初詣
年末年始は例年通り、横浜の実家で過ごした。
9人で大晦日を賑やかに過ごした。
元日の午後、近所にある、小さな祠まで歩いて初詣。側には大きなケヤキがあった。他に参拝者はいない。
若い頃には切り通しを歩いて鎌倉まで行ったり、夜中、由比ヶ浜で焚き火にあたりながら初日の出を待ったこともある。
最近では鎌倉の混雑ぶりに辟易しているので、祝日や連休には近づかないようにしている。2月になったら行ってみる。
夜はこれまた例年通り、テレビで「芸能人格付けチェック」を見た。大人数でバラエティ番組をワイワイ言いながら見ると楽しい。
楽しい時間は短いもので、19時には息子が翌日がバイトなので帰り、20時には甥姪家族、四人が帰り、賑やかだったリビングが急に静かになった。
子どもの頃、正月はもっと長かった。親戚が集まり、叔父たちは延々と酒を呑み、従兄弟たちとカルタや羽子板で遊んでも、まだ時間があったような気がする。
今年は、昨年と同じように穏やかな気持ちで正月を迎えることができた。気分は安定している。
何も心配はいらない。自分に言い聞かせている。
さくいん:鎌倉
#今年行きたい展覧会2020
恒例の美術展訪問計画。『日経おとなのOFF』の美術展特集号を見ながら計画を練る。
出光美術館のコレクション展は昨年からやっていて今月で終わるの再来週に行くつもり。
去年は行きたいと書いた3展のうち、一つしか行けなかった。
今年は三展制覇したい。
美術の技法や鑑賞方法についての本も、今年は読んでみたい。
美術に限らず、去年は読書量が少なかった。時間がなかったわけではない。前半は調子よく過ごせたものの、夏以降、主に会社のことに心を奪われ、落ち着きがなかった。
実家から借りてきた本で珍しく積ん読が溜まっている。
さくいん:出光美術館、東京国立博物館
森戸神社と逗子海岸
妻と娘も昨夜帰宅した。今日は箱根駅伝、青山学院のゴールを見てから母と二人で逗子へ出かけた。京急新逗子駅から海回りのバスに乗り森戸神社へ。
鎌倉の八幡宮ほどではないにしろ、参拝者が並んでいたので、森戸海岸に出て神社の横から参拝した。
森戸海岸で眺めたときは富士山は雲に隠れていた。帰りのバスで眺めていたら、ちょうど葉山マリーナでヨットのセールの間に富士山が見えた。
バスが進むにつれ富士山の輪郭がくっきりしてきたので、逗子海岸の手前で降りで江ノ島と富士山を眺めた。
初夢は覚えていないけれど、本物の富士山を、これだけ美しい姿で見られたので、きっと今年はいいことがあるだろう。
小春日和で過ごしやすい午後も日が傾き出すと途端に寒さが増してくる。
夕日が沈むのを待たずに駅へ向かって歩き出し、商店街に出る。最近お気に入りでよく行く生牡蠣とピザの美味しい店はまだ準備中。
逗子駅周辺には美味しいイタリアン・レストランが多い。イタリアの国旗を掲げている店を覗くと営業は17時半からで今日は貸切とのこと。新年会だろう。
商店街から京急の新逗子駅へ歩いていると運よく開いている店があった。しかもムール貝のワイン蒸しが名物らしい。
ムール貝のワイン蒸しはブリュッセルで食べた思い出の味。ホーロー鍋に山盛りのムール貝を貝殻でつまんで食べる。母に言わせると横浜から東京まで探したけれど同じ大きさで同じ味を提供する店はない。
この店のムール貝は名物と看板に書くだけあって美味かった。さすがに量はブリュッセルの店ほどはなかったけれど、懐かしい旅を思い出させるには十分な味だった。
さくいん:逗子、ブリュッセル
正月の残像
正月三が日が過ぎた。
妻と私、双方の実家でしばらく過ごしてみてわかったことは、いよいよ介護について真剣に考えなければならない、ということだった。
それからもう一つ。この正月のあいだ、1981年の正月はどんな正月だったのか、私は思い出そうとしていた。
