府中市政施行65周年記念 連作と大作で迫る板画の真髄 棟方志功展、府中市美術館、東京都府中市
久しぶりに府中市美術館へ来た。2001年の夏から2006年の年末までここの近くで働いていた。通勤もクルマだったので美術館へはよく来ていた。
あの頃、よく来ていたラーメン屋でネギみそラーメンを食べた。あとから考えるとこの店に来ることが本当の目的だったかもしれない。
企画展は予想以上に面白かった。大胆な構図の巨大な作品に圧倒された。棟方志功以上に満足感をくれたのは常設展。牛島憲之「寒天倉」、難波田龍起「有機的形象」、正宗得三郎「ノートルダム寺院」。どの作品にも休日にしばし時を過ごすに丁度よい心地よさがある。
「見る者に寄り添うあたたかさ」という「寺院」を解説する言葉は常設展全体についても言える。
大聖堂が燃えてしまった今、正宗の作品は貴重な記録にもなった。
さくいん:府中市美術館
失うものと手に入れるもの
人は、大切な人と死別したとき、何か大きなものを失ったように感じる。
事実そうだろう。
でも、違う見方もできる。
人は大切な人を失くした時、何かを失くすのではなく、一生失うことのない「悲しみ」を手に入れる、そうは言えないだろうか。
失くしたのではなく、手に入れた。
そう考えるべきではないだろうか。
さくいん:悲嘆・悲しみ
残業日
月一の残業日。たった1時間半の残業でぐったり。
こんなことではまともな会社員には戻れそうにない。
もうあきらめる。
正社員は「キャリアアップ」とという名目で成長し続けることが求められる。それはもう無理。
私にできるのは、せいぜい「持続可能な日常」。
せっかく見つけた自分に合った歩幅で歩こうとしているのに、レジリエンスやPTGという「成長」を押し付けて、無理矢理に走り続けさせようとするのはやめてほしい。
最近、あるWEB記事を読んで、なぜ自分がレジリエンスやPTGという考えに違和感があるのかがわかり、すっきりした。
さっそく記事を書いた北中淳子の著書『うつの医療人類学』を読みはじめたところ。
さくいん:日常、労働
6月によく読まれた文章
6月と言わず、上位2件はこの数年不動。総ページビューは3,821だった。
- 未来少年コナン
- 山村良橘先生のこと
- 烏兎の庭
- 終わりの始まり - 烏兎の庭 第六部
- 未来少年コナン 第26話 大団円
思い出のエスカレーター
このエスカレーターを昇ってハローワークへ通った。
いまでこそ給料が少ないとか、賞与がないとか愚痴をこぼしているけれど、あの頃は定職につけるかどうかもわからなかった。
障害者手帳を出して再就職するか、それとも、手帳を隠して前のように馬のように働くか。迷った挙句、再発を怖れて障害者枠で就職した。
あきめる決心ができることも「回復する自己治癒力」と呼ぶのであれば、レジリエンスを否定はしない。
F会
昨夜は大学時代の友人四人で集まった。場所は通っていた大学の近く。
かつてはまずい安酒を出す居酒屋で呑んでいた。さすがにいい歳になったのでちょっとだけ洒落た店を選んだ。学生向けの店ばかりという心配は杞憂で、探してみるといい店がある。まだまだこの駅周辺で開拓の余地がある。
昨年の春に再会してから定期的に会うようになった。自分のことで掛り切りだった年齢は過ぎたのかもしれない。
同じゼミで同じ学問を専攻した仲間。いまはそれぞれ違う分野で働いているけれど、関心ごとには共通点がある。同年齢なので『1979年の奇跡』も話題になった。議論はいつまでも尽きない。
気づくと日付が変わっていた。
別れ際「次回のF会は」と誰かが言った。いつの間にか会に名前がついていた。
教授の頭文字がFだった。私たちはfoursome。F会。この名前は悪くない。
近代的自我とうつ
読み終えた『うつと医療人類学』に、つねに不安定でいる「近代的自我」を支えるために精神分析と森田療法が生まれたという指摘があった。両者は自我が崩れそうになったときの保護策ともなる。この指摘は興味深い。
なぜ、近代的自我は不安定なのか。
それは自我が寄って立つもの、拠り所とするところが自我自身だから。神でもなく国でもなくムラでもない。
だから、自我が崩れると自我自身が崩れる。自分自身が壊れてしまう。
「我、思うゆえに我あり」ということは、裏を返せば、「我、思わざれば我なし」ということでもある。
さくいん:うつ
三宮麻由子は岩波ジュニア新書『目を閉じて心開いて―ほんとうの幸せって何だろう』(2002)を読んだことがある。もう10年以上前のこと。なぜかふと思い出して賞も受賞したエッセイ集を借りてきた。
夜、眠る前に読むにはちょうどいい優しい文章。こんな素敵な文章が書けたら文章を書くことが楽しいだろう。
身の回りの小さな出来事から深い思いへとつながる。繊細な感性と豊かな表現力から紡ぎ出される言葉の調べ。西田幾多郎や斎藤環の言う「日常を掴む」とはこういうことを指すのだろう。
憧れる文体。
医師系知識人
戦後の医師系知識人の系譜を誰かまとめてくれないか。小説家の北杜夫と加賀乙彦はひとまず別にして。
土居健郎、なだいなだ、松田道雄、日野原重明、中井久夫……。
個人的には岡本夏木も重要。
もうそういう本や研究はあるのか?
