5/1/2022/SUN
4月のアクセス解析
4月のアクセス・ランキングは変わり映えのないものだった。
トップ10のすぐ下に、つい最近書いた『黄金の6年間 1978 - 1983』と『教養とは何か』(阿部謹也)が入っている。
買いたばかりの文章や、ずっと昔に書いた文章が読まれることはうれしい。
さくいん:阿部謹也
4月のアクセス・ランキングは変わり映えのないものだった。
トップ10のすぐ下に、つい最近書いた『黄金の6年間 1978 - 1983』と『教養とは何か』(阿部謹也)が入っている。
買いたばかりの文章や、ずっと昔に書いた文章が読まれることはうれしい。
さくいん:阿部謹也
大型連休は昨年に続きステイホーム・シアター。一本目は松坂桃李と浜辺美波を目当てに選んだ。元はゆっこロードショーの浜辺美波特集で知った作品。
豪華キャストのワンサカ・コメディ。
休日の夕暮れにビール片手に観るのにちょうどよい。
話ははちゃめちゃだけど俳優陣の演技のおかげで嘘っぽくない。
嘘の話だけど。
松坂桃李と戸田恵梨香は怪優。演技がぶっ飛んでる。とくに松坂桃李は本作のなかだけでも何度も人相から人格まで変わっている。恐ろしい。
浜辺美波はとても幼く見える。この2年後に『君の膵臓をたべたい』で主演する。
この作品で幼く見せているのか、キミスイで大人っぽく見せているのか。2年間でそんなに人は変わるものなのか。演技も堂に入っている。
さくいん:松坂桃李、浜辺美波、『君の膵臓をたべたい』
連休の一日、3月に続いて銀座へ出かけた。今年は真珠婚式。記念品を下見した。
昔通った老舗レストランでランチのあと、歩行者天国を散歩してから地下鉄を乗り継いで、国立近代美術館の鏑木清方展へ。
鎌倉の記念館には行ったことがある。そのため鎌倉の人というイメージを持っていた。江戸下町の生まれで、私の故郷である横浜の金沢八景にも縁のある人だった。金沢八景の一つ、「瀬戸の夕」が展示されていた。
展示作品の多い大回顧展だった。よく知られた美人画より、明治に残る江戸の風情を感じさせる「暮らし」の描写に惹かれた。
軽快な輪郭線から絵師が楽しんで描いたことが伝わってきた。
常設展では、野田英夫「サーカス」、松本竣介「建物」、日高理恵子「樹を見上げてIV」を見られて満足した。
「樹を見上げてIV」は、視界の全てが樹の枝で覆われる大迫力。
銀ブラと美術館で充実した一日になった。
日経新聞の土曜版、「映画で学ぶリーダーシップ」の特集で挙げられていた作品。大袈裟な英雄譚ではなく、抑制の効いたドキュメンタリーに仕上がっている。
『硫黄島からの手紙』や『アメリカン・スナイパー』など、これまでに観たイーストウッド作品と同様、淡々と物語は進む。
英雄になってしまったからこその苦悩や、自分の正しさを証明するために周囲に対して強く主張しなければならなかったことが描かれている。これがイーストウッドの人物描写の特徴ということがわかってきた。
周囲の助けとチームワークによって、初めて優れた人物は英雄となる。そう訴えている。
そして、真の英雄はいつも謙虚でいる。これも重要なメッセージと感じた。
エンドロールで実際の映像が流れる趣向は『アメリカン・スナイパー』と同じだった。
さくいん:日経新聞、クリント・イーストウッド
ちょうど去年の今ごろ、映画『君の膵臓をたべたい』を初めて見た。
あれ以来、もう何度見たか、わからない。
あの日から映画の見方が変わった。観る作品も増えた。
この作品は、同じく月川翔が監督した『君は月夜に光り輝く』とあわせて見たい。
『キミツキ』は『キミスイ』のテーマを受け継ぎ、さらに深化させた作品と思っている。
悲嘆(グリーフ)との向き合い方も変わった。
その後、グリーフ・カウンセリングを受けたのも、この映画を観たことがきっかけだった。
久しぶりに見て、それがよくわかった。
さくいん:『君の膵臓をたべたい』、悲嘆(グリーフ)
映画『君の膵臓をたべたい』を時間をかけて見直した。
