土を掘る 烏兎の庭 第三部
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2008年6月


6/14/2008/SAT

さとうきび畑、新垣勉、アットマーク、2001

5月の連休に見た『名探偵コナン 戦慄の楽譜』では、歌曲“Amzgin Grace”が物語を解く一つの鍵となっていた。パンフレットには、曲の由来や英語詞とともに賛美歌となった訳詞も掲載されていた。

そこで図書館で、男女を問わず、“Amazing Grace”の収録されているアルバムをいくつか借りてきた。そのなかで、一番気に入ったのがこのアルバム。気に入ったのは、“Amazing Grace”のためばかりではない。「椰子の実」「さとうきび畑」「花(すべての人の心に花を)」など、これまで親しんできた曲がたくさん収録されていて、そのどれもが低く深くしみこむような声で歌われていたせい。

このアルバムで、「砂山の砂に腹這ひ/初戀の/いたみを遠くおもひ出ずる日」という石川啄木の短歌が「初恋」という曲名で歌曲になっていることをはじめて知った。作曲は越谷達之助。彼自身も新垣と同じようにクリスチャンであったと解説には書かれている。この頃は、この曲と「椰子の実」ばかりを聴いている。

私も以前、砂浜を歩いて初恋を思い出したことがある。やわらかい砂のうえを歩いていると、頼りなくせつない思いが甦ってくるような気がした。

啄木は「初戀のいたみ」という。いたみ、痛み、悼み、そして傷み。初恋は初めて人に恋することであるだけではなく、初めて失う経験でもある。少なくとも啄木は初恋に初めて愛する喜びよりも初めて失うせつなさを見ている。失わなければ初恋とは言えない。私にとっても、初恋は恋する喜びよりも失う悲しみがより多く残る経験だった。そして、失った自分の痛みより、自分が他人に斬りつけて残した痛みのほうがずっと大きかったことに気づいたのは、ごく最近のこと。

『啄木歌集』では読み返すたびに気に入った一首ずつにちがう色の印をつけている。この一首にもいくつか印はついていた。メロディを覚えて、忘れられない作品になった。

数多くある啄木の短歌のなかから、なぜこの一首に曲をつけたのかは、解説されてはいなかった。短歌は決まった語数で書かれるものだから、極端に言えば、一つ、旋律を決めてしまえば、どの短歌でもそのメロディーにのせて歌うことができる。でも、この一首には、この旋律しか考えられない。とくに間奏の小刻みな音が波音と震える心を感じさせそんな気にさせる。

いつかまた砂浜を歩くとき、きっと「椰子の実」とこの歌を口ずさむだろう。

写真は、広場で見つけた枇杷の小さな実。


6/28/2008/SAT

一ヶ月のあいだに中国へ二度行った。一度目は西安、二度目は深圳。

西安では兵馬俑を見た。予想以上、そして自分の想像できる大きさをさらに上まわる規模に言葉を失った。皇帝という一人の人間に、これほどまでに力と威厳が集められるものだろうか。ずっと前に北京へ旅したとき、広大な紫禁城のなかをさまよいながら歩いたときにも同じことを思った

電話も新聞もましてやテレビやインターネットのない時代に、何千万人もの民のうえに君臨し、みずから戦へ出陣し、国内の政敵や、身内の妬み嫉みに目を光らせながらも、新しい政策を実行する。輔弼する官僚制度はあるにしても、その重圧に耐えるだけでも人間としてたいへんな器の大きさを必要とする。

現代でも、一日何百通の電子メールをさばきながら執務をこなす経営者がいる。古代帝国とはまた違う重圧に耐えながら生きている人が確かに現代にもいる。私には無縁の世界であるし、そんな立場になりたいとも思わない。ただ、自分を基準にしていてはどうにも収まらない人間がこの世に存在することに、ときどき思いをはせることがある。

人間としてのスケールはともかく、今私がついている職業はスケールの大きさだけなら古代帝国にまさる。アメリカで設計され、スロバキアで作られ、インドネシアとフィリピンを通って完成する。そして、日本の会社が中国で契約している工場へと台湾の会社が仲介して運ばれる。生産の計画を立てているのは深圳にある30階建てのビルにある事務所。

私のミス、一つのせいで数え切れない人びとが余計な仕事をさせられ、余計なお金が使われている。結局、儲かっているのか、損をしているのか、末端で駆けずり回っているだけの私にはさっぱりわからない。

こうした業務の広がりは、すでに私の想像力を超えている。自分自身を支えるために私は世界の広がりに対してどんどん不感症になっている。開き直るつもりはないけれど、想像力の欠如は自己防衛の本能的な機能の一つでもある。

世界の広がりがあまりに広すぎて実感できないとき、それに反比例するように自分の内側が狭く深く感じられる。機内叙情歌を耳にしただけで、動揺し、号泣し、感極まった状態になる。この心理状態はまともではない。こんな状態が一年以上続いている。いや、飛行機に乗ったときはいつもそう

西安へ行く前に、すっかり忘れている中国史を復習するために山村良橘『人物世界史事典 東洋篇』(代々木ライブラリー、1989)で、始皇帝や唐の高宗、玄宗、西安事件の首謀者、張学良の項などを読みかえした。ふと奥付を見ると、小樽市出身、小樽高商卒とある。山村先生も、私にとっては忘れることのできない北海道出身の文学者の一人、いや、私はあえて思想家と呼びたい。講義の合間には函館のハリストス教会のイコンの逸話なども聞いた。

中国史の講義では、大長征の場面で、朗々と語る講義を聴きながら紅軍が何千キロもの道程を進んでいく姿がまざまざと浮かんできたことを思い出した。「講義は一方通行などという俗説に惑わされないこと」。これも、忘れられない山村語録の一つ。

写真は、二千年以上前につくられた兵馬俑の軍人たちと21世紀、中国でもっとも発展している街の一つ、深圳のビル街。


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