近代日本のカトリシズム 思想史的考察、半澤孝麿、みすず書房、1993

遠藤周作文学全集13 評論・エッセイⅡ、遠藤周作、新潮社、2000

小林秀雄全集 別巻Ⅰ、小林秀雄、新潮社、2002


吉田満の文庫『戦中派の死生観』を買った夜、同じ古書店で『近代日本のカトリシズム』を知った。吉田を苦しめたカトリックとプロテスタントの溝について少しはわかるかもしれないと思い、後日図書館で借りた。

この本は、岩下壮一、吉満義彦、田中耕太郎、大正昭和期に生きた三人のカトリック思想家についての比較研究。難しい内容ながら、国際法の実務家で政治家でもあった田中や学究肌の岩下より、やや文学寄りの吉満の思想に興味を覚えた。カトリック思想家に焦点を絞る半澤は、あえてカトリック系文学者は取り上げていないけれども、遠藤周作のことが少し序章に書かれていた。遠藤は学生時代、吉満が寮長をしていた学生寮にいたという。

遠藤周作の本は、『イエスの生涯』『キリストの誕生』をはじめ、エッセイや対談を何冊か読んでいる。中学時代は、どくとるマンボウと一緒に狐狸庵ものも読んだ。つい最近も『深い河』を読んだばかり。脚注にあげられた「吉満先生のこと」を探して、今度は『遠藤周作文学全集』を借りた。

エッセイを収録した『遠藤周作文学全集 13』で目を引いたのは、小林秀雄について書かれた「意識の奥の部屋 追悼 小林秀雄」と「小林秀雄氏の絶筆」。内容は、ほぼ同じ。小林秀雄の絶筆となった「正宗白鳥の作について」を通じて、小林秀雄の作品に秘められたまま明かされなかった思想の根幹を探る。


『小林秀雄全集』は一通り読んだ。といっても、「本居宣長」は長く、それに基礎知識もないので手をつけてない。調べてみると「正宗白鳥の作について」は、晩年に書かれたベルクソン論である「感想」と一緒に『別巻Ⅰ』に入っている。小林自身が遺言で公刊も公開も禁じたという「感想」は読まないようにしていた。

「正宗白鳥の作について」のことは、何も言い残していないらしい。

遺言で止められていないので、遺作を読みはじめた。文の途中で絶筆になってしまったくらいだから、この文章について何かを言い残すこともできなかったのかもしれない。それだけに、遠藤が「死支度」と呼ぶような、小林が最後に書き残しておきたかったことと思われる言葉がさざめいているように感じられる。

さざめいている、というのは、これも遠藤が書いているとおり、はっきりしたことはどこにも書いていないから。むしろ、文章はのらりくらりさまよう。正宗白鳥が、トルストイ内村鑑三について書いた文章の、その解説について小林が思うところを書く、という複雑な視点のせいもある。

その癖ぐさりと突き刺すような文にときどき出会う。まわりくどい文は、実は相手をひるませて懐に入り込む戦術の一つかもしれない。「素氣なく理窟つぽい感想文のスタイルは、驚くほどの純度に達してゐる」と晩年の白鳥の文について小林は書いているけれども、彼自身は知ってか知らずか、小林の最晩年の文章についても同じことが言える。


「正宗白鳥の作について」を読みながら、小林と遠藤が伝記という文芸作品について似たようなことを書いていることに気づいた。そして伝記をめぐる二人の考えを読み比べると、歩調を合わせるその先に、二人の思想の分かれ目も見えてきた。まずは、小林の伝記に対する考え方。

   傳記作家が扱ふ人は、現在はもう居ない人だ。あんまり解り切つた事なので、或ひは頭から解り切つた事と決めてかヽつてゐるので、皆んな氣にも止めないが、歴史に繰り込まれて、もはや直かに知覺出來なくなつて初めて傳記作家に扱へる人間になるのなら、作家の活動が專ら想像の世界に輯中されるのは決定的な事だ。端的に言つて了へば、想像裡に、自力で作り出さぬ限り、歴史などといふものは、てんで在りはしないのである。昔を思ひ出すとは想像力の行使に他ならないが、これも亦、誰もやつてゐる日常茶飯事には迂闊なもので、傳記作家にとつて、思ひ出す工夫がどれほど深刻な意味合を持つものかには思ひ及ばないのが普通である。(四)

