10月のアクセス解析
先月は常連の文章の他に『夏の海の色』(辻邦生)の感想がよく読まれた。2002年10月に書いた文章。むかし書いた文章が読まれるのはうれしい。
辻邦生は好きな作家。索引から他の文章も読まれることを願う。
私の文章にTwitterのような速報性はない。こうして長い年月をかけて読者を待っている。
Twitterでつぶやいたことも、後で推敲して『庭』に書いている。私の思考と想像と表現はここにすべて集める。
日記鯖、ブログ、Twitter、Instagram、note⋯⋯⋯。書く場所には流行り廃りがある。
私はずっとここにしか書かない。
さくいん:辻邦生
一人カラオケ
日曜日、一人でカラオケに行った。今回は短く、2時間だけ。
桑田佳祐、玉置浩二、今井美樹、松田聖子、松山千春、GreeeeN⋯⋯⋯。
いつも歌う歌から厳選して歌った。
Mr.Children, "himawari"は2回歌った。前回と同じ。
今回初めて歌った歌。
Paul Simon, "American Tune," Carole King, "Anyone at All"。
"American Tune"は、第六部のエピグラフにしているお気に入りの一曲。カラオケにあることを初めて知った。"Anyone at All"は、映画『ユー・ガット・メール』の主題歌。これも繰り返し聴く好きな歌。
さくいん:桑田佳祐、今井美樹、松田聖子、松山千春、GreeeeN、ポール・サイモン
膝の痛みで整骨院へ
左膝が痛む。階段を昇るときには手すりを持たなければならないほど痛い。
しばらく続けていたスクワットを中止して様子を見ていたけど、なかなか痛みが引かないので、近所の整骨院へ行くことにした。
この数年で2度、膝を痛めている。一度めは休職中。天気がいいのでいきなり2時間サイクリングをしたところ、翌日、膝に激痛が走った。ちなみに、この時に撮った写真が第五部の表紙。
2度目は、就労以降支援事業所へ通所中の頃。このときも、急に運動をしようと思い立ち、いきなり8階まで階段を昇ったところ、帰るときに歩けなくなるほど痛くなった。泣きながら整骨院へたどり着いたことを覚えている。
要するに、急にオーバーワークすると膝が壊れる。わかっているのに、またやった。
治療は、膝を温めること。熱いタオルで膝を巻き、低周波の電気を流す。次にマッサージ。最後に強い電灯のような機械でもう一度温める。
その間、10秒ずつ膝に力を入れるトレーニングをする。膝を吊り上げている筋肉を鍛えることが長期的な治療。
カルテによると、前回は4ヶ月も通院したという。
今回は、前回ほどは悪くないと言われた。しばらくは退勤後、病院通いになる。
新聞広告で特集を知り、ビールを買いに行ったコンビニで見つけて購入。
最近はジン以外の蒸留酒は呑んでいない。ジンもボンベイ・サファイアと決めている。
以前はオランダの陶器に入ったジンやスコットランドのシングル・モルトウィスキーをよく呑んでいた。
関西へ毎週泊まりがけの出張をしていた15年くらい前は、常宿にしていたホテルのバーでたくさんモルトウィスキーを教えてもらった。
ハードリカーの特集を読んでいたら、またシングルモルトが呑みたくなった。今年の冬は、一本買ってじっくり呑もう。
これまでに呑んで美味しかったハードリカー
呑みたくなってきたので、風呂上がりにボンベイ・サファイアをロックで呑んだ。
さくいん:マティーニ(ジン)
子どもの頃からオカルト系の話が好きだった。小学生の頃には図書館で物語は借りずに『世界の七不思議』のような本ばかり借りていた。
そういうわけで本書に取り上げられている話題もほとんど知っているものだった。
知らなかったものをメモしておく。
- アンティキティラの歯車(ギリシア)
- 宇宙服レリーフ(スペイン)
- グアダルーペのマリアのマント(メキシコ)
- ロレットチャペルのらせん階段(アメリカ、ニューメキシコ州)
- チマヨ教会の湧き出る砂(アメリカ、ニューメキシコ州)
この手の話のなかでとくに興味があるのがルルドやファティマなどの奇跡物語。本当にそういうことが起きるのか、とても興味をそそられる。
ムー的世界への招待状となった、同じ版元の「学研ジュニアチャンピオンコース」を何冊か持っていた。『もしもの世界』や『世界の秘宝を探れ』を処分したのはまったくもったいないことだった。
