最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

4/15/2016/SAT

回復するちから 震災という逆境からのレジリエンス、熊谷一朗、星和書店、2016

東日本大震災に関連する本は、なるべく読まないようにしている。興味本位や憐憫の情から体験談を読むのは非礼なことと思うから生島淳の本は、テレビ番組で見てよく知っている人のように感じたので読んでみた。テレビでは笑顔でスポーツ情報を語る人が、深い悲しみを密かに抱え込んでいたことを知り、とても驚いた。


本書を手に取ったのは、「レジリエンス」という言葉が書名に使われていたから。内容は震災の直前に福島に赴任した精神科医が5年のあいだに関わってきた被災者の悲しみと回復の道程。ノンフィクションではなく、著者の体験を元にして短いエピソードが書かれている。言ってみれば、短編小説の連作に近い。

著者は「レジリエンス」という言葉を、トラウマを残す体験を乗り越えて獲得する「成長」という意味より、ずっと控えめな意味で使っている。「日常生活を取り戻す」というくらいの意味。

おそらく、福島の現実は、「日常生活を取り戻す」だけで精一杯なのだろう。紹介される事例は深刻なものばかり。


診察室での会話が多く記述されている。医師が患者をよく観察し、言葉を選び、それを発する時を選んでいることがよくわかる。臨床の現場では、医師も試行錯誤している。ほんの一言が、事態を好転させることもあれば、そうでない場合もあることが想像できる。

確かに人間は、擦り傷をかさぶたが守りながら皮膚を再生させるように、心に負った深い傷を治癒する力を内在させているのかもしれない。しかし、その力は、ひとりでに発揮されるものではない。著者のように、注意深く、辛抱強い伴走者がいて初めて、心の奥底にある「回復する力」が湧き上がる。


本書で描かれている事例は、震災後5年のあいだに発症し、今日までにほぼ「日常生活を取り戻す」ことができた、いわゆる「寛解状態」になっているもの。トラウマ的体験から5年間のうちに問題が顕在化し、そして回復を果たしているのは幸運な方だろう。

実際には、「日常生活を取り戻す」ことで忙しすぎて、悲しんでいる暇すらない人も少なくないのではないか

何年も傷が見えない、気づかないこともある。モンスリーが愛犬の名前を忘れていたように。そして、ある日、体験した出来事の重大さに気づく。そのとき、気づかないでいた悲しみが堰を切ったように溢れ出す。

そういう場合、傷を癒やすには、傷を忘れていた時間と同じくらいの時間がかかる。


本書を読んでいると、臨床の現場で「ケアする側」にいる人たちが細やかな配慮をしながら、悲しみを抱えている人たちに接していることがわかる。

長い時間発露されず、心の底に封じ込められている痛みに被災者が気づいたとき、彼らはきっと、時間をかけて、言葉を選び、時を選び、癒やしていくのだろう。

現状を観察しながら、試行錯誤を続け、傷を抱えた人たちと真剣に向き合っている著者だからこそ、ほんとうに深刻な問題と考えていることに焦点が合わせることができる。そして、彼が語る密度の高い物語は、ノンフィクションよりも、かえって「現実」の深刻さを伝えている。