以外にも、こんな風に一部の人から厳しく指摘されているにも関わらず、何の改善もされず放置されている問題が、ほかにもきっとあるに違いない。


1/14/2012/SAT

今年の正月は、これまでには経験したことのない「寝正月」だった。年末のLA旅行はとても楽しかった。ふだんならとっくに寝ている時間まで、テーマパークで遊んでいた。そのうえ、子どもを引率する立場だったので、一人で仕事で行くときよりも緊張していて、帰宅してからどっと疲れがでてきた。

毎年見ている紅白歌合戦さえ最後まで見ずに床に着いた。紅組が勝ったことは新年の新聞で知った。

新年も皆が初詣に行っている間も寝ていて、子どもたちが百人一首をしているときもスポーツ番組を見ているときも、隣の部屋においた寝床でずっとごろごろしていた。

身体が疲れると気持ちが晴れない。体力をつけて、体重を減らす。月並みではあるけど、今年の目標。今日はS医院まで自転車をこいで行き、帰りにW医院で毎年もらう花粉症の薬ももらってきた。すこし身体を動かしただけなのに、夕方開けた缶ビールでふわっと酔いはじめた。

調子がいいときは精神科に通院していることが自分でも信じられない。苦しいときにはよく眠れているのは薬のおかげと思い知らされる。


S先生に、初診はいつのことだったか訊いてみた。2008年7月だったという。質問したのは、通院する前の自分がどういう様子だったか、思い出したくなったから。

それを察した医師からは「年齢も環境も変わっているのだから、過去の自分と比較しないほうがいい。いまの体調や環境のなかで調子をよくすることを考えたほうがいい」と言われた。まったくその通り。気づかぬうちに「病気でなかったときの自分探し」をしていた。

考えてみれば、以前の自分とは壊れてしまう可能性をもっている体質だった。今更その自分に戻ることは不可能であるより望ましいことではない。少々のことでは動じない、また状況の変化に臨機応変に対処できる自分をこれからつくらなければならない

明日からは一週間、シリコンバレーの本社への出張。去年も疲労困憊したのでやり過ごせるか、ちょっと心配。


1/21/2012/SAT

一週間の本社出張から帰国した。幸いにして今回は昨年ほど疲れることはなかった。顔見知りも増えたし、むしろ急成長している会社のなかで私は古株のほうに入るようになり、緊張感は減り、複雑な人間関係のなかでも立ち位置も比較的ストレスの少ないものとなった。やはり、平社員でいるほうがずっと気楽

往復の機内では、設備が最新だったにも関わらず、機内番組は何も見ず、自分のもっている音楽を聞き続けた。去年の夏につくったプレイリスト、“Home in the Sky——青い空の彼方”からこれまでつくったプレイリストを順番に遡った。それから“Memories”と名付けたお気に入りの曲だけを集めたプレイリストを聴きはじめた。

海外出張で飛行機に乗ると、いつも同じことを考える。なぜ海外へ出張に行くような仕事をしているのだろう。それは英語を使う仕事をしているから。なぜ、英語を使う仕事に就いたのだろう。たまたまそんな仕事を見つけたから。なぜ英語だけは他の人よりもすこしは得意になれたのだろう。高校生の頃、大学受験のための予備校とは別に英語学校へ通っていたから。

では、なぜ英語学校に通うようになったのか。そこから先はいつもおなじ自問自答の繰り返し。“Memories”から流れてくる懐かしいという言葉だけでは表わすことのできない、心を揺さぶる曲が続くと涙が溢れてくる。村上春樹『ノルウェイの森』の冒頭にあった場面のようになる飛行機に乗るといつもそうなる。もちろん、一人のときだけ。家族で出かけたときはいつもの循環思考に陥ることはなかった。

いまから思えば、英語が好きで得意と思っているのなら、英語を使う専門職を目指してもよかったはず。ところが、翻訳家や通訳になろうという考えはまったくなかった。それは通っていた英語学校の影響が大きい。そこでは「英語はあくまで道具」、英語が話せるだけではだめだ、英語で何をするかを考えろ、と繰り返し言われていた。

そうかといって、英語を使ってする「何か」をそのあと見つけられたわけではなかった。だから、職業について深く考えることもなく、流されるままに転々と職場を変えてきてしまった。もっとも、15年間、同じ業界で同じ職種を続けているので、広い見方をすれば、シリコンバレーという大企業で部署を異動しているだけとも言える。


職業とは生活のためにするもの。要するにお金。私は職業を必要悪のように考えてきた。だから、できるだけ楽に多く稼げる仕事に就きたかった。一攫千金、濡れ手に粟。実際、そういう人たちを何人か間近で見た。自分も彼らのように「成功」したい。羨望と嫉妬が転職のきっかけになった2001年の転職は大きな野望をかなえる契機となるはずだった。

それからの6年間は、思惑とはまったく違うものになった。会社はすぐに傾きはじめ、やがて仕事もなくなり、どこかに買収されるか倒産するのか、どちらにしろ終わりをただ待つだけの時間が続いた『森有正エッセー集成』の語彙集をまとめられたのも、職場に行っても何もすることのない日が何ヶ月も続いていたから。今はとてもそんな時間はない。語彙集の編集も止まっている。

まずお金を貯めて、それからじっくりいろいろなことをーー過去のことやほんとうにしたい仕事のことーー考えたいと思っていた。ところが、期待した金は入ってこないかわりに期待していなかった時間をもてた。もてあました時間に読むこと、考えること、そして書くことをはじめた。