小栗旬が演じる大人になった春樹が、本棚の奥から桜良が遺した日記「共病文庫」を取り出す場面で、彼の蔵書の一部が映っていることに気づいた。1:09:30あたり。
映像を止めて、書名を確認した。
三島由紀夫は、『潮騒』を十代で読んだだけなので、ここに並んでいる意味はわからない。驚いたのは詩集『ぼくは12歳』があったこと。ほかは皆、いわゆる文豪の作品。この一冊は異彩を放っている。
『ぼくは12歳』は自死した少年が遺した詩を遺族が上梓したもの。70年代のベストセラーだから、1990年代生まれと想像される春樹の本棚にあるのは意外に思う。そこに美術監督の意図を見るのは読み込みすぎだろうか。
この本を手に取ったのは桜良と死別した後ではないか。私はそう想像する。
桜良の死は自死ではない。でも突然の死という点では同じ。若くして突然にこの世界から去った意味について、春樹はこの詩集を読みながら、思いをめぐらせていたのではないか。これも私の想像。そう思うのは、私自身がこの詩集をそんな思いで読み返してきたから。
春樹の部屋を含めて『キミスイ』に登場する部屋を美術監督が解説するサイトを見つけた。
ところで、本の場合、詳細に読むことを熟読や精読という言葉がある。映像作品を丁寧に観ることに特別な言葉はあるのだろうか。私には思い当たらない。
さくいん:『君の膵臓をたべたい』、宮澤賢治、岡真史、自死、70年代
連休の一日、上野公園で過ごした。
まず、都美でスコットランド国立美術館展。
恐れていたほど混んではいない。
大好きな後期印象派の点描画家、スーラの「アニエールの水浴のための習作」が小品ながら小さな額縁のなかにたくさんの色の点が描かれていてとてもよかった。
印象に残った作品。リンク先は美術館のアーカイブ。
エンジバラは一度だけ行ったことがある。1989年の夏。滞在していたロンドンから特急に乗り2泊3日の小旅行をした。
城のふもとにある公園の緑があまりに美しく、興奮して一人でフルコースを食べた思い出がある。ロンドンで買った、フランス・チームの青いラグビー・ジャージを着ていたら、給仕に「フランス人か」と訊かれた。肌の色で国籍を判断しない姿勢に驚いた。
肝心の美術館は行った記憶がない。公園で満足したから行かなかったのかもしれない。
この日も、天気がよかったので、公園の緑を見ながら一人で優雅にランチを楽しんだ。
都美を見てから、公園を横断して科学博物館へ。こちらの特別展はとても混んでいた。
ゆっくりは見られなかった、それでも、滅多に見られないものを見たという実感は残る。
警備員が立ちはだかって、ふだんは入ることもできないハイジュエリーのブランドの宝飾を間近で見られたので満足した。
宝石や宝飾品は好き。少なくとも腕時計よりは関心がある。男性へのギフトというと、腕時計がよく挙げられる。汗かきでほとんどしないので腕時計に興味はない。もらえるのなら指輪の方がうれしい。
今年は真珠婚式。宝石とまではいかないまでも、記念品は指輪がいいかもしれない。
2館回って疲れたので常設展は見なかった。と言いつつ、トーハクまで歩いた。
しばらくベンチで休憩してから、陶磁器の部屋だけを見て退出。
品川の駅ナカで焼き鳥を買い、母が待つ実家へ向かった。
今日はビリー・ジョエルの誕生日。今日で73歳になるはず。
ビリー・ジョエルはほぼすべてのアルバムを持っている数少ないミュージシャン。そういうミュージシャンはほかにはアール・クルーしかいない。
私の好きな曲、10選。順不同。各アルバムから1曲ずつ選んでみた。
今日は一日、ビリー・ジョエルを聴いて過ごしている。
誕生日を覚えているアーティストも、十代のころに熱を上げたアイドルを除けば、ビリー・ジョエル以外ではほとんどいない。
恒例となってきた月一回の診察とその後に食べるハンバーガー。今月は先週の土曜日がその日だった。11時過ぎにS医院に着くと、二人しか待っていなかった。同じ曜日、同じ時刻でも混んでる時もあれば空いている時もある。待ち具合はいつも予想できない。