小林秀雄らしい、まわりこんで読み手の背後から突き刺す文。『全集』を読む前の私ならば、ただのこむつかしい文章と思って素通りしていただろう。小林が言いたいことは、伝記はある人間の履歴を文章化することではなく、文章表現を通じて、もう生きてはいないその人間の全体像を再現することと私は理解した。その難しさを、小林は身をもって知っていたに違いない。


遠藤周作の「人間のなかのX」は、段階を追って、もう少していねいに進む。

   ある人物の伝記を書くということはその人物の人生に秩序を与える行為である。そしてその秩序を与えるというのはどういうことだろうか。それは当の人物を自分に理解しやすい形のなかに整理することかもしれない。

書き手の自分勝手な解釈を故人にあてはめることでは、もちろんない。理解しやすい形のなかに人生を整理しようとしているうちに、同時代の誰も、おそらく本人さえ気づいていなかった、その人の奥底に沈んだ何かが見えてくる。それを遠藤はXと呼ぶ。

   だがそのXとは何だろう。Xとはひょっとすると当の人物も死の直前まで意識しなかった自分の姿であり、まさに息を引きとろうとした時、はじめて自覚するものなのかもしれない。

Xという言葉は、『キリストの誕生』の最後にも出てきた。この言葉は『深い河』で「タマネギ」と言われているものときっと同じ。そのXを、遠藤はいとも簡単に他の言葉に変換する。

   資料のすべては鏡にうつった左右あべこべの当人の顔のようなものである。それは一見、当人らしく見えるが、本当の顔ではないのだ。そのなかから彼の生涯の底にひそんでいたXを見つけること、それが神にしかできぬとは知っていながら、神に代わろうとすること、それが伝記を書く者の悦びなのかもしれぬ。

Xに名をつけることが、遠藤の文学に対する目的だったと言えないだろうか。なぜ、名をつけなければならなかったか。それは彼にとって、Xは、はじめから名のついたものだったから。そのことを、彼は「お仕着せの洋服」という言葉でも表している。敬慕する母親についていった教会で、何の疑念もなく受け入れた宗教が、彼を苦しめ、やがて彼を救った。


はじめから名づけられていたXは、否定したくても否定できず、逃げたくても逃げ切れないものだった。だから、自分自身の言葉でXを表現することにした。そうするよりほかに彼は自分のXに向き合えなかった。

小林秀雄にとって、Xは名づけられてはいなかった。そして名をつけないまま、それについて書くことが、小林秀雄の文学だった。私には、そう思える。遠藤も、小林が名づけないままでいたことに注目している。

   だが、その誰にも測りがたい、誰も逃げられない力とは小林秀雄氏にとって何だったのか。氏はそれを名づけようとはなぜしなかったのか。名をつけることでそのものが失われたのであるか、水面に糸をたれた氏が、やがて死支度の作品で引きあげたであろう魚の名を私は遂に知ることができなかったが、しかしそれはどうでもいいことだ。(「意識の奥の部屋 追悼 小林秀雄」)
   『本居宣長』に顕著にあらわれたように小林氏は認識よりも信ずることを大事にした。しかし信ずるとは思想ではなく、思想をこえたものなのである。
   未完の遺作で小林氏がこの問題をどこまで深く、どこまで大胆に発言するか、それを私は楽しみにしていたのだが、氏はそのまま他界された。しかし氏の言いたいことは、私などにも、ほぼわかったのだ。(「小林秀雄氏の絶筆」)

遠藤周作は、キリスト教的な神とはまったく無縁であると彼が信じていた日本的なるものを出発点にした。それを神の名で呼ぶまでには、途方もない精神的な苦闘があったに違いない。


遠藤にとってはXを名づけることが問題だった。遠藤周作の文学では、「神の沈黙」と棄教が一貫した主題となっている。それは言うまでもなく、彼にとって、「なぜ神は沈黙しているのか」、「沈黙する神をなぜ信じるのか」ということが一大事だったから。棄てるものをもっていなければ、棄てられるかということは問題にならない。

