土を掘る 烏兎の庭 第三部
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2008年4月


4/19/2008/SAT

松本隆 風街図鑑、SONY、1999

元々はCD-BOXを貸してくれた友人への私信。

書きはじめたら長くなったので、雑評に入れることにした。

写真は、春の木洩れ日。


4/26/2008/SAT

2005年8月に書いた森忠明のいくつかの本への感想に以下の段落を追記。

   思い出してみると、はじめて自分が子どもを授かり、その子が娘だったとき、それまで失恋したすべての女性を見返したような気がした。それは、結婚したときよりずっと強い気持ちで、自分でも否定したくなるような奇妙な気持ちだった。
   一人の異性の生命を掌握したという征服感だろうか。すこし違う。自分の思いどおりの女性を育てられるという“プリンセス・メーカー”の妄想だろうか。半分はあたっているかもしれない。「あらんかぎりの愛と劫苦」という表現は、確かに近い気がする。

娘が11歳になった。4年生の最後には学校で「二分の一成人式」という行事があった。私が小学生のときにはなかったけれど、いまは多くの学校で行われているらしい。

10歳を迎えた子どもたちがこの10年間を振り返り、将来の夢を発表する姿を見ながら今から11年前に新緑にあふれた公園のベンチに座り、どんな名前をつけるか考えながら感じていたことを思い出していた。

この気持ちは最初に『小さな蘭に』の感想を書いたときに書きかけたものの、書ききれなかった。はじめてその気持ちを感じて11年、言葉にしようとして3年たってようやく言い表せたことになる。

何年経っても表わすことができない気持ちというものがある。何年たてば表現できると決まっているものではない。でも、ずっとできないと決まっているものでもないだろう。

私には、20年以上経って、ようやく言葉にできた気持ちもある

娘が二分の一ならば、私は来月で「二倍成人式」の年になる。

でも、そのときから27年経ち、言葉にしようと思い立ってから6年たっていても、私にはまだ言い表すことができないでいる気持ちがある

写真は、旧中島飛行機中央研究所本館近く、通称マリ・クレール通りの桜並木。


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