先月はとても安定していたので、とくに相談することもなく、診察は終わった。毎年、この季節は調子がいい。注意しなければいけないのは、気持ちまで湿りがちになる梅雨どき。
今月のハンバーガーはビジネスホテルの地下にあるバー。病院周辺のハンバーガー店を検索して見つけた。オニオンリングをセットで選べるのはうれしい。
松坂牛のパティにたっぷりのレタス、それに目玉焼きまで挟んであるボリューミーな一品。満足する量と味だった。
午後は一人でカラオケ。ほかの人とカラオケに最後に行ったのはいつなのか、思い出せないほど時間が経っている。カラオケはすっかり一人でするものになった。
今回は珍しい曲を見つけたので洋楽をたくさん歌った。
Billy Joel, "And So It Goes"、Phil Collins, Against All Odds"、Todd Rundgren, "I Saw the Light"、Paul Simon, "American Tune"、Steely Dan, "Deacon Blues"、Eagles, "Take It Easy"、Stephen Bishop, "It Might Be You"。
さくいん:S医院、ビリー・ジョエル、フィル・コリンズ、トッド・ラングレン、ポール・サイモン、スティーリー・ダン
先週の土曜日。本当の誕生日よりは少し早かったけど、家族が誕生日を祝ってくれた。
息子が初任給で誕生プレゼントを買ってくれた。うれしい。
国産のジン。香りも味もまろやか。アルコール度数の高いハードリカーに特有の飲み干したときに喉にジワっとくる熱さがない。サラッと呑めてしまう。
一人暮らしを始めた息子が帰ってきたのは久しぶり。妻と娘にもプレゼントがあった。
食事はお寿司、食後には私の好きなマンゴーのケーキ。
ありがたい。いい週末になった。
お返しするものがないので、リモート会議用にスーツの上着を一枚あげた。
野菜と果物も食べるんだよ
帰り際に玄関でそう伝えた。
連休中に見た。YouTuber、ゆっこロードショーのおすすめ。ちょうど去年の今頃に見た『ドリーム』を再見したあとだったので、アメリカ社会の人種差別について考えさせらた。
1962年のアメリカといえば、大統領はケネディ。キング牧師を中心に公民権運動も盛んな頃。その時代に北部に住んでいた人から見た南部が描かれている。
作品で描かれている南部の黒人差別はひどい。キング牧師の演説"I have a dream"に登場する街が、いくつも登場した。これは誇張なのか、実際よりも生ぬるいのかはわからない。いずれにしろ差別について知識として知っていても、映像で見ると心に刺さる。とても苦しい気持ちになる。
天才的なピアニストで知性も教養もある一方、孤独に生きているシャーリー。粗野だけど優しい一面を持つヴァレロンガ。映画のために誇張された部分もきっとあるだろう。作品の登場人物としては上手に対照的に描かれていた。
人種を越えるどころか、同じ日本社会のなかでもこのような「魂の友」を持たない私は、二人が絆を深めていく過程を興味深く見た。
鑑賞中、前に見た『最強のふたり』を思い出していた。どちらも実話を元にしてはいても、娯楽作品に仕上げるために、誇張されているところもあるだろう。そういう点は差し引いて見なければいけないのだろうか。確かに面白くするために、事実を捻じ曲げてまで誇張するのはよくない。
創作のために誇張した表現と歴史的事実の正確な描写。このバランスはなかなか難しい。
余談。街角のポスターにボブ・ディランの名前があって驚いた。そんな昔から活躍していたことに驚いた。
さくいん:アメリカ、ジョン・F・ケネディ、マーチン・ルーサー・キング・Jr
大型連休の最終日。天気がよかったので神代植物公園へ出かけた。目的はバラ園。
まずは黄色いバラ。ゴールデンクローネ、天津乙女、ゴールド・バニー、フリージア
さくいん:神代植物公園
