ICUの小径

学部を卒業してから、メーカーで1年半働いて退職、1年半浪人して大学院へ入った。学部時代とは違う学校。

大学院へ行ってよかったか。自問してみると答えは、よかった、になる。今でも続く友人は一人も作れなかったのは残念だけれど、マンモス大学の学部時代では味わえない少人数での演習はとても勉強になった。とくにアメリカ政治史のS先生と日本政治思想史のM先生には、本物の学問を見せてもらった。同時に学問の厳しさを教えられた。

この学問の厳しさに私はひるんだ。自分がやっていけるような世界には思えなかった。

言い換えれば、覚悟が足りなかった。

学問を続けたいという気持ちは、もちろんあった。修士課程のあと留学して博士号を取得して研究者になるという夢もあった。ただ、私には実力も財力も努力も足りなかった

修士レベルの学問を進めながら少しずつ違和感も感じはじめていた。私の学びたいことは果たして学問と呼べるものなのだろうか。私が知りたいのは客観的な学問の世界ではなく、私の心の底にある何か、とても主観的なものではないか。

十代を非常に不安定な精神状態で過ごした。とりあえず大学は出て就職もした。でも何か落ち着かない。私は心の安寧を求めていた

自分について知りたい。自分の進むべき道を考えたい。本を読んで考えて、自分とは何かを探求したい。それは「研究」できるものではない。

読みたい本を読み、考えたいことを考え、自分自身のために学びたい

修士課程2年目。指導教官にそう伝えた。教官の返答は明快だった。

そうじゃないんだよな、学問の世界は

学問とはそういうものではない。ここは私の居場所ではないとはっきりわかった。元々、学校が嫌いだったのに、研究職や教員になって学校で働くことを目指すことにも矛盾を感じはじめていた。

そもそも、その学校を選んだ第一の理由は、姉が通った大学だったから。姉はその大学に一年在籍しただけで卒業することはできなかった。彼女が選んだ学校がどんな所だったのか知りたかったし、姉の代わりに卒業して弔いとしたい。そういう気持ちもあった。

無事、修了できて弔いは果たせた。その意味でも、大学院へ行ったのはよかった。

大学院を出てから6年経ち、私は『庭』を始めた。自分がしたいこと、自分が進むべき道、自分が探求したいこと。そういうことがようやくわかりはじめた。

まったく個人的な感情で3年間も周囲を振り回したことは申し訳ないと思っている。