1月のアクセス解析
去年の9月には5,000以上あったアクセスが3,000まで減った。
再放送が終わったので、『未来少年コナン』関連の文章は「モンスリーのPTGとして『未来少年コナン』を見る」以外、見事に20位以下に落ちた。
不思議なのは「16精密性格診断TEST」がこのところよく読まれていること。他人の性格に興味がある人が多いということだろうか。
『教養主義の没落』(竹内洋)は1月最終週に急にアクセスが増えている。これも謎。
ありがたいことに、リピーターのアクセスが1/3、約1,000。1,000回のアクセスがリピーターによるものという意味で、1,000人の固定読者がいるということではない。
第六部の目次の閲覧数、136人のうち116人がリピーター。目次を見ているということは、きっと新しい文章を読んでくれているということ。これはうれしい。
残念なのは昨日公開した『森有正との対話の試み』の感想が、Twitterで二度告知したにもかかわらず、週末にはほとんど読まれなかったこと。
人に読んでもらう、ということは簡単ではない。本を作るなんて夢のまた夢。
さくいん:竹内洋
奇妙な夜
先週の土曜日。11時に寝たのに1時過ぎに目が覚めてしまいなかなか寝付けなかった。
その日は、山口百恵の引退コンサートの再放送を見ながら餃子を作り、いつもよりも少し多くビールを呑んで寝た。
ロールスロイスに乗った英国王室家族とすれ違う夢を見た。
何か意味のある夢だろうか。
二度目は珍しく8時まで目覚めず、よく眠れた。快眠度100%。
仕事に縛られていた頃は金曜の夜から土曜の夕方まで寝ていることが多かった。酷い時は日曜の夕方まで寝ていることもあった。最近ではまったくそういうことはない。8時に起きるのは遅い方。
最近は週末でも7時前に目覚めることが多い。学生の頃のように夜更かしをして翌日昼ごろまで寝ていることもない。
睡眠に関して言えば、完全に健康に戻っている、と思う。
さくいん:餃子
梅林、都立小金井公園、東京都小金井市
梅の咲き具合を確かめに小金井公園へ行った。先月10日に咲きはじめだった蝋梅は満開。ほかは三部咲き程度。
紅梅は「鴛鴦」と「緋の司」。白梅は「古城の春に似る」。
行きはバス。帰りは途中でかつカレーを食べて歩いて帰ってきた。>15,000歩。帰宅してビールを呑んで昼寝をした。
さくいん:小金井公園
図書館で面白い図鑑を見つけた。こういう本を見つけられることも図書館通いの楽しみ。
東京の地下鉄は複雑。よくそう言われているし、自分でもそう思っていた。ところが、世界にはもっと大規模で複雑な地下鉄路線図があった。北京の路線図を見ていると頭がクラクラしてくる。
行ったことのある街の路線図を眺めるのも楽しい。写真がなくても、路線図を見ていると苦労して名所を回った旅を思い出す。
ロンドンでは、現地の人に乗り換え方を尋ねられた。パリは美術館の展示が始まっているルーブルの駅が記憶に残る。駅名の掲示板が大きくてわかりやすかった。
ニューヨークでは「一人で乗っては行けない」と脅されていたのでビクビクしながら、それでも地下鉄でマンハッタンを端から端まで回った。
ボストンでは日曜日に公共交通が運休ということを知らず、仕方なく徒歩で回った。
ワシントンD.C.。未来的なデザインの駅と車両。どこの駅も同じデザインで乗り換えするときに困った。
ウィーン。"Heiligenstadt. Umsteigen zur..."という車内アナウンスが耳に残っている。
シンガポール。噂に聞いていた通り、「チューインガム禁止」の警告があった。
それからブリュッセル。本書の路線図にもあるように、どの駅もフラマン語(オランダ語)とフランス語で駅名が書いてあった。都心の地下駅から出発して郊外まで雑木林を走り抜けるトラムが爽快だった。
ほかに地下鉄に乗った都市はサンフランシスコ、北京、台北。