昨日に続いて神代植物公園のバラ。カナスタ、サムライ、パパ・メイアン、フィデリオ。
赤いバラといえば、小椋佳にそのまま「赤いバラ」という曲があった。告白したいけれど告白できないもどかしさがテーマ。ほのぼのした二人の関係が愛らしい。
今日で沖縄県が本土に復帰して50年となる。
沖縄へは、ずいぶん前になるけれど、2度行ったことがある。一度目は大学二年の冬休み。今から30年以上前のこと。『観光コースでない沖縄』という本を片手に戦跡をまわった。
二度目は大学の卒業旅行。石垣島に二泊、恩納村と那覇市に一泊ずつした。これは純粋な観光旅行だった。
先日、NHKテレビで沖縄ポップスの歴史をたどる番組を見た。南沙織(実際は奄美の人)からフィンガー5、安室奈美恵、宮沢和史、BEGIN、それから夏川りみなどの音楽が流れた。
沖縄にルーツを持つ音楽を聴きながら気づいたことがある。それは、私は沖縄を"消費"してきただけ、ということ。
沖縄に関心がないわけではない。でも、沖縄がかかえる諸問題に主体的に関わってきたとは言えない。
自分のことで精一杯
うつ病になり障害者という身分になってからというもの、この言葉を言い訳にして、社会で起きているさまざまな問題から目を逸らしている。心が不自由なことは社会的責任が免れる言い訳にならないとわかってはいる。
そうかといって、一体何ができるのか、すぐには思いつかない。そもそも自分のこと以外に関心が向いていない。目下、世界中から注目を受けている戦争についても、新聞を読むこと以上の関心事になっていない。
毎日、自分を生かすことで精一杯。そう思うのは病気のせいなのだろうか。病気のせいにしてはいけないのだろうか。
かつては反対だった。社会で起きていることに関心があるふりをして、自分がかかえているほんとうの問題から目を背けていた。私は私の問題を解決しなければならない。あるとき、そう気がついた。
自分について考えることが社会について考えること、行動することに結びつけられないか。そういう道はないだろうか。
自分のために生きることが社会のために生きること。そういう生き方はないだろうか。
書いていることが、沖縄に行った大学時代から何も変わっていない。
先週、日曜日に行った神代植物公園の大温室で咲いていたベゴニア。
一つ一つの花の名前をメモし忘れてしまった。
さくいん:神代植物公園
神代植物公園の続き。大温室のスイレン。
ここへ来るととても心が落ち着く。私の安全基地。
さくいん:神代植物公園
神代植物公園へ行くと必ず深大寺そばの店、多聞に立ち寄る。ビールに冷やしたぬきそばの中盛(2人前)が定番。この日はわらび餅もいただいた。いつ来ても美味しいし、いつ来ても繁盛している。馴染みの店が繁盛しているのはとてもうれしい。
多聞は水性植物園のすぐ隣り。食後にのんびり散歩した。とても静かな場所。ここも心が落ち着く。
さくいん:神代植物公園
一度目は見逃し、二度目を録画してようやく見ることができた。
タイトルから、テレビがまだ電気芝居と呼ばれていた頃に、子ども向けテレビ番組を立ち上げるという一大プロジェクトの成功譚、いわゆる「プロジェクトX」のようなストーリーになるだろうと予想していた。それは違っていた。
ドラマは、上原正三が書いた金城哲夫の伝記『金城哲夫 ウルトラマン島唄』にほぼ沿っていた。金城が『ウルトラQ』の脚本を書いていた時代から、『ウルトラマン』の成功、『マイティジャック』の失敗と辞職、沖縄への帰郷、海洋博への深い関わりと県民の支持を得られなかった失望、そして事故死まで、金城の半生を当時の映像や関係者へのインタビューを織り交ぜて描く「ドキュメンタリー・ドラマ」に仕上がっていた。
『島唄』の前書きで上原は次の三点をきちんと書きたいと述べている。
その一。金城哲夫は円谷プロでどのような創作活動をしたか。
その二。金城哲夫が私に示してくれた友情と大きな包容力について。
その三。金城哲夫は何故円谷プロを辞めて帰郷してしまったのか?