『ビューティフル・マインド』。最近、観た映画のなかで、一番印象深く残っている作品。クライマックスからエピローグは繰り返して観ている。
図書館にサントラ盤があったので借りてきた。この作品は音楽も印象によく残っている。
メイン・テーマはシンプルな旋律。音楽の詳しいことはわからないけれど、単純なメロディなのに重厚で濃密な雰囲気があるのは編曲のせいだろうか。
全体に重い感じの曲が多い。主人公の幻覚を描く曲は特に重々しい。こうした曲が作品に幻想的な雰囲気を与え、真摯なヒューマン・ドラマに仕上げている。
物語の佳境で流れる最後の3曲がとくにいい。"The Prize of One's Life… The Prize of One's Mind"、シャーロット・チャーチが歌う"All Love Can Be"、”Closing Credits"。
すぐれた映画音楽は、音楽だけで作品の細部までを思い出させる。同時に、音楽だけでも魅力的で、それだけで楽しませてくれる。
この音楽は、静かに物思いにふける夜にふさわしい。
ブクログ:サウンドトラック
お寿司とプリン・ア・ラ・モード
母の86歳の誕生日を家族四人で祝った。
母にとっては孫に会えることが一番の幸せらしい。
久しぶりに"止まっている"寿司を食べた。
ランチのあとは喫茶店に移動。ここでも久しぶりにプリン・ア・ラ・モードを食べた。
食欲旺盛なのは本当に頼もしい。健康長寿を願う。
図書館の雑誌コーナーで『エルマーと16ぴきのりゅう』の表紙に目が止まった。シリーズ第一作の『エルマーのぼうけん』、「画家の継母が絵を描き、夫が文字を手がけ、家族全員で切り貼りして作った」という創作秘話が面白い。
列挙されている100冊で読んだことのある本は意外にも少なかった。
『もりのへなそうる』『モモ』『ふたりはともだち』『ドリトル先生アフリカへ行く』『くまの子ウーフ』など。
「大人も読みたいこどもの本」というコンセプトがいい。私も、かねがね「絵本は子どもだけのものではない」と思っている。
物語はもちろんのこと、文字、挿絵、装丁、製本。絵本は全体で一つの作品であり、その意味で総合芸術と言える。だから大人こそ、絵本を隅々まで楽しむことができる。
私自身、子どもに読み聞かせるだけでなく、自分で楽しむために絵本を読んできた。
大人も読みたいこどもの本、10冊
『Casa BRUTAS』の子どもの本の特集を真似して、私的な「子どもの本 10選」を作ってみる。この10冊は、実際に私が大人になってから読み、大人の視点で感想を書いた本。
絵本のなかでも伝記ものが面白い。伝記絵本は短く、わかりやすいストーリーと見やすい挿絵で偉人の生涯を凝縮する。人物を知るいい入口になる。
ブクログには292冊の絵本・児童書が登録されている。そのほとんどは『庭』を始めた2002年以降に知ったもの。
ブクログ:絵本
さくいん:ルドウィッヒ・ベーメルマンス、八島太郎、ピーター・シス、フェルナン・シュヴァル、マイケル・ローゼン、小林豊、アレン・セイ、ユリ・シュルヴィッツ、さくまゆみこ
カレーライス
カレーライスを作った。いつものように、小さく刻んだ玉ねぎ大12個を2日間かけて炒めてルウにした。
炒めるのは、在宅勤務の合間に少しずつした。炒めてフタをして蒸して水分を出して、火をつけて水分を飛ばして炒める。これを繰り返す。
具は、骨つき鶏肉、にんじん、玉ねぎ、エリンギ、マッシュルーム、ナス。ほとんどカレー風味のごった煮。剥くのが面倒で、煮くずれしやすいのでジャガイモは入れない。
味付けは固形スープと赤い缶詰のカレー粉一缶(37g)と塩。隠し味にコーヒーとおたふくソース。
付け合わせはコールスローとトマト。ご飯には干しぶどうを少々。
今回は家族になかなか好評だった。
翌日はホールトマト缶を入れてルウを伸ばす。こうすると3日間楽しむことができる。
グリーフケアについて最新の研究をまとめ、先人の言葉を集めた網羅的な入門書。
グリーフケアについての本を数多く読んできたので、驚くようなことは書かれていなかったものの、わかりやすく、バランスの取れた内容になっている。
身近に死別体験者がいるときには、どう振る舞えばよいかについても詳しく書かれていて、参考になる。