「神の沈黙」と棄教が、誰にとっても大問題となるわけではないように、Xを自分の言葉で名づけることも、誰にでも重要なわけではない。誰もがはじめから名のついたXを与えられているわけではないから。

大切なことは、まずXが心の奥底にあることに気づくこと、それが、実は自分以外の世界とつながっていることを知ること、そして、それを自分が選び、学び、鍛えた方法で表現すること。それだけでも、大きな仕事になる。


それに名をつけることに遠藤周作はこだわった。しかし、名づけないまま表現することを、遠藤は小林の遺作から学んだのかもしれない。『深い河』では、「タマネギでもいい」と書かれている背景には、小林秀雄がいるような気がしてならない。小林に『深い河』を読んでもらえなかったことを遠藤が非常に残念に感じている様子は、加賀乙彦との対談で読んだ(『深い河』ーー魂の問題ーー、日本人と宗教 加賀乙彦対談集、潮出版、1996)。

名をつける、というと森有正の作品に頻出する「定義する」という言葉を思い出す。その意味では森も、Xに名をつけることにこだわった一人。だが森もまた、晩年の遠藤のように、時期的にはむしろ遠藤より早く、名づけられたXに対して、宗教上の言葉を用いずに表現しなおす方向へ傾いていった。

「ほんとうに信仰をもっているか、ほんとうに神を信じているかは、死を前にしないとわからない」という遠藤の言葉を引いて、森は「そういう遠藤氏を尊敬する」と話している(『思想の源泉としての音楽~新しく生きること』、森有正講演・演奏(オルガン)、筑摩書房/フィリップス、1987)。


遠藤も森も、名を捨てたわけではない。一度は名をつけたものを、あえて名を伏せることにした。そこには、小林が名づけないままでいたことと同じように、それぞれに内面的な理由があったに違いない。

ところで、Xを名づけるか名づけないかということを考えていたら、手塚治虫『ブラックジャック』の一編を思い出した。何かにつけ『ブラックジャック』を通じて考えるのは、私のいつもの癖。

「老人と木」(1976年、新書10、文庫6)。息子のように大切にしていたケヤキが切られる前の晩、老人は首を吊る。B・Jはそれを見届けてから、瀕死の老人を手術する。臨死体験のなかで老人はケヤキ太郎の種が別のところに育っていることを知り、退院後、探しに行く。帰り道、ピノコにつぶやくB・Jの言葉。

   死後の世界はわからないね
   興味ないよ
   じいさんが生きがいをみつけた
   それだけでいいじゃないか

手塚治虫は、Xに生きがいという言葉を当てるにとどまった。とはいえ、この言葉は、ただ楽しい暮らしを意味するだけを意味する、手垢のついた「生きがい」という言葉とは少し違う。


生と死の深さを知った者だけが手に入れることができる、生きる意味。B・Jがあえて老人が死に挑むことを見届けたのは、手塚治虫が死の向こう側にしか生はないと考えていたからではないだろうか。

Xに対する態度は、人それぞれ。自分の奥底に、名づけようのない何かがあることを知るまででも、長い時間がかかる。少なくとも私にはそうだった。自分は自分をわかっていない。

先日、「ラ・トゥール展」「クールベ展」の二つの展覧会を見てから、感想を書いた。そのとき一編書き上げてしまうために、自分でもよくわからないうちに、次のように走り書きした。

   私にとって問題は、「目をあいて神様は見えるか」ということではない。神は描かれている。至るところで、それぞれの方法で、たいてい名を伏せられたまま。

自分で書いておいて、自分でよく意味がわからなかった。こうして小林秀雄と遠藤周作、それから繰り返し読んでいる森有正と手塚治虫をまた読み返してみて、自分が書こうとしていたことがようやくわかってきた気がする。


Xに名をつけたうえで、あらためて名を伏せて書くか、それとも、名づけないまま書き続けるか、それとも、手近にある言葉でとりあえずは名づけておいて、それ以上はこだわらないか。どの道を進んでいくのか、いまの私にはわからない。少なくとも、それは名のあるものとして与えられてはいない。

でも、Xが存在することをもう否定はしない。まずは、自分の奥底にあるXをよく見届けたい。そうするよりほか私にできることはない。

展覧会の感想の最後に書いた一文は、きっと、そういうことを書きたかったのだろう。


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