(序章 異次元の男)
この三点は丁寧に描かれていた。とりわけ満島真之介の演技は真に迫っていた。とはいえ、一人の半生を90分に収めるのは無理な話。3回や5回のシリーズでもよかったのではないか。予備知識のない人にはわかりづらいように感じる場面もあった。
『マイティジャック』の商業的失敗、円谷プロでの降格、帰郷後に知る慕っていた円谷一の早世、本土と沖縄の架け橋になりたいという希望、短期間にこれだけの出来事があればストレスも相当なものだったろう。酒にしか助けを求められなかったのは不幸なことだった。
インタビューされた人からは「多感」「わがまま」という言葉が聞かれた。少年のように無邪気な性格だったのだろう。故郷で受け入れられず、徐々に崩れていく姿を映像で見るのは辛かった。それだけ演技・演出がよかったと言えるだろう。
健在の妻は「まだ30代なのに、50年も生きた気がする、と言っていた」と回想していた。現代であれば、もっと適切な治療やケアがあるだろう。誰にも止めることのできない、駆け足の一生だった。
エンドロールには協力、筑摩書房とあるだけで原案『金城哲夫 ウルトラマン島唄』(上原正三)の文字はなかった。この書名は入れてほしかった。関係者のインタビューが入っているので上原正三のインタビューも聞きたかった。
さくいん:ウルトラマン、金城哲夫、上原正三、沖縄、NHK(テレビ)
時は過ぎ 人は去り 冬の世界を歩むとも
生きるの 強く あの愛があるから
———「耳をすましてごらん」(山田太一作詞)
先週の土曜日のこと。
久しぶりに劇場で映画を観た。数々の賞を受賞した作品という情報以外、なるべく情報を入れずに観にいった。それでも「喪失と再生」がテーマということは知っていた。
見終えてすぐには何も感じなかった。
しばらくしてその理由がわかった。
悲嘆における、この段階を、私は越えている。
「喪失と再生」と言うのは簡単だけれど、やさしいものではない。
この作品がたどりつく心境に立つまでに、私は40年かかった。
だから、登場人物の気持ちが痛むようにわかった。
突然の死別に接すると、人は驚き、立ちすくみ、悲しむことさえできない。やがて死別という事実と向き合うとき、突然の死を止められなかった自分を責める。まだ、悲しむことはできない。
心から悲しむためには時間が要る。どのくらいの時間が必要なのかは人それぞれ。大切な人と別れた悲しみを見つめるきっかけを与えてくれるのは、人との出会いや人とのかかわり。人は人と別れ、人と出会う。その積み重なりが人生。
家福は悲しみから目を背けて2年間暮らしてきた。そして、悲しみと直面したとき、すがるようにみさきの運転に身をまかせた。心地のよい、クルマに乗っていることさえ忘れてしまうような運転だったから。広島から北海道までのドライブ・シーンが静かでとてもいい。
みさきもまた悲しみを抱えていた。家福に寄り添うことで彼女は自分の悲しみと向き合うことになった。ラストシーンは、彼女に新しい「日常」が始まったことを暗示している。
家福と音との関係はいびつなものではあったけれど、それもまた愛だったと思う。私には縁遠いものだろう、幸いなことに。
延々と続く台本の本読み。岡田将生の長い台詞とそれを黙って聴いている西島秀俊の表情。クライマックスの手話。サンルーフから出る二本の煙草。カセットテープから流れる穏やかな霧島れいかの声、終幕に見せる三浦透子の微笑。印象に残るシーンが多い。
「ロードムービーの傑作」という賞賛に異論はない。
さくいん:村上春樹、山田太一、悲嘆(グリーフ)、広島、北海道、日常、声
映画『ドライブ・マイ・カー』は日比谷の劇場で観た。朝は雨が降っていたのに、上映後、外へ出るとはれ上がっていた。銀座まで歩いて、教文館で原作や劇中劇で使われる『ワーニャ叔父さん』を読み、百貨店の服屋を眺めて午後を過ごした。その夜、銀座のライブハウス、ケネディハウスへ行った。来店は3月にランチ・ライブへ来て以来。
今回、30年通っているこの店で、初めて誕生日を祝ってもらった。
ステージから名前を呼んでもらい、カクテルをご馳走になった。歌のプレゼントはカーペンターズのメドレー。