著者は日本の現在を「死を受けとめることがむずかしい時代」と考えている。一方で長寿社会で死別体験は先送りにされることが多いけど、他方で高齢者社会は多死社会でもある。病気や死が日常であった近代以前の社会と比べ、死は特別なものになり、「死別を忌避する社会」となっている。
だから、本来、家族や地域、宗教に組み込まれていたグリーフケアが消失してしまい、死別体験に苦しむ人が増えている。この観察には同意する。
例えば、私は十代のあいだに数多くの死別体験をした一方、私の子どもは子ども時代には99歳の祖母以外、ほとんど死別体験をしていない。
ところで、著者が提案する「配偶者の死別に備えるポイント」が興味深い。
- 1. 相手の価値を見つめなおし、関係を大切にする
- 2. 元気なうちにお互いの最期の迎えかたについて話し合っておく
- 3. 死別したときに経験することについて知っておく
- 4. 家事や金銭管理などの生活技術を身につけておく
- 5. 自分なりの生きがいや人生の楽しみを見つけておく
- 6. まわりの人とのつながりを大切にする
私にはまだ早いかもしれないけど、準備のために心の準備はしておいて損はないだろう。
1. 3. 4. 5.はまあできている。2.と6.はまだできていない。とくにご近所付き合いは全くできていない。
さくいん:悲嘆(グリーフ)
図書館で借りて読んだあと、銀座の教文館で偶然見つけたので、これも「出会い」と思い購入した。
平山の著書は、主に自死遺族のサポートに関する本を何冊か、それと死生学の入門書、『はじまりの死生学』を読んできた。納得できないところがありながらも、どこか惹かれるものがあり、読み続けてきた。
本書は平山の没後に編まれた論考集。死生観に関する論考から、自死遺族のサポートから牧会者へのグリーフケアに関する助言、キリスト教の信仰に裏付けられた死生観など、幅広い彼の仕事を一望することができる。平山死生学のエッセンスが凝縮されていると言ってもいいだろう。
とりわけ「附論 キリスト教と死生学——未完の完」として巻末に置かれた遺稿を編集した文章には含蓄のある言葉が多く書かれている。
「未完の完」という言葉は強く印象に残る。人は望んだことすべて叶えて死ぬことはない。必ずやり残したことが残る。それでも、人はそれぞれその人なりに精一杯に生きることに、生きることの大きな意味がある。非常に力強い励ましの言葉。
終末の床にあって、完成できないことを悔いる必要はない。むしろ、死ぬまでベストを尽くすこと、それでも完成に至らないのであれば、その事実をありのまま受け入れること、そして、あとは神に委ねる姿勢が大切である。そうした勇気と祈りをもって死に臨むとき、私たちは平安の中にいることができるだろう。
限界状況における生の拠り所とは何か、それは最後まで新しい物語を紡ぎ出すことである。人が病や死に襲われ、過去の人生を展開できず行き詰まったとき、新たな物語を編み上げることができるかどうかが重要である。
(「附論 キリスト教と死生学 未完の完」)
信仰を持てずにいる私にはすべてを理解することはできないけれど、「死ぬまでベストを尽くす」という助言には励まされる。命が尽きるまで精一杯生きたいと私も思う。
亡くなった人の分まで生きる
死者は生者のなかで生き続けている
最近、大きな心境の変化があり、ようやくそういう考えを持てるようになってきた。
自分の命をぞんざいに扱っていた時期から見れば、大きな進歩と言えるだろう。
この本を参考に映画『君は月夜に光り輝く』の感想を書いたことを記しておく。
さくいん:平山正実、銀座、自死・自死遺族、死生観
一年ぶりのランデブー
週末、旧知の友人とランチ。近くに住んでいるのに会ったのは去年の11月以来、1年ぶり。
約束の時間まで余裕があったので、久しぶりに井の頭公園を一周した。
去年は井の頭公園横のイタリアン。今年は吉祥寺の真ん中にある鉄板焼。手頃な価格で美味しい食事を頂けた。
場所を変えて、運がよければ、マンガ『ガラスの仮面』の作者、美内すずえに遭遇できるというカフェでおしゃべり。楽しい時間を過ごした。
話題は、在宅勤務の悲喜こもごも。「つながらない権利」は必要ということで意見が一致した。気の置けない相手ととりとめなく雑談をする時間は楽しい。
誰かと雑談をする、ということ自体、長いあいだしていなかった気がする。