北京で地下鉄に乗ったのは、30年以上前の1989年。まだ路線は一つか二つだったと思う。街中ではまだトロリーバスが走っていた。
さくいん:東京、パリ、ニューヨーク、ウィーン、シンガポール、ブリュッセル
『グリーフケアの時代』で紹介されていた本。著者は執筆当時、今は島薗進が職にある上智大学グリーフケア研究所所長。高木の著作では『グリーフケア入門』を読んだことがある。
悲しみを隠さず、話したり、ときには泣き叫ぶことさえグリーフケアの効果があると言う。全身全霊で泣くことの効用は『癒しとしての痛み』にも書かれていた。ただし、と注意書きが続く。
やたらと誰にでも想いをぶつけるのではなく、自分の話をきちんと受けとめてくださる方に話をするということが大切です。
(「終章 悲しみの乗り越え方」)
そういう人が身近にいない。精神科医は体調重視で心の中まで聴いてくれない。自助会も何となく二の足を踏む。結局、自分で書いた文章を一人で読み返すだけ。
お金を払って傾聴の専門家に聞いてもらうのがいいのか。
医師は「カウンセリングにはまだ早い」と言うだろう。自分でもそう思う。
話を聴いてもらいたいと思う一方で、自分でも整理できていないことを心の中に踏み込んで訊かれたくない気もする。それとも専門家は私を傷つけずに上手に私の心の奥底を整理することを手伝ってくれるのだろうか。
悩む。
さくいん:島薗進
40年前。1981年、2月の最初の金曜日は6日だった。
今日のような小春日和で私は小学校の校庭でサッカーをしていた。
ボールが頭に当たり、メガネのレンズが外れた。
修理に行こうと思い、一度帰宅した。
そこで私は思いもかけない報せを聞いた。
その後、土曜と日曜のことはよく覚えていない。月曜だけ休み火曜には学校へ行った。
6日が金曜日だったことだけはよく覚えている。
2月の第一金曜日には人生を変えるような出来事が起きる。
そんなことは二度しかなかったのに今でも毎年身構える。
一度ではなく二度あったからそう思ってしまう。
こういう心境を記念日反応というのだろうか。
今日も特別なことは何も起きなかった。
社印押印のために出社すると朝も夕方も富士山がきれいに見えた。
人生は大きく変わらないとしても、これでも十分に特別なことかもしれない。
さくいん:悲嘆、高木慶子、島薗進
7歳離れた姉、敦子が亡くなってから40年が経った。1981年2月6日、姉は亡くなった。
2月28日に19歳になるはずだった。
懸念されていた事態であったと同時に、突然に起きた不慮の事故だった。
あるいは、悪い時に悪い所で起きた「心の交通事故」とも言える。
先は長くなかったかもしれないけど、あんなに突然、いなくなってしまうなんて、思ってもみなかった。
今月は「裏庭へ続く木戸」を開けておく。
今年はこれまでとは違う気持ちでこの日を迎えている。それについては明日、一冊の本の感想を通じて書く。
さくいん:寒梅忌
昨日の文章について
昨日公開した文章を書くために11月下旬から約3ヶ月費やした。何度も書き足し、ほかの文章へのリンクも多くした。
あえて名前は出さなかったけれど、これまで読んだ死別体験を深く掘り下げたエッセイから多くを学んだ。山形孝夫、森山啓、そして森有正。
昨日の文章はこれまで私が考えてきたこと、書いてきたことの集大成、大きな転換点、と言っても大袈裟ではない。
それほど、この本を読んだときの衝撃は大きかった。
さくいん:山形孝夫、森山啓、森有正
「働き方改革」について
「働き方改革」の議論の中で夜間のメール・電話の禁止が取り沙汰されている。
社内のことなら管理できるかもしれないけど、顧客と向き合っている営業職はそうはいかない。納期やトラブルの原因を今日中に回答せよと要求されたら、夜中まで対応しなければならない。社内のルールだからといって、社外への対応を中止するわけにはいかないだろう。