さらにサプライズがあった。ステージから、ボーカルの岡部ともみちゃんにリクエストを訊かれ、とっさに「青春のリグレット」と答えたら、その場で演奏してくれた。
こんな出来事は初めて。とてもうれしかった。
他には、"Arthur's Theme"、"Ebony and Ivory"、「真夏の果実」、「人生の扉」、「埠頭を渡る風」、「思い出の渚」などを聴かせてくれた。
「埠頭を渡る風」や「思い出の渚」を聴くと、昨年亡くなったバンド・リーダーの上田司さんのことを思い出して、とても悲しくなり、涙があふれてきた。
悲しみのある人生は不幸な人生だろうか。
深い悲しみがあるということは、それだけ人と深いかかわりがあったということだから、不幸であるころか、とても幸福な人生ではないだろうか。深い悲しみは尊い幸福でもある。
最近になって、ようやくそんな風に思えるようになってきた。
さくいん:銀座、ケネディハウス銀座、The Carpenters、悲しみ
テレビで『ミッション・インポッシブル/ローグ・ネイション』を見た。ちょうど続編の『フォールアウト』がアマゾンプライムにあったので、終業後に見た。
アクション映画を見るのは昨年の大型連休に見た『キングスマン』以来。ふだんはテレビ放映があってもあまり見ない。
こういうシリーズものは主人公が負けないとわかっているので、安心して見ていられる。
もちろん、負けないとわかってはいても、アクション・シーンでは、どんな風に危機を乗り越えるのか、ハラハラする。こういう作品はそのハラハラを楽しむものだろう。現実離れしたアクション・シーンは『未来少年コナン』の実写版を見ているようだった。
一見、敵に見える人物が味方で、味方に見える人物が実は敵であることが多い。このカラクリがわかりやすく、映画リテラシーの低い私でも筋書きに惑わされうことなく見ることができた。
スパイものやアクションものは嫌いではない。学生時代にはトム・クランシーや大藪春彦を好んで読んでいた。しばらくそういう作品からは離れている。
モヤモヤした気分のときに見るのは、具志堅用高、井上尚弥、ブルース・リーの動画。
気分をリフレッシュするために、爽快感を得られる映画を見るのも悪くない。
さくいん:『未来少年コナン』、
契約社員として入社して5年と5ヶ月が過ぎた。昨年の12月に、勤続5年が過ぎたので無期雇用の契約にしてほしいと申し出たところ、すでに契約書を作ってしまったからと言われて、見送りになった。
今回、ようやく無期雇用の契約書が人事部から送られてきた。
これで突然の雇い止めは防止できる。
昇給がないので、契約形態が変わったところでモチベーションが上がるわけではない。
安心材料の確保だけ、というのが本音。
65歳までこんな感じで働けるのなら、それはそれでいい。
もう働きがいは求めていない。
さくいん:労働
先週末、母を連れて六義園へ行った。
あじさいはまだ咲はじめたばかり。午前中、雨が降ったせいで人出がなく、ゆっくり散策することができた。
茶屋で一休みして、抹茶とどら焼きをおやつにした。
『庭』を読み返すと、六義園へ来たのは、2016年の秋以来。そんなに来てなかったかな。その前は2016年の6月。あじさいを見に来ている。
近くにある東洋文庫ミュージアムは展示替えで休館中。6月になったら、もう一度、新しい展示と満開のあじさいを見に来よう。
夜はなじみのビストロで。甲州のシャルドネ、ぶどうの新芽のフリット、仔羊のグリル。
さくいん:東洋文庫ミュージアム
通読したわけではないけれど、聖書は手元に置いてあり、折にふれて読んでいる。
聖書に登場する場所を地図で表した類書は少なくない。本書は地図が大きくて見やすく、それでいて情報が詳しい。
何度読んでもあらすじさえつかめない旧約聖書の歴史編も、地図のおかげで少し理解できたような気がする。
聖書の人物のなかで興味を引くのは、弾圧者から宣教者へ劇的な転向を果たしたパウロ。
改宗の過程も劇的であり、そのあとの地中海東岸をめぐる宣教の旅もまたドラマチック。残された手紙に優しさと同時に厳しさが感じられる。心の弱い私は、パウロが前にいたら、叱責ばかり受けるだろう。
