烏兎の庭 第一部
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7.8.02

ブルデューを読む、状況出版、2001


はじめてブルデューを知ったとき、その理論が何の役に立つのだろうかと疑問に思った。わかりきったことを言っているに過ぎないと思ったし、また現行制度を追認するだけとも思った。

今回ギュンター・グラスとの対談を読み、ブルデュー理論の企図がもう一歩踏み込んでわかった気がした。

彼の意図するところは、「血による峻別」「財産による峻別」に続いた「能力による峻別」(学歴といってもいいかもしれない)はいかにも誰にでも平等であるかのように装っているが、実は財産による峻別の化粧直しにすぎない。しかも脱落者に敗北の原因は能力が不足していたとあきらめさせ、また成功者に勝利は能力の差であると錯覚させることにより、より自発的に現行制度を補強させる結果をもたらす

この実態を暴露することにより、成功者の勝利を無にすること。それが、この理論のまず当面の目標といえる。


対談、その他の部分で気になったのは「知識人」という言葉。しきりに知識人の役割、責任という言い方がされている。知識人とはどんな人のことをいうのか。

知識人が知的エリートであるとするならば、現行制度下で知的エリートは文化資本の有無によって生み出される擬制的な身分なのだから、そこからはその体制を打破できる人間は生まれてこないことになってしまう。

少なくとも自分は知的エリートでもないし、知識人でもない。自分の経てきた教育環境は大衆文化にどっぷりつかっていたし、最終的に受けた教育もけっして高度なものではなかった。



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