また、社内外を問わず、北米と仕事をしている人は先方の金曜の夕方、つまり日本の土曜の朝まで仕事が続いてしまうことがどうしても多くなる。
日本時間の月曜は西海岸では日曜なので、連絡は取りにくい。だからどうしても先方の金曜中に、となり、時に土曜日の昼まで仕事が続くこともある。その場合、北米側でも金曜の夜遅くまで残業している。こういう実態は実体験に基づいている。
これもルールを作れば、対応しなくていい、という簡単な問題ではない。
ビジネスでは最終的な消費者に近いほどサイクルが短く、迅速な対応を求められる。川上の素材や原料業界の製造現場では、1, 2日でどうにかなるものでもないので末端の消費現場に比べると時間の進み方は遅い。
「働き方改革」には職種や産業のあいだにある習慣の違いも考慮に入れる必要がある。
さくいん:労働
「ムー」っぽい図鑑を図書館で見つけた。
子どもの頃、70年代にこの手の話が学研チャンピオンコースのように子ども向けの本にもあったし、テレビでもNTVの「木曜スペシャル」で放映されていた。
そういう、ナチスや徳川家の秘宝やら、さまざまな陰謀論やらUFOやらが溶け込んだ日常生活のなかで私は育った。
Qアノンのように陰謀論は今でも存在している。でも、メジャーなマスメディアはもう取り上げない。
70年代に充満していた、メディアまでを覆ったあの怪しい雰囲気は何だったのだろう。
今、この本を手に取っている読者はあの頃の子どもだろうか。それとも、若い世代でも、こういう話題に興味がある人が今も多いのだろうか。
さくいん:70年代、暗黒・闇
さだまさしをよく聴く。でも、もうファンとは言い難い。熱心に聴いていたのは小学五年生から高校一年生、1979年から1984年頃まで。アルバムで言えば、グレープ『コミュニケーション』から『Glass Age』まで。今でもその時代の曲ばかり聴いて新しい曲はまったくと言っていいほど聴かない。だから好きではあっても今はもうファンではない。
あの頃はファンクラブにも入っていた。コンサートにも行ったことがある。どのアルバムのツアーだったかは忘れてしまった。
1980年、小学六年生の秋には彼が映画『長江』を撮影するため日本を離れているあいだに催された、フィルムコンサートも観に行った。
言葉を換えれば、さだまさしは私にとって過去の音楽であり、思い出の音楽でもある。曲を聴けば今でも、よく聴いていた「あの頃」‐‐79年から81年まで‐‐を思い出す。
今も活躍していることは知っている。小説を書いていることもテレビで深夜番組をしていることも知っている。他にもいろいろな活動をしていることを本書を読んで知った。
ロングインタビューを読んで、彼の音楽が好きだった理由、最近の活動には格別興味がない理由があらためてよくわかった。それは前に書いたのでここでは繰り返さない。
さだまさし、マイベスト10。順不同。
上に書いた通り、グレープ時代から1984年までの作品から。
「雲にらくがき」は、姉の通夜で流れていた曲。彼女の好きだった音楽を流して過ごした。なぜか、この曲だけが強く記憶に残っている。
さくいん:さだまさし
Tverで『泣くな!はらちゃん』を観た。DVDを買わなければ、もう二度と見ることはできないとあきらめていたので、再放送に感激した。あれからもう7年も経つなんて、時の流れは早い。
連続ドラマを見ない私が、このドラマは毎回楽しみにして見ていた。このドラマのどこに魅力を感じていたのだろう。
自己肯定感が低くて、生きることに消極的な女性が自分が書いた漫画世界から飛び出してきたはらちゃんと出会い、自分を好きになり、世界を好きになりはじめる物語。
筋書きを書けばこうなる。この筋書きを支える一つ一つのエピソードが面白くて、ときに泣かせる。配役が素晴らしい。長瀬智也も薬師丸ひろ子も当たり役。麻生久美子は、薄幸で地味な美女を好演していた。