写真は、逆光のけやき並木、街角で見つけた千両、井の頭公園の紅葉、最近、道路が陥没してゴミ収集車が落ち込んだ場所。以前、葡萄屋があったところ。
何事もなかったかのように修復されていた。すぐに忘れられてしまうだろう。
そういえば、市役所脇の公園で毎年開催される青空市が2年連続で中止になったことを話すのを忘れた。
さくいん:『ガラスの仮面』
シュヴァルは、誰かに見せるために理想宮を作ったのか。
そうではない。自分が楽しむためだろう。
私も誰かに読ませるために書いているのではない。
書いている場所がほかの人にも見える場所なだけ。
アクセス数が気にならないと言ったら嘘になるけど、気にしないようにしている。
昨日のつぶやき。
つらい、苦しい、悲しい、情けない。
久しぶりに気分が重い。
前に作ったプレイリスト"Homesick - ため息が重い日に"を聴く。
崩れ落ちないように踏ん張ってみる。
昨夜、録画してあった映画『スティング』を家族で笑いながら見ていたら、心が和んだ。ありがたい。
うつの波を酒を呑まずに回避できたのは大きな前進。
さくいん:フェルナン・シュヴァル、うつ
歴史的な建造物を見るのが好き。そういう建物を写真で見るのも好き。
本書は、解体されてしまった明治以降の近代建築の写真集。
東京は最近、前にもまして再開発が進んでいるように見える。歴史ある建物が解体されて、超高層ビルが建てられている。
ヨーロッパへ行くと旧市街には古い建物が残されていて、そのまま企業や役所がオフィスとして使用している。トイレやLANはどうしているのだろう。上手に内部だけをリフォームしているのだろうか。
耐震構造が時代遅れになり、更新しなければならない、という制約が日本にはあるのかもしれない。それにしても、もったいない、と言いたくなるような美しい建物が並んでいる。
晴れた日に、クルマや人の少ない時間を選んで撮影された写真は、建物だけをとらえていて美しい。
ブクログ:建築
見ているだけで楽しい図鑑。
信仰心はカケラもないのに、仏像を見たりイコンを見たりするのは大好き。色彩鮮やかな時祷書を見るのも好き。
なぜかはわからない。幼い頃、親に連れられて奈良や京都の古刹を見てまわったからか。小学生の一時期、教会の日曜学校へ通っていたからか。
宗教に関心がある原点は、予備校の世界史講義だろう。
詳細な解説はむずかしいので、ところどころを拾い読み。
さくいん:パリ、奈良、京都
恐怖心
今週、仕事にミスがあった。ミスが修復された後、その原因と対策を報告する電話会議があった。
結果的には大ごとにはならなかった。でも、会議の前はずっと恐怖でいっぱいだった。
吊し上げに合うのではないか。厳しく詰問されるのではないか。
そんな不安が心に充満していて、数日間ずっと、気もそぞろだった。
相手がキレるのではないかという恐怖心がいまだに消えない。
来月は障害者手帳の更新月。もうだいぶよくなったと勝手に自惚れていたけど、この程度では回復したとは全然言えない。
やはり、前のように仕事をすることはもう無理なのだろう。
さくいん:うつ
在宅勤務が常態化して、1日の1/3を自室で過ごし、その内ほとんどの時間は座っている。それなら、もう少し居心地のいい椅子にしてもいいだろうと思い、いろいろ調べてみた。
今、座っている椅子は、6年前、パソコン用デスクと一緒に家電量販店で買ったもの。座り心地は悪くないものの、かなりくたびれている。座面も肘掛けも人工皮革がポロポロ落ちてしまっている。落ち葉のように散らかった端切れを掃除するのが大変で面倒。
まず会社で使っている椅子と同じようなものを探してみた。どれも値段が高い。元々、法人向けの製品だから割高ではある。会社はいいものを使わせてくれている。デザイナーの名前がついた"チェア"もきっと座り心地はいいのだろう。でも、手が届くものではない。
あちこちウェブサイトやYouTubeを探してまわり見つけた製品がこれ。安くはないけど、事務機器メーカーやデザイナーものほどではない。これから先、10年以上、毎日使うことを考えれば高くはない。それにしても、これから先ずっと在宅勤務が続くのかと思うと、何とも言えない気持ちになる。身体は楽でも、心はときどき折れそうになる。
座面と背もたれはメッシュ。色は事務所っぽくならないように緑にした。