何一つ思い出せなかった。実家で部屋の一つ一つを隅から隅まで見回してみても思い出せなかった。1981年の正月の残像はどこにもなかった。
1981年の冬全体が私の記憶からすっぽり抜け落ちている。
自宅に帰ってから「最期の手紙」の1981年1月のページを読んでみた。その感想は今ここには書かない。いや、言葉にして書くことが今はまだできない。
永遠に言語化できないかもしれない。それに言語化すればいいというものでもない。
混濁した気持ちを抱えて生きるのも一つの道ではないか。最近、そんな風に思うようにもなった。
午後8時半のツィート
仕事始め。疲れた。
明日はまた頭を下げなければならない。仕方ない。自分のミスだから。
風呂で薬師丸ひろ子「愛のバラード」を聴いた。
今夜は詩篇13を読んだらもう寝る。
さくいん:薬師丸ひろ子
8時35分のツィート
疲れたので今夜ももう寝支度。
風呂では中島みゆき「りばいばる」を聴いた。
中島みゆきばかり聴きたい日がときどきある。
帰りのバスでは久しぶりにアルバム『はじめまして』を聴いた。
何も読まずにもう寝る。
さくいん:中島みゆき
Tonight's bath time music
Don't Know Why, Norah Jones
Vanessa Williams, Save the Best for Last
さくいん:ノラ・ジョーンズ
新年会
昨夜は学生時代の友人、4人、通称F会の新年会だった。
前回は7月。四半期ごとに開催するつもりが年末は皆多忙で1月に延期していた。
楽しかった。砂浜で干されているアジのように退屈だった昼間のことはすっかり忘れた。
場所は毎回大学の近く。今回はベトナム料理に初挑戦した。
これが美味しかった。ビールから春巻き、炒め物、蒸し物、どれも美味しかった。
最後の海鮮鍋はかなりの量だったのに四人できれいにたいらげた。
学生時代のことから最近の時事問題まで、いろいろなことを間断なく話した。あんな風に「会話」を楽しんだのは久しぶりのこと。
楽しかったことは長々書くものではない。ただ楽しかったのだから。
一つ、書いておく。リクエストがあったので二次会で卓球のできる居酒屋へ行った。
何十年ぶりかで卓球経験者と打ち合った。楽しかった。
不思議なことに中学時代の嫌な出来事は一つも思い出さなかった。
何があったにせよ、卓球が好きという自分の性分を認識した。
大学の思い出
昨日、新年会の前に近くまで来たので大学へ行ってみた。
大学時代の思い出はたくさんあるけれど、大学という場所の思い出は少ない。遠くてほとんど登校していなかったから。
駅を降りて学校へ近づいても、思い出すことは何もないだろうと決めつけていた。
ところが、校門をくぐってみるとさまざまな場面が思い出されてきた。
今はもうない合格発表を見た掲示板。これももうない、当時、憧れていた人に合格を報告した公衆電話。最初に講義を受けた教室。講義の後で一休みした校舎の前のベンチ。ゼミの教室があった校舎。後から後から思い出があふれてくる。十年ほど前に来た時はほとんど何も思い出さなかった。
なぜ急に学生時代の記憶が蘇ったのか。予約していた店の前で友人に会ってわかった。いろいろな場面を思い出したとき、必ずそこには誰かがいた。顔や声を思い出したから、場所の思い出もよみがえった。
学生時代の友人と定期的に会うようになったのは3年くらい前から。何度か会うたびに学生時代の話もたくさんした。そういうエピソードが場所の思い出を記憶の底から押し上げた。
同窓会には今の自分に満足している人しか来ない
そういうことを聞いたことがある。満足とは、裕福であるとか地位があるということでは必ずしもない。自分の人生に主体的に向き合っている、ということ。