最終回、最後の場面。雨に濡れた越前さんにはらちゃんが傘を差し出す。ノートを振ってもいないのにはらちゃんがそこにいる。
これは、マンガの世界ではなく、現実の世界ではらちゃんのような人、つまり越前さんの理想の人が彼女の前に現れたことを暗示しているのではないだろうか。
私は勝手にそう解釈した。
世界と両思い
前にも書いたように、この言葉が胸に響く。
前に感想を書いてから6年近く経つけど、「世界に両想い」どころか「世界に片想い」も「自分を好きになる」こともで私はまだきていない。
強い抑うつ状態や希死念慮はかなり薄くなった。それでもまだ苦しいときがある。
どこへ行っても頼られもせず、疎んじられ、越前さんが嘆息したように、いてもいなくてもどうでもいい存在に思えるときがある。
世界に対する基本的な信頼
それが私には欠けている。まだまだ通院と投薬が必要か。
さくいん:麻生久美子、薬師丸ひろ子
建国記念の日。散歩を兼ねて吉祥寺美術館と三鷹市民ギャラリーを徒歩ではしごした。
どこかで見たことのあるような日常の風景を丁寧に描写している。
アパートの上の青空、高圧線の鉄塔、会議室の非常口、標識、車の窓から見える住宅地、横断歩道。見落としがちな日常のさまざまな景色。
気に入った作品は「夜景」。近くで見ると黒い下地に白、黄、橙、赤の点が散らばっているだけ。離れてみると飛行機から見下ろした街の景色になる。
頻繁に出張で飛行機に乗っていた頃を懐かしく思い出した。思わず、飛行機に搭乗したとき必ず聴いていたKenny G, "Going Home"をイヤホンで聴きながら見直した。
むかしの旅を思い出すくらい、リアルな夜景だった。絵葉書を買ったけれど、点がつぶれて魅力が半減している。
同時に目に浮かんだのは、真っ暗な街とあちこちで燃え上がる炎。震災のときの映像。
「日常」はありふれていても、ある日、突然に姿を変えてしまうことがある。「日常」は「永遠」ではない。
だからこそ「日常」に埋もれるのではなく、「最も平凡な日常の生活が何であるかを最も深く掴むこと」ことが必要なのだろう。
画家はそれを知っていて、何でもないように見える景色を愛しみを込めて描いている。
祝日の散歩。美術館の2軒目。
抽象画からアンリ・ルソーや浮世絵の春画のパスティーシュまで、何でも虹色で染めあげてしまうアーティスト。
芸術家はどうしてここまで偏執的に、一つのモチーフや表現方法にこだわることができるのだろう。飽きる、ということはないのだろうか。芸術家の執着心にはいつも驚かされる。
気に入った作品は「Cage mix field」。わざと形を崩したブロックを敷き詰めて虹の各色を散り散りに配置している。ネオンサインを流し撮りをしたようなピンボケのような、揺れているような不思議な風合い。いつまでも見ていて、そのまま絵の中に吸い込まれたくなる。
市民ギャラリーには「太宰治展示室」が常設され、晩年に暮らしていた家の仕事場が再現されていた。子どもも授かり、円満な家庭生活をしばらく送っていたと解説にあった。
市民ギャラリーは駅ビルの5階。3階の書店でしばらく立ち読みをしてから、向かいのトンカツ屋で昼食を済ませた。平日、昼食を抜いているので週末は外食を楽しんでいる。
そのあと2時間、一人カラオケをした。今日は挽歌ばかりを歌った。
ノア 約束の舟(Noha)、directed by Darren Aronofsky、Staring Russell Ira Crowe、Produced by Regency Enterprise、2014
『十戒』のように旧約聖書の名場面を映像化した作品を期待していたら違っていた。
ここまで改変するのであれば、もはや聖書を下敷きにする必要はなく、完全オリジナルの物語がよかったのではないか。