商品は木曜日の午前中に届いた。組み立てもしてもらい、早速、使いはじめる。
座り心地は一度、試したことがあるので間違いない。胡座になることが多い私には広めの座面がちょうどいい。座面は前後に移動できるので、胡座のときには前に出す。深く座りたいときは後ろに動かす。
ヘッドレストも前の椅子にはなかったもので快適さに一役買っている。深く座り背もたれに首から背中まで寄りかかれるので、姿勢もよくなったような気がする。
リクライニングも快適。足置きもあるので、昼休みにちょっと仮眠くらいはできる。
快適な在宅勤務環境ができた。と言っても、働くモチベーションが上がるわけではない。
さくいん:労働
キリスト教は戦争好きか - キリスト教的思考入門、土井健司、朝日選書、2012
江ノ電日和
週末、天気がよかったので江ノ電に乗りたくなり、鎌倉まで出かけた。
鎌倉高校前で降りてホームから江ノ島を眺めた。それから稲村ヶ崎へ戻り、砂浜へ出た。天気はよかったのに富士山は見えなかった。
稲村ヶ崎の砂浜がとても狭くなっていたので驚いた。満潮だったとしても異常。砂浜が海に侵食されている。これも異常気象のせいだろうか。
駅まで戻り鶴岡八幡宮へ。少し色づいた楓を見ることができた。
バスで金沢八景まで帰り、馴染みのワイン・ビストロで夕飯を食べた。
長野県産のソーヴィニヨン・ブランから作った白ワインが爽やかで美味しかった。
料理の盛り付けがきれいだったのに写真を撮り忘れた。
さくいん:江ノ電、鎌倉
4連休のあいだ、雨の午後に観た。ゆっこロードショーのおすすめ。「人生を変えたい人に観て欲しい映画」。初めてのインド映画。
3時間という長さを感じさせない面白さだった。とにかく痛快。雨の休日に気分がスカッとした。
Aal Izz Well(All is well)
これがキーワード。邦題もそこから取っている。
困ったときに自分に言い聞かせる魔法の呪文。言葉がもつ第一の機能は自分の心を整えること。岡本夏木『子どもとことば』にもそう書いてあった。
「ゆっこロードショー」では自己啓発映画と紹介されていた。確かに「自信をもって好きな道を進め」「正直に生きろ」という自己啓発的なメッセージを読み取ることができる。私はそこまで深くは考えず、抱腹絶倒のストーリーを楽しんだ。
面白いシーンがいくつもあるなかで、最後のオチが一番おかしかった。「好きなことを続ければ成功は後からついてくる」。これもこの作品のメッセージ。
インド映画を初めて観た。ヒンドゥー語と英語の混じった会話がときどきわかって面白い。ここにもあった、エクソフォニーな言語世界。
人生観が変わるという感動とはちょっと違うけれど、ただの娯楽作品でもなかった。
困ったとき、落ち込んだり、辛い気持ちになったときに見返すといいかもしれない。"Aal Izz Well"と自分に言い聞かせるために。
さくいん:英語
先週の日曜日、図書館で『芸術新潮』をまとめて4冊借りてきた。
どれも面白い特集。有益な保存版のリストなので、メモ書きを残しておく。
行ってみたい「聖なる場所」。
メモはしてみたけど、海外旅行へ行くことなんて、この先あるのか。期待しないでおく。
今号のリストには、見たことのある作品がいくつかあった。
アンジェのタピスリーは、出張で行ったときに見たはず。たぶん1999年。あまり記憶には残っていない。
ウィーンの美術史美術館も行っている。ブリューゲルやクリムトを見たはず。30年以上前のことで、これも強い印象は残っていない。
アムステルダムのゴッホ美術館は1999年に行っている。どの作品という記憶はないけど、作品群に圧倒されたことは覚えている。2歳の娘をベビーカーに乗せて国立美術館も見た。
イタリアには行ったことがない。古代ローマやルネサンス期の美術はずっと憧れのまま。
今から行きたいか、というと微妙。時間があるならば、一度行ったことのある場所を再訪したい。一度目に見たときから自分がどんな風に変わったか、考えてみたい。
ところで、今日は一つ、大きな決心をした。
不採算事業から撤退して、新しいプロジェクトをはじめた。
さくいん:ウィーン
ブックリストから読んでみたい本をメモしておく。
私の5冊も書いておく。
さくいん:日高理恵子、森有正、山口瞳、福永武彦
新訳聖書に登場する人物を面白おかしく紹介した特集。こういう読みものは正直なところあまり好きではない。
