4/3/2016/SUN
自己肯定感、持っていますか? あなたの世界をガラリと変える、たったひとつの方法、水島広子、大和出版、2015
他者をリスペクトすることで自分を肯定できる、という主張がわかりやすく、説得力もある。
他人と比べているうちは自分自身を確立することはできない。
著者の考えでは、「リスペクト」は自分より優れている点を「尊敬」するのではなく、その人のありのままを「尊重」する、という意味。
著者の考え方を私なりの言葉で置き換えると、「人は人、自分は自分」。他人の言動にいちいち反応しない、他人の言動をいちいち「決めつけ」もしない。
本書を読み、自己肯定感という言葉を頭のなかで繰り返しつぶやいていたら、森忠明『きみはサヨナラ族か』に出てくる倉本先生の言葉を思い出した。
主人公は、自己肯定感が低い。吃音で、勉強も運動も苦手。学校でははみ出している。嫌になって学校を飛び出し、いろいろな経験をして、学校へ戻る決心をする。そのとき、主治医の倉本先生が贈った言葉。
「森くん! あんまり自分のことや人のことにかまけすぎないでね。気楽にやってください、気楽に。」
学校へ戻った主人公はたった一つの取り柄である絵でクラスの生徒たちを描き、一度も話したことがなかった生徒の存在に気づいたり、「ガリババア」と呼んでいた女子生徒が中学受験に失敗すると、心のなかで慰めたりするようになる。これは、「他者を尊重すること」を覚えはじめた、と言えるのではないか。
他者を尊重することを通じて、主人公は自己肯定感を高めていく。そうして胸を張って小学七年生になる。
余談ながら、荒川洋治が言う「文学は実学」ということもここに関連していると思う。心理学の本で専門的なことを学ばなくても、その概念が物語を通じて読み手に溶け込んでくる。
著者はきっぱり否定しているように、他人との比較で得られる自己肯定感はある程度、有効であっても結局は虚しいものになる。職場が端的な例。自分よりもはるかに優れた人ばかりがいる職場では劣等感が強まる。その一方で、自分より明らかにスキルが低い人と仕事をしていると、しばらくは優越感を得られても、結局は、仕事も職場も、つまらなく感じられてくる。
あまりにも自分とスキルや境遇が違う人が集まった集団にいると自己肯定感は揺らいでしまう。
学歴を含めた生育史や金銭感覚が似ている人の中にいると安定した気持ちを得られる。もちろん、そこに入れない人を見下していいというわけではない。通俗的な自己肯定感もまったく意味がないわけではない、と言いたいだけ。
詰まるところ、他人との比較で得られる自己肯定感は偽物であることは間違いない。
他者を尊重することで、自分自身を大切にする気持ちも高まる。そして、自己肯定感も高まる。人間は社会的な動物だから、社会において他者と良好な関係を持つことは重要であることは間違いない。
他者との良好な関係がもたらす自己肯定感と別に、もう一つ、次元の高い自己肯定感があるように思う。それは、著者が否定する「自分のいいとこ探し」ではもちろんない。
この点について、少し考えていることがある。まだ、まとまらない。いずれ、きちんと文章にするつもり。