ノア、という題名では、物語を知っていれば信徒でなくてもどうしても比べてしまう。その筋書きとはあまりにも違う。所々にアリバイ的に聖書にあるエピソードが置かれていることでかえって戸惑う。
例えば、洪水の後、ノアが酒を呑み裸になって酔い潰れる場面。聖書では裸を見たハムの子は呪われる。この作品ではエピソードだけが描かれて特別な意味は与えられていない。
興味深いテーマがいくつか含まれてはいる。善人以外は救われなくてよいのか、妻のいない男は大人ではないのか、人間の運命は人間が決めるべきではないのか、など。実際、主人公ノアは創造主の指示に逆らい、人間として判断を下している。
「産めよ、増やせよ」という原作にもある言葉が締めくくりに使われている。でも、残っているのは双子の女の子。これからどう産み、増やすのか。ここに矛盾を感じないではいられない。だから見終えてから余韻が残らない。
映画評でも宗教界でも賛否が分かれる作品らしい。
今ひとつピンと来ない作品だった。観た記録だけ残しておく。
周囲に刑務所へ行ったことのある人はいない。だから自分からは縁遠い世界と思いながらカラー写真を眺めた。
交通刑務所のページで手が止まった。もしかすると行っていたかもしれない。
クルマで事故を起こしたことはない。でも、ヒヤリとすることは何度かあった。あと数秒ブレーキが遅れていたら事故を起こしていたかもしれない、という場面も経験している。
毎日クルマを運転していた頃はいつも緊張していた。とくに雨の日には。だから交通刑務所だけは他人事に思えない。私もあそこにいたかもしれないから。
受刑者たちを管理しつつ、社会復帰を支援する刑務官の仕事の大変さが垣間見えた。
保護司のなり手が減っていると新聞で読んだ。反省を促す教誨師に、社会復帰を助ける企業経営者。難しい仕事を引き受ける人たちには頭が下がる。
縦書きの夢
本のように縦書きで表示させたいという希望は、ウェブサイトを作りはじめた時から持っている。実際、第一部では、「たてがき君」というJavaScriptを使って無理やり縦書き表示をさせていた。
「たてがき君」はSafariやChromeに対応していないので第二部以降は利用していない。
縦書き化するために一番簡単なのはPDFにすることだろう。簡単ではあるけれど、PDFはせいぜい冊子で本という風合いはない。
Macに付属しているワープロソフト、PagesではePubに変換して出力することができる。電子書籍は確かに見栄えはいい。
今回、第一部の書評からいくつか選んで電子書籍化してみた。作成はうまくできたものの、iBooksにアップロードするところでつまづいている。Appleにサポートを依頼しているので、うまくいけばiBooksに並べてもらう。
ほんとうは本物の「本」を作りたい。いまは自費出版をする余裕はないので、いつか実現したい夢にしておく。
本を作るために必要なのはお金だけではない。編集という作業は思った以上に大変であることを、今回、電子書籍を作ってみてわかった。
表紙、目次、見出し、本文で文字サイズをどう使い分けるか。引用文のインデントはどれだけ下げるか。禁則処理はどうするか。
思えば、どれも、横書きでウェブサイトを作るときに頭を悩ませたこと。実体のある本の場合、ウェブ上のように微調整しながら作業するわけにはいかないからさらに注意深く作業しなければならない。
夢を持つことはいいこと。これは愚かな夢ではない。そう思いたい。
「本を作る」という夢は、いつの日か実現できるように、大切にとっておくことにする。
持病
「今回の就業規則の変更が適用されるのは正社員だけです」という人事部からの返答に、思わず悔し涙が込み上げてきた。
最近、ある病気を再発している。同じ言葉が頭に充満する病気。
何でこんなことになっちゃったんだろう
うつ病で離職、障害者枠で再就職、非正規雇用で昇給もないまま5年目。