宗教は厳格なもの、と思い込んでいる節が私にはある。これまでに出会ったクリスチャンに真面目で厳しい人が多かったからだろう。宗教は私が思うよりも、もっと親しみやすいものかもしれない。でも、こういう基本的なものの見方はなかなか変えられない。
それでも、それぞれの紹介文に添えられた絵画は十二分に楽しんだ。
ペテロは「おっちょこちょいのリーダー」と書かれている。かつて、私は「優柔不断と非難されかねないほど協調性のある懐豊かなリーダー」と書いたことがある。
新約聖書の登場人物のなかで誰に興味があるかと訊かれたなら、パウロと答えるだろう。それは彼が改宗者だから。なぜ、それまで信じていたものを捨てて、イエスに従ったのか。そして、誰よりも愚直に布教に努めた。その原動力は何だったのか。そういうことに興味がある。
もう一人、興味がある人物がイエスの父、ヨセフ。どんな人物だったのか。どんな風に「神の子」を育てたのか。とても興味がある。
信仰を持ちたいと思っている。この身を捧げるほどの深い「信」を持ちたい。でも、霊的な体験もなければ、たくさんのクリスチャンに出会いながらも感化されることがなかった私にとって、キリスト教は結局、知的好奇心の対象でしかなく、「信」を持つことは、いつまでも叶わない夢かもしれない。
さくいん:パウロ、ペテロ
開園記念日
『烏兎の庭』と題したウェブサイトを開設したのは2002年11月28日。これから20年目に入る。
19年前には全く想像していなかった方向に人生は進んできた。うつ病で休職することも、障害者枠で再就職することも、思いもよらないことだった。
この19年間は不幸なことばかりではなかった。何よりも自覚的に本を読み、考え、文章に書くことには大きな意味があった。2002年より前にはなかった精神生活を手に入れることができた。それが『庭』で収穫できた最高の果実。
文章を書いていなかったら、もっと行き当たりばったりの人生になっていただろう。自分の内面と向き合わず、薄っぺらい日常を送っていたに違いない。
今の日常は、退屈な一面があるものの、精神的には充実しているとも言える。本を読み、音楽を聴き、美術を観て、その感想を気が向くままに文章にする。そんな日常は充実した、幸せな暮らしと言うべきだろう。
2002年より前の自分とは確実に今の自分は違う。とりわけ、今年はこれまで直視していなかった「悲嘆」と向き合い、「新しい自分」を生きはじめた。
今日は穏やかに、『庭』が育ってきた道のりを祝いたい。
さくいん:うつ病、日常、悲嘆
忘年会Part 2
先々週のランチに続いて忘年会、第二弾。
金曜日、高校の同級生と旧交を温めた。待ち合わせの場所は、根岸線の桜木町。根岸線は高校時代、毎日乗っていた電車。まだ東横線が高架を走っていて桜木町駅が終着駅だった頃。高校三年生のときにはここから毎日、渋谷の英語学校と代々木の予備校へ通っていた。
地下街の立ち呑み屋で待ち合わせ。新橋あたりよりもずっと賑わっていて驚いた。
駅から馬車道方面へ少し歩くとその店はあった。老舗の焼き鳥屋。
美味しかった。今まで食べてきた焼き鳥とまったく違う味だった。目の前で炭火で焼いた鶏肉はどれもふんわりとして香ばしい。
むずかしい話はしない。沖縄の米焼酎を呑みながら、日本シリーズのことや暴落した株価の話などをした。野球と投資に詳しい人から、勉強になる話が聞けた。
〆の鶏そばがまた美味しかった。
こんなに落ちぶれた者を誘ってくれるのはありがたい。大切にしなければいけない。
楽しい夜だった。また行きたい。
さくいん:桜木町
円覚寺、鎌倉市
週末、先週に続いて鎌倉へ出かけた。今回は北鎌倉。駅前の円覚寺で紅葉を眺めた。
紅葉も見頃で、人出も先週の比ではなかった。国宝の舎利殿は門のずっと奥にあり、見られない。神奈川県立歴史博物館で実寸の複製を見たことを思い出した。
まだ膝が痛いので、他のお寺は見ずに鎌倉駅へ戻り、島森書店へ。いつもは鎌倉・湘南に関する本を買うところ、ちょうど探していた『イタリア民話集』があったので上下巻まとめて買った。
疲れたので、小町通りの老舗喫茶店、イワタで休憩。30分待って出てきたホットケーキ。じっくり焼いたので厚みがあり、ふんわりしている。たっぷりのバターとメイプルシロップをかけたら懐かしい味がした。
さくいん:鎌倉