Naked Guitar, Earl Klugh, Koch, 2005


Naked Guitar

Earl Klugh、6年ぶりの新譜。前作の“Peculiar Situation”(Windom Hill, 1999)は、コンピュータのリズムあり、サクソフォンあり、フルコーラスのボーカルあり、それもロバータ・フラックで、と豪華というよりも派手な、Klugのアルバムとしては異色の構成だった。

今回は題名から想像できるとおり、ギター・ソロ・アルバム。これまでも“Solo Guitar”(Warner, 1989)、“Late Night Guitar”(Blue Note, 1999)のようにギター独奏アルバムはあった。今回のアルバムは、それらの進化形とも言えるし、見方によってはまったく違う性質を帯びた作品にも見える。


ギターに限らず、またジャズに限らず、独奏やソロ作品には意気込みの強いものが多い。この演奏を聴いてくれ、この技を見てくれ、そういう、言ってみれば演奏者の突っ張ったところが前面に出る。それはそれで悪くない。独奏を聴く楽しみは、アーティストの孤高の意志に圧倒されることだから。

独奏にはもう一つ、小さな部屋で一人ぽそぽそ弾いているような作品もある。それもまた悪くない。独奏を聴くのは、一人ぼっちのさみしい時間を埋め合わせるためだから。似たような境遇が伝わると慰められるような気もする。もっとも、楽器を減らしてゆっくり演奏すれば、何でもバラードになると勘違いしているアーティストやレコード会社は少なくないから、選択は難しい。


Earl Klughの独奏は、そのどちらでもない。技巧が凝らされていても、これみよがしなところは少しも感じさせない。一人で演奏しているのに、哀愁も寂寥感もない。不思議に慎ましさと充足感がある。そのうえ、そこはかとなくユーモアまで感じられる。

これまでも、Klughのソロ作品は、きっとそういう境地を目指していた。今回の作品で、ほとんどそこに達したように感じる。

このアルバムはどんな風にして出来上がったか、聴いていると『ギター弾きの休日』が目に浮かんでくる。


少し疲れて家に帰る。一杯のんでくつろぐ。何もしなくてもいいのに、手に取るのは、やはりギター。遊ぶように、昔よく聴いていた曲、弾いていた曲を弾く。懐かしさにまかせ難しいことは何もしない。

それがいつの間にか、新しいフレーズ、新しいアレンジ、新しいインプロビゼーションを探している。くつろいでいたはずが、いつの間にか真剣になっている。快適な緊張感が続く。気がつくと、納得がいくまで何度も弾きなおしている。仕事とはきっとこういうもの


映画『ティファニーで朝食を』でも、オードリー・ヘップバーンが窓辺に座ってギターを弾く場面があった。Klughの“Moon River”も、肩の力が抜けている。聴いているほうも、聞き流しているだけで疲れが取れてくるような気がする。ところが、ただならぬ演奏に、いつの間にか自分の疲れも癒しも忘れて、思わず聴きこんでしまう。

ほかに気に入った曲は、The Beatlesのカバー、“I want to hold your hands”。伴奏はボサノバ。それだけでも、原曲の雰囲気をがらりと変えているのに、メロディの端々が、どこかで聴いたことのあるKlugh節に味つけされていて、にやりとさせる。


最後の曲は“Angelina”。Earl Klughを聴くときは、いつも曲名を意識せず流している。この曲は、“The Best of Earl Klugh”(Warner, 1998)の中で何度も繰り返していることに気づいて曲名を確認したばかり。最初期の一曲らしい。デビュー作はまだ聴いてない。Klughのスタイルは、最初のアルバムですでに確立されていたことに驚く。

確立されたスタイルが、さらに30年かけて一層熟成を深めている。円熟という言葉がふさわしい。こんな風に、めったにありつけない贅沢な味わいは、“Double Matured”と呼びたい。


さくいん:Earl Klugh