パウロはイエスに直接会ってはいない。いったい何が、彼を改宗させ、命をかけた宣教の旅に向かわせたのだろう。そこに関心がある。
パウロは、しかし、怠け者から厳格な宗教者に変わったわけではない。改宗する前も彼は厳格な人物だった。その点は変わっていない。生きる方向が変わっただけでエネルギーには変化がない。
私に、そういう転機が訪れたとしても、努力をしない、流れにまかせる、という基本的な性格はきっと変わらないだろう。
さくいん:パウロ
これまでにも『世界の橋』という書名の図鑑を読んだことがある。橋が好きで、川が好きだから。海も好きだから、概して水辺が好き、ということになる。
一冊の図鑑になるほど橋の世界は多様。長い歴史があり、工法の違いがあり、デザインの違いもある。
気になるのは、古代ローマの石造りの水道橋、バロック時代の華麗な城の橋、洗練されたデザインの現代の長い鉄橋。中国の皇帝が築いた橋にも独特の趣きがある。
イタリアへ行ったことがないので、ローマの遺跡を見たことがない。いつか、水道橋を見てみたい。
テレビ番組『世界遺産』で見た、水路を細長い運河船が通るポントカサステ水路橋も掲載されている。
日本からは、錦帯橋と明石大橋が掲載されている。明石大橋は鉄道で渡ったことがある。
映画『リトル・ロマンス』に登場した、ベニスの「ため息の橋」が掲載されていた。現地では、ソスピーリ橋と呼ばれているらしい。
さくいん:『リトル・ロマンス』
前に読んだ『世界を変えた本』の類書。50の文書が取り上げられ、それぞれ図版と解説が掲載されている。それぞれのエピソードは簡潔でいて、トリビアにあふれていて面白い。
著者は、イギリス人とカナダ人。『ケルズの書』、マグナ・カルタやシェイクスピアの最古の印刷物など、英国圏の文書が多めに取り上げられている。イギリスならではで面白い文書は、サッカーの最初のルール・ブックやビートルズのツアー日程表など。
18世紀のイギリスで女性の権利を訴え、男性との平等を主張したメアリ・ウルストンクラフトのことは、本書を読んで初めて知った。彼女の著書も重要文書の一冊とされている。
著者は、本書が英国圏に偏っていることを断ったうえで、読者に自分のリストを作ることを勧めている。
日本語の文書で選ぶとしたら、どんなリストになるだろう。日本国憲法や「終戦の詔書」などは必須だろう。
表紙の写真は、『ケルズの書』が保存されているダブリン大学トリニティ・カレッジ。この図書館にはぜひ行ってみたい。
ヴィジュアル版と銘打つならば、もう少し大判でもよかった。
先週末、実家でDVDを観た。
切ない話だった。タイトルが過去形だから、きっとハッピーエンドではないのだろうと予測してはいたけれど、想像とは違う終わり方、考えさせられる終わり方だった。
恋愛が続くか終わるかは、何によって決まるのだろう。考えさせられたのはそれ。
お互いへの思いやりが大切かもしれない。麦と絹はあまりに相性が良かったから、相手に合わせるということを最初からしていない。本当は何もかも波長が合う相手などいない。
波長が合わないところを譲歩したり主張したり、つまり調整をしながら関係性を常に更新していくことが大切ではないか。二人には関係性に対する過信があったように見える。
居心地の良さにけっして甘えないで、優しさも忘れないで
竹内まりや「家に帰ろう (My Sweet Home)」の一節。これが肝心ではないか。つまり、恋愛は相手を好きになることであると同時に、好きでないところを受け入れていく過程でもある、ということ。
言葉を換えれば、愛とは、求めるものでもなければ与えるものでもなく、日々確かめ合うもの、ということ。少し大袈裟に、「不断の努力」と言ってもいいかもしれない。
登場人物は少なく、ほとんどの場面を二人きりの空間が占めている。それでも、飽きたり、しらけたりしなかったのは二人の演技力のおかげだろう。有村架純については演技派という印象はなかったけれど、最後のファミレスの場面では、とてもいい表情をしていた。思わず、もらい泣きしそうになった。
エンドロールで流れる音楽がいい。おかげで余韻が暗くならなかった。
有村架純は本作で日本アカデミー賞主演女優賞を取ったと後から知った。納得。