再就職できただけでもいいことなのに。毎月給料がもらえるだけでも恵まれているのに。それはわかっている。
それでも、悔しくて苦しい気持ちが晴れない。
この持病は克服しなければならない。
さくいん:うつ病
横浜の海
週末、シロアリ駆除の防虫剤噴霧に立ち会うために実家へ帰った。
土曜日、作業が終了してからシーサイドラインに乗り、産業振興センター、18階のレストランへ。
鉄板焼の葉山牛も美味しかったし、久しぶりに食べたガーリックライスが驚きの美味しさだった。
料理に加えて、大きな窓から見える東京湾の見晴らしもきれいだった。
写真に映っている陸地はすべて昭和後半に埋め立てた土地。横浜市中から製造業を移転させ一大工業地域を作った。それまで、私が小学生だった70年代にはまだ自然の海岸線が残っていた。虫の苦手な私でさえ、平潟湾でゴカイを掘り、小柴あたりでハゼやタナゴを釣った。
海の見えない場所で暮らしているので、ときどき無性に海を眺めたくなる。
江ノ島が見える七里ヶ浜の海もいい。素朴なたたずまいの森戸や江ノ島と富士山が見える逗子や葉山の海岸もいい。広々とした空に富士山が見える長者ヶ崎の海もいい。それぞれに趣きがある。
工業地域の先に広がる東京湾も、かけがえのない私のふるさとの海。
さくいん:横浜、70年代
大人のお子様ランチ
日曜日。新しく買う予定のメガネを下見するために横浜の百貨店へ。壁一面におそらく100個以上のフレームが並んでいる。それでも、デザインや掛けた感じで選んでみるとすぐに一つに絞られた。メガネはポイントが多く付く誕生月に買う予定。
そのあと画廊で「奥村美佳展 ―かくれ里―(日本画)」。青や緑、赤や紫を淡い色合いで上手に使っている。靄のかかったような森の景色がいい。美術館でいわゆる名画を見るのは楽しい。こうして百貨店の画廊で現在活躍している画家の作品を見るのもまた楽しい。
画廊の隣りでは一品物の和食器も販売している。素敵な青磁のぐい呑みを見つけたけど、ちょっと高い。いつかの記念日にとっておく。
ランチは、マッカーサーも滞在した横浜の老舗、ホテルニューグランドの出店で「大人のお子様ランチ」。これは本当にそういう名前のメニュー。
ニューグランドが発祥と言われているシーフード・ドリアとスパゲティ・ナポリタンにハンバーグとスープも一皿に盛り付けられている。デザートにプリンも付いていた。プリン・ア・ラ・モードもニューグランドが発祥らしい。
眼もお腹も満足の休日だった。
さくいん:横浜
鼻から胃カメラ
自治体が援助するがん検診に行った。
前回は口からカメラを差し込んだ。今回は鼻から入れるカメラ。
前回は口の周りの麻酔が強くてとても辛かった。術後、1時間近く喉は渇いているのに唾を飲み込むことさえできず、嚥下性肺炎の苦痛を想像した。
今回は格段に楽だった。細いカメラは鼻を通るときも食道を通過するときも痛みはなし。
術後も30分で水も飲めたし食事もできた。
検査後すぐの目視では大きな異常はないとのこと。安心した。
それでも緊張していたせいか、昼食後眠くなり、しばらく午睡した。
夕方は歯医者。せっかくの連休が一日、病院日になってしまった。
本を売る
読み終えた本を2冊、古本屋で売った。本を売ったのは初めてではないけれど、これまでに数回しかしていない。
「買った以上は持っているもの」という思いがこれまで強かった。買った本を売ることになぜか後ろめたさも感じていた。
つまらない本ではなかった。広告を見て読みたくなり、図書館に入るまで待ちきれず、すぐ買って、楽しく読み、感想も書いた。でももう一度読み返すことはなさそう。とすれば、私の本棚で眠っているよりも、古書店に並べてもらい次の読者に拾ってもらった方が本にとっても幸せだろう。
加えて、古書店のツィートで私が本を売ることで古書店は売るものを仕入れることになると気づかされた。
