東洋文庫、モリソン書庫

非常にわかりやすく書かれた本だった。

ブルデューについてはずっと前から興味があり、入門書を読んだことがある。石井洋二郎も『文学の思考』を読んだ。

『ディスタンクシオン』に挑戦しようと思いながらも、2冊にわたる大著に恐れをなして、代わりに石井が書いた概要書を読むことにした。原書を読んだことにはらないけど、その「エッセンス」はつかめたように思う。概要書とはいえ、久しぶりにきちんと1冊の本を読み終えた。

マルクス主義のように、搾取する者とされる者という単純な階級闘争として社会を見るのでなく、ブルデューは、経済資本と文化資本の多寡と比率によって分類される複雑な社会空間と見る。確かにこのような見方をすると、現代の日本社会でも露呈しているさまざまな格差を理解する助けになる。

本書のなかで私の興味を引いた点は、社会空間での立ち位置は刻一刻と変わっていくという点。これには巨視的な点と微視的な点の2種類が考えられる。

巨視的な点とは社会全体の底上げ。高度経済成長期がこれに当たる。微視的な点は、とりわけ賃金労働者の家庭では、従来型の年功序列の企業で働いていれば、年齢とともに収入が増えていくので、立ち位置は上昇する。経済資本が増え、文化資本に投資することもできる。

私の家族史でいえば、1962年生まれの姉は、中学生になるまでアパート暮らしだった。1968年生まれの私は、小学校一年生のときに郊外の戸建て住宅に転居している。

が大学に入学した1980年には学生の海外旅行などまだ考えられなかった。一方、私は大学一年の春、1988年にアメリカ旅行をしている。

日本の社会全体が豊かになったおかげでもあるし、父親の収入が増えたことも影響しているだろう。姉に比べて、私はとても恵まれた十代を送った。

アパート暮らしからの脱却がもう少し早ければ、18歳で終わった彼女の人生は違っていたかもしれない。もちろん、貧しさが彼女が心を病んだ理由のすべてではない。実際、1962年生まれの多くの人は生き続けているのだから。

それでも、豊かな時代に十代を過ごした私は、まだ豊かではなかった70年代に十代を過ごした姉のことをとても気の毒に思う。

本書を読んで最後に問題になるのは、複雑に絡み合った格差社会に対して、それを少しでも是正するために、自分は何ができるか、ということ。これが難しい。私がしていることは、交通・自死遺児を支援する団体に定期的に募金することくらい。

いまの暮らしは正社員時代ほど裕福ではないもの、食うに困るほど貧しいわけではない。客観的に見れば豊かな暮らしを送っているように見えるだろう。けれども、自死遺族となった自分の過去精神障害者枠の非正規雇用といういま置かれている環境を考えると、私の方こそ支援される側ではないか、というわがままな気持ちが先行してしまう。

「互助」という考えがまだ私には身についていない。


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