女性では神谷美恵子がまず挙げられるだろう。現在活躍中という人のなかでは海原純子も加えておきたい。
原三溪の美術 伝説の大コレクション、横浜美術館、横浜市西区
コレクションの素晴らしさもさることながら、圧倒的な教養(漢籍・書画・茶道など)と途方もない財力に脱帽。
いまも世界的な富豪が日本にいるけれど大庭園を作って無料で開放するような豪傑は知らない。
横浜美術館の収蔵品展もよかった。先日、展覧会に行けなかったギュスターブ・モロー。
「岩の上の女神」一点だけでも十分に見応えがあった。
長谷川潔と再会できたこともうれしい。
写真のコレクションは数も多く、有名な作品も多い。沢田教一のベトナム、浜口タカシの成田闘争、木村伊兵衛のフランス。
「住みたくなる街」には美術館が必要とあらためて思う。
さくいん:横浜、長谷川潔
隠された日本兵のトラウマ~陸軍病院8002人の“病床日誌"、NHK、2018
週末に出かけたので連休最終日は家で静養。会社をサボったときのように寝坊して、午前中は寝床でうとうと、ゴロゴロしていた。
午後、録画してあったNHKのドキュメンタリーを見る。知らなかった史実に驚くばかり。
当時はまだPTSDという概念はなかったからそのように診断されることはなかったものの、現在から見れば「心的外傷」と診断されるような症例が多く見られた。
- 病院長は死刑の危険を犯しながらも軍からの命令に背いて”カルテ”を隠し保管した。そのおかげで貴重な史料が残った。
- 戦局が悪化してから補充兵として本来なら徴兵検査に受かるはずない知的障害者まで駆り出されていた。
- 中国でのゲリラ戦で、民間人や子どもを殺した「自責の念」から病気を発症したり、自死を企図する兵士もいた。
- 日本軍に特有の精神主義と暴力体質に耐えきれず、自死した下級兵士もいた。
- 生きて帰還するより戦死することが望まれた風潮のなか、生き延びたうしろめたさ、いわゆる"survivor's guilt"から自死した兵士もいた。
- 上記3点のために、日本軍は世界で一番自殺率の高い軍隊だった。
- 疾患から見ると、一番多かったのは統合失調症(当時の呼称は「分裂病」)だった。
- 終戦後も、家族に受け入れてもらうことができず病院で生涯を終えた兵士がいた。
どれも知らないことだった。
戦争は人を壊す
復員後、おそらくはPTSDの症状としてDVを繰り返した父の"カルテ”を見て、初めて父の苦しみを知った娘さんの言葉が耳に残る。
今夜もあの店で
昨夜は楽しい夜だった。
もう20年も前、一緒に働いていた仲間4人で会った。
新卒で入社した会社を一年半で辞めて大学院で学びなおしたものの、進学は断念せざるをえず、いわゆる第二新卒のような形で、ある米系ハイテク企業の日本支社に入社した。そこで彼ら3人と出会った。もう20年以上前のこと。
言ってみれば彼らは社会人になって出会った最初の先輩たち。仕事も遊びも教わった。
同じ会社を離れたあと、皆、同じような苦労をして転職を重ね現在に至っている。
狭い業界で似たような経験をしてきたから、多くを語らなくても苦楽はよくわかる。
昨夜は、私のお気に入りの店に3人を誘った。この店はちょっと変わっているので、あまり人を誘わない。
ところが、3人とも楽しんでくれて、さらにはボトルも入れて「ここで定期的に会おう」という話になるまで気に入ってくれた。
学生時代の4人組同窓会「F会」に続いて定期的に集まる会が増えた。
まだまだつまづきがちな私には、楽しい目標を持つことはいいことだし、発症前を知っている人に会えることもうれしい。
今日の診察でS先生も太鼓判を押してくれた。
次回までに会の名前を考えようと思う。これも楽しい。
S先生
現在の病状
一月ぶりの診察。今日は空いていたのでゆっくりS先生と話すことができた。日頃、疑問に思っていながら訊くことができないでいたことを訊いた。
客観的に診て今、どんな状態ですか。「寛解」に近づいているのでしょうか?
