小林秀雄 美を求める心展、松涛美術館


日経新聞で編集委員、浦田憲治による案内が目を引いた。小林秀雄は読んだことがない。私にとっては、鼻持ちならないブルジョワ・インテリで、大学受験によく出る文章ぐらいに過ぎなかった

いわゆる食わず嫌いであったが、浦田が指摘するように80年代から90年代は、鷲田清一のいう、過去を切り捨てるネオマニーとアヴァンギャルドの時代で、小林のような「精神的貴族主義」は煙たがられる時代だったのかもしれない。


では、2002年は小林再評価の時なのか。

仮にそうであるべきだとしても、ここで、ここのところ考え続いている教養の問題を忘れるわけにはいかない。いったいどんな人間が、小林秀雄を今、読むのか、読めるのか、そして、その知的遺産を引き継ごうというのか。他人のことはともかく、自分はどうなのか。小林のいざなう深い森へ分け入っていく勇気と力量があるのか


そんな深刻な疑問と不安をかき消すように、展示は非常にわかりやすかった。初心者にとっては気のきいた入口になっているように感じた。

今回に限らず、個人のコレクションは見ていて楽しい。審美眼と展示が一貫しているほどわかりやすいから。今回のように、コレクター自身による解説がつけばなおさら。


高校三年生のとき、「国語表現」という授業でムンクの作品を題材にして、絵画を説明するという課題に取り組んだことがある。そのときのことを思い出してみると、絵を説明したり、解説したりするのはほんとうに難しい。

ところが、難解といわれる小林の文章が絵画を見ながら読むと、するする入ってくる。彼が絵のどこを見て感心し、感動しているのか、画家のどんな心を探り出そうとしているのか、よくわかる。


さくいん:小林秀雄


碧岡烏兎