第2話 旅立ち


『未来少年コナン』は、男の子が女の子を救出に行くドラマ。それは表向きのことで、裏面では失くした人の面影を追いかけるドラマになっている。

コナンがのこされ島を出るのは、ラナを助けに行こうと自分で決めたからではない。おじいに「島を出ろ」と諭されたから。ハイハーバーは素晴らしい所、とラナは教えてくれたけれど、ハイハーバーはコナンが目指す場所ではない。のこされ島がコナンの目的地。コナンの旅は、のこされ島に帰るまで続く

仲間のために生きろ

おじいの遺言をかみしめながら、コナンは成長していく。最初はラナを助けるという一つの目標に向かって驚異的な体力にまかせ一直線に進む。やがて仲間が増えていくにつれ、時には待つことや、退くことをコナンは覚えていく。

コナンの「仲間」はどこまで広がっているか、コナンはどこまで冷静さを身につけているか、毎回確めてみるのも面白い。


おじいが死んだ悲しみを、コナンが巨大な岩を投げて表現する場面を、小さな子どもは笑うばかり。悲しみは、その表し方が純粋であるほど、他人には滑稽にしか見えないのかもしれない。それを慮るところが大人といえるだろうか。

速度の早い現代社会では、悲しみを滑稽なほど純粋に表す暇はない。ましてや長い時間を喪に服し悲しみを和らげることもできない。大地震で倒壊した建物でさえ、瞬く間に建て替えられしまい、皆、何事もなかったかのように日常生活に戻らされる。そのうえ、死さえも流れ作業のように過ぎていく。

そうしているうちに、悲しみは身体の底でうつうつとたまる。コナンのように力ずくで発散できたら、どれほど気が楽だろう。

怪力で岩を投げ落とすことで悲しみを表現する演出には驚いた。たった一人の仲間を失くしたとき、野生児はどうふるまうか、想像するのはむずかしい。

同じような野生児でも、美内すずえ『ガラスの仮面』に登場する、狼に育てられた少女ジェーンは、たった一人の仲間である姉を失くしたとき、まったくの無表情に陥った(単行本第31巻、白泉社、1985)。


どちらが正しいということはない。というより、社会から無縁の野生児という設定じたい奇抜すぎてありえない。だからその悲しみというものも、作者の想像でしかない。私にはどちらも真実の一面を表しているように思えた。