望んだものが手に入らないかわりに、望んでいなかったものを得る。そして、得たものが本当は自分に必要なものだった

つい最近読んだ、平山正実『精神科医の見た聖書の人間像—キリスト教と精神科臨床』のあとがきで紹介されていた『病者の祈り』(A Ceed For Those How Have Suffered)に同じことが書かれていた。


1/28/2012/SAT

「格差」の戦後史--階級社会 日本の履歴書、橋本健二、河出ブックス、2009

家族と格差の戦後史—一九六〇年代日本のリアリティ、橋本健二編著、青弓社、2010

階級都市: 格差が街を侵食する、橋本健二、ちくま新書、2011

「格差」ということに関心が向きはじめてネットをさまよっているうち、橋本健二を知った。彼の専門は、Analytical Marxism、分析的マルクス主義。

大学生のとき、政治思想史を学んだ。政治思想史のなかでカール・マルクスと言えば、階級闘争史観が中心になっていた。階級闘争史観とは、近代社会は搾取する資本家と搾取されるプロレタリアートに分断されている、そしてプロレタリアートによる階級闘争、すなわち革命を通じて資本家は絶滅し、共産主義社会が実現される、という考え方。これは歴史の宿命だから避けることができない。

つまり、プロレタリアートは階級闘争に参加することが運命づけられており、同時に、それは当然の義務でもある。

戦後社会を分析する著書のなかで著者が論述の基礎としている分析的マルクス経済学では、この運命論的な歴史観が消されている。政策への提言はあるが、それは闘争や革命というほど過激なものではない。彼は、マルクスの階級社会論に注目しながら、現代資本主義社会の特性を踏まえて、新しい階級社会論を説く。まず、政治思想史をすこし学んだ者には、このようなマルクス思想のとらえ方が新鮮だった。

著者の説く新しい階級社会論では、社会は資本家とプロレタリアートとの単純な二層ではなく、四層に分けられる。資本家の下には、資本家ではないが一般の労働者より多くの資産をもっている企業幹部や高級官僚がいる。これを新中間層と呼ぶ。

また、自分で生産財を保有しているという意味では資本家ではあっても、資産や文化資本の少なさを鑑みて農家や自営業者は旧中間層と呼ばれ資本家とは区別される。

昨年アメリカで「格差」が問題となったとき、1パーセントの「持てる者」と99パーセントの「持たざる者」ということが言われた。1パーセントのなかには資本家と新中間層が入る。恵まれた環境にある私自身もそのなかに入っているのだろう。


「格差」の存在そのものは避けられない。しかし、それが階級間移動をほとんど不可能なものにしたり、地域で固定されてしまい「階級都市」を形成してしまうことは社会全体に対して害がある。橋本の主張を私はそのように読んだ。格差が広がり、階級が固定され、貧困層が増えてしまうと、公共衛生や人々の健康面でも問題があり、治安も悪くなる。格差の固定は、1%の人たちにとってもいいことではない。

この主張について考えていて、ケネディ大統領の就任演説(1961)にあった“If a free society cannot help the many who are poor, it cannot save the few who are rich.”という一節を思い出した。彼の言葉は、いわゆる南北問題を念頭においていて貧しい人々とは後進国の人々を指している。現代ではアメリカのなかにも貧しい人々がたくさんいる。この意味で、「アメリカは常に世界をアメリカ化させていると同時にアメリカが世界化している」という表現は的を射ている。そして、その状況は日本でも深刻になりつつある。

橋本が「階級都市」を打破するために提案するのは、さまざまな階層の人々が同じ地域で暮らすこと。実際に、東京の大学へ進学する人と卒業後に就職する人が一緒に学ぶ高校が地方ではなお存在するらしい。そういう学校は、ドラマでは見たことがある。ずっと前に見たテレビドラマ『ゆうひが丘の総理大臣』では、ガリ勉も落ちこぼれも同じ教室にいた。生真面目で秀才の女生徒を斉藤とも子が好演していた。役柄の名前は「岡田」だった。ちなみに男子の秀才は「遠藤」だった。


でも現実世界では、首都圏で育った私の知るかぎり、進学組だけが通う学校と就職組だけが通う学校はくっきり分かれていた

収入にしろ学歴にしろ、いろいろな人が一つの地域に暮らすことが望ましい。それはそのとおりと同意できる。でも、自然にできたわけではなく、「格差」が固定しつつある社会でそれを作り上げることは一筋縄では行かないだろう。

方法を間違えれば、新中間層からの偏見、いわゆる上から目線、下層に属する人たちには嫉妬や屈辱、怨恨を助長しかねない。実際に行う施策やそれを行う人たちがきめ細やかな気配りをもたなければ、問題はかえって激化しかねない。『階級都市』では新旧の住民が入り交じる江東区などでは階級間の摩擦が起きているとも書かれている。

しかし、思い起こしてみれば、女性の社会参加にしろ、同和問題にしろ、アメリカでの黒人の公民権にしてみても、政策の強制的な介入があってようやく解決への模索がはじまり、にもかかわらず、全面的な解決にはまだ至っていない。「格差」問題も、そうした問題と同じように、もはや自然にまかせては解決できない問題になっている。

東京では手遅れになりそうなほど深刻になっていることを橋本の一連の研究は教えてくれた。


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