置き場がないしお金もないので、本はなるべく買わないようにしている。読みたい本は、だいたい図書館にある。
本を買うのはしっかり読み込みたいとき。そういう本には蛍光ペンでたくさん線を引き、付箋を貼る。だから、図書館では借りられないし、古書店にも売れない。
そういうわけで、本を古本屋に売ることは滅多にない。
本は2冊で800円と言われた。1,000円にならないかな、と思ったものの、古本屋で交渉ができるものか、知らないのでそのまま小銭を受け取った。
帰り道でビールと日本酒を買ったので、臨時収入はすぐに消えた。
睡眠絶好調
最近、とてもよく眠れている。日曜日から火曜日までは連日、快眠度100%。こんなことは今までなかった。
よく眠れている最大の要因は長く寝ていること。夜は9時半には床について、6時過ぎまで寝ている。上図にあるように横になっている時間が8時間以上、正味の睡眠時間も7時間近く取れている。
熟睡できているということはストレスが少ないから、ということでもある。リラックスしているからよく眠れる。確かに、今は仕事でのストレスも少ないし、家庭も落ち着いている。
通勤がないことも大きい。8時半に出社するためには6時前には起床しなければならない。
夜、布団に入るとき、とても幸せな気持ちになる。今は毎晩、寝るのが楽しみ。
特別なことはしていない。風呂を出てからはパソコンとスマホは見ない。眠くなりそうな本を少し読む。英語のニュースを流して目を閉じる。この三つは毎日続けている。
3日連続100%はしようと思ってできるものではない。
今年の目標、気分を乱高下させず、低空でも安定飛行する、は今のところ達成できている。
辻邦生 永遠のアルカディアへ、中央公論社、2019
最近読んだ、小川洋子のエッセイ集『妄想気分』に辻邦生夫妻のことが書いてあった。辻邦生は『庭』を書きはじめたばかりの2003年にエッセイ集『時刻のなかの肖像』と『海峡の霧』を読んだ。その中で森有正について知り、『森有正——感覚がめざすもの』を読んだ。言ってみれば、辻邦生はその後大きな影響を受けた森有正を教えてくれた恩人。
図書館で晩年のエッセイ集『微光の道』と昨年、没後20年を記念して出版されたムックを借りてきた。
本書は主に小説家としての辻邦生に光を当てている。寄せられた文章も小説の解説が多い。エッセイスト好きの読者としては、彼のエッセイの魅力も取り上げてほしかった。山の清流のような透明でさらさらと流れていく彼の文章はエッセイにも発揮されている。
『微光の道』はゆっくり楽しみながら読み、感想もゆっくり書くつもり。
それにしても、没後20年にトリビュート本が出版されるくらいだから、今でも人気があるのだろう。
『永遠のアルカディア』には多数の人が寄稿している。皆、揃って『背教者ユリアヌス』を絶賛している。
辻邦生は『背教者ユリアヌスをもって、小説における物語的叙事性を一気に復活させることに成功しました。もはや純文学には不可能と思われていた、わくわくするような物語の面白さを私達に開示してくれたのです。(中条省平、はじめに)
ここまで書かれたら読まずにいられない。次の読む本リストに入れておく。
さくいん:辻邦生、森有正
1962年に生まれた姉の59回目の誕生日。白ワインで祝った。
姉が元気でいたら、どんな間柄になっていただろうか。
義兄がいただろうか。甥や姪がいただろうか。
そういうことは、今まで考えたこともなかった。
今年はなぜか、そんな妄想をしても悲しい気持ちにはならない。
私の悲しみはこれまでとは違う、新しい局面に入ったのかもしれない。
いくつになっても、たとえ亡くなっていても、誕生日を祝いたい。
"Michael Rosen's Sad Book"にもそう書いてあった。
宗教界では、宗祖の誕生日を2000年以上経っても祝っている。
さくいん:悲嘆、マイケル・ローゼン