今の自分は逆境の中にいるけれども、恵まれている面も少なくない。家族は皆健康で仲が良い。それだけで十分に幸せ。
その幸福感があるから学生時代の友人にも胸を張って会える。そして彼らとの交流が過去の幸福だった側面を思い出させてくれ、また折り返し、今の友情を深めてくれる。
この好循環は大切にしたい。
新しい自分を創る
金曜日の夜、午前1時を過ぎた頃、ふと思いついてつぶやいた。
病気になる前の自分を探すのではなく、
病気を乗り越えた自分を創り出さなければならない。
何十年も行きつけているライブハウスや蕎麦屋に行くと、その店に通い始めた頃のことを思い出す。旧友に会えば、学生時代を思い出す
。最近は、うつ病になる前のことを思い出すことが多い。
私がうつ病の発症したのは2007年。たぶん秋頃。春に転職した会社で客先から罵倒されたのがきっかけで、11月には文章が書けなくなっている。
治るということは昔の自分に戻ることと思い込んでいた。中井久夫もS先生も「治ることは新しい自分を見出すこと」と諭してくれていて、頭ではわかったつもりでいたけれども、実は少しもわかっていなかった。
昨夜のように自然に言葉が思い浮かんだのは、頭の中だけではなく心と身体の底で「治ること」を理解しはじめた、すなわち治りはじめた、と言えるのではないか。
言葉を換えれば、「新しい自分を見出す」「新生」がようやく本格的になってきたということ。森有正の言葉を借りれば、「体験」が「促し」により「経験」に「変貌」しはじめている。
この時が病の「終わりの始まり」でありますように。
写真は深夜のカトリック教会。
さくいん:うつ病、中井久夫、S先生、森有正
初ジム
昨日は今年最初のジム。リフレッシュ・ヨガ、45分。6種類のマシン・トレーニングの後、ウォーキング。
5.5Km/hで60分。Helmut Walchaのバッハ、オルガン全曲集をシャッフルしながら。
いい汗かいた。
体重は微減ながらBMIは変わらず。
悔しい。
さくいん:バッハ
月曜休み
月曜休みはいい。金曜休みよりいい気がする。
すぐにまた週末が来る感じがする。
週休3日くらいがちょうどいい。
ツイ買い
Twitterを見てたまらず店に駆けつけた。目当ての2冊はまだ買われてはいなかった。
こういう買い物を「ジャケ買い」にならって「ツイ買い」と言うのかな。
ちょっと寄り道だったけど幸運な冬の夕暮れ。
- 生誕100周年記念展 長谷川潔の世界、横浜美術館編、朝日新聞社、1991
- 没後60年 長谷川利行展、神奈川県立近代美術館ほか編、東京新聞、2000
さくいん:長谷川潔、長谷川利行
あの日から25年 大震災の子どもたち、NHKテレビ
阪神・淡路大震災から25年。
NHKが特集番組を放映している。震災時に子どもだった人たちが家族を失った震災体験とどう向き合って生きているのか、インタビュー構成でまとめている。
興味深い内容とわかっていても初めだけ見て普段通りに早く寝ることにした。
25年を過ぎて被災を前向きに語れる人が羨ましい。嫌味や皮肉ではない。
私には30年以上経ても言葉にできない子ども時代の体験がある。
震災体験と似ているところもあるかもしれない。
だからなおさら言葉にできないことが悲しい。
今年一番の冷え込みのなか、雪も降っている。それでも最終日前日なので八幡宮脇の坂道を傘をさして歩いた。
松本竣介「立てる」に再会した。背景が極端に小さくなっている。まるで巨人が立っているよう。1942年に自分の意志を貫いた画家の決意を感じる。
印象に残ったのは高橋由一「江の島図」(1877)。橋はなく、人々は干潟を歩いている。シーキャンドルはもちろんんない。緑だけが茂る江ノ島の風景は貴重な記録でもある。