以下、S先生の回答と付け加えてくれたコメント。
医師から診て「うつ」の症状はどんどん良くなっている。理由のない不安や焦燥は希薄になったし、大きく落ち込むこともなくなった。ひと昔前なら「寛解した」とみなして通院も終わりにしていたかもしれない。
それでも、今は2つの理由で通院と投薬を続けることを勧める。
一つは、現在の精神医療は単に症状がなくなるだけではなく、QOL (Quality of Life)の再生までを目標にしている。元気で活発で、ストレスにも自力で対処できるようになることが最終目標。
その一歩手前まで来ている。ここで頑張りすぎないことが大切。
それが二つ目の理由。以前は症状がなくなれば社会復帰させていたけれど、再発も少なくなかった。それだけ社会のストレスは増している。
さまざまなストレスに対処するためには薬をのむことと、通院して医師と話して感情を自己制御できる力を身につけることが望ましい。
新しい治療法は日々開発されていて、メディアは万能薬のように喧伝する。でも、そうした取り上げ方は誇張であることが多い。そして、いまは最新技術を適用するときではない。
第一に最新の治療法はこじれた状態で使うもので、今はもうもっとも苦しい時期は脱しているので新治療法は必要ない。
第二に最新の治療法は効果が証明されたものは少なく、副作用もはっきりわかっていない。
今、行なっている薬物治療は長年積み重ねられたエビデンスに基づいた信頼できる方法。
まとめて言うと、ほとんど良くなっているけど、ここで焦らないこと。
得心のいく説明だった。
写真は朝、病院まで歩いているときに通る公園にある小さな滝。
さくいん:S先生、うつ病
スポーツジム初体験
自治体後援のスポーツジム体験プログラムに参加した。生活習慣病の予防は、医療費抑制のために自治体の政策として大きな柱になっているらしい。
行ってみると爽やかな表情の青年が現れて膝をつき、椅子に座っていた私に「あなたの目標達成のために全面的にサポートします」とまるで執事のように挨拶したのでびっくりした。
一通りトレーニングマシンの説明を受けたあと、最近はじめた腕立て伏せと腹筋の姿勢を直してもらった。
見渡すと中高年が汗を流している。ここへ来るのは同じ考えからだろうか。身銭を切って来ているのだから「意識高い」人たちなのだろう。
怠惰で流されるままに生きてきた。健康にとりわけ気をつけたこともなかった。うつ病を患い、休養しているとき家に閉じこもっていてはいけないという助言を聞いて、遠くの図書館まで歩くようになった。これが最近の運動の始まり。5年くらい前のこと。
考えてみれば、先方はこのプログラムをきっかけに正会員になってもらうことを目的にしているのだから、家でするトレーニングの助言はあまりしたくはなかったかもしれない。
「私」のための言葉
言葉はコミュニケーションの道具と疑問もなく思いがちだが必ずしもそうではない。
岡本夏木は『子どもとことば』のなかで、言葉は自分の気持ちを整理すること、混乱した精神に安定を与えること自らを励ますこと、自分自身のための表現と道具となることを強調している。
ことばが、その公共性において「外なることば」として機能しうるとともに、その「私」性において「内なることば」として機能しうるという、まさにこのことにおいてことばは個人と社会をつなぐ点に位置するのである。そして子どものことば獲得の過程のなかにその源を見出したいと思うのである。
(「Ⅱ‐3 人間におけるシンボル」)
「私」に向けられる言葉といえば、私が『庭』と呼ぶ、日記風のこのウェブサイトが正にそれにあたる。
『庭』に文章を書くことを通して、混乱に秩序を与え、考えを整理し、不安や怒りを鎮め、自分自身を励ましてきた。