本作は同じように二十代の恋愛を活写した『明け方の若者たち』と比べてみるのも面白いかもしれない。恋愛の始まりから高揚、終わりまでを、どちらも丁寧に描いている。
さくいん:菅田将暉
最近、風呂でも電車でも、ミスチルばかり聴いている。デビュー30周年を迎え、メディアでの露出が多いせいもある。
聴いているのは、"himawari"、"HANABI"、"Tomorrow Never Knows"ばかり。にわかファンとさえ言えない。
この3曲は歌詞がとても響いてくる。"himawari"は、失くした人、これから失くすことがわかっている相手を深く思う気持ちが的確に表現されている。映画『君の膵臓をたべたい』の物語をなぞっていて、エンドロールを見事に飾っている。
"HANABI"は、不安に満ちた世界でいる「生きづらさ」と歌いながらも、それでも「素敵な明日」を求める希望を歌う。
"Tomorrow Never Knows"は悔恨の歌。多くの人を傷つけながら生きてきたことを悔やむけれど、詫びたところで時は戻らない。重荷を背負ったまま、前へ進まなければならないと自分自身に言い聞かせる。
どの歌も、私の心情に重なるところがあり、聴いていると心を揺さぶられる。
スタジアムでのライブを動画配信で見た。ほぼ同じ年齢の歌手が、ステージを駆け回り、飛び跳ねながら力強く歌う姿を、驚きながら羨望の眼差しで見た。
桜井和寿は浜田省吾に憧れていて、音楽でも影響を受けたと聞いたことがある。
世の中の不条理に対する怒りだったり、自分のなかの闇と向き合う姿勢などは浜田省吾の影響かもしれない。
大きく違うところもある。それは、桜井の歌の特徴でもある譜割。短めのフレーズに多めの言葉を差し込む。この独特の譜割がミスチルっぽい唯一無二のスタイルを作っている。
さくいん:Mr.Children、『君の膵臓をたべたい』、浜田省吾、スタイル
本を読んだり、YouTubeを見たりして勉強したつもりで投資をしてきたけれど、なかなか結果がついてこない。
安い時に買い、高い時に売る
言葉で言うのはやさしいけれど、これがむずかしい。どこが底値なのかを見極めることがまずむずかしい。
今月、買い時を逃して、大きな儲けを逃してしまった。底値を見極められなかった。底値をずっと低く想定していて、買いそびれて、瞬く間に手の届かない株価まで上昇した。悔しい。逃した魚はほんとうに大きかった。
もっとも、利益を逃しただけで、損をしたわけではない。それでも、この失敗のダメージは大きい。まだまだ経験も洞察力も足りない。知識と経験の裏付けがないから、行動に自信が持てない。勝機を逸する。投資は自分との勝負。つくづくそう思う。
投資で失敗したときは、買いたいと思っていたものを一つ、あきらめる。そうすると節約できたようで、少しだけ心が落ち着く。今回は大きな買い物を一つ、あきらめた。今秋買うつもりだったiPhone 14も延期する。来年、次機種が出て安くなってから買う。今年はiMac 24インチを買ったから、とりあえず物欲は満足した。しばらくは倹約が必要。
お金のことで悩むのは、悔しくて、恥ずかしくて、情けない。でも、仕方がない。昇給の見込みはなく、副収入の当てがこのていたらくでは。
あれこれ、買ったり売ったりしているけど、無駄な動きばかりしていて大きな利益は出せていない。振り返って調べると、ある銘柄については、昨秋、買ったまま何もしないでいた方が儲かっていたこともわかった。要するに、余計なことばかりしてきた、ということ。
そこで方針を変えることにした。毎日毎週、何かするのではなく、上がりそうな、つまり成長が見込める銘柄を選び、その株を買ったら放置することにした。
ちょうど成長しつつあるスタートアップを見つけたので、買い付けた。アナリストの評価は高く、目標株価も高い。そこに届くまで何年かかるかはわからないけれど、待つ。いわゆるテンバガー(10倍)を目指すつもりはない。今年の大きな買い物や旅行を賄うことが当面の目標。
それでもまだ株価ボードは見ているし、株価が上下するたびに一喜一憂している。
これを書いたのは金曜日の夕方。悩みは尽きないけれど、まず週末を祝った。
さくいん:Apple