外があまりに寒かったのですぐには出ずにカフェでコーヒーを飲んで休む。外へ出ると雨も寒さも少し緩んでいる。雨のせいで人がまばらな小町通りを駅まで歩いた。
夕飯は昨年前に見つけた逗子駅前のダイニングバー。今回が2度目。イワシのアヒージョと鶏肉の唐揚げが絶品。
マスターは覚えていてくれた。そうだろう。中年男性と高齢女性がボトルでワインを空けているのだから。
さくいん:逗子、鎌倉、江ノ島、松本竣介
やきもの入門、出光美術館、東京都千代田区
出光美術館のこの展覧会は今年絶対見ると決めていた展覧会の一つ。まず一つ制覇。
縄文土器から近代のアートとしての陶磁器まで初心者にわかりやすい展示だった。
目当てだった板谷波山の「葆光彩磁」も見られて満足した。
そのあとは母とステーキハウスでちょっと贅沢なランチ。
お得意の60年前の丸の内OLの話をたっぷり聴いた。
丸の内へ来ると母は元気になる。
ほんとうにいい思い出があるんだなと毎回思う。
さくいん:出光美術館、板谷波山
Cafe & Bar Roji、東京都杉並区
月曜日の夜7時、中央線の阿佐ヶ谷駅で降りた。駅の近くの小さな店で旧友に会った。長年この沿線に住んでいて、この街を歩いたことはあっても、ここで呑むのはたぶん初めて。
初めての街で いつもの酒
そんな歌を昔、よくラジオで聴いた。そういえば、彼も無類のラジオ好きだった。
どれくらい久しぶりなのか、「庭」を辿ったら前に会ったのは2009年の5月。
変わったところもあったけど変わってないところもあった。
楽しい再会、うれしい再会だった。
初めての街でいつもの酒
マティーニを一杯、ロックで一杯。
やっぱり俺はロンドン・ジン
私の「いつもの酒」。
さくいん:ジン(マティーニ)
父の誕生日
今日は父の87歳の誕生日。日本酒でそっと献杯。
ダメな一日
今日、ダメだったところ。
止められているのに、朝からコンビニでアップルクリームデニッシュを食べ、今はバス停でパン屋で買ったドーナツを食べている。
調子が悪くなると甘い炭水化物と酒に溺れる。悪い癖。
明日は親知らずを抜歯するので会社は休む。ということは今夜は呑むということ。それを見越して昨日、日本酒とワインを買っておいた。
今の自分を冷静に客観的に見るとやはりクローズドは無理。
今も、仕事は緊張感もなく漫然と流しているだけ。
二つのことを同時に出来ない、次の次の手を打つことが出来ていない、前もって全体の段取りを考えられない。
会社に貢献しようという姿勢はさらにない。
病気のせいじゃない。長らく惰性で暮らしてきたからすっかり怠惰になってしまった。
優しい会社
先週の金曜日のこと。母と約束していたので16時に退社するつもりだった。
ところが午後になって、ふだんはないことなのに仕事を頼まれた。
何とか一区切りつけて心を決めて16時に宣言した。
今日は帰ります。残りは月曜にします。
上司は「あ、どうぞ」と返してくれた。
あれがあの人なりの「合理的配慮」なのだろう。
優しい会社でよかった。
2020年8月14日追記
元は「白い会社」だった題名を「優しい会社」に修正。
「黒」を「悪い」の意味で使うことは、肌が黒い人への差別になることに気づいた。
悲嘆(グリーフケア)の絵本
悲嘆を主題にした絵本は意外なことに少なくない。死別は人間の宿命だから。
絵本といっても大人が読んでも有益な、むしろ大人が読んでもグリーフケアの助けになる絵本がある。
これまでに読んだ悲嘆の絵本を挙げておく。英語の本が多いのは米国への出張土産に買うことが多かったから。
私が知る日本語原作の作品では、あまんきみこ「すずかけ通り三丁目」が名作。「心から悲しめることが幸せ」を主題にしている。