読書や美術展を観る楽しみも、書くことで読んだり見たりしたときより大きくなった。
私は『庭』に書くことで私自身を表現してきた。
「私」のための言葉の効用はけっして小さくない。
さくいん:岡本夏木
事件の風化と秘密
神奈川県相模原市の障害者施設で殺人事件が起きてから3年が経つ。早くも「事件の風化」を憂う声を聞く。
「事件・事故の風化」という言葉を聞くとどきりとする。ある事故が風化することに私が加担しているから。
その事故について語ることができるのは私しかいない。すべての資料は私の手元にある。
語るべきだろうか。それとも心の小部屋にそっとしまって秘密にしておくべきか。
こうしているうちにも風化が進む。
さくいん:秘密
北斎展 - リ・クリエイト(複製画)で天才絵師北斎の謎と技に大接近、そごう美術館、横浜市西区
複製画とはいえ『富嶽三十六景』を総覧できるのはうれしい。七里ヶ浜や江ノ島などよく見知った場所を描いた作品の前で立ち止まり丁寧に見た。
解説が詳しく北斎の作品が緻密な計算の上に描かれたことがよくわかる。
浮世絵ではまず絵師が紹介されるけど、彫り師と摺師がいなければ版画は成り立たない。長谷川潔は信頼する摺師が引退したとき、自らも制作を辞めた。
展示でもわかる限り、彫り師や刷り師の名前を解説に加えてほしい。
わかりやすい。コンパクトにまとめられていて、それでいて、症状から専門的な治療法まで網羅している。トラウマは誤解を生みやすい概念なので、トラウマについて正しく知りたいと思う人には絶好の一冊と言える。
「トラウマやPTSDの概念が日本に広がり始めてから数十年経ちました」と「まえがき」で著者は書いている。私が心的外傷に関心を持ちはじめてからは10年以上経っている。
何冊も本を読んできた。本書にもわかりやすい説明がありよく考えてみた。それでも、まだわからない。私はトラウマ患者なのだろうか。
トラウマは「生きづらさ」をもたらす、と本書は説く。私も「生きづらさ」を感じるときがある。本書が説明する症状のいくつかは自分に当てはまる。でも、日常生活が送れないほどではない。「生きづらさ」と言っても誰もがときどき感じる「嫌な気分」と違わないように思う。
トラウマと大げさにいうほどではないように思う。ただ、時折苦しくて息が詰まりそうな気持ちになることがある。その原因はわかっている。
二つの出来事が「生きづらさ」は私に感じさせている。
原因はわかっていても、それを物語化することは現在の自分にはできない。専門的な助けがないと今後もできないように思う。「暴露法」などの治療法について読んでみると、胸がドキドキして怖い気がしてくる。
とすればやはり心的外傷を抱えているのか。わからない。
うつを診てもらっているS先生は私が心的外傷者なのか、何度か尋ねてみたけど、はっきりとは答えない。そのことは気にしないように言われる。
いまは「うつ」を治すことが先決
これがS先生のアドバイス。実際、カウンセリングを受けてその出来事について語り出した途端、苦しくて耐えられなかったことがある。あとでS先生にはカウンセリングはまだ早いと諭された。
うつは快方に向かっている。
トラウマかもしれない記憶に正面から向き合う「時」は来るのだろうか。私はまだそれを「回避」しているような気がする。
憂鬱な週明け
週明けから手痛いミスで頭が痛い。
上司も余裕がないのか最近言葉がキツくなってきた。
職業人としては何一ついいところがないけれど、「辞めろ」と言われるまではここにとどまる。
好条件で誘われたのでないかぎり、自分から動いた転職でうまく行った試しがない。
自分を責めすぎず、呑気にやっていく。
帰宅したら炭酸水を飲んで気分を変えた。
Twitter休止
自己肯定感、停滞中。