いくら時間が経っても悲しみは消えることはない。むしろ時を経て悲しみはより深くなる。
ただし、同じ悲しみでも「上手な悲しみ方」というものはあるような気がする。いわゆるグリーフ・ケアやグリーフ・ワークと呼ばれる心理学的な行いが目指している場所は「上手な悲しみ方」ではないだろうか。上手に悲しむことができたとき、そこに逆説的にではあるが幸福感がある。なければならない。そうでなければ、悲しみは果てしなく、悲しみを抱えた人は永遠に幸福になれなくなってしまう。
そういう気持ちを「心から悲しめることが幸せ」と私は呼んでいる。私自身がその境地に立てているわけではないけれど、そういう気持ちがあることは想像できる。
「すずかけ通り三丁目」は谷山浩子のが原作を元に作った歌もいい。
原作のエッセンスをギュッと詰めて抽象的な詩にしながら、失恋から死別までより普遍的な「喪失感」に余韻が広がっていく。
さくいん:悲嘆、あまんきみこ、谷山浩子
消したつぶやき
何かつぶやくことはないか、電車の中で考えていて浮かんできた言葉。
自分のことを好きになれない。
自分の能力にも自信がない。
「世界に対する基本的な信頼」を私は失っている。
世の中は悪意に満ちている。
私は周囲から疎んじられている。
今週は長くなりそう。
上のつぶやきはツィートしてすぐに消した。
こういう毒気は吐き出した方がいい。でも、公共の場所でするものではない。だから私は自分の庭で毒を吐く。
悲しみはいくら時間が経っても消えることはない。むしろ時を経て悲しみはより深くなる。
ただ、同じ悲しみでも「上手な悲しみ方」というものはある気がする。
上手に悲しむことができたとき、そこに逆説的にではあるけれどそこに幸福感がある。
その気持ちを「心から悲しめることが幸せ」と私は呼んでいる。
「心から悲しめることが幸せ」ということは、故人を恨むことではないし、自分を責めることではない。さらに言えば「心の中に生きている」という安直なスピリチュアルな言葉で表現できるものでもない。
ではどんなものなのか?
私もいくつかの本からヒントを得ただけでこれ以上何も言えない。
心から悲しめることが幸せ
見方を変えれば「幸せは悲しみの中にある」となる。
おそらく多くの人にとってこの言葉は当てはまらないだろう。
少なくとも私一人にとっては「幸福は悲嘆の中にしかない」。
我慢のしどころ
今日よかったところ。
寄り道してない。
買い食いしてない。
酒も呑まないつもり。
ここが我慢のしどころ。
早く帰って日曜日に行ったライブの感想を書くつもり。
元気がもらえない
スポーツや芸術の見事なパフォーマンスを見て「元気をもらった」という人がいる。
悲しいことに私はそう思えない。
歓声はあげるものの、しばらくすると気持ちが冷えてくる。
きっと人知れず相当な努力してきたんだろうな、偉いなぁ、それに比べて自分はふんぞりかえって観ているだけ⋯⋯…。
なぜこういう後ろ向きな考えばかりしてしまうのか?
こういう思考傾向には認知行動療法が効くのだろうか。
正直なところ、あまり興味はないけれど。
今日、消したツイート
今日は調子が悪かった。つまらないつぶやきをしては消している。
何でこんなことになっちゃったのかなと思い巡らすのが一番よくない。
達観できる人がうらやましい。
仕事もなくし、高給もなくし、病気になって障害者になった。
それでもいまだに「これでよかった」はとは言えずにぐずぐずしている。
「何でこんなことになっちゃたのかな」と自問するばかり。
今日は80年代の松山千春を聴きながらの家路。
何かが狂っただけさ
よくあることさ(「夜明け」)
まったくそう思う。
最後のつぶやきだけは消さずに残した。
さくいん:松山千春、80年代